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Ⅰ 鍵付き剣の少女

 俺は唖然(あぜん)としていた。


 自分の両脇には先ほど落下してきた鉄骨が横たわっている。コンクリートの地面にはひびが入り、その衝撃の大きさを物語っている。

 そして鉄骨の断面はまさしく「切った」という表現が相応しい、機械的でまっすぐな切り口。

 夢ではない、現実なのだ。

 

 ぱちり、と音がした。

 彼女はあの光の剣を黒い(さや)に収めていた。

 派手な剣のほうに比べて、飾り気のない普通の鞘だった。日本刀の鞘を思い浮かべてもらえば、(おおむ)ねそれで合っていると思う。

 ただ、そのつばの部分には違和感を覚えた。

 つばの部分には代わりに大きな銀色の(じょう)が付いていたのだ。

 南京錠を大型にしたものというか、西洋の古いお屋敷の門扉(もんぴ)に使われていそうな感じというか、そんな印象のものだ。

 とにかく、剣としては見たこともない意匠(いしょう)だ。


「たく、何だってんだよ」

 そうひとり愚痴(ぐち)をこぼし、彼女は俺のほうに振り向く。

「立てるか? 兄ちゃん」

 彼女はそう言って手を差し伸べてくれた。気付けば俺は尻餅をついていたのだ。

「あ、ああ。すまない」

 また何とも曖昧(あいまい)な返事をしたものだ。仮にも命の恩人に対する一言目としては、もう少し気の利いた答え方があっただろうに。


 俺は包帯でぐるぐる巻きにされた彼女の手に触れた。

 運動で火照った体の熱量を伝える温かさと、女性独特の柔らかさがない交ぜになって、それが包帯で包まれたらこんな感触なのだろうな、とそのままの感想を抱く。

「おい、大丈夫か?」

 彼女はそう言って、一瞬怪訝(けげん)な表情を浮かべる。

「え、あ、いや……」


 何も思考を読まれたわけではないのだが、一瞬どきりとした。

 彼女からしてみれば、手を貸したのにいつまでも立ち上がらないのを不審に思っただけだろう。彼女に言われるまで気付かなかったが、体からかなり力が抜けていたのだ。

 結局ほとんど引っ張り上げてもらう形で立ち上がるが、それでもまだふらふらしていた。あんな目に合ったのだから、当然といえば当然の反応かもしれないが。


「おいおい兄ちゃんビビりすぎだぜ。まあ、気持ちは分かるけどよ」

 あっけらかんとした様子で彼女は笑った。

 どこにもやせ我慢している様子はなく、至って自然体に見える。先ほどの大事件が何事もなかったかのような笑顔だ。


 俺はあの時、初めて死の恐怖を実感した。


 耳に届いた轟音、地面を揺るがす振動。

 あれは間違いなく圧倒的な『力』そのものだった。

 あの下にいてあれが直撃していたら、間違いなく俺の体は砕けていただろう。体が動かなくなりもする。

 

 それに対し彼女は落ち着いたものだ。度胸があるというか、それとも元から物事に頓着(とんちゃく)しない性格なのか。

 どちらにしても尋常(じんじょう)じゃない感覚だ。それとも、ひょっとして自分のほうがおかしいのだろうか?


 周りを見ると通行人は完全に足を止めて成り行きを見守っている。皆忙しい時間帯だろうに、音を聞きつけたであろう人々が次から次へと集まってくる。

 出社前のサラリーマンにOLに学生、ざっと見ても二十人近くは集まった。恐らく今起きた出来事を各々の中で整理しているのだろう。

 好奇の視線を俺と彼女へ向けながら。

 どうやら俺の感覚がおかしいわけではなさそうだ。


「大丈夫そうだな」

 彼女はそう言って手を離すと、脇に投げられていた学生鞄と黒く細長いケースを拾いに行った。

 見た目からも何となく想像はしていたが、どうやらまだ学生らしい。

 ケースのほうは後から知ったのだが、一般に普及している竹刀入れと同じものだった。そのケースの中にあの剣を手慣れた動作でしまっていく。

「じゃあな」

「え?」


 俺は耳を疑った。

 さらりとそれだけ言うと、彼女はさっと(きびす)を返してこの場を去ろうとした。

 飾り気もなく、ほんの些細(ささい)な手助けをしただけと言わんばかりの素っ気なさで。

 ……いや、おい、ちょっと待て!

