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鍵付き剣の少女 ~ダイヤモンド越しにキスをして~  作者: MADAKO
第5章 サイレントレボリューション
21/27

XVII ダイヤは気高く美しく、少女は優しく温かく

 刹那、耳に響く轟音。


 白衣の男も俺も遊姫も微動だに出来ず、白妙の振り下ろされた凶器の先を見つめていた。


 俺は唖然としていた。状況を理解するのにはまだ時間がかかりそうだ。


 遊姫の顔は見えないから、今どんな風に感じているかはわからない。


 白衣の男の方は相変わらず表情が読みづらいが、幾分かは動揺したようにも見えた。


 俺と似たような反応をしていたと分かったのは、少なくとも彼女一人。


「な……に?」


 誰であろうあの鉄塊を振り下ろした白妙本人だった。


「君は私のことを間抜けと言ったが、私は逆に賛辞を送ろう、白妙君」

 鉄塊は空中で静止していた。白衣の男の頭上、何もない空間でぴたりと止まっている。


 いや、何もないはずがないのだ。


 見えない壁が、そこにあるのだ。


「君はとても優秀だった。私からの仕事は全てこなしてくれた。姫山遊姫との戦闘は、今だから明かすが事前に予見されていた。君の落ち度ではない」

 白妙は目を見開き、白衣の男を見つめていた。

 自分が何をされたか理解は出来ても、その驚きを隠せない。俺にはそんな風に見えた。


「どうやって……この壁はあなたの意思で作り出しているんじゃ」

「君の失敗はただ一つ。戦う相手を間違えたことだ」

 白衣の男は白妙に振り向き、そして――。

「逃げろ着物女っ!」

 遊姫はそう叫んで駆け出した。


 同時に響く発砲音。


「あうっ!」

 白妙は短く甲高い悲鳴を上げる。

 まるで少女の絹を裂くかのような悲鳴。

「逃げろってっ!」

「無駄だ」

 再びの銃声。またしても白妙は声を上げさせられる。


「このっ!」

 遊姫は白妙が撃たれている隙に一気に距離を詰めた。

 光の剣が揺らめき、その光が白衣の男を一閃する……かに思われたが、手前で止まる。

「く、くそっ!」

 あの見えない壁がまたしても立ちはだかっていた。遊姫の剣も空中で静止し、白衣の男には届いていない。


 物質的にはこの世界の何よりも硬いはずの、遊姫のあの無敵の剣を、あっさりと白衣の男は防いだのだ。


「あっ! やぁっ!」

 白衣の男は遊姫などまるで眼中に無い。遊姫に背を向けて白妙を散々に撃ち抜いていた。


 白妙の左袖が真っ赤に染まる。

 足を撃たれ、肉のちぎれる嫌な音と飛び散る鮮血。まるで白衣の男は試し撃ちの人形でも相手にしているかのように全く躊躇すらなく、悲痛に鳴き叫ぶ白妙の声をBGMにまた一発、また一発と彼女の体に鋼鉄の弾を打ち付けていく。


