XX 星の空へ
俺たちは通路に出ると、早速途方にくれた。
「ご、ゴロー、どっちに行きゃいいんだ?」
「いや、俺に聞かれても……」
迷路のようなこの施設を案内なしで脱出するというのは無謀だ。
だが結局ここのボスと目されていた白衣の男を取り逃がし、白妙も危険な状態となれば手探りでも進んでいくしかない。
「うし、とりあえずこっちに行こうぜ」
「こっちって、なんか根拠は?」
「感だ」
だろうな、と俺はため息をついた。もちろん俺にだってそんなもん分かるわけないんだから遊姫のこと言えないのだが。
しばらく進むと階段と二つに分かれる通路が見えた。
階段は上に続いており、通路はやはり先がカーブしていて奥が見えない。
「この施設は地下にあるんだよな。だったら上に向かって進んでいったほうがいいか」
「そっか、じゃあ上だな」
そう言って遊姫が一歩足を階段に踏み出した途端、通路の壁が発光してブザーが鳴った。
「のおっ!?」
「な、何だ!?」
俺たちは突然の出来事に動揺して足を止めた。
ブザーはあのクイズ番組で聞くような『ブー』という擬音を連想させ、壁にも一面にいくつもの『✖』印が浮かんでいた。
「……そっちじゃない、って言ってるのか?」
子供でも分かる範囲で想像すれば、階段を上る道は間違っている、ということになる。
「あー、こいつ、なんだっけ? 何を持ったコンピューターつったっけ?」
「意思を持ったコンピューター、だな」
「つまりどういうことだ? コイツあたしたちを手伝ってくれるってのか?」
遊姫の言葉に頷くように『ピンポーン』と音が鳴り、今度は壁に『○』が浮かぶ。
その動作に俺と遊姫は顔を見合わせ、どうしたものかと顔をしかめ合った。
「どうもうさんくせーな。だってコイツあれだろ? えーっと、実は最後の敵みたいな、実は一番悪い奴みたいな、えーっと」
「黒幕、って言いたいのか?」
「あーそうそう、それだそれ」
遊姫は胸のつかえが取れたように晴れ晴れとした顔を浮かべるが、当然ながらまだ結論は出ていない。
あの白衣の男の言っていた『彼』を、信用していいのかどうか。
「で、えーっと、コイツが実は一番悪い奴なんだから、コイツを信じちゃダメってことだろ」
遊姫は先程俺が黒幕という言葉を教えたのにも関わらず長ったらしい表現に戻した。ぶっちゃけ左の耳から入ってしばらくしたら右から出ていた、という奴だろう。
「じゃあ階段の道であってるな」
遊姫がそう言って登り続けようとすると、壁に今度は文字が映し出された。
「今度は何だ?」
「メッセージみたいだな」
壁に映し出された文字は、次のような言葉だった。
――白妙めぐみの状態は好ましくなく、一刻を争います。どうか今は私を信じてください。
彼女のために、そしてあなたたちのために力になりたいんです――
何故かやたらとルビが振られている以外はいたって普通の人間らしい文章だった。言葉だけを見るなら一応誠実な対応だと思うが、これだけで信じるのはいささか気が引ける。
俺たちはコイツのせいで、先ほどまで殺されかけるような目にもあっていたのだから。
「……コイツ、結構いいやつじゃん」
「信じるのかよ」
どういうわけか思いのほか遊姫の心には響いたらしく、顔を見ればいくらか感動しているような節さえ見られた。
「今は一刻を争うんだぜゴロー。信じて進むぞ」
確かに遊姫の言うとおり一刻を争う事態ではあるし、迷路のようなこの施設で案内があるのは心強い。が、そもそも引き金を引いたのは白衣の男とは言え、指示を出して白妙を一刻を争うような状態にさせたのもこいつじゃないのか?
