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Ⅲ 笑顔の価値

 俺と彼女の距離は徐々に縮まっていく。


 俺と彼女、進行方向が向き合っているのだから当然と言えば当然なのだが、何かこう運命的なものを感じずにはいられない瞬間だった。


 このまま黙っていればお互いすれ違い再び距離が離れていくのだろうか。

 ここで俺が声をかけなければ、再び俺たちの世界は交わることなくまた淡々と紡がれていくのか。


 そうはさせまい。ここまで探し追ってきたのだ。


 俺がそう意を決して声をかけようとする前に、彼女のほうが俺を見とがめ足を止めた。

 俺に気付いたのか、俺を覚えていてくれたのだろうかと一瞬思ったが、その割に彼女は何とも表現しがたい顔をしていた。


 今想像するに、色々とない交ぜになった俺の感情が顔に出ていたのだろう。

 要するに、彼女は不審者を見るような眼をしていた。

 ここまでの俺の行動を(かんが)みるに妥当だとも思うのだが。


「あんた誰?」

 意外にも彼女は俺を無視せずに堂々と話しかけてきた。飾り気も遠慮もさらさらないストレートすぎる発言ではあったが。

「……やっぱり、覚えてないか」

 少しだけ期待していたが、残念ながらそれも空振りだった。

「え、どっかで会ったっけ?」


 不審者を見る目から、今度は記憶にない知り合いでも思い出そうとしているような表情をする。

 ばつの悪そうに立ち止まっている彼女が気の毒なので、ネタばらしは早々にした。


「ほら、一週間くらい前に助けてもらった記者だよ」

「えー……っと」

 彼女はしばらく考え込む様子だったが、はっと何かに気付いたような反応をして、そしてだんだんと顔を険しくしていく。

 先ほどまでの不審者を見る目からグレードアップして、眉をつり上げた明らかに敵意がある表情をこちらに向ける。

「お、お前あの時のっ!」

 あまり快く思われていないのは知っていたが、こうまで露骨に嫌がられることをしただろうかと若干不安になる。

「お前のせいであれから大変……」

 言いかけて、またはっと気づいたように言葉を切り、そして――。


「えっ!?」


 くるりと向きを変え、そのままの勢いを殺さずに彼女は元来た道を駆け出していた。

 一連の動きはまるでダンスでも踊っているかのようにスムーズで、その動作を練習していたのではないかと疑いたくなるほど流麗(りゅうれい)だった。


「ちょっ、ちょっと待った!!」

 あまりに無駄がなく流れるような動作に一瞬見とれかけたが、二度目の光景に考えるよりも体が反応した。

「ついてくんな!」

 こっちが思わず駆け出した直後に浴びせかけられる台詞。

 彼女は既にこちらから五メートル以上離れている。

「何で逃げるんだよ!」

 突然の出来事に頭のほうがようやく追い付いてきたが、半分パニック状態だ。

 待ちに待った再会からはや数十秒。これだけ物理的に縮まった距離が、また秒単位でぐんぐん離れていく。


 驚嘆すべきは彼女の足の速さだった。

 別に短距離走に自信があるわけじゃないが、これでもまだ二十四だ。まだまだ体力的には自信がある。

 が、それがどうしたと言わんばかりにぐんぐんと引き離され欠片も追いつける気がしない。

 まるで現役マラソンランナーとかけっこでもしているような気分だった。


「頼む、ま、待ってくれよ!」

 それでも必死で、(すが)り付く気持ちで呼びかける。


 やっと再び会えたというのに、あれで終わりか?


 あんな冷たい視線を向けただけで、またどこの誰かも分からない謎の少女に逆戻りか?


「お、お願いだ! 行かないでくれっ!」

 恥も外聞(がいぶん)もかなぐり捨てて全力で走りながら必死に叫ぶ。

 事情を知らない人が見ればカン違いをしたかもしれない。

「行かっ!?」

 突然視界から彼女が消えて地面がどアップで目に映る。

 直後に体がそのまま打ち付けられて、地面にうつぶせになりながら痛みに(もだ)えた。


 いつ以来だろうか。いい大人と言われる年になって、初めて盛大に大ごけした。

「あっ、ぐおっ!」

 すっげえ痛えー!

