XIV 『アイラビュー』より先に
階段を降り、目的の部屋を目指す。
この施設の構造はいくらか複雑だが、目的の部屋へは何度か足を運んでいただけあって特に問題なく行き着く。
ドアの前まで来ると、中からは女の悲鳴が聞こえてきた。
「いやあああぁぁっ!」
「おお、やってんな」
俺は意外だな、と思った。
「やめてぇっ! いや、痛いっ! いやああああぁぁぁっ!!」
「おーおー派手に泣いちゃってまあ」
こういうことは、あいつが止めるもんだとてっきり思い込んでいた。
先程のあいつの様子。
どうやらあの記者と姫山遊姫を庇っていたようだが、もうそんなつもりはないのか部屋からはその姫山遊姫の泣き叫ぶ声がガンガン響いている。
「やだっ! 助けてっ! ひゃああぁっ!」
「せめて三十分は持たせると思ってたが」
直感が外れて俺は大いにげんなりした。
あいつは俺たちを裏切り向こう側についたのだと思った。
どういう事情があるかは知らなかったし、そうなるという保証もなかったが雰囲気で何となくそう察していた。
これであの着物女を襲う大義名分は消えてしまった。
「って、呼び方がうつっちまったか」
あの悟郎って記者が言っていたセリフが妙に頭に残っていたせいだろう。
確かに着物を着ているから着物女、という呼び名はこの上なく分かり易いが。
「やあぁっ! 許してっ! お願い許してぇっ!!」
「しかしまあ、なんとも萎えることで」
部屋からは、ひっきりなしに心が折れた女の命乞いが聞こえてくる。
先程からうるさいくらい叫んでいる姫山遊姫。
ヘリの中でもあの男の前でも強気を崩さなかったというのに、十分かそこらの拷問であっさりこのザマとは。
俺は言われていた三十分より十分早く来た。いかにも待ちきれないというふうを装って。
俺のキャラからして、これで姫山遊姫を弄ぶことが目的だという印象が強くなるはずだ。
おまけに今は丸腰。着物女はまさか戦闘を仕掛けにきたとは思わないだろう。
もちろん、とっておきはポケットに忍ばせてある。
「カメラがないってのは、かえって好都合だったか」
姫山遊姫は違ったようだが、あの着物女は本物だ。
揺れることはあっても曲がることはない強い信念。
挑発的な態度を取りつつも、その精神性故に誰にも本当の意味で心など開いたことはないだろう。
そして魅力的な体、美しく整った顔。この上ないご馳走に違いなかった。
「裏切らなかったところ申し訳ないが、裏切ったことにさせてもらうぜ」
たっぷりと、お前そのものを堪能させてもらおうか。
「いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ドアを開けたとたん、悲鳴は大きくなった。
それはそうだ。ちょうど目の前であの姫山が叫んでいるのだから。
……何で目の前にいる?
「おあっ!?」
胸ぐらと腕を掴まれて部屋の中に突如引きずり込まれる。
そのままドアを締められると同時にそのドアへ俺の体が叩きつけられる。
目まぐるしく状況が変わる中、ひたりと首に当てられた刃物の感触が鋭く伝わってきた。
「よお、ヘンタイ」
「……本当に奥の手を隠し持っていたのね」
俺のポケットからは俺のとっておきがこぼれ落ちていた。落下の衝撃でわずかばかり拡散している。
両手も既に両脇から押さえ込まれてしまった。
「言っただろ。こういう奴は手品じみたことが好きなんだよ」
「大したものね。これが何かは分からないけれど、ユウキちゃんのおかげで助かったわ」
両脇には姫山遊姫と着物女。
俺の腕を片方ずつ掴んで、もう片手には二人の愛刀をしっかりと握っていた。
どういうわけか俺のとっておきがこいつらには既に露見していた。
俺の手を封じる最良の構えを取りながら、こいつら二人は嬉々として俺の動揺を楽しんでいる。
当然のように、姫山遊姫はピンピンしながら。
「……演技かよ」
「けっこううまかっただろ?」
自慢げににこりと笑う。
こういう自然な顔で笑うのを見ると、なかなかにコイツも諦め難い。
「あなたもあっさりと引っかかったわね」
「そらそうだ。こいつは今盛りのついた犬みたいなもんだからな。頭がバカになってんだろ」
「あんだとてめえっ、言いたい放題言ってくれるじゃねえか!」
あまりにはっきりした物言いに流石に血が上った。つーか少なくともお前にはもう興味失せてたんだよこっちは。
「あら。この人、自分の『立場』が分かってないみたいよユウキちゃん」
「ああ、そうらしいな」
先程の俺と姫山の立場が完全に逆転している。
二人はニタニタしながら俺に見えるように刀をこれみよがしに押し付けてくる。
姫山と着物女。
こうして美女二人を両脇にはべらせるのは悪くない感じだったが、いかんせんその物騒なものはしまって頂きたい。
「両手に花ね色男さん。男としては悪くない死に様っていうんだったかしらこういうのを」
「ま、待てっ、俺は味方だろ。何で姫山の方にお前がついている!?」
「あら、そんなのあなたたちを裏切ったからに決まってるじゃない」
あっさり言ってくれるなおい。
よく見れば奥の拷問用の椅子には気絶した博士が座らされていた。こういうのを絶体絶命っていうんだったか?
