少年とお弁当
「弁当、作ってきたんだ」
例えば昼休み。そんなことを言ってくる奴がいたら諸君はどう思うだろうか。
それを言ったのがコワモテ系男子であったなら、どう思うだろうか。
西暮長春が教室に来てそう言ったのは、俺が購買にパンを取りに行こうとした時だった。
「男の作った弁当を食う気はない」
俺の場合、その誘いをきっぱりと断った。
ただでさえ昨日教室内で俺の株が暴落したばかりなのに、その上こんな顔の恐ろしい男子とデキているなんて噂になっては生きてはゆけないからだ。
「そ、それじゃ俺の気持ちが収まらない。受け取ってくれよ!」
「アホか! 誤解されるような言い方をするな! そんな言い方をされたら余計受け取れないだろうが!」
周囲の生徒が何事かとこちらを見る。見てから、西暮の風体を見て慌てて目を逸らした。
「いや、アンタには世話になったし、姉ちゃんが悪いことしちゃったしさ」
頼もしい奴と思わないでもないが、おそらく現在進行形で俺の株は下がり続けているに違いない。
「それに、姉ちゃんのことで話があるんだ」
こんな強面にそんなことを言われると、姉ちゃんに近づくんじゃねぇぶっ殺してやるとでも言われるのではないかと警戒してしまうが、弁当を作ってきておいてそれはないだろう。
マフィアは殺す前に相手へと贈り物をするそうだが、その類ではないと信じたい。
「仕方がない。受けて立とう」
悩んだ末、俺は結局そう答えていた。
あのお姉様と仲良くなるためならば、多少のリスクは覚悟せねばならない。
ていうかそうでないと、昨日何で殺されかけたのかわからなくなってしまう。
「そっか、良かった」
しかしこいつの作った弁当を食べるには、やはり毒味役が必要である。
「うぃーっす、購買行こうぜヒラク」
そんなことを考えていると、ちょうど良いところに原田が来た。持つべきものは親友である。
「って、あれ、ゲンちゃん。何してんだ?」
「ハル……」
などと俺が思っていると、西暮は原田を見てそんな風に呼び、不思議そうに俺たちを見た。
その時の俺もおそらく、原田と同じ表情をしていたと思う。
◇◆◇◆◇
「なるほど、小学校からの幼なじみか」
弁当を咀嚼しつつ、俺は原田の説明に頷いた。
場所は昨日バレーボールアタックを食らった非常階段の踊り場。
階下でバレーボールを行っていた女子達は、今日はいない。
む、この牛蒡の煮付けも美味いな。
「そうそ、家が近くてな。学年が違うせいで高校では中々話せなかったけど」
「学年が、違う?」
その中で、不思議な単語が出たので聞き返す。
「知らなかったのか? こいつ一年だぞ」
「はぁ!?」
すると原田がとんでもないことを言うので、俺は思わず口の中の米粒を奴へ飛ばしてしまった。
こんな厳ついやつが、三年ならまだしも一年だと!?
「あれ、言ってなかったっけ?」
西暮といえば、今更といった感じでとぼけた声を出す。
「敬語を使え敬語を! 変なところだけゆとり教育発揮しやがって!」
こんな美味い弁当を作るくせに目上に対する礼儀は出来ていないとか、よく分からんバランス感覚をしやがって。
現代の若者を憂いながら、俺は唐揚げを噛みしめた。
あ、サクサクしてる。
「で、お前はなんで通い妻みたいなことされてる訳?」
さてはこれ冷凍でも昨日の残りでもないなと俺が当たりをつけていると、今度は原田からこちらへと質問が飛んだ。
気色の悪いことを言わんでほしい。
陰鬱な気分になった俺は、目線でお前が説明しろと西暮に訴えた。
「俺が巻き込まれた厄介事を、えーと先輩が解決してくれまして……」
「やっぱり無理して敬語を使わなくていいぞ。気持ち悪い」
だがへりくだるこいつの態度があまりにも似合わないので、途中でダメ出しを入れる羽目になる。
どうすりゃ良いんだよと西暮がすねたような視線を送ってくるが、気持ち悪いだけなので当然無視。
「お前が男を助けるぅ……? あぁ、こいつの姉ちゃん狙いか」
すると、今度は原田が疑いの目で俺を見た。だから男にそんな顔で見られても嬉しくない。