「あっ、あのっ!」

 俺は思わず声を上げていた。

「ん? 何だよ」

 そう言って彼女がくるりと振り向くと、なるほど高校生くらいの幼さが感じられる、あどけない顔がそこにあった。

 事ここに至って、ようやく俺は自分の職業を再認識した。


 命の危機に光る剣を持った謎の少女。


 非日常的な状況がこれほどまでに現実的思考と常識をくらませるとは思わなかっが、もう流されはしない。

 これは一世一代の大チャンスである。


「おい、どうした?」

 彼女をここで帰すわけにはいかないのだ。

 周りの野次馬も、先ほどの衝撃も、全てがこう物語っている。

「取材させてください」

 これが、スクープなのだと。



――



 夕焼けに染まる街を歩きながら、今日の出来事を反芻(はんすう)する。

 帰りを急ぐ若者や少し早めの仕事帰りのサラリーマンで駅前通りは賑わっている。


 スクープを追って事件現場に駆けつけることは何度もしてきたが、その度に歯がゆさを感じたものだった。

 既に報道された事件には、あまり目新しい事実は残っていない。それを探そうにも、スタートラインはどこの報道機関も同じ。俺と同じように、他のやつらもそれを探して奔走(ほんそう)するのだ。

 新聞社の知名度で圧倒的に劣るうちでは、よほど大きな進展を見つけない限りは注目すらされない。


 だからこそ誰よりも早く事件現場に駆け付けることを心がけた。それが今回、たまたま事件そのものに遭遇するという破格の幸運を手にした。


 それなのに、と思う。


 あの少女との出会いの後のことを、かいつまんで話そう。



――



「しゅざい……って」

 目をぱちくりさせる彼女。あの空を睨んでいた鋭い視線の少女と同一人物とは思えないほどあどけなく、可愛らしい顔だった。


 立ち上がってから改めて全体像を見ると、細身で活発な少女、という印象を受けた。

 身長も俺が見下ろす形になったから、大体百六十前後だろうか。

 胸に張りはさほどないが、すらりと伸びた手足、整った体のバランス。包帯の印象をのぞけば健康優良少女といった感じだ。


「お時間は取らせません、今回のことをぜひ詳しくお聞きしたいのです」

 慣れた口調でまくし立てて、ずいっとポケットの小型ボイスレコーダーを取り出した。

「自分は記者です。今、どうやってあの鉄骨を切断したのですか?」

 熱のこもった口調で詰め寄る。俺の記者としての誇り、情熱がふつふつと湧き上がってくるようだった。

「はぁっ!? ちょ、ちょっと待てよ!」

 彼女は思いっきり動揺していた。一般人からすれば、この反応も当然だろう。

「お願いします! 少しでも情報が欲しいんです」

 それを考慮してもう少し落ち着いた口調で話すべきだったかもしれない。そこは間違いなく反省点だったが、そんなことはあの時思いもしなかった。

 大げさかもしれないが、事件現場に居合わせたという幸運は、あの事故で生き残ったという幸運よりずっと大きく感じられていたのだ。


 こんな偶然には一生出会えないかもしれない。


「ですから話だけでも……」

 そう言って彼女の手をもう一度力強く握る。俺の熱意が少しでも伝わればいいと願って。

 俺だけじゃない、あの場にいた誰もが彼女の言葉を待ち望んでいただろう。

 この出来事の結末を、そして彼女の正体を。

 人々の『知りたい』という欲求の只中(ただなか)にいて、それを断るなんていう冒涜(ぼうとく)を彼女は犯すべきではない。いや、俺がさせまいと思った。


 俺達には、知る権利があるはずだ、と。


 しかし――。


「い、痛い……痛いって」

 予想していなかった返答に、思わずはっとなる。

 彼女は発言の通り、痛みをこらえるように苦悶(くもん)の表情を浮かべて顔を伏せた。

 視線の先、俺が『熱意を込めて』いたものが映る。

 普通に考えて、包帯の巻かれた手が怪我をしていることは誰の目にも明らかだった。


「あっ! すいません!」

 それに気づいてほとんど反射的に手を離した。

 浮かれた気分からあっという間に冷水をぶっかけられたような気分へと沈んだ。後先見ずに行動することは前にも先輩記者から(いさ)められたことがあるが、今回のは明らかにやりすぎだと思った。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 仮にも命の恩人にしてしまった仕打ちを後悔し、恐る恐るそんな声をかける。