「な、なあ話せば分かるって。俺もお前らの味方になるからよ」
「さっきはずいぶん好き放題やってくれたよな」
ギリギリ、と左腕にかかる力が強くなる。
姫山が笑いながら凄みをきかせる。
「あ、ああまあ落ち着けっ! 何だかんだお前も記者さんも無事じゃねーか!」
「ゴローもあたしも無事って言わねーんだよこういうのは」
確かに贔屓目に見てもズタボロな姫山と、今なお気絶したままの記者さん。
無事という表現は流石に無理がある。
「い、一応五体満足じゃねーか」
「あらユウキちゃん、五体満足なら無事の範囲に入るみたいよ?」
「おもしれーな。ちょっとそのツラ二度と鏡で見たくねえようにしてやろうか?」
待て、顔は命だ。
「ん……うう」
ベッドからうめき声。あの記者さんが目を覚ましたのか。
「おお、ゴローも起きたか」
「遊姫……」
記者さんはあたりを見回して、俺達に目を止める。
「えーっと、どういう状況になってるんだ?」
「見りゃわかるだろゴロー」
姫山の無茶振りにしばらく頭を悩ませていたようだが、やがて大体の状況は察したのであろう、その顔にはうっすら笑みさえ浮かんでいた。
「形勢逆転ってやつみたいだな」
悔しいが、あの記者はこの場面をまとめるのに一番いいセリフを選んで口にしていた。
――
目が覚めると知らない部屋で、知らない初老の男が椅子の上で伸びていて、先程の銀髪が何故か遊姫と着物女に取り押さえられていた。
状況を詳しく把握するには時間がかかりそうだが、取りあえずこの場の雰囲気からしてぴったりの言葉があった。
「形勢逆転ってやつみたいだな」
俺は銀髪を見た。悔しそうにしつつもどこかまだ余裕の構えがある。
殺伐とした雰囲気の中美少女二人に挟まれている様は、事情を知らなければ男女の修羅場にも見える。
剣を突きつけられている感じがいかにもそれらしい。
「どうしてそうなってるかは分からないけど、さっきの分も含めて今きっちりお返ししてやったほうがいいんじゃないか?」
「わ、悪かったって記者さんよ」
「そうね、チャンスはあげましょう」
着物女は強い口調のままそう言った。
「あなたはあの男と、あの男の作ったものに私より詳しいわね。なら、彼らの目的は把握しているのでしょう?」
「あの男?」
遊姫の顔を見ても、特にその言葉を気にした様子はない。着物女の発言に疑問を抱いたのはどうやら俺一人のようだった。
俺は混濁した意識で考えたが、あの男、というのが誰を指しているか分からなかった。
俺が気絶している間に新たな登場人物との接触があったのだろうか。
「ついでに彼らがユウキちゃんの強さの秘密にこだわってた訳もね」
「生憎だが俺は詳しくなんかねえよ。あの朴念仁とはソリも合わねえしな」
銀髪はこんな状況でもまだ軽口をたたく余裕があった。恐らくこれは何か打開策があるとか助かる見込みがあるとかそういうものではないのだろう。
言い換えれば、コイツもとびきり度胸があるだけのことなのだ。
「そこの姫山遊姫に執着した本当の理由なんて、俺には想像もつかねえな。だけどまあ、これで助かろうっていうのは虫が良すぎるか」
気づけば着物女は容赦なく刀を押し付け、銀髪の胸はスーツが切れて血がいくらか滴っていた。
遊姫も俺も少しだけ躊躇したが、ここはあえて黙っていた。
「これは俺の想像だがな、別に大した事なんて考えてねえんじゃねえのかあいつは」
「何だそれ? 大した考えもないのになんであたしをさらって来たんだよ」
「だから知らねえって言っただろ。多分理由ならあるだろうさ。けどそれは俺から言わせりゃ大したことでもなんでもねえってことさ」
俺も、そして遊姫も首をかしげたが、一人着物女だけは少し違った。
「つまりはただの『遊興』だと?」
「どうだかな。ひょっとしたら俺たちも試されているのかもな。あの神様とやらに」
神様?
