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Ⅳ 光の剣

 うどん屋を出てあの土手を二人で並んで歩いた。

 既に空には月が浮かび、都会の町明かりとで不思議な境界線を作っている。星はほとんど見えないがこれはこれで綺麗なものだった。


 歩くのはまだ少し辛いが、だいぶ楽にはなってきていた。足取りは重いが彼女はそんな俺の歩幅に合わせて歩いてくれているので、今のところ無理せずに済んでいる。

「あー、食った食った」

 そんな風情を台無しにするような台詞も、それがいかにも彼女らしく素直で、それほど不快には感じなかった。


 少しずつ、姫山遊姫という少女のことが分かってきた気がする。


「明日の分まで食いだめした気分だ」

「明日は明日で腹は減るんだろう?」

「そうなんだよなー、フシギだよな」

 とらえどころのない会話をしながら、彼女はケースを開けていた。



――



「その剣は一体何なんだい?」

「何、って言われてもな」

 彼女は困ったように言い(よど)んだ。自分から剣のことを話してやると言ってきた割には、特に説明の仕方を考えていたわけではないらしい。


「あんただって、コレを抜いたところ見ただろ?」

「いやあ、見たけど何が何だかわからなかったし」

 光り輝く剣という以外に何も分かってないのだ。落下してくる鉄骨を切り裂くなど一体どんなものなのか、想像もつかない。

「うーん、じゃあ、何で出来ているのかな、その剣は」

「ああ、ダイヤモンドだ」

「ダイ……」


 思ったよりシンプルで、そして突拍子もない答えが返ってきた。

 流石にビームサーベルよりは現実的かもしれないが。

「ああ、言っておくけど売れないからな?」

「何の心配をして……って、売れないのか?」

 もしダイヤモンドで出来た剣だとするならば、大きさ的に相当な値打ちがつきそうなものだけど。

「なんつったかな、人工のダイヤとかなんとかで、ダイヤなんだけどダイヤじゃないとか」

「こんがらがってくるな」


 つまり、あの剣はダイヤモンドのような物質で出来ており、それ故に鉄骨さえも切り裂くことが出来た、と。


「アレを斬れたのはあたしの腕がよかったからだ」

 彼女は不服そうにそう付け足す。

「大体、あんなでかいのを斬ったのは初めてだったんだ。あたしじゃなかったらあんた今ごろぺしゃんこだぜ」

 ぞっとするな。

「運が悪けりゃこっちのほうが折れてたしな」

 ケースをプラプラと揺らしてみせる。

「ダイヤモンドなのに折れたりするのか?」

「だーかーら、ダイヤだけどダイヤじゃないんだって」

 ああもう、ややこしくなる。

「見せてもらってもいいかな」

「いいけどまあ、ここじゃちょっとな」

 確かにうどん屋で見せびらかすようなものではない。



――



「ちょっと持っててくれ」

 土手を歩きながら、スーパーの袋を渡される。

 中身はよく見れば庶民にはおなじみのあれ。

「カップ麺か」

「今日は作るのめんどくさくなってな」

「へえ、普段は自分で作ってるのか……ってうわっ!?」

 言うが早いか、彼女は既に光り輝く刀身を抜き放っていた。

「なんだよ、これが見たかったんだろ?」

 剣をこちらに向けてぶんぶんと振り回す。一応それ刃物なんだからぞんざいに扱うなよ。


 しかし、なんと美しいのだろう。


 彼女の剣は、辺りの僅かな光を集めぼんやりとした輝きを放っていた。

 空の暗さと地上の明るさ、その対比の中心でまるで全てのものを釘付けにするように存在感を放っている。


 幻想的な光景だった。


「ほれ」

 そう言って、彼女は剣をこちらにつき出す。その意図が分からないほど鈍感ではない。

「いいのか、持っても」

「別にいいさ」

 カップ麺の入った袋と交換で彼女から剣を受け取る。

「……軽いんだな」


 重たいものだと勝手に想像していたが、下手をすれば重さは竹刀と同じくらいではないか。