 情けない、と自分でも思う。

 そんな風にして(うつむ)いている彼女の顔を覗くと――、


「ウソだよ、バーカ」


 彼女が笑っていることに一瞬喜んだ。喜んだ後で、頬が引きつった。

「ば……?」

「じゃあな」

 彼女はそう言うなり身を翻し、あっという間に囲んでいた野次馬の輪を通り抜けて行ってしまった。


 あまりにさっと物事が動いてしまったので、思考が追い付かずにぽつんと俺は取り残されてしまった。

 そうして残ったのはぼんやりと立ち尽くす一人の記者と、状況をよく()み込めないまま消化不良の野次馬。

 そしてその異様な雰囲気の中に残った二つに分かたれた鉄骨。


 これが記者、峰岸悟郎が初めて手にした幸運の結末だった。



――



「はぁー」

 道端の石を蹴り、今の俺の気持ちと同じように沈んでいく夕日のほうを眺めてはまたため息を漏らす。

 結局、勇み足で踏み込んだスクープは完全には自分のモノにならず、一番の大事なところを欠いたまま世間に出ることになった。


 鉄骨の落下事故と、それを切り裂き男性を救った少女。


 多少の反響はあったが、世間の反応は思ったよりも冷ややかだった。唯一違う点をしっかりと押さえて記事に出来ていれば、もう少し違っていたのかもしれないけれど。


 記事を仕上げた後現場にとんぼ返りしてみれば、警察の捜査が既に始まっていた。従業員への事情聴取も進む中、第一発見者にして第一通報者の俺にはあの質問が待っていた。

「どうやったのかって、こっちが聞きたいくらいだって」

 警察は開口一番どうして鉄骨が綺麗に真っ二つに分断されているのかを問いただそうとした。

 俺が事のあらましを説明すると年季の入った警部らしき男は渋い顔をした。

 ついでに私見も交えて、『あれはまるでビームサーベルのような剣でした』なんて言ったものだからおかしなものを見る目でも見られたっけか。


 けれど恐らく警察も、普通の刃物であの分厚い鉄の柱を切断出来るとは考えなかっただろう。

 もし出来たとするならそれは斬鉄剣か、もしくは彼女は石川(いしかわ)()()衛門(もん)かという話になってしまう。

 そんなアニメやゲームの話じゃあるまいし。

 (もっと)もビームサーベルも同次元なわけだが。


「俺はあの現場で、直に見てるんだよな」

 実際に彼女に助けられたわけだから、疑う余地はない。俺と鉄骨の間に割って入り、目の前で迫りくる鉄骨を一刀両断した。

 事実はそれ以外あり得ない。

 あの光輝く剣で。

「たく、どうやったっていうんだよ」


 この記事が他と違う花を持っているとすれば、これに限る。

 現代の世で剣を携え、一人の記者の命を颯爽(さっそう)と救ったヒーロー、いや、この場合はヒロインか。

 彼女と、彼女の持っていた剣のことさえ詳しく分かれば記事としての価値は格段に上がるだろう。せめて彼女がどこの誰かを確認出来てさえいればと悔しくてならない。


 と、不意に最後の彼女の言葉が思い出される。

『ウソだよ、バーカ』

 生意気なひと言である。

「可愛い顔してよくもまあ」

 整った顔立ちに切れ長の目。茶髪のポニーという飾りっ気のない髪型がよく似合っていた。

 芸能人を実際に目にすることも多い俺からすれば珍しくもないが、テレビの向こうじゃなく実生活の中にあんな娘がいたらきっとモテるだろう。

「そんな娘が」

 俺を助けてくれた。