「無論その通りだ」
「え、そうなの!?」
こんな恐ろしげなやつを助ける理由として、他に何があるというのか。
だというのに、俺が頷くと当の西暮は驚いたような声を上げる。
「……こういう奴なんだよ。こいつは」
そんな西暮に対し原田は同情的な目を向けるが、いやだって普通はそうだろう。
「まぁ、悪いやつ……害のあるやつじゃないから」
「今何で言い直した」
俺に対するフォローめいたことも口にする……かと思ったが、それはどちらかと言えばけなす方向にベクトルを向けた言葉だった。
しばらくうぅむと唸っていた西暮だが――。
「まぁ、俺が助かったのは事実だし」
と、俺がキンピラゴボウを咀嚼し終える頃にはそう結論づけた。
どうやら、動機はどうあれという方向に落ち着いたらしい。
「んで、どうだった? 話ぐらいはできたのか?」
奴の精神が安定してから、原田がゴシップ好きの主婦のような表情で俺に尋ねてくる
「話どころか結婚一歩手前まで行ったさ。婚前交渉までしたと言って良い」
それに対して、俺は事実だけを淡々と述べた。凶器あり台本なしのデスマッチであったが、大人のプロレスだったことに相違はあるまい。あとだし巻き卵はもうちょっと甘いほうが好きだ。
「て言うことは、ぶちのめされたか。まぁ挑んだだけ度胸あるよ」
だが原田は、俺の雅溢れた発言から味気のない結論だけを取り出すと、慰めるように肩を叩く。
ついでに唐揚げを一個奪おうとするので、肩の手は払いのけて手は箸でつついた。
「いでっ」
どうやら原田も、彼女と結婚する条件を知っているようだ。
奴に俺と彼女との関係を勘違いさせて外堀から埋めていくという作戦は諦め、俺はため息をついた。
「あんな動きをすると知っていたら、ちょっとは躊躇ったんだがな」
まぁ彼女との結婚チャンスが転がっているというのであれば、結局は戦いに行っただろうが。
「何だ、知らなかったのかよ。こいつの姉ちゃんって結構有名なんだぜ」
原田が呆れたような顔で見てくる。
「バストサイズが百なのは知ってるぞ」
「身内がいるときにそういう話はやめて」
張り合った俺が、手持ちの情報を挙げると、彼女の弟である西暮は嫌そうな顔をした。
「武道全般成績優秀容姿端麗」
「おっぱいが……」
「だからやめてって」
「諸々あって県内でも有数の美少女だぞ。狙ってる男子も多かった」
確かに素晴らしい乳……オーラをお持ちの方だったが、そこまで人気だったとは。あまり悠長に構えている場合ではないかもしれない。
「ん、多かった?」
「昔はこう、もっとハキハキした人だったんだが、今はその、髪ももさーっとさせて、あんまり万人に受けるようなキャラじゃなくなっちゃったからな」
俺が疑問を呈すと、原田は言いにくそうに、自分こそもっとハキハキ喋れと言いたくなる様な口調で答えた。
おそらく、横にその弟がいるせいだろう。
なるほど、やはり先輩は最近イメチェンをしたらしい。
確かに俺も、最初に閻魔帳で見たときとはずいぶん印象が違うなと思った。
だがその程度で離れていくとは、我が県内には随分と見る目の無い男が多いようだ。
「……お前はどうなんだ?」
ふと気になって、俺は原田に尋ねた。
意外にも俺とこいつは女性の趣味が合う。むしろだからこそこんなトンテンカンと腐れ縁をやれていると言っても良い。
「初恋だったのは認める。でもさすがにあれに勝つのは無理。今は、なんか近づきづらいしな」
すると奴はため息を吐いて、がっくりと肩を落とした。
要するに諦めたということか。俺は反対に安堵の息を吐く。
……こいつと恋の鞘当てなどしたくはない。絵的にも汚いし。
「お願いってのは、そこなんだ」
その原田を殺そうとするかのような視線で見ていた西暮だが、その視線をぎょろっと俺に向けると、恫喝するような声音でそう切り出した。
「姉ちゃんは近づく男は叩きのめすし、女子は取っつきにくいしで、友達とかも少ないんだ。今の感じになってからは特に」
「お前よりもか」
俺が思わず本音を漏らすと、西暮は唇の左側をビクビクと引きつらせた。