 と心の中でだけ大声で叫んでのたうつ。

 流石に泣くのと喚き散らすのはこの年でみっともないという社会人としての最後の抵抗は出来たが、スーツ姿で地面に突っ伏している姿は既にアウトな気がした。


 しばらく痛みと格闘していたが、上から降ってきた声に意識を引き戻された。

「おい、大丈夫か?」

 がばっと顔をあげた先には、心配そうに見守る彼女の顔。

 俺にはそれが、女神の祝福のように(まぶ)しく見えた。

「え、あ、ああ……」


 あの時と同じ何とも間の抜けた返事だったが、あの時と違うのは心の中が言いようのない暖かさで満たされていく感覚だった。

 彼女はどうやら後ろで転んだ俺を心配して戻ってきてくれたようだ。逃げようと思えばそのまま逃げられたものを、わざわざ背を向けた相手に同情してくれているのだ。

 これまで彼女の人物像を想像することはあまりしなかった。

 ……いやまあ、あえて避けていたのだと思うが。

 何せ別れ際の台詞があれだったのだ。


『ウソだよ、バーカ』


 だがどうだろう。今は彼女が世界の誰よりも優しい心の持ち主に見えるのだ。

 人間の感情とは不思議なものだ。ちょっと口が悪いという事実など、あっという間に(かす)んでしまう。

「ま、とりあえずは大丈夫そうだな」

 そう言って俺を助け起こしてくれた時と同じ顔をした。

 穏やかだがどこかはきはきした、さっぱりとした笑顔だ。


「じゃあ、もう追ってくんなよ」

 踵を返すのもあの時と同様早い。

「ま、待ってっ……ぐぁっ!」

 咄嗟(とっさ)に立ち上がろうとするが、膝に走る痛みで再び地面に両手をつく。

「……ホントに大丈夫か?」

「……ちょっと、だいじょばないかも知れない」


 打ったのは膝と腹。別に骨が折れたわけでも内臓が破裂したわけでもないだろうが、割とシャレにならないくらい痛かった。

「あー、痛がってるフリしてるわけじゃないだろうな?」

 彼女はそう言いつつもここにまだ留まっている。

 なんだかんだ本気で俺を心配してくれているのかもしれない。

 こうして彼女を引き留めておけるなら仮病を使うことも悪い手ではないかも、とほんの少しだけ邪推してしまう。

「逃げて欲しくないのは本当だけど、痛いのも本当」

 だが、芝居を打つまでもなく本音がこれなのだからあまり関係ない。


「はぁー、しょうがねえな」

 彼女は何やらあきらめた様子でしゃがんでくる。そのまま背を向けてスーパーの袋を右手に持ち直し、肩にかけた細身のケースを背負い直していた。

「えーっと、おぶって病院まで連れてきゃいいか?」


 それは男としてかなり恥ずかしいぞ。


「それより、何で逃げたんだよ」

 まだ痛む膝と腹をかばいながら、うつ伏せから仰向けに何とか姿勢を変える。スーツが汚れようがここまでくればあまり気にならかなかった。

 彼女は、背を向けた状態からまた正面へと向き直る。

「何でって……」

「俺、これでもずっと探してたんだ、君のこと」

 あの事件以来、彼女のことを一度も忘れた事なんてない。

「そ、そうなのか?」


 仰向けに地面に寝転んでいるスーツの男とそれを上から見下ろしてしゃがんでいる包帯女子高生。

 自分が当事者の一人だと分かってはいるが、何とも奇妙な絵面だった。

 そんな変わり種の二人を、眩い夕日は平等に照らしている。


「探してたって、なんであたしなんかを」

「そりゃ……」

 何かこう、言葉に詰まってしまう。

 いつもならすらすらと相手を納得させる理由も出てくるのだが、何故か今の俺は本音が露見することを本能的に恐れていた。


 ぽろっと何か言ってはいけないことを口走りそうで。


「そりゃ、もちろん……」

「もちろん?」

 悩んだ末に出た答えは、これまでの彼女とのやり取りを鑑みれば割とましな方だった。



――



「なあ、ホントにおごりでいいんだよな?」

「ああ、もちろん構わないって」

 既に同じことを三回は言っている。