 煮え切らない思いを抱え、俺はもう一度空を見上げた。

 夕焼け空は既に夜の(とばり)(おろ)し始めていた。



――



「おかえり悟郎。今日は早いわね」

 姉はソファーに腰かけて、一人で晩酌を始めていた。実の姉と二人暮らしの狭いアパートで、帰ってきて早々面倒だなと思った。

 姉は酒癖が悪いのだ。

「姉ちゃん、いつから飲んでるんだよ」

「バーカ、いつからだっていいじゃないのよ」


 そのセリフに思わず今日出会った少女を思い返す。

 姉にそのことを話そうかと一瞬迷ったが、それは酒が入ってないときにするかと思いなおす。


「それよりアンタ、スクープあげたんだって?」

 ビールやチューハイ、色とりどりな缶の数からすると、昼間あたりからやっていたのだろうか。そんな推測を挟みつつネクタイを緩める。

「スクープではあったんだけど、何つーかね」

 非常に悔いの残る記事になったわけだ。

「何よあんた。こんだけ世間様を騒がせておいてまだ物足りないって言うの?」

 艶のあるショートカットを揺らして、不機嫌そうにこちらを睨む。持っていた缶を乱暴にテーブルに叩きつけ、足を組み直してふんぞり返る。

「世間を騒がせるって、そんな大それたことにはなってねーだろ。なったら嬉しかったけどな」

 スーツを脱ぎながら、一応は女性の前であることを考慮してふすま一枚向こうの部屋に引っ込む。

 薄暗い部屋でワイシャツのボタンに手をかけた時、ふすま越しに姉の声が響く。

「ねえ、あんたひょっとして知らないわけ?」

「なんだよ姉ちゃん、さっきから」


 昔から弟である俺に割とひっついて、というか無理やり絡んでくる姉に対してあまり深く考えずに返事をしていることがある。

 大抵の姉の発言には深い意味なんてない。ただ構ってほしいから話しかけてくるだけだからだ。

 そんなわけで、相槌(あいづち)を打つだけで済ませることも多々ある。俺の記事がどうとか言っていた気がするが何のことなのか。


「あんたの記事、ネットで話題になってるよ」


 レーンが壊れるほどの勢いでふすまを開け放ち、姉の目の前を駆けぬけ作業用デスクの上のパソコンに飛びついた。

「ねえ悟郎、姉ちゃん一応女なんだからさ、ズボンくらい履きなよ」

「ネットで話題になってるってホントか!?」

 姉の常識的な抗議も無視して画面を注視する。

 パソコンはスクリーンセーバーの状態になっていたらしく、マウスをクリックするとすぐにネットの画面に切り替わる。


 いきなり表示された掲示板には、でかでかと文字が掲げられていた。

 『現代の侍少女? 鉄骨を切り裂き男性を救う』というタイトル。

 うちの会社の電子版ニュースのページではない。どこかの誰かが大衆向けの掲示板を使って作ったページだ。

 だが、そのタイトル、そして付属している記事は見間違うはずもない。

 それはまさしく俺が考えたものだった。



『現代の侍少女? 鉄骨を切り裂き男性を救う』

 ――以下記事抜粋

 22日午前7時半ごろ、井戸松建設のビル建設現場から鉄骨が落下するという事故が起きた。男性1人がその下にいて被害にあったが、幸いなことに怪我はなかった。驚くことに落下してきた鉄骨から男性を救った女性がいたのだ。

 被害にあった男性の話によると、女性は光る剣を抜き、落下してくる鉄骨を空中で切り裂いたのだという。偶然現場に居合わせた本記者が取材を申し込んだが、女性は取材を断っている。

