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Ⅸ 刀剣古今奇美の調べ(後編)

 遊姫の腕から白い包帯が取り払われる。

 代わりに現れたのはそれに負けない白い肌と、そして――。


「あら、変わった格好をしてると思っていたら、そういう事だったのね」

「カッコウでお前にとやかく言われたくねーよ」

 遊姫の、傷だらけの腕。


 傷というより正確には傷跡か。最初見たときは気づかなかったが、どれもこれももう一年以上は経過した古傷だ。

 遊姫の引き締まった、それでいて女らしい緩やかな曲線を持つ腕。

 傷と傷の間の白い肌は美しく、それがより一層浮き上がった無数の傷跡を目立たせる。


 遊姫の体は、小刻みに震えていた。


「ゴロー、ごめんな」

 精一杯気を強く持っているのだろう。震えながらもいつもの遊姫の声だ。

「なんで謝るんだよ」

「お前、あたしのこと美少女って言ってくれただろ。なのにこんなあたしでさ」

 俺と遊姫が再会したあの日、ポロっと出てしまった本音。


「何言ってんだよ。お前、どこからどう見ても美少女だよ」

「……それはちょっと無理があるぞ」

 遊姫は自分の腕をさする。

「こんな傷モノの美少女がどこにいるんだよ」

「遊姫、たとえお前がどんな体だろうと、顔はめちゃくちゃ可愛いんだからもっと自信持て。お前を美少女と思わない奴なんていないさ。お前はとびっきりの美少女だ。俺が保証する」


 遊姫は俺の言葉にぼっと顔を赤くする。

 多分俺の顔も同じくらい赤いだろう。

 これ、愛の告白より恥ずかしいかもしれない。


「罪な人ねゴローさん」

 着物女は、険しい顔を少しだけ崩していた。

「ユウキちゃんにあんな顔させちゃって。愛しい人が目の前で殺されるシチュエーションなんて、女にとって何よりの不幸よ」

「俺が遊姫にとってそうなのかは分からないが、その心配はないな」


 遊姫が負けそうになった時、俺はここに遊姫を連れてきたことを心底後悔した。

 だが、もうその心配をする必要なんてない。


「遊姫は、お前に勝つって言ったからな」

「……後悔しても、もう遅いわよ」

「それはもうさっきしたさ。だからこれ以上はない」

 俺ははっきり、そしてきっぱりとそう言ってやる。


「来いよ、着物女」

 ぱちり、と音がする。

 遊姫も剣を後ろに下げて同じような構えをとっていた。

 だが着物女よりも腰をひねり、剣が後ろに隠れるほど深く構えている。


「ユウキちゃん、楽しかったわ」

 着物女は静かにそう言った。

「ゴローさんの敵打ち、いつでも受け付けるからね」

「勝手にゴローを殺すなよ」

 軽口をはさんで、その直後。


 着物女が駆け、鮮血が飛ぶ。

 遊姫の叫び声が聞こえ、そして――。


 一筋の光が、そこを通り抜けた。


 遊姫の体が崩れ落ち、地面にどさりと音を立てる。その直後に遊姫の剣の鞘が同じように地面に金属音を響かせる。


 そのしばらく後、幾何学的な模様の刃が高音を響かせて落下したのだ。


「な、に……」

 着物女は傷ひとつ負っていなかった。

 だがその手には白木の柄と、わずかばかりに残された刀身しか残っていない。


「速さじゃお前に勝てないからな」

 遊姫は膝をついたまま口を開く。

「ちょっと強引な手だったけどな」

 そう言って遊姫は血まみれの左手を見せる。その手には遊姫の腕に巻かれていたあの包帯。


 遊姫は、これを狙っていたのだ。


「包帯をクッションにして、私の刀を素手で受けるなんて……」

 遊姫は着物女の神速の攻撃を、何と手で受けていた。


「ホントはカッコよく白刃(しらは)()り、なんてしてみたかったんだけどな。流石にあんたの速さじゃ決める自信なくてよ」

「それで少しでも私の攻撃を遅らせるために一度手を緩衝材にした。包帯を隠す為に左手が隠れるほど深く刀を構えた。それは分かったわ」

 着物女は一旦遊姫から目線をそらし、地面に転がっている自分の愛刀の刃を見つめる。


「けれど私の刀は言うほどやわじゃないのよ。確かに強度は低いけれども、それでも一度や二度刀をぶつけられた程度では折れない。まして左手くらいならばっさり切り落とすだけの威力はある」