「……そう、参考になったわ」
「おお、そらあ良かった。俺もこれで晴れて放免してもらえるってか」
「調子に乗らないで。なら彼らの行動目的、いえ、最終到達目標はなんなのかしら?」
「そりゃあ俺の方こそ知りたいさ。文字通り神様になることだったりしてな。それとももうなっちまってるかもしれねえが」
先程から何度か出てきている『神様』という単語。
眉を寄せた難しい顔をしているところから、恐らくは遊姫にも見当がついていない。
宗教組織でも関わっているのだろうか?
「あなたの話を聞けてよかったわ」
「そらどうも。それで俺は情状酌量の余地を得たわけなんだが」
「そうね。じゃあお沙汰はユウキちゃんに預けようかしら」
銀髪と着物女と、そして俺の視線が一斉に遊姫に向けられる。
「ん? なんだ? 難しい話は終わったのか」
遊姫は途中で思考することを放棄していたらしい。まあ難しそうな話ではあったが。
「じゃあそろそろオシオキの時間か」
「お、おい待てっ! 今俺はかなりお前らの役に立つこと言ったんだから少しは」
「悪い、あたしにはさっぱりわからなかったぜ」
ここからは悲惨なので描写は抑えるが、かいつまんで言えば銀髪は二人に殴られ蹴られ峰打ちされてボコボコにされたのだった。
銀髪の「おうっ!」だの「ぐはっ!」だの言ううめき声と、それをBGMに二人の美少女が嬉々として大の男をサンドバッグにする様は、なかなかお目にかかれない光景ではあった。
このお仕置きは遊姫の剣の峰が銀髪の顎を打ち抜いて終わった。斬られた傷こそないものの、遊姫もあれで結構キレていたのだろう。
銀髪はそれこそボロボロになった。
「この男も、こうして見るともう少し気絶させずにいじめてあげたかったわね」
「お前の危ないシュミにつきあわせるなよ。このくらいにしといてやろうぜ」
どさりと床に倒れ伏す銀髪。
同情する余地はないが、同情したくなるような惨状だった。
「さてと、これからどうするか」
今しがたの暴行は既に過去に追いやりさらりとそう言ってのける遊姫。
「なあ、とりあえず現状を把握したいんだけど、説明してくれないか?」
「それはユウキちゃんに聞いておいて」
着物女はそう言うと刀をしまい、隣のスイッチらしきものを押す。それに合わせてドアが開き、そのまま出て行こうとする。
邪魔だったのだろう、銀髪を蹴飛ばしながら。
だんだん銀髪が本気でかわいそうに思えてきた。
「おい、どこ行くんだよお前」
「悪いけど、私にはやることが出来たみたい。またあとで合流することにしましょう。ああ、それとゴローさん」
ドアのところで一度振り向いて、彼女はこう言った。
「ユウキちゃんこれで結構健気なところもあるのよ。だから振られたなんていって嫌わないであげてね」
「え?」
そうして着物女は出て行った。
着物女が出て行ったので、当然ながら俺と遊姫はふたりっきりになった。
正確には床で伸びている銀髪と、椅子には気絶した初老の男がいるわけだが。
よく見れば俺の座っているベッドも初老の男の座っている椅子もどこか趣が普通のものと違う。金属製の道具や穴やロープ、何に使うのかわからないものがそこかしこにあって、部屋中が工場と病院を合体させたかのような雰囲気を出していた。
改造手術でもするための部屋かここは。
「なあ、ゴロー」
遊姫は静かな口調で言う。
「やっぱ、その、まだ怒ってるか? あたしがこの間言ったこと」
着物女の言葉で、薄々気づいていた。
あの時は気にしている暇もなかったが、俺のヘリの中での発言は全て、遊姫にも聞かれていたのだろう。