「はっ! あうっ! うあぁっ!」

 白妙は抵抗らしい抵抗を全く見せていない。

 遊姫に逃げろと言われた時もその場を動くこともなかった。

 ただただ痛々しく声を上げて体を赤く染める。


 俺は気づいた。

 逃げないのではない。

 動かないのではない。


 動けないのだ。


 あの見えない壁が、白妙を縛り付けているのだ。


「はあっ! あ、ああっ!」

 声が弱々しくなる。白妙の体はもう血まみれだった。

 体とあの鉄塊を掴んでいる右腕は何故か直撃を受けていないが、左腕、そして両足の方はいくつも銃弾を浴びせられ、元の着物の色がわからなくなるほど血を垂れ流していた。

 白妙の下の床はまるで粗相をしたかのように水たまりを作っていく。

 残酷な赤い血だまり。


 やがて銃弾の嵐が止むと、白妙はぐったりと頭をたれた。

 まるで空中に(はりつけ)にされたように大の字に体を開いている。地に足はついていない。


 もはや意識を保っているのかすら怪しい。


「初めからこうすればよかったというのに、何故泳がせるような真似をしたのか」

 白衣の男はこの血まみれの白妙を前にしてなお場違いなほど落ち着いた声でそう言った。

「お、おいっ! 着物女! おい、しっかりしろ!」

 遊姫の呼びかけに、荒い呼吸音が返ってくる。

 まだ白妙に息はある。見たところ体や頭に銃弾を受けているようには見えないが、出血量だけ見てもかなり危険なように思えた。


「人の心配をしている余裕があるのか、姫山遊姫」

 白衣の男は悠然と弾倉を抜き、新しいものと取り替えている。

 目の前で、先ほど弾切れを狙うと言った遊姫をあざ笑うかのようなゆっくりした動作で。


 俺は、駆け出していた。


「うおおああああっ!」

「ご、ゴロー!?」

 俺は白衣の男が悠長にしている間に何とか二人の間に割って入る。遊姫の前に出したままの右手を半分隠すように、両手を広げて白衣の男の前に立ちはだかった。

「遊姫は、絶対に撃たせねえぞっ!」

 俺は息も荒く白衣の男にそう言った。白衣の男はそれがどうしたとばかりに涼しい顔で銃口をこちらに向ける。


 赤い光が、俺の胸を捉える。


「バカッ! ゴローどけっ!」

「遊姫、お前今右手が動かないだろ」

 遊姫の緊迫した声にも俺は冷静にそう返す。

 それがある種の覚悟だと自覚していた。


 磔にされた白妙に目をやる。

 無残な姿にされながらも、右手はしっかりと鉄塊を握りしめている。恐らくあの見えない壁に最初に固定されたのは武器を握る手だ。


 同じことを当然遊姫にもしているだろう。


 いかに遊姫といえども、そうなれば弾をかわすことなど不可能だ。


「安心しろ。あいつがあと何発弾を残していようが、お前には絶対当てさせない」

「ご、ゴロー無茶だ」

 遊姫の意見ももっともだった。

 俺の体なんて、筋肉ムキムキでもなければ痛みに強いわけでもない。銃に対する盾として頼りないことこの上ないのだ。


 だが俺はそれでも引く気にはなれない。


「峰岸悟郎。姫山遊姫の言うとおりだ。君が立ちはだかったところで何の障害もない」

「うるせえ。絶対に、お前に遊姫を好き勝手されてたまるか……」


 体が震える。


 覚悟して出てきたはずなのに、体は無意識のうちに命の危機を感じ取りこの場から離れようと必死に訴えている。


 悪い、俺の体。お前よりも大事なものがこの後ろにあるんだ。


 だから俺はここで退く訳にはいかない。


「お前なんかに……これ以上遊姫の体を傷つけさせてたまるかっ!」

「ゴロー……」

「やれやれ。君も、そして姫山遊姫も共に戦う相手を履き違えているようだな」

 そう言うと、おもむろに白衣の男は銃を持つ手を上にあげた。

「何を……」

 言うが早いか、白衣の男の拳銃が火を噴く。

 パチッ、と短い音が聞こえたと思ったら、その直後に響いたのは俺が盾になって守っているはずの少女の声だった。


「あつっ!」

「ゆ、遊姫っ!?」

「……大丈夫だ、かすっただけだ」