 握る部分は日本刀のように布が編まれており、手にしっくりとなじむ。

「剣って言うより刀か」


 刀身は刃の部分とみねの部分に分かれており、そりもある。

 別に日本刀に詳しいわけではないが、これは間違いなく西洋の両刃の剣ではない。

「なんだよ、気付いてなかったのか」

「いや、光っててよく見えなかったし」


 その光る刀身は半透明になっており、向こう側がぼんやりとレンズを通したように透けて見える。

 きらきらと光っていて見づらいが、形もやはり日本刀だ。


 ただ、ガラスのように一枚の板という感じではなく、先ほどレンズと形容したように、刃の中が(ゆが)んで見えた。

「これ、この中にもう一本入ってるのか?」

 刀の中に、もう一本刀が入っているように見えた。

 透明な刃を通して見える向こう側は歪んでいるし、中だけ少し光の反射の仕方というか、色が違って見えた。


「ああ、なんつったかな、ごうけんだかなんだかだ」

「ごうけん?」

 ごうけんって、あれか? 憲法にのっとって正しいとかそういうやつ。

 いや、絶対に違うだろうけど。

「あれ、違ったかな? ごう……きん? ごう……」

 持ち主の彼女のほうが混乱している。

 ひょっとしてど忘れしているのかそれとも元々よく知らないのか。

「まああれだ、中身が柔らかいほうが折れにくいんだってよ。それ以外はよく分かんねえ」

「そ、そうなのか」

 何だか中身の違うガムみたいだな。というかそんないい加減な理解の仕方でいいのか君は。


「この鍵は……」

 輝く刀身にばかり目を向けていたが、刀のつばの部分を見ると錠のようなものがつけてある。

 あの日にも見たものだ。

「ああ、カギだ」

「いや、そりゃ見りゃわかるけど」

 彼女との会話はどうもワンクッション何か無駄なやり取りが入っている気がする。

「ほら、ここにつけるんだ」

 そう言って彼女はケースから鞘を取り出した。

 鞘の部分には錠をかけられるように引っ掛かりがついていた。


「なんでそんな鍵なんてついているんだ?」

 少なくともその部分が日本刀のつばだったなら、今まで剣と言わずに刀と呼んできた。

「なんでって鍵かけておかないと危ないだろ」

「そんな当たり前みたいに言われても困るんだけど」

 どうやら俺と彼女とは常識の範囲がかみ合っていないようだ。

「ほら、下向けると……」

「ああ、分かった」

 鞘を下向きにしてわざわざリアクションで説明してくれたが、ぶっちゃけそれぐらいは俺だって言われなくても分かる。

 

 まあ確かによく考えれば刀って危ないよな。包丁やナイフを持ち歩く時にしっかりしたカバーをかけるのと同様必要な措置かもしれない。

 ……現代では普通刀を持ち歩かないのだが。


「こんな刀、どこで手に入れたんだ?」

「あたしのことは話したくないって言っただろ」

 つん、とそっぽを向く彼女。

 話題が少しでも彼女の素性(すじょう)や過去に触れようとするとこの有様だ。

「でも、この刀については話してくれるんじゃないのか」

「ああー、そうは言ったけど」


 彼女が何か言い終わる前に、俺たちの前方から数人の男たちがこっちに来るのが見えた。

「やべっ! しまうぞ」

 俺から刀を取り上げて鞘へと滑らかな手つきで納める。

 流石に刀を持ち歩く姿を見られるのは困るのだろう。

「なあ、どこで手に入れたかは聞かないから、どうしてそんなもの持ち歩いているのかだけでも教えてくれないか?」

「それも言えないんだって。まあ、あれだ、護身用ってやつで……」


 そんな護身用の道具があるか、と言いかけたが何やら彼女は前を向いたまま立ち止まる。


「おい、どうしたんだ?」

「あれはあんたのほうに用があるのか?」


 顎でくいっと前方を指し示す。

 見ると先ほどの男たちが近づいてきていた。


「え、いや……」


 そこではたと気づいた。


 彼らがこちらをずっと睨むようにして見つめていることを。

 

