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プロローグ

 あの事件について、俺の知りうる限りを記そう。



 始まりはちょうど今から四年前の、ある晴れた日の朝。

 俺こと峰岸悟郎(みねぎしごろう)は、生まれて初めて事件に遭遇(そうぐう)する側になった。


 記者人生を歩み始めて早二年。

 これからが仕事の(さか)りだと言わんばかりに情熱を燃やしていたし、自分の職業にも誇りがあった。

 先輩記者からはまだまだ青いと笑われていたが、それなりに自分のやり方が板についてきたと実感してもいた。

 あれはそんな矢先に起こった出来事である。


 満員電車を降り、俺は通勤ラッシュの街道を他の(せわ)しないサラリーマン達と共に歩いていた。

 姉が車を壊してからはや三週間、いい加減に慣れつつある会社へのいつもの道。何の変哲(へんてつ)もない俺の日常の一場面だった。

 そこの途中、大通りから細い路地へと入るカーブを曲がったところに、工事中のビルがあった。


 狭い十字路になっていて、車が一台通れるかというような広さだ。通勤時間帯にはいくらか賑わうが、この時間を除いては人が集まるような場所ではなかった。

 いや、その日は特に人が少なかったような気もする。


 俺がそんな通りを歩いている中、どこからかざわめきが起こった。

 それは水の波紋(はもん)のように静かに、だがやがて大きく広がった。

 そして鋭い悲鳴と、同時に怒鳴るような叫び声が耳に届いた。俺の周りにいた人たちも同じ声を聴いたのだろう、皆ふと顔を上げ、そして何人かはそのまま視線を俺のほうへと向けていた。