 後ろを振り返れば顔に傷を作った遊姫がいた。頬にうっすらと赤い線が入っている。

 あの真上に銃を向けた状態から、身動き出来ないとはいえ跳弾だけで遊姫を狙い撃ったのだ。


 出鱈目(でたらめ)だ。


「私を相手にしているつもりか」

「て、めぇ! 一体何なんだっ! お前を相手にしていなきゃ誰を相手にしてるって言うんだ!」

 白衣の男の余裕に完全に冷静さを欠いていた。優位な立場からこの男に弄ばれていると思うとどうしようもなく腹がたった。


 しかし、意外にも白衣の男は何か逡巡し、そして落ち着いた様子でこう口にした。


「そうか、君たちはまだ彼の存在を知らないのだな」

「彼、だと?」


「白妙や銀髪の彼が『神』と呼んでいたものだ」


 あの時、気絶から覚めた部屋で聞いた、白妙と銀髪の会話に出てきたキーワード。


「宗教上でいうこの世界を創世した神のことではない。これから、この世界を創造していく神のことだ」


 白衣の男の言葉にまるで呼応するかのように、薄暗かった室内は一気に明るくなった。


 天井に明かりがついたわけではなく、周りの壁が全て光り輝きだしたのだ。その壁には無数の文字が踊り、まるで意志を持っているかのように躍動していた。


「人間に代わってな」

「……何言ってんだ、お前」


 俺は背筋に寒いものを感じていた。

 突拍子もないことを言い出したと思ったが、同時にこれまで見せなかった熱意を、瞳の中の炎を白衣の男が灯したかのように見えた。


 この男、本気だ。


「この世界の新しい秩序の規範となり、邪悪な目論見(もくろみ)からすべての人間を守り救うための存在だ」

「元から頭おかしいとは思ってたが、本気でやばいこと言い出しやがって」

「そう言いたくなる気持ちも分かるが私は正常だ。それに『神』などと仰々しい名前で呼んだが、その実態は意思を持ったコンピュータープログラムだ」

「意思を持った、コンピュータープログラム、だと?」

「そうだ。彼には固有の意思が既に存在している。人間のように物を考え、自分で判断する。性格もあれば好き嫌いもある、純然たる生命と同じ特徴を持った一つの個だ」


 つまりは、生きたコンピューターだって?


「彼は世界中の情報を駆使、操作できる。人間のつまらない目論見も及ばぬはるかな高みから人々を正しい方へと導いていくことができる。肉の(おり)に縛られず、人間のくだらない偏見も持たない、まさにこの世界を管理していくにはうってつけの存在だ」

 熱を込めて白衣の男はそう語る。


「彼によって世界を管理させることで、人類は全く新しい歴史を築くことになるだろう。格差はやがて緩やかな環境差に代わり、国家間の闘争は形骸化する。見た目が変わらなくとも人類は確実に豊かな暮らしを獲得していくことができる」


 とんでもない話だった。


 白衣の男の話を信じるなら、その意思のあるプログラムに世界を支配させようと言っているのだ。

 それによって世界を改革する。

 それがこの男の目的。

 この男の信じる未来。


 あまりにも巫山戯(ふざけ)ている。人間や動物のように意思を持ったコンピューターが仮に存在しているとして、それが人間に取って代わって世界を支配するだなんて。


「お前のくだらない妄想に、俺も遊姫も巻き込まれたのかよ」

「どうやらまだはっきりとは理解していないようだな峰岸悟郎。もう一度言う、君たちの相手をしていたのは私ではない、『彼』だ」

 パッと、壁のまわりの明かりが一段と強くなる。眩しさに思わず目を細めた。


「鉄骨の落下事件。それが君たちの出会ったきっかけだったな。それを作ったのも彼だ」

「なん……」

「その後も彼はSAKや白妙を使い君たちをここへ導いた。君たちの誰にも目的を知られることもなく、一切が自然とそうなるように仕向けながら」

「あれが全部、意思を持ったコンピューターとやらがやったことだって言うのかよ」

 鉄骨の落下に俺と遊姫が居合わせたこと、SAKから俺を通して遊姫を見つけ出したこと、白妙を使って遊姫と戦わせここまで連れてきたこと、全部仕組まれていただと?


