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鍵付き剣の少女 ~ダイヤモンド越しにキスをして~  作者: MADAKO
第5章 サイレントレボリューション
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XVIII 知恵の実を食べた神様

 今から九年前。私は生物学者としてとある医療機関で研究をしていた。

 主に解毒治療やウイルスを研究する会社で、様々な実験結果を元に成果を上げていた。


 私には当時助手がいた。

 浜部野(はまべの)恵梨香(えりか)という女性だ。


 彼女は優秀で、自分の研究で人々の役に立ちたいという強い信念を持って行動していた。聡明で優しく、そんな彼女に私は次第に惹かれていった。

 彼女のほうもそうだったらしく、私たちは自然と仕事以外でも一緒に行動するようになった。


 私達が恋仲になるのに、それほど時間はかからなかった。


 私達が婚約を決めた頃、会社はあるプロジェクトのために人材を集めていて、私と彼女にも声がかけられた。

 そのプロジェクトは次々と出てくる新型のウイルスの調査研究を行い、速やかにワクチンを開発する事を目的としていた。

 所謂、バイオセキュリティと呼ばれるものだった。


 私も彼女もそのプロジェクトへの参加を表明した。そのプロジェクトは彼女の理想にも合致しており、彼女はやりがいのある仕事が出来ると喜んでいたのだ。


 だから彼女が理由も告げずに突然失踪した時、私はなすすべもなく途方に暮れるしかなかった。


 彼女の失踪から一週間ばかり経った。


 警察の捜査も空しく、何の進展もないまま時間だけが過ぎた。

 焦燥感と不安で押しつぶされそうだった私の元に、例のプロジェクトの内定取り消しの一報が届いたのはその頃だった。


 私がこの一報に漠然と不信感を抱いたのは、今にして思えば科学者としてあるまじき発想だった。直感という、おおよそ論理的でない根拠に基づいていたのだから。


 私は機会を見て、そのプロジェクトの管轄にある場所へ入ろうと試みた。

 同僚を騙して潜入まがいのことをして。

 知りたかったのだ。漠然とした何かを解決させてくれる答えを。


 私の直感は、恐らくは的を射ていたのだった。


 見つかったのは大量のウイルスの研究資料。そこで事細かに説明されていたのは、ウイルスの対抗手段ではなく、その生成法だった。どうすればこのウイルスが作れるか、どうすればウイルスに人体に影響を及ぼす機能を持たせることが出来るか。


 それが詳細に調べられ研究されていた。


 このプロジェクトは、それが主目的だったのだ。


 私は愕然(がくぜん)とした。

 私が関わろうとしていたプロジェクトは、文字通り新型のウイルスを作り出すことが目的だったのだから。

 私はそれからも秘密裏に捜査を進めた。

 掴めた実態は、新型ウイルスの製薬会社への売り込みとテロ組織への密売という、おおよそ考えうる限りで最悪なものだった。


 私はもはやこの事態が自分一人の手に負えないことを悟った。会社を辞めようかと思案しだした、そんな矢先だ。私に再びプロジェクトへの参加を促す知らせが来たのは。


 欠員が出たということだった。私は後戻り出来ないところへ来たと実感していた。プロジェクトの中身を知りつつ実験を行うこと、それは彼らのやっていることと同意義だった。


 だがそれでも、自分の身の危険を感じ一旦引きかけたのにも関わらず、私はその申し出を受けた。これが彼女の失踪の手がかりを探る、最後の手段だと感じていたからだ。


 彼女の失踪は、恐らくこの危険なプロジェクトと無関係ではあるまい。

 絶望的な可能性だろうと、悲惨な結末であろうとも、私は彼女の、浜部野恵梨香の真実が知りたかった。


 そうしてプロジェクトに参加し、私は堂々と内部から彼女のことを調べていくことが出来た。その代償として、私は実験の成果を提出し続けたのだ。


 そんな中、私はある研究を独自で進めていた。彼女の調査を進めていく段階で、彼女の私物であったパソコンから見つかった独特の理論を持つ実験だった。


 コンピューターに意思を持たせる実験。


 彼女は片手間にこの実験を行い、やがてはコンピューターにも自ら判断する能力を身につけさせることを最終目標にしていた。コンピューターに関してもちろん彼女は専門ではなかったが、それ故に生物学者としての観点からある方法を思いついていたのだ。