 警察は事故原因の説明を井戸松建設に求める一方、切り裂かれた鉄骨と女性の行方も捜査している。男性の命を救ったとはいえ、銃刀法違反の疑いがあると判断したためである。

 女性は、男性の証言から学生であると思われ、警察の捜査の進展が待たれる。



「それ、さっきまで姉ちゃんが見てたんだー」

 ページを適当に動かしてみるが、かなり(にぎ)わっているのが分かる。時間を置かずにいくつも書き込みがされている。


 みんな、俺の記事に対する反応だ。


 後ろから聞こえる声が耳に入らないほど興奮していた。

 俺の書いた記事が、今こうして世間を騒がせている。

 その事実が頭の中を満たし、その文言がスピーカーで連続再生されるように世話しなく何度も繰り返された。

 時間にして二年。言葉にして僅か二文字だが、ここに到達するのをどれだけ自分が待ち望んだか。

 とうとう俺は、念願のスクープを。


「おいっ! 聞いてるのかバカ弟」

 ヒートアップした頭を姉に叩かれるまで、目の前のページを読むことすら忘れていた。

「あんた、喜ぶのはいいけどさっき自分で物足りないみたいなこと言ってなかった?」

「え、ああ、まあ」

 頭をさすりながら姉のほうに振り返ると、姉は俺の後ろから乗り出すように手を伸ばしていた。

 そして姉の指差した先、ネットのページへ再び向き直る。


『これ、与太(よた)記事じゃねえの?』


 そこにはこんな文言が。

 姉の指はそのままタッチパネルをスライドさせるかのように、滑らかな動きで画面を下になぞる。続きはこんな感じだ。


『いや、さすがにねーだろ。なんか記事面白くしようとして捏造(ねつぞう)してんだろ』


『でもこれ、捏造ってどこからどこまで作ってんだ?』


 ネットのページは、俺の記事に対する疑念に満ちていた。


『鉄骨って、結構種類や長さとかによって違うし、これはどの規格のやつだ?』


『落下中の鉄骨を普通切断するのには物理的にトン単位の力が必要。人間には無理。以上』


『でも普通まるっきり何もない所からこんな突拍子のないこといわねーだろ』


『現代の五右衛門と聞いて』


 内容は議論半分、少し調べたような書き方をしているもの半分、話題になっているから集まってきた観客少々、といったところだろうか。


『実際に警察が調べてるぞ。切断された鉄骨とか』


『マジかよ』


『でもぶっちゃけ、なんか仕掛けがあんだろ。目撃者いるならよっぽどうまくやったんだろうけど』


『またマスゴミか』


少しモラルには欠ける所があるが、これも重要な『読者の声』。何か事件の度にこういう反応が起きるので、俺もたびたびチェックするのだが……。


『どうせ自演だろこんなもん』


『与太記事書いてちやほやされて楽しいのかね?』


『マスゴミマジ氏ね』


「はぁー……」

 先ほどの浮かれた熱は何処へやら、一気に脱力してしまう。

「どうしたの悟郎クン? ガッカリしちゃって」

 この反応を予想していたのか、にまにま笑いながら俺の肩に絡み付く姉。

 わざとらしく胸なんか押し付けてくる。

 ボリュームはそれなりにあるため、姉のものでなければ男として純粋に喜べるのだが。

「ああー、記事として物足りないとは思ったけど……」

 うっとうしい姉を振りほどいてもう一度画面を注視するが、目当ての反応らしきものは何処にもない。

「こんな結果が出てもなー」

 盛大なため息と共に肘をつき、頭を抱えながら髪をくしゃりと握る。

 目につくのはこの記事の内容が本当か否かというやり取りだけ。中にはマスコミを罵るだけのものもある。

「俺の求めている反応っていうのは、こういうんじゃないんだよー」

 うだるように腕を後ろに投げて、改めて落胆する。


 記者人生はたったの二年。やはりこんなふうに書くと、まだ結果を出すには早すぎると神様が言っているのだろうか。

「悟郎クン、残念でしたー」

 姉は懲りずに引っ付いてくる。もう振りほどく力もないのでそのままにしておいた。


 この姉は俺をこうしてからかうのを日課にしている節がある。

 いわゆる『弟いじり』というやつだ。

 いつもは平然と受け流せるのだが、今日のような日は出来ればそっと扱ってほしい。俺だって繊細なところは繊細なのだ。

「……はぁ。まあ、こうなるだろうとは予想してたんだけどな」


 自分で記事を書いていても、途中であの出来事は現実だったのだろうかと半信半疑になったくらいだ。

 他人があの記事を読んだところで、この反応は至極普通のものだと思えた。

 落下してくる鉄骨を剣で真っ二つにした少女――。何かこう、ドラマや映画か、はたまたアニメの宣伝記事でも書かされている気分だった。


「みんなもう少しまともに取り合ってくれると期待してたんだけどな」