「馬鹿言うな! そんなこと出来るわけが」

「出来るのだ。彼は自分の思い通りになるように君たちを動かした。他にも大勢の人間を、私を仲介役に仕立てて動かしている。あらゆる情報を利用し人知の及ばぬ知恵と思考でこの結末を引き出したのだ。これが彼が神と言われる所以(ゆえん)であり、誰よりもこの世界を管理するに相応しい、彼の能力だ」

 はっきりとそう言い切った彼の言葉には、裏付けも何もない。だがこの男が嘘を言っているようには見えない。


 それだけの確固たる意思が、この男の言葉には含まれていた。


 俺は、静かに、そしてようやく理解した。


 目の前の男は何度も言った。


 相手を間違えている、と。


 男の言うとおり、白衣の男は俺たちの敵でも何でも無かったのだ。それどころか今のコイツの言葉を信じるなら、この男は物語の登場人物ですらない。ただの見物人だ。


 俺と遊姫を鉄骨落下事件で結びつけ、SAKの騒動に巻き込み、そしてここまで連れてこさせた張本人。白妙を磔にし遊姫を押さえ込み、俺をこうしてここに立たせている仕掛け人。


 俺は白衣の男から視線をそらし、自分の周りをぐるりと囲んでいる『彼』を見た。

 ピカピカと光り、時折脈動するかのように色を変え悠然と佇んでいる壁を。


 こいつだ。


 俺たちが戦ってきた相手は、紛れもなくこいつだったのだ。


 生き物ですらない、俺たちが普段生活している中で何気なく当たり前に受け入れてきた、人のために存在し、人の生活を豊かにするためだけに生み出されてきたはずの機械。


 それがこの事件の、全ての黒幕。


 今回の全ての出会いと全ての戦いを引き起こした張本人だった。


「彼にこの世界を任せれば、人は誰も人生につまずくことはない。彼が一人一人を正しく導く。そこには苦難も困難もあるだろう。だが誰しも最後には報われ、幸せのうちに、充実の中で一生を終えることが出来る」

「導く、だと?」

「そうだ。それこそ私が彼に最初に、そして唯一下した仕事内容だ」


 全人類。

 人口の増え続けているこの地球上の人間全てが幸福に生きられる?

 馬鹿馬鹿しくなるほどのとてつもないスケールで、そんなことをやってのけるだと?


「幸福の基準が各々によって違うなどという人間単位の小さな議題など問題にならない。彼はそれすら可能とするだけの力を得たのだ。圧倒的な情報量を以てして、科学の及ぶ範囲の国と地域の人間の全てのデータを検証比較し、その人間の最適な未来を導き出す」

「そんな、機械に管理された生き方を俺達にしろっていうのか」

「峰岸悟郎、それでは君は、姫山遊姫と出会ったことは不服だったのか? 彼女と行動を共にし、君は彼女に愛情を抱き、充実を得ていたのではないか?」


 俺と遊姫との出会いも、ここまで連れてこられた経緯も、全てが仕組まれたものだというのなら、この今の俺の気持ちだって、『導かれたもの』だって言うのか?


「あの鉄骨の落下事件がなければ君は彼女と出会うことはなく、今この場に立っていることはなかった。今私の銃弾から彼女を守ろうなどという思考に至ることは絶無だっただろう。だが命の危機にさらされてもなお、君は後悔などしていないのではないか?」


 白衣の男の言うとおりだった。


 俺は今この場で遊姫の盾になっていることに何の後悔もない。


 これが俺の『幸福』だと言うのなら、その通りだと首を縦に振ってしまいそうだった。


「誰もが道を間違えない世界、誰もが道を誤らない世界、誰もが幸福に生きられる世界。世界中の夢想家や革命家や指導者が思い描き、誰も成し得なかった究極の世界を彼は実現してくれる。例えば今の峰岸悟郎のような結末を作り、未来の姫山遊姫のような境遇を抱えてしまう少女を救うことが出来るだろう」

「未来の、遊姫を救う?」

「そうだ。父親に虐待され、暗い人生を歩まされ、今も途方もないトラウマと苦痛を抱える彼女のような人間を救済することが出来るだろう。もちろん彼女の父親のように人生を失敗したりする者もいなくなる」


「あたしの、オヤジ?」


 後ろから、トーンの落ちた声が聞こえた。

 ここまで沈黙していた遊姫が先程の言葉に僅かに反応を返したのだ。


「伴侶を無くし仕事を追われ、心を摩耗して酒に溺れ、愛するはずの娘に手をかけ、そうして失意と暗い絶望の中で事故死した君の父親のような人生の落伍者は、これからは一人もいなくなることだろう」


 遊姫の父親が、事故死?