 人数は五人。

 背は平均して高く、低いやつでも百八十はある長身の男達。

 格好はバラバラだが大体がラフな印象で、髪を染めている奴も二人。見方によってはチンピラのようにも見えた。

 そいつらがそろいもそろってこっちに敵意を飛ばしながら迫ってきているのだ。

「じゃああたしか」

 異常な気配を(かも)し出している男達に気圧されるでもなく堂々としている。


 先ほどのやり取りの中で見た彼女と別人のような佇まいだ。


「え、ちょっと何なんだよ」

 この場で一人状況をうまく呑み込めていない。

 あいつらは彼女の知り合いなのか?

「何って、聞いてみなきゃ分かんないだろ」

「聞いてみるって……」

 またしてもそれが当然だろみたいに言う彼女に一瞬文句を言いかけたが、男たちはあっという間に目の前、前方約三メートル――目と鼻の距離まで来てしまっていた。


 雰囲気からしてただの通行人というわけじゃない。当たり前のように怒気やら殺気やらが漂ってきそうな表情でこちらを見ている。


「あ、アンタ達一体」

 その押しつぶされそうな迫力に耐えかねて声をかけるが、向こうはこっちと話す気もないのか黙って先ほどと同じような目つきを向けている。

 近くで見ると、どいつもこいつもまだ若い。もちろん正確には分からないが少なくとも二十歳前後だ。

「そこらのヤンキーにしてはキモすわってんな」

 そしてあろうことか、こっちも迫力では負けていない。

 何だ何だ、最近の不良学生はこんなド迫力な喧嘩(けんか)しているのか?

「……やるか?」


 話を聞いてみなければわからない、確か彼女はそのようなことを言っていたと思うのだが、俺の聞き違いだったのだろうか?