俺はあの時、遊姫のことを何も知らないだのと言ってふてくされていた。
遊姫が自分に心を許していないのだと勝手に一人で落ち込んでいたのだ。
目の前の少女は、ボロボロだった。
俺の気絶している間にまた新しい傷が増えていた。ドレスが破れてむき出しになった腹は真っ赤に腫れ、遊姫の体に元々あった傷はいくつかその口を開き、血を垂れ流していた。
こんな姿の遊姫を前にしてようやく気付いた。俺は何を小さなことにウジウジしていたのだろうと。
「その、悪い。あたしが負けちまったせいでゴローもこんなところに連れてこられたのに、怒ってないわけないよな」
「違う、遊姫」
「安心しろ、なんて言えないけどさ。けど絶対こんなところから助け出してやるからな。だからまずはさっきの親玉みたいなやつのところに行って」
「おい、遊姫」
「そしたらあれだ。もうあたしになんて関わらないで普通の生活に戻って、このあいだ話してくれたみたいにニュースを見る人たちにさ」
「だあああぁぁぁっ!!」
俺の突然の奇声にびくりとなる遊姫。何が起こったのかと目をパチクリさせながら俺を見る。
「ご、ゴロー?」
「遊姫、ちょっとこっち来い。ああいや、俺からそっちに行く」
俺はまだ気だるい体を何とか立ち上がらせる。
これでも恐らくは遊姫のしんどさに比べたら百分の一くらいの辛さだろう。
「ご、ゴロー、やっぱり怒って」
「ああ」
俺は出来るだけ素早く遊姫の目の前まで迫る。
目の前で、チョップを一発。
「おっ!?」
「って避けるな!」
遊姫に軽々と一撃をかわされてしまう。
仕方がないので今度は肩を掴んで逃げられないようにしておく。
「ご、ゴロー……ってあた!」
俺のチョップが軽く遊姫の頭に当たる。もう少し勢いつけても良かった気がするが、満身創痍の女の子にこれ以上怪我を負わせたくはない。
「……ゴロー?」
遊姫はその体勢で固まっている俺を見上げる形でおどおどとしている。
それはそうだ。突然奇声をあげて迫ってきてチョップを一発外して二度目を打って、それでしかめっ面して黙っていれば誰だってどうしていいか分からないだろう。
だから俺は口に出す。
「遊姫、俺はお前と出会えて良かった」
「え?」
「俺さ、結構自分勝手な所があるんだ。だからついさっきまで、遊姫が俺に心を開いてくれてないんだと勝手に考えて落ち込んでたんだよ。この間も遊姫のこと考えずに傷を消そうだなんて軽々しく口にしたのに、そんな事しておいてこんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど」
俺は息を吸い込み、ひと呼吸だけ置いて続ける。
「俺は遊姫に出会えてよかった。俺なんてお前が戦ってる時になんにもしてやれないし、ほとんどどころか完全に足手惑いになってるけど、それでもお前と一緒にいる時間は何より楽しかったんだ。かなり新鮮だった。起こること全部、どれもこれも俺の日常にはなかったようなことばっかりでさ。度肝を抜かれることもあったし冷や汗をかいたこともあったけど、それを帳消しにするくらいの心躍る大事件を俺に味わわせてくれただろ」
遊姫は俺を見上げながら口をぽかんと開けて聞いている。
それは何か新しい発見でもした直後の喜びに震える少年の顔にも見えたし、父親や兄を憧憬する少女の眼差しにも見えた。
「だから遊姫、俺はお前と一緒にいることに後悔なんて一つもない。俺はずっとこれからも遊姫の傍にいたい。役立たずだって言うんなら何か役に立つこと探すから。だから」
ガシャン、と遊姫の手に持っていた剣が床に落ちた音がする。
「ご、ゴロー!?」
「これからも一緒にいさせてくれ」