「私の話で、少しは気が変わったかね姫山遊姫」

 白衣の男はそう言って再び銃口を俺の胸に向けた。

「君の強さの秘密とやらを聞き出すことが私に与えられた仕事だ。それがこの世界の幸福な未来に繋がるのだから、君も協力してくれないか?」

「あたしの強さの秘密が、なんでそんなもんに関係してるってんだよ」

「残念ながら私も知らないさ。もはや彼の思考は作った私をはるかに超越している。銀髪の彼は『神のみぞ知る』と言っていたが、まさにその通りだ」


「じゃあお前、命令されただけで何も知らねーのかよ」

「そうだ。いくらかみっともない話ではあるがな。ついでに言えば、この銃の引き金も引くタイミングは先程からずっと君たちの後ろの壁から指示を出されていた。私は君たちに適当に銃口を向けてそれらしく振舞っていただけだ。どうせ跳弾も全て彼が計算して壁を作り出すのだから、どこを向けて撃とうが彼の思惑通りの場所に当たるわけだ」


 白衣の男は初めて薄笑いを浮かべた。

 それは散々誰かを驚かせ、楽しませたマジックの種明かしをする時のような、観客の反応を期待するかのような笑みだった。


「だからどこに当たるかなど保証出来ない。峰岸悟郎を痛めつけて君の気を変えるのか、それとも白妙のように腕や足を打ち抜いて君を諦めさせるのか。どちらにせよここからは一方的な蹂躙(じゅうりん)が始まる」


 白衣の男は笑顔を引っ込め、目を細めた。

 その目は俺たちを捉えていないのだろう。


 俺たちの後ろの、黒幕からの指示を待っているのだ。


「それでもその強さの秘密とやらを話さない気か? 峰岸悟郎が血まみれになる前に話すことが懸命だと、私個人としては思うのだがな」

「……ふざけんな」

 静かな怒気。

 遊姫の後ろからピリピリとそれが伝わってくる。


「難しい話はだいたい分かんなかったけどな、はっきりしたことがいっこだけあるぜ」

 腕に力が込められ、遊姫の剣が僅かに、ほんの僅かに空気を切り裂いて前に進んだ。


「オヤジが失敗しただと? 人生失敗しただと?」

 剣は少しずつ、本当に少しずつ前へ前へと進んでいく。

 その刃の先には白衣の男が構えている拳銃がある。


 遊姫が俺の後ろで、すうっ、と息を吸い込んだ。


「ふざけんなっ! オヤジの人生失敗だとか、勝手にお前がそんなこと決めつけてんじゃねえっ!!」

 鋭い声が俺の肩から白衣の男に向けて放たれる。


「オヤジはなあっ、あんなどうしようもないオヤジでもなあっ! 苦しんで苦しんで、必死で毎日生きてたんだよっ!! それを知らないお前なんかが、勝手に語ってんじゃねえっ!」