 かくして平和的に言葉で解決する道すら模索されず、戦いの火ぶたは切って落とされた。



 相手は五人でこちらは二人。

 俺は一応負傷者になるから実質五対一。

 状況は圧倒的に不利。


 俺も喧嘩に慣れているわけじゃないし、向こうの(まと)っている雰囲気は尋常じゃない。

 最悪、俺一人で彼らを引き付けて彼女を逃がす必要がある。いや、それしかないかもしれない。


 彼女のあの足の速さなら隙さえつければ逃げきれるはずだ。


 額を汗が流れ、唾を飲み込む。

 覚悟を決め俺は彼らと彼女の間に割って入り、彼女に「逃げろ!」と声を張り上げ自分を盾にする。


 そうなるはずだった。


「がはぁっ!」

 最初に仕留められたのは茶髪の男。剣を抜かずに鞘に収めたままの状態で、顔面を打たれ倒れる。

 振り抜かれた剣がその打撃の威力を物語っていた。

 それに間を置くことなく今度は二人同時に襲いかかってくる。

 見れば二人共手に光る何かを持って。背中側がギザギザした形状のあれはサバイバルナイフだった。


 冷や汗が出たのも一瞬。

 彼女は右に振り抜いた勢いそのままに一回転し再び彼らの顔面を打ち抜く。

 鈍い音が二つ分響き、身長百八十超の男二人がうめき声を残して倒れ伏す。


 真正面から彼女に対峙した四人目は顔面をガードした構えを取った。

 前三人を見れば妥当な選択にも見えたが、彼女は構わずそいつの腹を素早く蹴りつける。

 所謂喧嘩キックというやつか。足の裏で踏みつけるような形で真正面に繰り出す蹴りだ。

 不意をつかれた男だったが、流石に女子高生の蹴りで倒れる様子はない。逆に彼女の足をつかみ反撃に出る……はずだったが。

 ガードが空くのを待っていたのか、男が行動に出た瞬間鋭い鞘の突きがまたも男の顔面を捉える。

 軽いうめき声をあげ男はそのまま前のめりに突っ伏した。


 あっという間に大の男四人が女子高生相手に転がされた。

 剣のリーチがあるとはいえ、あまりに一方的に。


 残ったのは少し白の入った金髪の男。

 百九十近くあるだろう長身が心なしか小さく見える。

「どうする、まだやるか?」


 静かな迫力のある声。


 あの日に成端な顔で空を見上げていた少女の姿が思い起こされる。

 自分の命を颯爽と救ってくれた、鋭い目つきで空を睨み上げていた彼女。


 後ろ姿があの日の光景と重なる。


 宙を舞うように飛び、落ちてきた鉄の塊を難なく両断してみせた、あの少女と。

 ポニーテールをなびかせ佇む姿は、どこまでも凛々(りり)しかった。


 一瞬、ため息のようなものが聞こえた気がした。

 次の瞬間には男は体を丸めて彼女に突進してきていた。腹にナイフを抱えるような姿勢で。

 喧嘩に素人の俺でも知っている。男の全身全力の突進を止めない限りナイフを防ぐ術はない。

 なりふり構わず刺し違えてでも彼女に一矢報いるための捨て身の選択だ。


 だが彼女は僅かな距離で助走をつけ、そのまま飛び上がる。背中を丸めた男を飛び越える勢いでなんと横回転し、そして回転に合わせて剣を振るう。

 彼女は男の左側に飛び、鞘は下から男の顔をすくい上げるようにヒット。

 すれ違いざまにそれを受けた男は態勢を大きく崩して転倒した。

 それに対して、ダイナミックに横回転した後にも関わらずふわりと彼女は着地し、倒れた男達を見下ろす。

 時間にして十秒弱かそこらで五人KOしてしまった。


「なんだったんだろうなこいつら」

 当の本人はあっけらかんとしたものだ。まるでハエたたきで虫を潰したくらいの感覚ででもいるのだろうか。

「いや……」

 それを聞く前に叩き潰したのはお前だろと思わず突っ込みかけた。もちろんそんな雰囲気ではなかったことも重々承知だが。


 俺は圧倒されていた。

 冷静さが徐々に戻ってくるにつれ、改めて事の異常さと彼女のすごさを思い知らされる。


「よし、いくか」

「……えっ!?」

 一瞬言われた意味がわからなかったが、スタスタとその場を去ろうとする彼女を見て思わず声を上げる。

「いやいやいや! ちょっと待てよ!」


 突然の流れに丁寧口調も崩してしまった。

 流れ的にこれから状況整理とかする段階だろう、と心の中だけで突っ込んでおく。

「何だよ?」

 またしてもあっけらかんと返される。俺は今更だが改めてこの娘とは感覚が合わないなと思い知らされた。

「こいつらどうするんだよ」

「どうするって……どうする気だよ?」


 もうワンテンポ会話にクッションを置かなければいけないことは理解したので、構わずまくし立てる。

「いやほら、警察に連絡して連行してもらうとか」

「ば、バッカ! そんなことしたらあたしまで捕まるだろっ!」

 彼女は大慌てでそう返す。

 ああ、君はそっち側なのかと倒れている男達の凶器と、彼女の剣を交互に見比べる。鉄骨両断の剣に比べたらナイフなど可愛いものだろうな、そりゃ。


「なあ、じゃあせめて襲ってきた事情を聞くとか」

 正確には先手を打ったのは彼女な気もするが。

「どうやってだよ」

 彼女は呆れたように俺を見返す。

 じとっとした目を向けられるとなんだかこちらのほうが常識知らずのような気がしてきてしまう。

「すぐには起きないか」

「起きねえだろうな」

「なあ、死んでない……よな」


 すごい勢いで顔面を殴りつけていたが、デリケートな頭にそんな衝撃が加わって万が一、ということはないか?