 彼女はよほど信用してないのか、この調子だとあと二回は同じことを聞かれそうだ。


 あの丘から少し離れたうどん屋で向かい合って彼女と――姫山遊姫と座って話しながらそんなことを考える。



――



「礼がしたいって?」

「あ、ああ」

 彼女は俺の言葉に思いっきり不信感を抱いて聞き返す。

「礼ってなんだよ。あたしがなんかしたか?」

「いや、命を助けてもらったじゃないか」

 落下する鉄骨の直撃から俺を救ってくれた。

「ああ、そういやそうか」

 どう考えればそうじゃないのかと思うが。

「それなのにまだお礼の一つも出来ていないし」


 彼女はどこか恥ずかしいのか、手を口元に当てて俺から視線を()らせた。


「礼なんてかまわねえって」

「いや、こっちがそうしたいんだ。遠慮なんてしなくていいから」

 何とか誤魔化せているだろうか。

 当然お礼をしたいという言葉に嘘はない。

 が、下心はもちろんある。

 これは彼女のことを知るチャンスだ。


「そうだな、そんなに気を使わなくていいって言うなら、これから何か飯でも(おご)るよ」

 言葉巧みに状況を整えていく。

 彼女が何か利益を受け取るだけならその先にあるデメリットを見据えて断ればいい。だが、それが相手からの好意ともなれば無下(むげ)にもしにくくなるはず。

 お礼をしたい、という言葉はなかなか理にかなった言い訳だった。


「ここら辺の店のことはよく知らないけれど、何が食べたい?」

「え? まあ、食うとしたらうどんかな?」

 女子高生にしては随分渋めのチョイスだ。

「って、調子いいこと言ってどうせなんかたくらんでるんだろ」

「いやいや、まさか」

 ばれていたか。

 いや、思い起こせば彼女は取材されることを相当嫌がっているようだったし、この反応は予想の範疇(はんちゅう)か。


「ふん、悪いけどアンケートとやらには応える気はないぜ」

「アンケート?」

「ん? じゃない取材だっけか?」

 何かよく分からない間違えを自分で正す彼女。

「つーわけで、悪いけどおことわりだ」

「あっ、待って!」

「元気出たみたいだから私は行くぜ」

 立ち上がってくるりと向きを変える。


「ちょっと、お願いだから!」

「他を当たってくれ、他を」

「君の代わりなんているわけないだろっ!」

 光の剣を携え、颯爽と俺の命を救ってくれた少女はこの世に一人しかいない。

「じゃああきらめてくれ」

 もう取りつく島もないのか、一歩一歩彼女は遠ざかっていく。

 後ろで左右に揺れるポニーテールを眺めながら、俺は最後のカードを切る決心をした。



――



「トッピングももちろん全部タダなんだよな?」

「全部俺の奢りだって」

 目を輝かせながらメニューを眺めて浮かれる彼女は、年齢以上に幼く見えた。少なくとも昨日までの俺は女子高生がうどん屋でこんなふうにはしゃぐものだとは知らなかった。

 いやまあ、目の前の彼女だけかもしれないが。

「で、もちろん取材も」

「……ああ、しないから安心してくれ」

 やはりちゃっかりしているというかしっかりしているというか、もうこの店に入って三度目の念押しをする。


 俺が切った最後のカード、それは取材をしないという約束。


 当然ながらこの約束をしてしまっては本末転倒だ。

 取材対象として彼女を探し追い求めていたというのに、結局のところこの約束のせいで今の所聞き出せたのは名前だけだ。


「姫山遊姫?」

「お姫さまの‘姫’に山、遊ぶって字にもっかい‘姫’だ」

 苗字と名前どちらにも『姫』という漢字が入っている。

 なかなかすごい字面(じづら)だと思った。快活で、黙っていればそこそこな美貌の彼女にはそれなりに似合っている。

 まあ、あくまで容貌については黙っていれば、かもしれないが。程なくして運ばれた特大エビ天二本つきのうどんを嬉々として味わう姿は姫というよりかは庶民のじゃじゃ馬っ子だ。