 その声は怒りだけじゃない。

 誰かが傷つくことを恐れ、それを自分のように感じることが出来る遊姫の、優しい思いが溢れていた。


「泥臭く生きて何が悪いんだよっ! どんくさく生きて何が悪いんだよっ!!」

 その声はところどころ裏返る。

 顔を見なくったって、今どんな表情で遊姫が怒鳴っているかが手に取るように分かった。


「一生懸命生きて何が悪いっていうんだよっ!!」


 遊姫が傷を消したくない、と言った時のことを俺はまた思い出していた。


 遊姫は、その傷を『罰』だと言った。

 その言葉が、今本当の意味でようやく理解できた。


 遊姫は自分の父親を恨みはしなかったのだろう。


 支えになりたかったのだ。

 愛する父親を、愛する家族として。


 だがその父親は結局事故で死んだ。

 白衣の男の言うように失意のうちにだったのだろう。


 酒に溺れ娘を傷つけ、人生の道を誤った事を後悔しながら。


 その時遊姫はどう思ったのか。


 後悔したのは恐らく遊姫も同じだったはずだ。


 だから残された傷を『罰』と言ったのだ。

 父親を心の闇から救えなかった自分を悔いて。


 それが遊姫が傷を消そうとしなかった理由。

 遊姫が傷をコンプレックスとして隠す理由。

 遊姫が、誰かを思いやることが出来る理由。


「お前なんかにとやかく言われる筋合いはねえっ! お前なんかにえらそうに助けてもらう理由もねえっ!!」

 遊姫の剣は壁の光を浴びて、きらりと光った。

 それがまるで遊姫の思いに呼応したかのように俺には見えた。


「だったらどうする。そうやって意地をはって峰岸悟郎を……」

「グダグダうるせえっ! ゴローはあたしが守るって言ってんだろっ!!」


 叫びとともに、遊姫の左腕が剣へと伸びた。


 その手には、古めかしい西洋風の意匠の鍵が握られていた。


 あの光の剣を解き放つための、鍵が。


「しゃがめっ! ゴロー!!」

 遊姫の叫びに俺は全力で応えた。

 転ぶように勢いよく姿勢を下げる。


 上を向きながら倒れていく瞬間、ぱちり、という音を聞く。


 遊姫の止まっていた剣が、滑らかに動いた。

 剣は光を浴びて俺たちの後ろへと弧を描くように進む。

 いや、正確に言おう。見えない壁に止められていた剣は動いていない。


 遊姫の手元から、剣が伸びていたのだ。


 見えない壁に止められた剣には錠がついていた。

 そこから光が伸びて、やがて分離する。

 遊姫は鍵を開け、光の剣を抜いたのだ。


 光の剣の中に収まっていた、もう一本の剣を。


「何!?」

 白衣の男の驚きの声。遊姫の剣がまさか二段構えになっているなど、彼じゃなくとも予想出来なかっただろう。


 だが俺は驚かなかった。

 ヒントは既にもらっていたから。


 遊姫と再開したあの日、あの土手であの光の剣を見せてもらった時、それとは知らず俺は見ていたのだ。


 光り輝く剣の中の、もうひとつの剣を。


「おおおおおおおおぉぉっ!!」

 光はそのまま円になり、遊姫の体を中心に美しい光のアートを作る。

 その剣は幻想的で、この世界の光をかき集めたものを、そのままばらまいているようだった。


 その剣が高速で、あの見えない壁に激突する。


 みしり、という音が聞こえた気がした。

 その音の直後、俺たちと白衣の男を隔てていた見えない壁は消滅した。


 遊姫の剣は、白衣の男の拳銃を真っ二つに切り裂いていた。


 耳に入ってきたのは鉄塊が地に落ちた轟音。見えない壁に掴まれていた白妙の鉄塊と遊姫の光の剣の残りが地面に落ちた。

 見えない壁の力から、解放されたのだろう。


 そしてその数瞬後、遊姫に斬られた拳銃の上側と、白衣の男の手からするりと抜けた下側が重力に従い落下した。

 金属片になったそれは見た目以上に重々しい音を立てて、衝撃で細々としたパーツを撒き散らせて壊れた。


「馬鹿なっ!? 何故……」

 白衣の男はそれきり黙りこくった。

「ナゼもなにもねーだろ」

 遊姫は落ち着いた口調でそう告げる。

「あたしの根勝ちだ」