「バカなこと言うな、ちゃんと見てたろ」

 何を見たって? と問いかける前に彼女は倒れている男達のあいだをぴょんぴょんと軽快に飛び越え、俺の目の前まで来る。

「ちゃんとここに入れたろ?」


 ずいっと彼女の顔が迫る。

 不敵で自信に満ちた切れ長の目が細められ、妖艶(ようえん)で小悪魔な笑顔をそこに浮かべる。


 ごくり、と生唾を飲む。


 彼女のほうが身長は低いから俺が上から見下ろすような形だが、立場は完全に逆だった。

 今にも俺を狩ろうとしているような、()(ひょう)のようなイメージが浮かぶ。

 なんの予備動作もなく、すっと彼女の右手の拳が俺の顎に当てられる。そのまま笑顔で軽く俺の顎を小突き、まるであたふたする獲物を(なぶ)るのを楽しむようににまりとする。


 ぞくりとした。


 胸の鼓動が早くなる。

 自分を圧倒する強さを持つ者に命を握られているという本能的な警告が俺を震え上がらせ、そしてそれ以上に……。


「ん? どうした?」

 獲物を楽しそうに狩る女豹は消え、先程までのあっけらかんとした顔の彼女がそこにいた。

「顔赤いぞ?」

「なっ!?」

 あまりにもストレートにそう言われてますます頬が熱くなるのを感じる。

「べ、別にそのっ」

 しどろもどろになりながら一歩後ずさる。

 この娘、なんだかんだとぼけているようで油断ならない。


「分かったか? あごを打ったんだって」

「は? 何がだよ」

「だーかーら、こいつらはあごを打たれて気絶したんだよ。だから当分起きねえだろうけど、大丈夫だっての」


 先程の顔アップからの一連の動作はそういう意味だったのか。

 俺はまったく別の思考で背筋を冷やしたり顔を赤くしたり忙しかったというのに。

「はあ、分かったよ。じゃあ警察は呼ばないんだな?」


 現実の方へ目を向けて思考を切り替えよう。彼女のペースに合わせていたらこっちがもたない。

「ああ、そうだ」

「じゃあせめて」


 よっ、と一番そばにいたうつ伏せの男をひっくり返してポケットを(あさ)る。

 目当てのものはすぐに見つかった。

「お前……それはどうかと思うぞ」

「何を勘違いしてるかは分かるけど、そんなつもりじゃない」

 怪訝(けげん)そうな様子の彼女をよそに財布から免許証を見つけて抜き取る。


「やっぱり若いな」

 年は二十歳(はたち)。そして本籍、住所は共に隣の県だ。

「なんだ、免許証なんか取り上げてどうすんだよ」

「こういうのはいざって時のために巻き上げておいたほうがいい」

 法的に訴えたい時に使えるのはもちろん、襲ってきたこいつらがどこの誰かぐらいは把握できるし、調べたい時もそこから情報を集めていけばいい。


「コイツの住所はさっきのやつと近いな。案外幼馴染(おさななじみ)かもしれないぞ」

 二人目から取り上げた免許証を放り投げて見せてやる。

「そんなこと知ってどうするんだよ。大体、五人で襲ってきたんだからこいつら全員ダチか知り合いなんだろ?」

「だろうな。お、コイツはいいな。見ろ、さっきのと結構離れた場所に住んでるだろ」

 三枚目を投げてよこしてやる。彼女は二枚目と交互に見比べる。

「もしこいつらが知り合いなんだとしたら、いつ頃からの知り合いだ? これだけ住所が離れてりゃ、こいつらの年を考えればちょうど高校位からの仲かもしれない。そこまで分かれば、まあ見てくれからして進学校あがりじゃないだろう。全員が通えるそれなりの偏差値の高校を調べれば、案外さっくりこいつらの繋がりが分かるかもな」