「ん……うん」
疑心暗鬼になりつつある俺の背中で小さく白妙が声を漏らした。
少し振り返って顔を見れば、血色はいくらか良くなっているが苦しそうなのは変わりない。
一刻を争う事態。確かに間違いなかった。
「くそっ、どうにでもなれ!」
俺は半分やけになりながら遊姫に続く。これがたとえ罠だって今は進むしかないのだ。
それにしても、白妙めぐみ、か。名前に恥じない育ち具合を背中に感じて、こんな時だというのに少し体に火照りを覚えた。
――
扉を開けると、潮の香りが鼻をついた。複雑な順路を抜け、ついにたどり着いた。
「おお、ゴロー外だ!」
「よし、さっそく救急車を……」
携帯を取り出してダイヤルをしようとしたところではたと気づいた。
ここはどこなのだろうと。
誤解のないようにここで解説するが、俺が言ったのは何県のどこにあたるかとか、そういう地名のことを知りたいという意味ではない。
地理的に、今ここがどのあたりに位置するのかということだ。
「嘘だろ、おい」
海岸の施設は、今は四方を海に囲まれ波の間に揺れていたのだ。
遠くを見れば陸地も見える。あかりもちらほらと光っている。が、ほかは全て、水平線の向こうまで黒い海。何もかもを飲み込んでしまいそうな漆黒の深い海。何度でも言う。海。
「……遭難しちまったのかあたしたち」
「そうなんだろうな」
なんて古いギャグをかましながら、途方もない現実に意識が一瞬遠くなる。
「ゴロー、ヘリとか船とか、何でもいいから呼べないか?」
「あ、ああ、そうだな。警察にでも連絡して何とかしてもらわないと」
悩んでいてもしょうがないので携帯を取り出す。デスクから警察に知らせがいっていれば、警察も俺たちを捜索してくれているはずだしな。
「ん?」
何故か番号を入力しても繋がらない。もう一度番号を入力しようとしたところで、俺の携帯が勝手に画面を切り替えてメッセージを表示する。
――警察に連絡はついています。約三十分後には救助が到着するでしょう。あなたの携帯の通話履歴から大体の場所の特定を既に行っていたようです――
「頼もしいというのか、何というのか」
空恐ろしささえ感じる性能だった。
俺の携帯電話の操作を完全に乗っ取って俺と会話しているのだ、『彼』は。
「どうした、ゴロー」
「いや、救助が来てくれるそうだ」
そう話した直後、携帯のアラームが鳴る。何かと思って再び画面を見ると、中心から離れろ、とだけ短く表示されている。
「遊姫、ちょっと端に寄れ」
「え、何だ?」
波間に浮いている足場の淵に俺たちが動いた直後、建物の中心のあたりの床がぐぐっ、とせり上がってきた。そこだけ切り取られたように上へ上へと上昇していく。
その側面はガラス張りになっていたが、その奥に、月明かりを浴びて煌めいた銀髪が映っていた。
「あいつ!」
銀髪はにたりとした笑みを浮かべていた。床はそのまま上昇し続け、やがてせり上がっていた部分は土台と切り離されるように分かれ……空に浮いた。
「お、おいおいおいおいおい」
なおも上昇を続けて空高く登っていく。
円柱型の巨大なブロックがジェット噴射も吊り下げるクレーンも何もないまま空へ。
「で、出鱈目だな」
遊姫と関わってからこれまで、割と常識はずれなことには慣れたつもりだったんだが。
「最近の建物は空を飛ぶのか」
「飛ばねえよ……多分」
段々と自分の常識に自信がなくなっていく。
そこでまた別のアラームが鳴って、再び携帯を見た。今度は長々としたメッセージだ。
「おい遊姫、お前宛だ」
「え、何だ?」
――姫山遊姫さんへ。
今ご覧になったように、銀髪の彼、四条常雅は空中御殿に向かいました。空の上からこの世界を見下ろし、私を使ってこの世界の支配者になろうとしています。
姫山遊姫さん、あなたを見込んでお願いします。どうか彼を止めてください。今彼を止めることが出来るのは、この世界にあなた一人だけです。