 遊姫はそれだけ言うと、床に落ちていた錠付きの剣を拾い上げて短い剣を納める。

 ぱちりという音と共に剣はまた一つになった。


「……君の力が計り知れないことは理解した。その原理がどうであれ、君は彼に打ち勝ったのだからな」

 白衣の男も取り乱していたのは僅かな間だけだった。

「だが何故だ。何故君は私に止めを刺さない。確かに君たちの相手は私ではなく彼だ。だが私を自由にしておく道理もないはず」


 白衣の男は手を再び白衣の内側へと伸ばす。


 俺は咄嗟に身構えたが、遊姫はどこ吹く風と言わんばかりの表情をしている。


「……何故だ、姫山遊姫」

「あのなぁ……ったく。人を殺し屋みたいに言うんじゃねぇ」

 先程の剣幕が嘘のように穏やかに、そしていつもどおりの態度で振舞う遊姫がいた。


「あたしは別にお前をどうこうしようなんて思ってない。ただムカついたから一発お見舞いしてやっただけだ」

 遊姫は自分の腰に手をやり、どこか気だるそうにしながら白衣の男を見ていた。

「お望みならあと二、三発お見舞いしてやろうか?」


 遊姫はそう脅しをかけるも、そんな気がないことは俺でも分かった。


 遊姫にとって、戦いとは何か。

 パーティー会場で白妙にそれを問われたとき、遊姫は『覚悟』という言葉を口にした。


 俺は今、なんとなく理解した。

 遊姫は戦って相手をどうこうすることを考えるよりも、自分のあり方を優先して考えているのだろう。

 自分がありたいままの自分で戦う。それが遊姫の言う『覚悟』なのだろう。


 だからこんな時でも無抵抗無気力の相手には追い打ちしない。白衣の男にされたことを考えれば、いくらこの男が傀儡だとはいえ二、三発殴ってもお釣りがくるだろうに。


 もちろん、そう考える根拠やら実際にどう思っているかは分からないのだが。


「っと、そんなことより着物女のやつ早く手当してやらねえと」


 遊姫の言葉に俺も忘れていたとはっとしたが、遊姫は突然びくりと体を震わせて後ろを振り返った。


「遅えよ」


 その声に俺が振り返った時には事態は動いていた。


「お前っ!?」

 遊姫の言葉が終わる前に目の前に突然白い塊が飛んでくる。

 その色には見覚えがあった。遊姫をここに連れてくる時に拘束していた、あの粘土のような謎の白い物体。


 それが、液状にまるで俺たちに覆いかぶさるように広がりながら迫ってきていた。


 遊姫は一歩前に出ながらそれを切り裂き、奇襲を回避した。


 はずだった。


「おっ!? な、何だこれ!?」

 液体は遊姫に斬られた直後不可思議な挙動をして遊姫の左腕に絡みついた。


 まるで風船のように膨らんだのち破裂し、その勢いで根を張るように複数の糸を地面に伸ばしていた。白い液体は遊姫の右手こそ捕らえきれなかったものの、左手左足、右足も絡め取っていた。

 そして液体のように流動していたそれはあっという間に固まり、遊姫を拘束したのだ。


「くっ、くそっ!」

 遊姫は振りほどこうともがくがかなり硬く固まっているようで、どんなに暴れてもびくともしなかった。

「余計なことしなくていいぜ。したら後ろの記者さんの顔ごと塞いじまうぜ」


 襲撃の主はそう言ってゆっくりとこちらに近づいてくる。


 その両腕には、見慣れない金属製の筒。

 腕を覆うように赤銅色の太い筒が巻かれ、その周りに細い金と銀の筒がいくつも輪上に取り付けられている。


 一目見ただけでは何に使うのか見当もつかないような武器だった。


「お前……タフだな」

「お前らは全員甘いんだよ。せめて博士みたいに俺を縛り付けときゃあこうはならなかったのになぁ」


 銀髪は、勝ち誇った顔で堂々と仁王立ちをしていた。


「最後に笑うのは俺様よ!」


お待たせしました。一日空いてしまいましたが、連続投稿3日目です。


また少し間をあけて、土曜日から再開していきます。

感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。

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