 着物女は、遊姫の右手の剣を見る。


「あなたの一撃も相当な速さだったわね。手をクッションにしたとは言え私と互角の速さ。なのに威力だけ桁違いに大きかった」

「生憎だが、あたしのコレも結構軽いんだ。それに」

 遊姫は月の光で輝く自分の剣を、自慢げに持ちながら言う。

「打ち合いのケンカなら、どんな刀だろうとこいつにゃ勝てねーんだぜ」


 光り輝く剣。

 遊姫はその正体をダイヤモンドと言っていた。


 本当のところは分からないが、もしそれが事実なら、この世界であの剣に勝てるモノなど存在しないことになる。

 何故なら、ダイヤモンドは世界最硬の金属だ。

 小学生でも当たり前のように知っている。この地球上ではこれ以上硬い物質が存在しないということを。


 例えどんなに鍛え抜かれた鋼だろうと、元々の金属の限界を超えることは出来ない。つまり武器破壊として考えるなら、これ以上の武器は存在しないのだ。

 現代科学で考えうる限り、間違いなく世界最強の剣だ。


「ふっ、あは」

 着物女は唐突に表情を崩した。

「なるほどね。まさかそれ、ダイヤモンド? だったら確かに勝てっこないわね」

「いや、ダイヤモンドだけどダイヤモンドじゃないんだぜこれ」

「……まあいいわ。私の負けよ」

 着物女は静かにそう告げると、ほとんど柄だけの刀をしまう。

「一番の獲物が壊された以上、潔く引かせてもらうわ」


 遊姫は打ち合いで勝ったとはいえ既に満身(まんしん)創痍(そうい)だ。着物女が引き下がってくれるのは正直ありがたいだろう。

 だが、踵を返して立ち去ろうとする着物女を、誰であろう遊姫が呼び止める。


「待てよ着物女」

「なあにユウキちゃん? まだやるって言うならお相手するけど」

「斬られるってな、めちゃくちゃ痛いんだぜ」

 遊姫は怒るでもなく落ち込むでもなく、ただ毅然(きぜん)とした様子で言い放つ。

「殴られても確かに痛ぇけどよ、斬られた時と違って血は出ねえしいつかは治るんだ」

 遊姫の体に刻まれた無数の傷跡。

 それが無言で何かを訴えかけているようだった。


「お前のシュミがぶっちぎりで最悪なのはわかった」

「ひどい言われようね」

「けどお前、ホントにそういうのが好きなのか? 体斬り刻んだりだの血を流させたりだのが、ホントに心の底から好きなのか?」

「あら、どうしてそんなことを聞くのかしら」

「お前の刀の使い方、どっちかってーともっとマジメなやつの感じがしたから」


 遊姫の抽象的で分かりづらい表現を受けて、着物女はしばらく無言を通した。

 ややあって、ゆっくりとその唇が動く。


「私は、そんなに立派な人間じゃないわ」


 それは、着物女が見せた初めての顔だった。

 妖艶な美女の顔でもなく、狂気に満ちた獣の顔でもない。

 悩める普通の少女の顔。


「男の人の体を斬り刻むのが楽しいのは本当よ。苦痛に悶える顔も好きだし、血しぶきを浴びながら(くわ)える殿方のモノの味は格別だもの」

 この女、またとんでもないことを言ったな。

「でもそうね、ユウキちゃんを見てたら何だか少し、違う喜びも見つけられそう」

 着物女は俺と遊姫を交互に見る。


「私も、さっきのユウキちゃんみたいに顔から火が出るような台詞、言われてみたいもの」

 遊姫は着物女のその言葉を聞いて、再び頬をバラ色に染める。俺もまあ、同様に。

「ふふっ、また会いましょう」

 着物女は素早い身のこなしで門の方へと駆けていった。

 あっという間に離れていき、気がついたときには背景に紛れるようにして消えていた。


「……逃がしちまったな」

「ああ、逃げられたな」

 俺と遊姫は、ポツリポツリと呟いた。

「ちょっと、やばかったかな今回は」

 遊姫は自分の左手の手のひらと足を交互に眺めて言った。


「大丈夫そうか、遊姫」

「流石に痛いな。ちょっとしばらく立てそうにないし」

 遊姫はそう言うと、バツの悪そうな顔をして俺に話しかける。


「ご、ゴロー。あたしの傷、どう思った?」

「え、どうって……」

「や、やっぱその、気持ち悪くないか?」

 遊姫はまたしてもおどおどモードに入ってしまったらしい。

「女がこんな体じゃ」

「グダグダ言うなって。そんなもん、全然気にならねえ」