俺は遊姫を思わず抱きしめていた。
こんなにボロボロになるまで戦って。
本当はこんなに小柄で、華奢と言ってもいいくらい細い体付きで。
「……ゴロー。それは違うぞ」
遊姫の言葉に一瞬どきりとしたが、遊姫の手は、今度はゆっくりと俺の背中へと回される。
「あたしはゴローのこと足手惑いなんて思ったことはないぞ。あたし、戦う時はいつも一人だった。戦う理由もいつも自分勝手なものでさ。だけどゴローが後ろにいてくれると、なんかいつもと違ったっていうか、かなりいい感じだったっていうか」
遊姫は少しずつ少しずつ何かを手探りで探すように言葉を紡ぐ。心の中の思いの断片を言葉として俺に伝えようとしている。
「要するにあれだ。あたしもゴローと一緒にいて嬉しかったんだ。ゴローが信じてくれてるって思っただけで負けられないって力がわいてきたし、やる気も出たんだ。だからゴローが後ろで見守っててくれたのは、足手惑いなんかじゃねえよ」
遊姫はそこで体を離して、またあの時と同じように俺をその手の長さだけ引き離した。
「だけどな、ゴローと一緒にいて気づいたんだよ。あたしって想像以上に頑固でさ。さっきも言ってたけど、あたしまだ色んなことゴローに話してないんだよ。こんな自分が時々嫌になるんだけどさ。そんなんじゃ、こんなにしてくれるゴローに釣り合わないだろ」
釣り合う、か。
ついこの間俺もそんな言葉を出して悩んでいたっけな。
もうそれが遠い昔のことのように思える。
「だからゴロー、これ以上は……」
「遊姫。俺、お前にずっと言いたかったことがある」
遊姫ははっと顔を上げた。
頬を染めて、何かを期待するように、そして、それを恥ずかしがるかのように目をそらした。
「ご、ゴロー、こんな時に」
「こんな時だからこそだ」
遊姫はうつむきそうになった顔をあげて、俺の言葉を待っている。
俺はそんな可愛らしい遊姫に、はっきりと言った。
「お前、馬鹿だろ」
「……は?」
遊姫は目をしぱしぱとさせている。今しがた言われた言葉をよく聞き取れなかったかのように。
「ごめん、よく聞こえなかったみたいだゴロー」
「遊姫、お前馬鹿だろ」
遊姫はそのまましばらく顎に手をやりしばし考え込んでいた。
やがて結論が出たのか顔をヒクヒクと痙攣させながら俺の方を向く。
「お、お前今バカっつったのか?」
「ああ、そうだ」
「ば、バカとかいうなバカとかっ!」
遊姫は顔を真っ赤にして怒っている。
だが、剣幕では俺も負けまいと言葉を続ける。
「馬鹿は馬鹿なんだからしょうがないだろ馬鹿っ! というか言うのをずーっと我慢してたんだよこっちは!」
おおう、という感じで遊姫がたじろぐ。
「大体な、話してても要領得ないことばっかり言うし、会話はワンテンポ挟まないと意味が通じないし、っていうか勝算の意味くらい分かれよっ!」
「しょ、しょうさんってなんだっけか?」
「勝つ見込みがあるって意味だよっ! いい加減三回目なんだから覚えろよこの馬鹿っ!」
「なっ!? 覚えてたわそんぐらいっ! ただちょっと忘れてただけじゃねーか!」
「それを覚えてないって言うんだよ!」
俺たちは子供みたいなやり取りでギャーギャー喚き散らした。
遊姫はよっぽど馬鹿と言われたことが悔しいらしく、本気でムキになっているようだった。
まあ確かに真実ほどこたえる言葉の刃は存在しないからな。
「バカバカって、さっきから一体なんでそんなこと言うんだよっ!」
とうとう涙目にまでなってしまった。
もはや遊姫の弱点だなこれは。
「なんでこんな時にそんなこと」
「遊姫、俺は言っただろ。いつまででも待つって」