「いやー、あんたいい奴だな」

「え、ああ」

 うどんを奢っただけでここまで自分への評価が上がったのには驚きだったが、悪い気分ではない。彼女の前で狸うどんをすすりながら、上機嫌な彼女を見て素直に嬉しいと感じる。

 取材に関してはさておき、彼女に喜んでもらえたのは何よりだ。


 無邪気に笑う顔が眩しい。


「うん、相変わらずここのうどんもうまいし、いう事なしだな」

 そんな彼女の様子を見ていて、隙をうかがって何か聞き出してやろうという気は、ため息をひとつつく間に失せてしまった。

「お礼が出来て良かったよ」

「ああ、ありがとうな」


 屈託のない笑顔を向けられて、自分の中の何かが動かされた。


「お礼をいうのはこっちだよ」

 箸を置き、改めて彼女を真正面から捉える。


「……あの時、助けてくれてありがとう」


 自然と、そして心からこの言葉が言えた。

 あの日彼女に取材を求めるより何より先に言わなければならなかった言葉。

「一週間ばかり言うのが遅くなってしまったけど」

 そこまで言い終わるのを聞くと、彼女ははっきりと分かるほどに頬を染めて照れていた。

「いや……まあ、その、なんだ。そんな風に言われるとなんか調子狂うんだよ」

 口ではそう言いながら、悪く思ってはいないようだ。

「あー、まあ、そうだな……」

 目線を少し逸らして、照れくさそうにしながら彼女は言った。


「取材、してもいいぜ」


「えっ!? 本当か!」

「ただし、どっかにそのこと書いたり言いふらしたりするなよ」

 え?

「つまり、記事にはするなってこと?」

「ああ、そういうことだ」


 せっかく巨大な(かせ)を外してもらえたかと思えば、また別の厄介な枷をはめられた気分だ。

「悪いな、こいつのせいでいろいろとナイショにしろって言われてるんだ」

 彼女がそうやって掲げて見せたのはずっと肩にかけていたあの黒い細身のケースだ。

「ひょっとして、あの時の剣が」

「ああ、この中に入ってる」

 パンパンとケースを叩いてどこか自慢げな様子だった。


「で、どうする?」

 少し身を乗り出して、笑顔で聞いてくる。

「……参ったよ。分かった、記事にしない」

 一度はっきりと諦めたせいか、ここを折れるのにはそれほど躊躇(ちゅうちょ)しなかった。

 ひょっとしてここでもう少し彼女の譲歩を引き出せていたら、と思わないでもない。

 けれど彼女の顔を見ていたら、とてもじゃないが要求を突っぱねる気になどなれなかった。男心を文章で表現できたなら、今の俺の気持ちを正確に描写出来るのだけれど。

「やっぱあんたいい奴だな」

 にかー、っと頬を染めながら笑う彼女の顔は、反則的なくらい可愛いと思った。


「ああ、あとあたしのことはあんま話したくない」

「……いやいやいや」

 それじゃあまるっきり取材にならないだろ。

「あんたが聞きたいのはこれのことだろ?」

 そう言ってあの細身のケースを掲げる。

「まあ、そのことも聞きたいけれどさ」

 一番知りたかったのは、やはり彼女自身のことなわけで。

「あたしのことはそうだな、気がのったら話してやるよ」


 尊大な態度だったが、突っぱねられていた最初から比べればだいぶ進歩した、と心の中で自分を慰めながら苦笑いする。

「……はあ、分かったよ。じゃあ早速だけど聞かせてもらおうかな」

 やられっぱなしのようで悔しいが、俺もどこか彼女のペースに乗せられて笑っているのだった。


投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っていこうと思います。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。


次回は月曜日に投稿を予定しています。

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