Ⅻ 蘇る芳香(前編)
優雅にパーティーへと溶け込んでいた彼女は、しかし背中にこの場にそぐわない禍々しい凶器を引っさげていた。
「こんばんはゴローさん。今夜は月が綺麗ね」
白を基調とした花柄の着物。
花の部分は赤や黄で彩られており、艶やかでかつ優美な意匠はこの女によく似合っていた。
「お前、どうしてここに」
「あら、不躾なお返事ね。レディーに恥をかかせるものではないわよ」
「夏目漱石風に聞いたんだったら答えは‘No’だ」
俺はいま自分がなすべきことを考えた。
周りのパーティーの客たちも徐々に彼女の存在に気づき始めている。背中に背負ったあの鉄の塊を異様に思っている者も何人かいるだろう。
「本当に無粋ねゴローさん。ユウキちゃんに気兼ねするんだったら今晩だけの関係でもいいわよ?」
「何言ってるかサッパリ分かんねえけど」
遊姫は俺と着物女の間に割って入る。
俺は携帯電話を取り出し素早くダイヤルを押す。
「ここでやろうってのか?」
遊姫は一見強気を崩していないが、その声には僅かばかり焦りが混じっているのに俺は気づいていた。
それはそうだ。
今遊姫は丸腰なのだ。
いくら遊姫が超人的な身体能力の持ち主であろうと、今はドレスを着込んだただの少女。
「ゴロー、ちょっとやばいぞ」
「ああ、分かってる」
俺と遊姫は小声でやり取りする。やはり遊姫もこの状況では厳しいらしい。
「最悪、足止めくらいはしてやる。ゴローは全力で逃げろ」
「馬鹿言え。お前をおいて俺だけ逃げられるか」
遊姫はその言葉を聞いて何故か少し顔を赤らめる。
「お、お前。こういう時だからってカッコつけんな」
何かを誤魔化すように遊姫は続ける。
「じゃあせめてあたしが時間を稼ぐから、その間にあたしの剣取ってきてくれ」
「……ああ、分かった!」
確かにこのまま二人で仲良く斬り殺されるよりは建設的な意見だった。
俺が戻ってくるまで遊姫が持ちこたえてくれればまだ勝機があるのだ。
俺がそうして一歩踏み出そうとしたとき、それを遮るかのように着物女から声が飛ぶ。
「お探しのものはこれかしら?」
袖に隠していたのだろう。着物女の手には俺と遊姫がよく見慣れたものが握られていた。
「お、お前それっ!?」
「ふふ、更衣室から先に取ってきてたの」
そう言って怪しげに微笑んで両手でそれを掴むと、妖艶な仕草で鍔の部分に口づけした。
鍵のかかった独特の鍔へと。
「もう、二人ともこそこそナイショ話ばっかりして。私をのけ者にしないでよね」
状況は最悪だった。
遊姫の剣は既に敵の手の中にある。恍惚そうに顔をうっとりとさせる着物女。
彼女は遊姫に対して今圧倒的なアドバンテージを誇っていることになるのだ。
遊姫の顔は、さらにこわばっていた。
そのタイミングで俺の携帯電話がようやく繋がる。
「あ、もしもしデスク!」
着物女も、そして遊姫も俺が電話をかけた相手に意表を突かれたようだった。
「事件です! 着物女が襲撃してきて、ええ、はい例の。ええ、かなりヤバめな状況です」
俺は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。着物女も遊姫も目をパチクリさせながら俺を見ていた。
「ええ、お願いします! それで……え、労災降りないんですか?」
最後のやりとりは少しこの場の緊迫感を削いだな。
「ええ、では」
そう言って俺は携帯電話を、その(・・)まま(・・)ポケットにしまう。
「意外ね。てっきり警察に電話するのかと思ったのに」
「うちの上司に連絡すればそっちにも話をつけてくれるしな。それに警察よりもうちのやつらのほうが足は速い」
「ふふっ、面白い人ね。同じ記者さんに助けなんて求めてどうするのかしら?」
着物女は本当に楽しそうに俺と会話する。
こいつがこんな狂気にかられた奴じゃなきゃ、女友達としては申し分ないのになと一瞬思う。
「助けなんて最初から求めていないさ。どうせ警察だってお前には歯が立たないだろうし、どの道俺が呼ばなくても警察にはホテルの従業員がそのうち連絡するはずだ」
「でも、記者さんが代わりにこの場に来て、この状況をどうにか出来るのかしら?」
「出来ないさ。ただ、ここで起こったことを伝えることはできる」
「……伝える?」
着物女は不思議そうな顔をした。
確かにここで俺が取るべきは助かる、生き残るといった類の行動だったのかもしれない。
けれど俺にはそれが見つからなかった。
いざ自分で自分の身も守れないとは。今まで危険を遊姫に押し付けてきたバチが当たったのかもしれない。
だから代わりに、俺に出来ることを選んだ。
「そうさ。ここで起こったこと、これから起こることを世間の皆様にお知らせするのさ。最悪俺たちがどうにかなっても、ここで起こる事件の張本人のことは世間に知れ渡る。そうやってみんなの知りたいっていう欲求を満たすのが俺の仕事だ」
「呆れた。こんな時でも仕事熱心なのねゴローさん」
「何とでも言え。確かに俺は情けない。こんな時でも遊姫を助けてやれないし、代わりに戦って守ることも多分出来ない。だけどだからって諦めてたまるかっ!」
俺は遊姫のさらに前に踏み出す。
着物女と正面から向かいあう。
「勇ましいわねゴローさん。それで、どうするつもり?」
「……一発くらいはぶん殴ってやる」