 もちろんこんなのは当てずっぽうの推理だ。が、記者にとっては見切り発車出来るだけの材料があればそれでいい。

 あとは足で地道にネタを確かめに行けばいいのだから。

「……お前、すげーな」

「え?」

 五人目のポケットを漁りながら振り返ると、彼女は感心したように目を丸くしていた。

「なんか、探偵みたいだ」

「探偵って、大げさな」

「なあ、あんた実は刑事じゃないよな?」

「なわけねーだろ」


 突っ込みを入れたところで、五人目のポケットに財布が入っていないことに気付く。おや、と思いもう少し探ってみると、代わりに携帯電話の番号が書かれた紙切れが出てくる。

「こいつはリーダー格だったのかもな」

「ん、最後のやつか?」

 五人目の金髪の男は財布を所持していなかった。

「こういう時のための用心か」


 近所ならともかく、少なくとも他県まで財布を持たずに外出することはまずないだろう。

 初めから俺たちを襲うつもりだったなら万が一のことも考えて自分の身分を特定されるものを持ち歩かなかったのかもしれない。


「さーて、じゃあこれは何なんだろうか」

 電話番号の書かれた紙切れを手に取り、白目を向いている男と交互に見比べる。

 本物の探偵や刑事なら、これをどう扱うのだろうか。



――



「とんだ取材になったな」

「ああ、流石に俺もこういうのは初めてだ」

 俺たちは再び土手を並んで歩く。彼女の家はもう近いのだという。


「……なあ、どうしてあたしのこと、そんなに知りたいんだ?」

「え?」

 唐突に彼女はそう聞いてきた。

「だって、あたしのことなんか書いたって面白くないだろ」

「まさか。最高に面白い記事になるだろ」


 さらっと返したその答えが意外だったのか、彼女はこちらを向いて続きを待っている。

「落下中の鉄骨を切り裂いた少女だぜ、普通お目にかかれないって。まあ普通鉄骨は落ちてこないけど」

 同じことをやれと言われて、一体誰があんな芸当を再現出来るだろうか。

「誰もやったことない、誰も出来ない。じゃあそんなことしたのは一体どこの誰、って、これだけでも十分みんな知りたがる」


 これは空想の世界の話なんかじゃない。

 現実に出来る人間がいるというのなら、どんな人物なのか誰だって気になるはずだ。


「おまけにそいつはこんなに魅力的な個性(あふ)れる美少女っていうんだから、世の中の男どもは金を払ってだって情報をよこせと言ってくるだろう」

 そんじょそこらの芸能人だってこの子の話題性と魅力には勝てない。

 素人にしておくのは勿体無(もったいな)いくらいの特ダネ持ちだ。


 それに俺自身……。


「美少女……」

 彼女の言葉にはっとなる。

 彼女はほんのりと頬を染め、まるで期待に目を輝かせる子供のように俺を見つめている。いや、事実女子高生はまだ子供の範疇だけど。


「い、いや、今のは言葉のあやっていうか」

「ウソなのか?」

 瞳の輝きと薄紅色(うすべにいろ)の頬はそのままに表情だけ真顔で俺の答えを待っている。


 何というか、ずるい。


「嘘じゃないけどお前……ああもうっ! んなこと聞き返すな!」

「ぷっ」

 あはは、と彼女は腹を抱えて笑った。何か非常に悔しいが俺もそれにつられた。

「なんだ、笑うな」

「あんただって笑ってるだろ」

 俺たちは二人して、何がおかしいのかも説明できない笑いに十秒近くを費やした。


「というかあんた、しゃべり方変わってるないつの間にか」

「うるさい、記事に出来ないんだからそんなところに気を使えるか」

「なんだ、それが地か」

 彼女はまたケラケラと笑う。やがて笑い疲れたのか足を止め、俺と正面から向き合った。


「悪いな、記事にさせてやれなくて」

「……いや、いいさ。なんか事情があるんだろ?」