俺はわめき散らすのをやめ、真剣な眼差しで遊姫を見つめる。
「はっきり言うぞ。俺はお前がきちんと喋ってくれるまで、いつまでも待っててやる。お前が辛くて話したくないことだったら無理に聞き出そうなんてことは絶対にしないし、それでも俺はお前のことを嫌ったりしない。たとえ話してくれる日が来なくても俺はそれだって構わない」
「ゴロー……」
「だから、さっきみたいな馬鹿なこと、もう二度と言うな」
俺は我慢できなかった。
遊姫が俺を突き放そうとするとき、いつもどこか寂しそうにする。
本当は一人になるなんて嫌なのにわざと一人になるように、心に寂しさと悲しさを抱えたまんま笑うのを見るのは、もうこりごりだった。
俺だって、いや、俺の方こそ遊姫と一緒にいたいというのに。
「で、でもさっきは」
「ん?」
「あたしが何にも喋ってくれないって、ヘリの中で怒ってたじゃないか」
う、そこを突くか。
「あれは怒ったんじゃない。いわば、まあ、一瞬決意が揺らぎそうになっただけだ」
「でもゴロー、あの時の顔すごくさみしそうで、その」
遊姫はしどろもどろに続ける。
やはり遊姫は頑固だ。ここまで熱烈にアプローチしても牙城を崩すことは出来ない。
だが譲れない一線があるのはわかるが、それと一緒に隠している感情もあるのではないか。
遊姫の性格や考え方は、少しずつ俺にも分かってきていた。
だから今の遊姫が、どうしても譲れないものがある時の態度ではなく、自分の一面を見せても大丈夫かと不安になっている時の態度だと気づいていた。
心を許してもいいものかと、悩んでいる時の仕草だった。
あの時、着物女との初めての対決の時、俺に肌を見せるのをためらっていた時のように。
「だからな、その、あたしもそういうの嫌だし」
「遊姫」
「それにやっぱりゴローとは友達でいたいし」
憎たらしい口だ。
このまま放っておけば延々とだだをこねそうだった。
やっぱりダメだとかそういうのはまだだとか抽象的な表現ばかりが飛び出して、一向に先に進みそうもない。
本当にどうしようもなく憎たらしく恨めしく、そして――。
「だから……むぐっ!?」
どうしようもなく愛おしい口だった。
遊姫は驚きに目を見開いていたが、俺はそれをなるべく見ないように直ぐに目を閉じた。
こういう時の礼儀作法は最低限守っておく。
反論を防ぐためにいきなりしておいて礼儀も何もないかもしれないが。
「ご、ゴローっ!? 今何ッ」
また何か言いそうだったので塞いでやる。
今度は遊姫の柔らかい唇もよく味わっておく。
ふるふると震える柔らかい感触。甘いキスとは違って少し鉄の味もしたが。
「はあっ、はぁっ。ご、ゴロー、こういうのはもっと素直になれる女と」
相変わらず学習能力のない遊姫に三度目を食らわせる。
回数を重ねるたびに俺も遊姫も体の距離を縮め、お互いの熱がより伝わってくる。
「まだ何か反論があるなら、言ってみろ」
「ず、ずるいぞ。オトナっていうやつはこれだから……」
四度目。そうさ大人は汚くてずるいのさ。
「ご、ゴロー」
はあはあと荒い息を付きながら遊姫は潤んだ瞳で俺を見ていた。
「も、もう何にも思いつかねーんだけどさ」
遊姫はそう言って体ごと俺に寄りかかるようにして、口にした。
「も、もう一回だけ……」
俺はその言葉の続きも塞いでやることにした。
ギリギリ火曜日の内に投稿出来ました。本当にギリギリでしたが。
しばらく連続投稿はお休みします。次は来週の土曜、16日から続けていきます。
感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。