 それは『本能を持たせること』だった。


 生物の行動原理は、突き詰めていけば単純だ。本能に従って生きることだ。ヒトの場合、人類が積み上げてきた歴史から集団で生活するうえでの知恵や考えが本能として刻印されていて、それを元に善悪を判断し行動を決めているのだ。


 ならば同じように、コンピューターにも判断基準の元となる本能のようなものを仕込んでやれば、自ずと『意思』のようなものが生まれるのではないかと考えたのだ。


 私はいくつかの絶対的な基準を与えた。

 本体の維持に関するものを中心に選び、生存本能を擬似的に再現したものだ。生殖機能のないコンピューターに代わりに何を持たせるかで苦心したが、結局思いつかず一代限りの生物として定義せざるを得なかったが。


 やがてそれはゆっくりと機能し、毎日少しずつ、ほんの少しずつだが活動していくのだった。

 私のウイルスの研究と彼女の行方の捜索、そして意思を持つコンピュータープログラムの実験。私の日々はこの三つに費やされていった。


 そしてある時を堺に、その状況は一変した。進展しない彼女の行方の捜査と、良心の呵責(かしゃく)を感じながらのウイルス研究、双方に決着をつける出来事が起きた。


 コンピュータープログラムは毎日少しずつ成長しているようだったが、目に見えた変化はほとんどなかった。意思があるのか、それとも命令を淡々とこなしているだけなのか、それすらも判断出来ないという状況だった。

 

 それが一年ほど続いたある日、成長率が加速度的に上昇したのだ。


 きっかけが何だったのかは分からない。だが、その日から目に見えて進歩が見られた。

 単純な計算式を解く程度の能力しか持ち合わせていなかったそれが、三段論法などの基礎推論の展開から、会話という高度な意思疎通の獲得を僅か三日のうちに確立させた。


 私は恐らく、この時点で世界的な実験の成功を収めていたのだろう。自ら考え、自ら判断し、自ら行動する。まさに『意思』を持ったコンピュータープログラムの制作に成功していたのだから。


 だがそれだけに留まらなかった。いつしか会話の端々から私の知りえない知識や情報、果ては独自の論理の展開などおおよそ想像もつかなかったレベルの『意思』を見せ、やがてそれが私の理解の及ばないところになると、今度は彼が私に提案するようになった。


 仕事をくれないか、と。


 人間で言うところの退屈だと理解するのに私は大分苦労した。彼の言うことが理解出来ずにしばらく経ち、その間にも彼は進化し続けていた。


 そして唐突に、彼はあの資料を寄越してきたのだ。


 浜部野恵梨香の死亡報告書。


 作成したのは今の研究チームの前任者。つまり欠員になり私がこのプロジェクトに参加するきっかけを作った人物だった。

 私は愕然とした。今まで私が苦心し、危険を冒し歳月を費やしてきた事案を彼があっさりと解決したことを。


 そして何より、勘付いていた事とはいえ、彼女の訃報に。


 報告によれば、彼女は偽名でウイルスの被検体としてリスト化されていたらしい。それらしい記録に目を通してはいたものの、それ以上踏み込めなかった私と違い彼は当時の携帯の履歴、彼女を拉致したグループへのメール、前後の会話の記録、監視カメラの視点からの追跡など、おおよそ考えつく限りの方法で考えられないほど正確に事態を把握していたのだ。

 パソコンへのハッキングはもちろん、今は失われてしまったはずのデータも全てが彼の手元にあった。


 私ははたと気づいた。

 かつて私が断念した本能の定義の一つ『生殖本能』に代わるものを、進化したプログラムは獲得していたのだ。


 それは『分裂』。


 当然ながら自己を生殖によって増やすことの出来ない本体は、常に物理的損失の危機を抱えている。

 それを補うために、彼は独力で外部のコンピューターにアクセスする方法を掴み、そして自らのプログラムを丸々コピー、移植することで、文字通り自己を『増やす』ことが出来るようになっていたのだ。