 彼女は彼女で、俺とは別世界で生きているのかもしれない。


 あの特殊な剣のことだけではない。

 先程の大立ち回り、あれは俺の人生の中だけで考えれば大事件の範疇だ。かいたこともないような汗が出てきたそれを、目の前の少女は難なく乗り切ってみせた。


 彼女にとっての日常は俺にとっての非日常なのだ。


「……そうだな」

 彼女は何事か逡巡(しゅんじゅん)して、意を決したようにこう言った。

「さっきの紙をかせ」

「は?」

「さっきあの男のポケットからパクってきたやつだよ」

 金髪の男から失敬したあの紙切れ。電話番号の書かれたそれを彼女に渡す。

「ああ、何か書くものも」

 メモ帳とセットで持ち歩いているペンを取り出して渡すと、彼女はサラサラと何か走り書きした。

「ほいよ、返すぜ」


 受け取った紙切れには、表には先程の謎の電話番号、そして裏には――。

「それ、あたしの電話番号な」

 無邪気に笑ってそう言った。

「電話番号って、いや、そういうのはやぶさかじゃないけどな」

「何言ってるんだ? ほら、とりあえずあいつらのことで何か分かったら教えてくれよ」

 あいつら、とはもちろん先ほど彼女がノックダウンさせたあの五人のことだろう。


「あいつらが結局なんだったのか、聞けなかっただろ」

「聞けなかったのはお前が殴り倒したからだろ」

「仕方ないだろあの状況じゃ」

 俺の言葉に少しムスっとしたようだが、構わず彼女は続ける。


「あいつらがあたしを襲ってくるなら構わないけどよ、一緒にいたあんたにインネンつけられたらあたしの責任だしな」

 バツが悪そうにそう言う彼女。

「だから何か困ったことがあったらあたしに言ってくれよ。取材させてやれない代わりだ」

「……いや、悪かった。そうだな、また俺は助けてもらったんだな」


 あの連中の意図が何であれ、一人で対面していたら今頃どうなっていたことか。

「あー、だからそんな風に礼なんていいっての」

 どうやら彼女は感謝されることに慣れていないようだ。

 面倒でも困っている相手を放っておけないくせに、と心の中でだけ呟いておく。


「せっかく口の利き方もそれらしくなってきたんだから、もっと気軽に接してくれよ」

「そうか。じゃあ、そうさせてもらうか」

 彼女の接しやすい人間関係の基本は、おそらく対等の立場、つまり友人関係なのだろう。この年の少年少女の趣向からすればごく自然な感覚だ。


 年上として頼られたかったかと言われれば少しはそんな気もするが、ここまで助けられっぱなしではもうそれは叶いそうにない。ここは彼女の好意に素直に甘えておく。


「あんた、そういえば名前は?」

「あ、俺、名乗ってなかったっけか」

 こんな状況に至るまで名前も名乗っていなかったなんて、なんともお粗末なことだ。本当に俺は自分のことしか考えずに彼女に接していたのだなと少し反省する。

「峰岸悟郎だ。ついでにこれが俺の名刺」

「ふーん、ゴローか」

 俺の名刺を見つめながらそう呟く。


「お前の方こそ困ったことがあったら電話しろよ。裏に電話番号も書いてあるだろ」

「お前って、こっちが名前で呼ぶんだからその言い方やめろよ」

 彼女は名前で呼ばれないのが気に食わないのか、そんなことを言い出した。

「呼ばせてもらえるならありがたく名前で言うけどな……遊姫」

「よし、あたしの名前忘れてたワケじゃないみたいだな」

 誰が忘れるかあんな特徴的な名前。


「じゃあなゴロー、うどんうまかったぜ」

「え、ここでいいのか?」

 夜道に少女を一人帰すのはいささか心もとない。尤も、痴漢(ちかん)や暴漢程度ではこの少女をどうにか出来るとも思えないが。

「ここでいいって。つーかウチにまであがってく気か?」

 そうやって自分の後ろをくいくいと親指で指し示す。