 正確には、俺の頭上に迫る鉄骨へと。


 俺は生まれて初めて、死ぬ間際に視界に移る映像がスローモーションで流れるということを実感した。

 ゆっくりと赤茶色の、文字通り武骨なIの字型の鉄骨が真っ直ぐ向かってくる様を見て、今日の電子版ニュースの記事になるだろう文面を想像する。

 記者が一名、工事中のビルから落下した鉄骨の下敷きになるという内容を。


 最悪の結果が待ち構えているのにも関わらず、ひどく心は落ち着いていた。

 青い空が視界に入る。雲一つない快晴の日に、ああ、俺は死ぬのだ、とそう思った。


 次の瞬間、目の前に飛び込んできた映像はまさに衝撃の一言だった。


 俺の眼前(がんぜん)を何かが、いや、誰か(・・)が横切った。


 青い空に浮かぶ茶髪のポニーテールと白い長袖のワイシャツ。

 都会の空よりももっとくすんだ色の青のデニムのショートパンツに、そこから滑らかな曲線を描く黒いハイソックス。

 その手には、全身の半分ほどある黒い棒が握られていた。


 全体的に暗いシルエットの中、唯一日の光を受けて(きら)めいた茶髪が宙を泳ぎ、次いで、影が持っていた棒からぱちりと金具を外すような音が聞こえた。


 棒からはまばゆいばかりの光が放たれた。


 思わず息をのんだ。それはまるで、太陽の光をかき集めたものを、そのままばらまいているようだった。

 俺と鉄骨の間に割って入った人影は音もなくそれを振りぬいた。俺に迫りつつあった鉄骨に向かって。

 光は素早く鉄骨を切り裂いた。

 いや、記者として正確に表現するが、あれは切り裂いたのではなくそこを通り抜けたかのように滑らかに分断したのだ。

 まるでSFに出てくるビームサーベルのように抵抗なく鉄骨を真っ二つにした。


 刹那(せつな)、耳に響く轟音(ごうおん)。ちょうど俺の左右五十センチほど離れたところに二つに分かれた鉄骨が落下した。

 鋭い地面の揺れが足に伝わる。俺はここに至ってようやく、今起こった身近な死の可能性に恐怖した。

 砕かれたコンクリート、地面に刺さる鉄骨。直撃を受けていたら、間違いなくミンチになっていただろう。


 あと数十センチ先に確実な『死』が文字通り転がっていたのだ。


 耳を覆いたくなるほどの音がまだ鳴り響いている中で、鉄骨を真っ二つにした人影はようやく長い跳躍を終えて、俺に背を向けながら地面に足を付けた。


 俺は仰ぎ見るようにその人物を見た。

 細身で、しかしどことなく風格を感じさせる(たたず)まい。

 すらりと伸びた細い脚を黒いハイソックスが引き立たせる。続く青のデニムのショートパンツが魅せる引き締まったヒップライン。


 読者の方ももう何となく感づいているだろうが、目の前の人物は女性だった。


 白いワイシャツには袖のあたりに青い線がワンポイントで入っているだけで、取り立てて目立った特徴はなかった。

 だがその代わりに先ほどと印象、というか見え方はだいぶ違っていた。

 ワイシャツは長袖ではなく半袖だったのだ。


 何故そんな見間違いなどしたのかと考える前に、答えがすぐに目に映る。

 俺が長袖の一部だと思っていた肘から先には、白い包帯が巻かれていたのだ。

 一体どんな大けがをしたのか、半袖のワイシャツの先から手の甲に至るまで、丸々すっぽりとそれで覆われている。


 そして、その手の中には黒い棒と、あの光をばらまいた剣。


 俺が言いようのない思いと疑問に(とら)われていく中、彼女が茶髪のポニーテールをなびかせて振り返る。

 少女だった。

 キッと結ばれた口元や端が吊り上った鋭い目つき。

 整った顔つきなのだが表情はきつく、美人と形容するにはいささか幼さが抜け切れていない。年齢を考えれば十分すぎるほど魅力的な少女だったのだが。

 その少女の瞳が俺を(とら)えていた。

 まっすぐ、迷いなく俺を見つめて、それから表情を変えずに、(わず)かに肩だけを上下させた。

 彼女はそのまま顔を上げ、まっすぐに空を(にら)み付けた。容赦なく鋭い目が射抜くように、力強い意志がそこに宿っているかのような、強烈な視線だった。

 

 誰もが固唾(かたず)をのんで見守っていた。

 彼女の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を。

 彼女の視線の先には何があるのか、彼女は次に何をするのか、この場の空気が全て彼女に支配されていた。

 この場の誰もが、彼女に興味津々であった。


 そんな中、意を決したように彼女は目を伏せ、すう、と息を吸い込み――。

「バカ野郎ぉ! 危ねぇだろ!」


 ……彼女が発したセリフを理解するのに、俺はほんの少しだけ時間を要した。

 だってそうだろう? 何か不思議なことが起こりそうな非現実世界にほんの少し足を踏み入れた後に、まるで明日は月曜日だと急に現実を思い出して、それを認めたくないと拒絶するかのような気分だったのだから。

 だからよく考えれば至極(しごく)まっとうなその叫びに、俺も、そして俺の周りで成り行きを見守っていた人達も皆意識を現実に引き戻されたのだ。

 それが今回の(くだん)の少女、姫山遊姫(ひめやまゆうき)との出会いだった。



 彼女とともに体験した、一生に一度出会えるかどうかという大事件。

 彼女はその当事者となり、俺はそれに巻き込まれる形で彼女と行動を共にした。

 一緒にこの世界の秘密の一端に触れたのだ。

 もちろん当時は、それが世界の命運を左右する出来事だったなんて認識は最後まで持たずに、俺は当たり前のように彼女の(そば)にいただけだ。

 今思えば、この出会いから俺の人生は大きく変化していった。ありていに言えば、刺激的で、波乱万丈な、充実したものとなったのだ。

 あり得ないような非日常が、当たり前になるような日常へと。

 例えそれが、誰かに仕組まれた人生であったとしても、俺はこの出会いを後悔していない。



 これは、誰よりも強く、そして誰にも言えない秘密――傷と罰を背負った、とある少女との冒険譚(ぼうけんたん)である。



投稿は毎週金曜日と、月~水の間のどこかで定期的に行っていこうと思います。感想、意見はいつでもお待ちしていますので、よろしくお願いします。

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