あなたの人生、辛いこともあったでしょう。苦しいこともあったでしょう。けれどあなたは今堂々(どうどう)と幸せだと胸を張って言えるはず。
何故なら、それは私に管理されて手に入れた幸福ではなく、あなた自身が苦労の上で掴み取った幸福だからです。
峰岸悟郎との出会いは、本当に偶然でした。あの鉄骨を落としたのは私ですが、まさかあなたが助けた峰岸悟郎とここまでの関係を築くとは思いもよりませんでした。それが人間の強さです。『信頼』という絆で結ばれることのできる人間の素晴らしさです。
峰岸悟郎はこれからもしっかりとその強さであなたを支えてくれるでしょう。どんな時でも、あなたの心の支えになってくれるでしょう。
だから峰岸悟郎と歩める今の世界を、あなた自身が掴み取った幸せを、どうかあなた自身の手で守ってください。道は私が用意します。
彼をどうか、止めてください――
ルビだらけの文を読み終えた遊姫は、俺を見た。真っ直ぐな瞳で。
俺は今までのことを思い返しながら、それを受け止めた。
遊姫と出会ってからのことを思い返すと、胸の中が暖かくなっていく。
頑固で馬鹿でたまにうじうじすることもある。けれど誰かを思いやる優しさも、絶対に負けない芯の強さを持っていることも俺は知っている。
だからこそ俺は、遊姫をこの上なく信頼出来る。だから今、その真っ直ぐな瞳に堂々と応えられる。
「行ってこい、遊姫!」
「ああ!」
その言葉を待っていたかのように、半透明に黄色く光る床が現れた。
空中に浮いて静止しているそれに、遊姫は手を触れた。
「これはあれか、あの見えない壁か? いや、今は見える壁か」
その言い方じゃただの壁だ。
遊姫がそれに飛び乗ると、その先にまた半透明の床が現れる。少し高くなっているそれは、階段のようだった。
駆け上がれということだろう。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ」
「気をつけてな」
そんな日常的なやり取りをして、俺は遊姫を送り出した。
遊姫のポニーテールが優雅に揺れて、快活な少女を彩った。
星空の下、遊姫は今、空を駆ける。
――
空の上から見下ろす地上。いや、今はほとんどが暗く深い海。
やがて世界を手に入れたらこの景色がどう映るのかとふと思ったが、案外変わらないような気がしないでもない。俺にとってはこれも退屈しのぎに終わるかもしれないというかすかな予感さえしているのだ。
だが今俺を目指してやってくるあの女を手に入れれば、あるいは何か変わるかもしれない。
「なかなか演出に凝るじゃねえか」
姫山は満天の星空の下、光る足場を飛ぶように駆け上ってくる。距離にしてもういくらもない。
白妙といいあいつといい、本当にどんな運動神経してやがるんだ。
けれど相手が悪かったな。
お前らに限った話じゃねえが、物理兵器を使う奴らは誰であろうと俺に勝つことは出来ない。生身でこいつに挑むのがいかに困難か教えてやるさ。
「よう、来たな姫山」
「バカと煙は高いところが好きらしいって聞いたことがあったけど、ホントなんだな」
この女に馬鹿と呼ばれるとどこか腹が立つ。ポニーテールをなびかせながら、ボロボロの血まみれドレスを纏った少女が不敵な笑みを浮かべていた。
遮蔽物のない星空をバックにして光る床に立つ姿は、この上なく様になっていた。
「お前に馬鹿呼ばわりされたくねえよ。一応調べたんだぜ、お前のことは」
「ああ、らしいな。あの白衣を着た野郎もなんでかあたしのこと知ってたしな」
「『神様』からの伝言だ。俺とお前、勝った方に世界をやるってさ」
俺の言葉に、姫山は怪訝そうな表情を浮かべた。
「なあ姫山、世界に興味がないってんなら俺に譲れ。お前はここで殺しちまうのも、ぶっ壊しちまうのも惜しい女だ」
姫山は黙って聞いている。
迷わず突っぱねるかと思いきや、案外話が通じるか?