 二階建てのアパート、古めかしい感じで築四十年といったところか。


 成程ここなら事件現場ともさほど離れていない。しらみつぶしに付近を探していれば案外遊姫を見つけられていたかもしれないな。


「なかなか楽しかったぜ。またおごってくれよ」

 そう言うなり直ぐに踵を返して駆けていく。

「だから、礼を言うはこっちだっての。近いうちに電話する」

 出会いも唐突だったが、別れ際もあんな風に駆け出して去っていってしまうものだから、何とも風来坊(ふうらいぼう)な少女だなと改めて思った。

 遊姫の背中を見送って、俺も帰宅の途についた。


 その日だけで、いや、その日彼女と再会してからだけで随分色々なことがあった。


 姫山遊姫。


 俺の命を颯爽と救ってくれた少女は、かつて俺の知る世界ではない、どこか別の場所の住人だった。

 それがあの日を境に現実の少女へと姿を変えた。


 記念日というのなら命を救われた日ではなく、あの日あの時をもってするのがふさわしいのだと今も思う。

 彼女と本当の意味で出会った日だ。


 さて、あの日の帰り道俺はこれからの記事のことや襲ってきたあの五人のことなど頭の片隅に、姫山遊姫とのひと時を思い返してはほくそ笑んでいたと記憶している。

 我ながらおめでたい限りだ。

 だから彼女の電話番号が書かれた紙の裏のほうに見覚えがあったことなど、この時はつゆとも気付かずにいた。


 それこそが次のステップへ進むための鍵だったのだが、俺はやはり探偵や刑事ではないのだ。

 謎解きがされるのは家に帰って、たまたま見返してみた俺のメモ帳に井戸松建設の常務の電話番号を見つけたときだった。



――



 玄関の鍵をあけて中へ入ると、いつもと同じ薄暗い部屋が目に映る。

 買ってきたカップ麺をとりあえず流しに置いて腕の包帯を取る。

 いつも通りのいつもの生活。


 けれどうちに帰ってくるまではいつもとは違っていた。


 あの記者、ゴローと偶然に出会って、うどんをおごってもらってみょうなやつらを叩きのめし、電話番号を交換した。

 こんなやりとりを友達以外としたのは初めてだった。いや、それにしても久しぶりというか、なんだかこそばゆい感じがした。


 あいつ、ゴローはあたしを美少女と言った。

 言われた時、何か心の奥がぼっと燃えるような、熱くなるような気がした。

 恋、じゃないと思う。

 ずいぶん前にも似たようなことを言われたのを思い出したのだ。


「美少女、か」

 カワイイ、っていう意味だと思う。

 男が女をほめるときに使う言葉で、見た目がいいとか自分の好みだ、とか言いたい時に使うものだろう。

 言われて嬉しいか、と聞かれればたぶん嬉しいのだろう。

 ほめられるのは苦手だが、今日ゴローに言われた時は思ったより悪い気はしなかった。


 けれど、それを素直に受け取れない自分がいることもわかっている。


 部屋の明かりをつけると、いつもと変わらない部屋。

 あたしは自然と自分の腕を見た。ひょっとして美少女なんて言われたものだからそこには美少女の腕が見えるんじゃないかと思って。


「なわけねーよな」

 いつものあたしの腕だ。


 あたしは自分の体をなんとなくそれ以上見ていたくなくて、再び電気を消してベッドへと倒れ込んだ。


 目が覚めたら本当の美少女になっていたらいいな、と子供みたいなことを考えながら。

今回は仕事の都合で少し遅くなってしまいました。

投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っています。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。

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