 遊姫にとっては克服し難いコンプレックスなのだろう。

 年頃の娘がこんな傷だらけの体だったら相当きついはずだ。


「遊姫、俺はお前に本気で引いてるように見えるか?」

「う、ううん。見えない」

「俺はお前のこと可愛いって思うし、そんな傷なんて気にならないほどお前のことが好きだ。だからもっと自信を持て」


 遊姫は俺の言葉に目を丸くしていた。

 口がぽかんと開いて頬もいい色になっている。

 ……あれ、俺そこまで感動させるようなこと言ったか?


「い、今、好きって」

「あ」


 顔から火が出る、なんて表現を先ほど着物女も使っていたが、実際にこんなに熱くなるものだとは知らなかった。

 遊姫も目に見えて顔が赤くなっていく。

 さっきも赤かったが、もう一段階濃くなる。

 それほどまでに赤く。


「好きって、好きって……」

「あ、あああっ!」

 一体これからどうすればいいのかという思考が頭の中を満たす。自分の意図していないタイミングでの告白は二度目だが、今度のは以前のと違ってちょっとでかい。


「ああ、ゴロー! そういえば写真とか取ったのか、着物女の」

「あ、ああっ! すっかり忘れてた」

 結論として、俺も遊姫も逃げた。


「お、お前意外と抜けてんだな!」

「い、いやあ、失念してた!」

 俺も遊姫もこれでもかというくらいの棒読みで言葉をつなぐ。

 正直、自分がこんなに大胆なことを口走るとは思っていなかったので、遊姫がうやむやに流そうとしている以上それに乗っからない手はなかったのだ。


 ……少しだけ、名残惜しい気もしていたが。


「そ、その、あの、ゴロー」

「う、うん?」

 興奮冷めやらぬまま、遊姫もたどたどしく何かを口にしようとする。

「お前、自分の大切な話、着物女が来る前にあたしにしてくれたよな」

「ああ、あの話か」

 俺が新聞記者として何をしたいか、という話だ。


「あたしのほうはいつになるか分からないけれど、でも、いつか、きっといつか」

 遊姫は勢いをつけてまくし立てる。

「いつかあたしのこの傷のこと、話すから、聞いてくれるか?」

「……ああ、分かった」


 遊姫にとっては恐らく触れられたくないことだ。


 本当は触れないでおくのが優しさなのかもしれない。

 そのままそっと遊姫の心の中だけに留めておくのがいいのかもしれない。

 けどそれでは、いつまでたっても遊姫は自分の傷を、そのコンプレックスを一人で抱えたままだろう。

 一人でずっとその重たい荷を背負って生きていかなければならない。

 俺には実際の傷を癒してやることなんて出来ない。けれど心にできた傷ならば、一緒に受け止めることは出来るはずだ。


 俺に出来ることなんてそんなことくらいだ。


 ならば俺は、いつまででも待つ。


 遊姫が心の整理をつけて、話してくれるその日まで。

「さっきの返事も、その時にな……」

 ぽろっと、まるでどさくさに紛れるようにそう付け加える遊姫。

「……え?」

 前言を撤回してもいいだろうか?


「ちょ、ちょっと待て遊姫!」

「こ、この話はここで終わりだ終わりっ!」

「い、いや待て! 今心の中でいつまででも待つとか思ってたんだが、いつだ!? いつになったら話してくれるんだ!?」

「い、いつかはいつかだ! それまで待てっ!」


 俺と遊姫はそんな調子で、SAKの警備員が見かねてやって来るまで延々と問答を繰り返していた。

 月夜の下、顔を赤く染めた男女がギャーギャーといつだいつかだと騒ぐ様子は、今思い返せばやっぱり奇妙なものだった。


 こうして、俺と遊姫の長い夜は幕を閉じた。

 着物女の襲撃の目的や遊姫の傷の秘密。俺にとっては結局分からないことのほうが多いが、それでもいいと思えた。


 いつまででも待つ。俺は確かにここでそう決めたのだから。


今回も何日か連続して投稿していこうと思います。今回は火曜日までは連続で投稿する予定ですので、お付き合いください。


感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。

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