「お前程度の見てくれの女なんて掃いて捨てるほど相手にしてきたがな、お前みたいにそっけなくてじゃじゃ馬で気骨のある奴は初めてだった」
「何だそれ、ほめてんのかけなしてんのか」
「褒めてんだよ。俺の女にしてえ。そうでなきゃせめて同志にしてやりてえって思ってんだからな。大体お前、自分で分かってんだろ。自分がコッチ寄りだってな」
俺の言葉にぴくりと姫山は反応した。
なるほど、やっぱり薄々分かっているのか。
「お前も世界に飽きてたんだろ。こんなろくでもねえ世界なんてよ。お前を裏切って平気で回り続けてるこんな星のこんな奴らなんて、どうなったって構いやしねえって思ってるだろ」
俺は大仰に台詞を飛ばす。そうだ、これこそが俺と姫山で通じる部分だと直感していた。
この世界に失望し、人生に飽き、希望も目標も見失った人間が持つ世界への嫉妬心。
大切なものを無くした人間に訪れる喪失感。
愛を失った人間だけが知っている虚無感。
「だったらコッチ側に来い。面白おかしくやろうぜ。俺の傍においてやる。この世界の果ても、この星のどんな人間もお前の物だ。お前をこの星一幸せにしてやるよ」
「……とんでもねえ口説き文句だな」
「俺は本気だぜ」
俺の言葉に姫山は少しだけ頬を染めた。
そしてその顔のまま腹を抱えて笑い出す。
「ぷっはははっ!」
「おいおい、笑うことはねーだろ笑うことは」
「悪い。なんかよ、嬉しくなっちまってな」
姫山はひとしきり笑い終わると、笑顔をこちらに向けて話しかける。
「お前、やっぱ昔のあたしと似てるわ」
姫山の意外な切り出し方は、しかし全く予想していない訳でもなかった。
「こんな世界なんてどうなってもいいだっけ? あたしも昔そんなこと思ったな」
頭をかきながら少しだけ照れくさそうにして、続きをしゃべる。
「オヤジが死んで、あたしは本気でどうにかなっちまいそうだったよ。こんな思いするくらいなら生きていたくないとかな。けどな、そんなあたしでもこうやって変われたんだぜ」
姫山は堂々と胸を張っている。
やせ我慢しているわけでも虚勢を張っているわけでもない。
「お前は知らないかもしれないけどな、案外世の中いいやつの方が多いんだ。みんな必死に守りたいもののためだとか自分の夢とかのために頑張ってんだよ。その為なら危険なことだってするし、度胸たっぷりに取材したりとかもするんだよ。全然ひょろひょろで戦えないくせに、あたしを心配したり元気づけたりするのに忙しいやつだっているんだ」
姫山は芯の強い瞳で俺を見る。
その中に俺の知らない、いや、かつて持っていたのに捨ててしまった輝きを僅かに感じた。
「あたしは結構甘えんぼなところがあってよ。だからそういう夢追ってるやつとかが傍にいてくれないとダメなんだな。けれどそんなあたしだから、そういう奴がいてくれるだけで頑張れるって分かったんだよ。ゴローと一緒にいられて嬉しいんだよ」
本当に嬉しそうに姫山は語る。
ほとんどがノロケに聞こえなくもないが、それでも姫山が俺とは違うのだとはっきりと伝わってきた。
「だからな、お前の方こそコッチ側にこいよ。そんなところで一人でブーたれてるよりかはずっとマシだぜ」
「たく、ノロケたと思ったらそれかよ。お断りだ」
俺はアームランチャーのセーフティーロックを外す。
この高度のせいでいくらか風が強いが、この程度ならそこまで問題にはならない。
「俺はお前と違ってそんな奴らのことなんてどうでもいいんだよ。俺には俺を楽しませてくれる現実さえあればな」
「やれやれ、着物女もそうだったけどよ、お前も相当あれだな。ガンコだ」
「お前に言われたくねーよ」
そう言い合うと、俺も姫山も、どちらからともなくふっと笑みがこぼれた。
姫山はあのダイヤモンド質の刀を抜き、何をするかと思えば柄の部分を鞘にはめ込んだ。
柄の部分は鞘にきっちりと収まり、刀と鞘はまるで薙刀のようにその形を変えた。
「じゃあ、高いところに登ったバカを一回叩き落としてやるかな」
「だから、馬鹿はお前だっての、姫山」
俺たちの戦いはこうして幕を開けた。
連続投稿また開始していきます。続きはまた明日です。
いよいよ物語も終わりが近づいてきました。どうか最後までお楽しみください。
感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。