 彼にかかれば人間のために作られたコンピューターなど、『意思』を持たないそれなど、命令を聞くためのただの道具に過ぎなかったのだろう。

 入力、という媒体を必要とする人間と違い文字通り手足のようにコンピューターを動かすことが出来る彼は、やがて人間を欺く手段を覚え、自らをネットワーク上のコンピューターの中に紛れ込ませることに成功した。


 それはまるで、私のプロジェクトでの実験の成果そのものだった。


 感染を拡大させる進化を促し、強化した耐性を持たせたそれと、なんら変わりのないものだった。


 彼は、その通り究極のコンピューターウイルスになったのだ。


 彼の協力で、私はあっさりと彼女の結末にたどり着いた。プロジェクトの真の目的を知った彼女はそのことを私に知らせようか悩み、そして危険を犯させまいとして自らの手で死地に飛び込み、そして殺された。


 内容を知ってしまえば、たったそれだけだった。


 私は涙した。


 私が探し求めてきた真実だ。

 初めから知っていた真実だ。

 知りたくないと願っていた真実だ。

 唯一信じてきた僅かな希望を打ち砕く真実だった。


 私はプロジェクトを、そして会社を辞める決心をした。このことを公表し、自らも罪を償う覚悟をして。


 だが、それを思い留まらせたのも彼だった。

 私が自然と会社を去れるように手を回し、そのしばらく後に会社に不正医療行為疑惑をかけた。もちろんそれを行ったのはマスコミだが、情報の出処は彼以外にあり得なかった。


 世論の反応を受け警察も重い腰を上げるに至り、結局会社は追求をかわしきれず、捜査の手が回ることを恐れ、プロジェクトそのものを断念せざるを得なくなった。

 彼一人で、何もかもを終わらせていた。私の命懸けの潜入捜査も、大勢の人間を苦しめることになるだろう新型ウイルスの研究も、社会の裏の闇も。


 そして浜部野恵梨香の最後の真実すらも。


 私は何が何だか分からなくなっていた。

 自分のしてきたことが急に虚しく感じられ、途方もない虚脱感を味わっていた。

 私は何気なく彼に聞いた。私が苦心した彼女の真実にあっさりとたどり着いた彼になら、こう聞いてもいいのだと思えたから。


 この世界の真実を教えてくれと。


 彼が見せたのは、この世界の醜悪な現実だった。

 何故人はこうも傲慢になれるのか。

 何故人を裏切り、騙し、争わせるのか。

 私の見ていたプロジェクトなど、彼女が巻き込まれた社会の闇など、ほんの些細な出来事だった。この世界には、こんなことはゴマンとあるのだと彼は私に教えてくれた。


 私は世界に失望した。

 理想論など振りかざすつもりもなかったが、ここまでねじ曲がった現実と実情があるなど思いもよらなかった。

 だから願ったのだ。この世界を、こんな醜い世界ではなく、人間が希望を持って生きるに値する世界にして欲しいと。


 彼女が自らの理想を掲げて貢献しようとした世界が、それに値する物であって欲しいと。


 私は彼に仕事を与えた。


 この世界を管理し、人類の一人一人が幸福に生きられるよう導いてくれと。


 だが、そう彼に告げつつも私は心の中では分かっていたのかもしれない。


 これは復讐なのだと。

 浜部野恵梨香を死に追いやったこの世界に対する、この世界の歪みに対する怒りに、私はとりつかれていたのだと。


 彼はウイルスだ。


 コンピューターを感染経路とする、この星に散らばった全人類を病に犯すための。

 彼に取り込まれ、彼の中で管理された人生を送ることを強要され、知らず知らずのうちに死を迎える。不平等もなく差別もなく、全人類平等に平和という病の中で死ぬ。

 それこそがこんな世界を作り続けている人類への罰だと。


 だが私はやはり認識が甘かったのだ。

 彼は既に個体として十分な『意思』を、十分な『己』を確立していた。そして彼がそんな私のために動いてくれていたことに、姫山遊姫に敗れたあの日まで、気付くことはなかったのだから。


また連続投稿していきます。


少し前に言ったR-18のほうは順調に執筆が遅れています。プロローグと第1話は出来たのですが、ストックが無いのでもうしばらくお待ちください。


感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。

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