「まともな反応って、どんな反応してくれればよかったの?」

「そりゃあ……」

 そこまで出かかって言葉を濁す。

「それより姉ちゃん、これいつから……」

「あー、またそうやって誤魔化すー」

 背中に張り付いていた姉が不満を漏らしてのしかかってくる。

 女性特有の色々な柔らかさに、次第に理性が溶かされていく。

「悟郎ー、あんたいつもそこ言わないよねー」

「そ、それよりさ、いつからこうなんだよ。会社出る時にはこんなページ無かったと思うんだけど」

 女の体の誘惑を道義的理性で誤魔化し姉をはねのける。

 姉はまだ不満そうだったが、諦めてくれたのかふくれっ面をしながら話す。

「大体三十分くらい前からかな? あたしもたまたまこのページ見つけたんだけど」


 掲示板に書きこまれた文章――レスを確認してみるとなるほど三十五分ほど前からこのやりとりが始まっているようだった。

「へー、この時間になって何で……って夕方のニュースか」

 画面に向き直り、このページを残したまま新しくネットで検索をかける。


 俺が書いた記事は朝の電子版速報だが、夕方テレビで数分流れた映像やニュースのほうが影響力は高かったのだろう。

 調べるとすぐに答えは出た。なるほど一時間ほど前の全国区のニュース番組で、この事件が取り上げられたようだ。

「ああ、やっぱりろくな進展がないな……」

 ざっと概要を調べてみる。

 鉄骨が落下したこと、怪我人はいないこと、その鉄骨が何故か切断されていたこと、事故原因は捜査中。

 誰かに伝えるのに必要最低限の内容だった。


「うちの取り上げ方のほうが断然詳しいってのに」

 弱小新聞社の踏み込んだ内容の記事より、全国区のよく分からないニュースのほうが影響力があるというのはどこか納得がいかないものだ。


 おまけに謎の少女と鉄骨を切り裂いた剣という最重要パーツが抜けていてはもはや別事件ではないかと思う。

 警察でも目撃者である俺の話は報道関係者には伝えていないのだろう。

 落下中の鉄骨を少女が剣で切り裂いたなどという内容は何処にもない。


 現状では科学的にあの切断の出来事が説明されない限り、警察はこのことを公表しないような気がする。

 俺の話した内容をそもそも信じていない可能性のほうが大きいのだ。今頃躍起(やっき)になって原因究明をしていることだろう。


「悟郎んとこのほうが詳しいこと書いてるのにくやしいねー」

 姉はからかうような口調で俺の髪の毛を後ろからぐしゃぐしゃと撫でながらそう言う。

「いや、どの道うちでも大事なところを押さえられなかったんだし」


 結局のところ、俺が書いた記事でも不足しているのだ。その点は認めるしかない。

「そういえば、悟郎のところにも事故原因が載ってなかったね。まだ調査中?」

「あー、まあ、一応はな」


 会社側は、鉄骨を持ち上げていたタワークレーンのコンピューターが事故当時トラブルを起こしたのだと主張している。

 要するに人為的な事故ではなく、機械の故障による不慮の事故だと言っているわけだ。それに対して警察は徹底した調査を行うと表明した。


 ちなみに、従業員は一様に取材陣に対して口を(つぐ)んでいる。会社から余計なことを言わないように釘を刺されているのだろう。

「まあ多分、従業員の不注意とかが原因だと思う」

「そうなの?」

「勘だけどな」


 普通、工事現場は事故を想定して一応の備えをしている。物を落としたときのための網だったり、壁が倒れたりした時のための柵だったり。

 これは以前工事現場での事故を取材した時にちゃんと確認しているので間違いない。法律でもきちんとした基準が設けられて規定されているはずだ。

 それなのに今回は鉄骨が丸々一本一般道に落下してきている。つまり理論上起きるはずのない事故が起きたのだ。

 管理体制がずさんな証拠だ。


 そういう会社に限って従業員への教育が行き届いていなかったり、過密スケジュールを設定し、過酷な労働を強いたりとしているのだ。

 根拠のないことを言っているように聞こえるかもしれないが、二年の記者生活でしみじみ感じたことだ。結局、火のないところに煙は立たない。

 こういう事故にはそういう油断やいい加減さの下地があるものなのだ。

「ふーん、そうなんだー」

 姉はさもつまらなさそうに呟く。

「何とか切り崩せるようにアプローチはかけてみるさ」


 例え箝口令(かんこうれい)を敷かれようとやり方はいくらでもある。袖の下から正義感に訴える方法まで。

 記者としてここで引き下がる道理はない。

「アプローチって、要は事故を起こした人が普段どんな人だったかー、って聞くだけでしょ?」

「他にも事故当時の体調とか仕事がオーバーワークになっていなかったかどうかもな」