「やめとけよゴロー」
後ろから比較的冷静な声が聞こえる。
「悪いけどお前じゃ指一本ふれる前にばっさり斬られるぜ?」
「あー……やっぱりそうか」
「ああ。だからここはやっぱあたしの出番だろ」
そう言って遊姫は俺の更に一歩前へ出る。
「それとなゴロー、お前は情けなくなんかないぜ」
遊姫は後ろを振り返るようにしてこちらを向いた。
着物女を前にしてそんな隙のある行動を遊姫がとったのが少しだけ意外だった。
「正直な、あたしはちょっとだけビビってたんだ。けれどお前のおかげで、なんかたぶん大丈夫そうだ」
「そりゃよかった」
俺に出来ることなんて、本当にこの程度しかないからな。
「あたしも一発くらいぶん殴ってやるさ」
「うー、ゴローさんもユウキちゃんも私を無視して盛り上がっちゃってー」
ふてくされるようにぶーぶー文句を言う着物女。
何というか、本当にこいつはやっていることと態度が噛み合わないことこの上ない。
「全くもう。それに二人とも早計なのよ」
そう言って着物女は俺たちが予想もしていなかった行動に出た。
「はい」
剣は着物女の手から宙に放たれ、本来の主である遊姫の手の中へと戻る。
「……何のつもりだよ」
着物女が投げてよこした剣を受け取りつつも緊張感を高める遊姫。
俺も遊姫も着物女の行動の意図が理解出来ない。
「何のつもりって、元々そのつもりで持ってきたのよ」
着物女はニコニコとしている。それが当然と言わんばかりの笑顔だ。
「だってつまらないでしょ? 無抵抗の相手を倒したって。それに私一度ユウキちゃんに敗れてるしね」
着物女は、そう言って後ろに手を伸ばす。
背中からガキンと金属質の大きな音がして、それがとうとう引き抜かれる。
「つまりはあれよ、リベンジってわけ」
鬼に金棒、ということわざがある。
桃太郎などの童謡に出てくる鬼が持っている鉄製の棒のことを金棒と言うが、あれをまず想像してもらいたい。
鉄製の、丸太のような太い棒に刺が生えたようなアレの、棒の部分を取り払ったらあんな形だろうか。
無数の、刺だけで出来た剣。
茨の蔦のように剣の芯の部分は鉄が編みこまれ、そこから大小様々な大きさの刺が所狭しと生えている。
まるで絡み合う薔薇の蔦を金属にしたかのような、芸術作品のような美しささえある。
よく見れば刺の一本一本に沢山の筋が入っていて、細かく肉を裂けるようになっている。見た目の禍々しさに違わぬ武器のようだ。
「さてと、そろそろ始めましょうかユウキちゃん」
そしてその重量のありそうな見た目を裏切り、着物女はそれを楽々と振り回している。いや、恐らく見た目からして軽量なはずがない。
驚嘆すべきはそれを可能にする着物女の怪力だ。
まさしく、鬼に金棒だった。
「お、おいあれ!」
その禍々しい刺付きの剣を引き抜いたあたりで、ようやく周りも危機感を抱く。
「あいつ、我社を襲撃した!?」
「あの女がどうして!?」
一部の人間は彼女の正体にも気づいた。あの坂田氏や前田氏もこの場にいるのだ。遅かれ早かれ気づくはずだった。
「ギャラリーがうるさくなってきちゃったわね」
着物女がそう呟いた時、爆音と共に壁が弾ける。
「なっ!?」
俺は息を飲んだ。
初めの爆発を皮切りに、俺たちのいる側と反対側の壁が次々に弾け、火が出る。
「お、おいっ! 爆発!?」
「きゃあっ!?」
「逃げろ!」
破片が飛び散り、煙が湧き、悲鳴が響き渡る。
数回の爆発で向こう側の壁は無残にも穴だらけになり、煙と火がもうもうと立ち込める光景が現在進行形で人々の恐怖を煽る。
会場はものの数秒で半狂乱状態になっていた。
「大げさねえ。仮にもセキュリティー会社の重役達でしょう?」
「お前っ! まさかあれ、爆弾か!?」
一体いつの間に仕掛けていたというのだ。
「やあねえゴローさん、そんなムキにならないで。音と見た目は派手だけれど大した威力はないのよ」
大混乱の会場の中で、遊姫と着物女は対峙している。
ここだけが周りの喧騒と隔絶されたかのように、静かににらみ合う二人。
「こうすれば邪魔なギャラリーは出て行ってくれるでしょ」
「……それだけのためにかよ」
遊姫は静かな怒気を孕ませた声で言う。
「お前、あたしにリベンジするためだけにこんな周りまで巻き込むことしたのかよ」
「私だってそこまで思慮分別のない女じゃないわ。別の目的だってある」
静かに闘士をたぎらせているのは恐らく着物女もなのだろう。
口調もだんだんと落ち着いて、身のこなし一つ一つに緊張が伝わる。
「そうそう、その剣だけど、どこにも鍵が見つからなかったから持ってこれなかったのよ」
「それなら心配いらないぜ」
遊姫はどこに持っていたのか、その手にはあの剣の封を解く鍵が握られていた。
「肌身離さず持ってるからな」
「そう、よかった。手加減されて勝っても面白くないのよね」
「悪いけどな、着物女」
遊姫の手元でぱちりという音がする。
光の剣が放たれる時の合図だ。
「ちょっとお前には後悔してもらうぜ」
その言葉を皮切りに、二人の戦端は切って落とされた。
今回も何日か連続して投稿していこうと思います。今週は火曜日まで連続で投稿する予定ですので、お付き合いください。
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