「そんなの全然面白くない。『普段は真面目な人でした』なんて返事が返ってきて、ニュースになるの?」

 ならないだろう。


 嫌な話かもしれないが、姉の視点が正しい。

 そんなことを言われても記事として花がないのだ。

 仮に会社の圧力で重労働をさせられていたとして、それが原因で事故を起こしたのだとしよう。それを報道したところで『よくある話』の一言で終わりなのだ。


 良くも悪くも世間は会社の『不祥事』というものに慣れてしまったのだ。それでも興味関心は引けるだろうが、頑張ってもその程度。

 一大スクープどころか、さっさと埋もれていってしまう事件だ。

 もっと計算高いことを言うなら、この手の話は警察の公式発表などを介して初めて信用がつく。警察が『ずさんな管理体制』と太鼓判を押したうえでの『現場の実際の声』ならばそれなりに価値もあるだろうが、必ずしもはっきりとそうなるとは限らない。

 原因が曖昧なまま消えていく事故だって山ほどある。


 それにここからはどこの報道機関もスタートラインは一緒だ。警察からの発表は平等に、同時に聞くことになる。

 それに合わせて取材した内容を織り込むだけでは、どこも似たり寄ったりな話で区別がつかないだろう。

 弱小のうちではなおのこと部が悪い。

 要するに、取材に成功したところでうまみが少ないのだ。


「そんなことより、やることがあるんじゃないの?」

 姉はニコリと笑い、俺の頭を小突く。当たり前じゃないのと言わんばかりに、まるでまだ常識を知らない幼子(おさなご)をからかうように。

 姉の言わんとしていることは分かっている。最初から分かりきっていたことだ。


 この事件で有意義な情報となり得るもの、それはまさしく――。


「あんたを助けた女の子を探すほうが先決じゃない」


 そう、これはただの事故なんかじゃない。

 俺が遭遇したのはとびっきりの事件だ。

 普通に記事にしたのでは信じてももらえないような突拍子のない出来事だったが、紛れもない事実。

 その最大の花であり、大衆にとって最も興味を()かれるもの。


 鉄骨を切り裂いたあの少女だ。


「それも警察がやってるんだ。未だに見つけられていないみたいだけど」

 俺の証言のもと、警察は付近の私服で通える中学、高校を洗っている。

「助けてもらったお礼をしたいっていう名目で面会したいと警察には話してあるから、見つけたら会わせてくれると思う」

「そんなうまくいくのかしらねー」


 個人情報保護が叫ばれる現代でそうそう簡単に警察が引きあわせてくれるわけない、なんてこと俺自身分かっている。

 とはいえ仮に自分で探すとなれば、電車で通える範囲を考えてもどれだけの学校を回るハメになるか。

 どこにいるかわかっている人間を張り込むのは得意分野だが、どこにいるかわからない人間を探すのは流石に専門外だ。


「ところで、この女の子は警察に見つかったら捕まっちゃうの?」

「まあ、銃刀法違反なら捕まるんだろうけどな」

 鉄骨を切り裂けるほどの凶器だ。例え刃物でなかったとしても危険物所持でしょっ引かれるだろう。

 現実は空想と違って、スーパーヒーローは生きづらい世界なのかもしれないな。

「あんたの命の恩人なのに、それでいいの?」

「そう考えると少し複雑な気分だな」


 今さらながら、少しだけ罪悪感を覚える。

 助けてもらった恩人を警察に捜索させていることと、実はそれに加えてもう一つ。


「……姉ちゃん、酒、俺にもくれよ」

「いいぞー、ガンガン飲むがいい」

 気持ちを察してくれたのか、軽快な足取りで冷蔵庫まで行って缶ごと持ってきてくれた。

 冷え切った果実酒が、程よく今のもやもやした気持ちを消してくれる。

「そういやさ、姉ちゃんは俺の記事、信じてくれてるのか?」

「あんたが書いた記事なんだから、当然でしょ」

 一緒に取ってきたのであろう自分の分の果実酒を飲みながら、ニコリとほほ笑む姉。

 心なしか俺の頬はもう赤くなっている気がした。


 俺は自分の心に浮かんでいた罪悪感を、酒と一緒に今だけは忘れるつもりだった。


 彼女にもしもう一度会えるのなら、その時にこそはっきりと言うべきだと決めた言葉は、果実酒の甘いアルコールに消されないようにしっかりと頭に刻み込んで。


投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っていこうと思います。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。


次回は月曜日に投稿を予定しています。

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