「俺は諦めてるから」
正直殺されるかと思ったが、ただ単にニヒルな笑みを浮かべただけらしい。
交友関係同様、表情筋を動かすのも潔く諦めていただきたい。
「だからアンタも、怖がらないってのは無理でも、普通に友達っぽく接してやってほしいんだ」
そう言って、ぐっと俺を睨むようにする西暮。まぁ、ただ単に真剣に頼んでいるのだということは、俺にもさすがに分かってきた。
自分は諦めたというのに、姉の交友関係に関しては色々手を尽くしているようだ。
嫁じゃなくておかんではないのか、こいつは。
「無理だな」
だが、俺はそんな西暮の頼みをすげなく断った。
「う……」
ひるみ、泣きそうな顔になる西暮。その表情はすごまれた時よりずっと恐ろしい。
「俺の溢れる恋心を抑えるのは不可能だ。次こそは彼女を揉むからな!」
しかしこちらはひるんでなどいられない。俺はそんな奴を指差し、ばっちりと宣言してみせた。
「は?」
だというのに、肝心の西暮はぼんやりしている。
「だから、友達止まりとか無理。俺は彼女といい感じになるまでアタックし続けるという話だ」
「はぁ」
再度説明してもまだアホ面を晒している。いつもこんな表情なら、少しは親しみやすくなるかもしれない。
何とかしてくれと原田を見ると。
「こういう奴なんだ」
奴は何故か西暮に対し苦笑し、俺を親指で指して見せた。
さっきも聞いたぞそのセリフ。
西暮はしばらく目を見開いて……おそらく唖然としていたが、急に爬虫類が笑ったかのような笑顔を見せると。
「そっか、それならこれからもよろしく」
などと言って手を差し出してきた。
俺がよろしくしたいのはお前の姉さんであってお前ではない。
そう言おうかと思ったが、俺は思いとどまった。
「そう言えば上手く行けばお前が弟になるわけだな。よろしく義弟」
この可能性に気づいたからである。けしてこいつに対して遠慮したわけではない。
俺が奴の手を取ってそう言うと、西暮は露骨に嫌そうな顔をした。
うむ、やっぱりこんな奴に遠慮する必要はないな。
「よし、じゃぁ決まりだな」
俺が再確認していると、俺たちの様子をなんだか微笑ましい表情で見ていた原田が、いきなりそんなことを言い出した。
「ここで義兄弟の契りでも交わすのか?」
尋ねると、原田はアホかと口を動かす。西暮が慌てた様子で俺の手を振り払った。
この前とはあべこべである。
「それをするにも、まずは雷花さんに勝たないとだろ」
「雷花さん呼ぶな。まぁ、そうだな」
俺より親しげに先輩をそう呼ぶ奴に釘を刺しつつ、その意見には同意する俺。
とはいえ現在のところ、俺が彼女に勝つプランはまるでないと言って良い。
原田はそんなことは承知だとばかりに深く頷いてから、俺にこう言った。
「じゃぁまずは体力作りだ。うちの部に仮入部させてやっから、ガンガン走ろうぜ」
「え、女子の短パンまた見学していいの? って走るってなんじゃい」
「どういう脳の処理してるんだお前は」
男の子のサガでまずは短パンに反応してしまった俺に、原田が呆れたような目を向けてくる。
俺はお前のように毎日短パンを見ている短パン貴族ではないのだから、このぐらいの反応は致し方なかろう。
「あ、俺も手伝うよ。義弟ってのは、勘弁してほしいけど」
すると未来の弟までそんなことを言い出す。
やばい、こんな脳筋どもにかかったら、俺の汗など一滴残らず搾り取られてしまう。
そうしてぼろ雑巾のごとく捨てられてしまうのだ。
「きょ、今日は遠慮する! ついでに明日も明後日も明明後日も!」
急遽撤退を決めた俺は、そう叫ぶと残りの白米を全てかっこんで立ち上がった。
「まぁまぁまぁまぁ」
そんな俺の肩を、原田ががっちりと掴んだ。
「まぁまぁまぁ」
さらには俺の足を、西暮ががっちりと押さえる。
「まずは食後の腹筋から行こうか」
「二重の意味で腹は痛くなるかもしれないけどな」
「ふぉ、まふぇ、休ませろ!」
俺は抗議したが二人は問答無用の様相であった。
具体的に言えば、今すぐ腹筋を始めないと吐くまでくすぐってやると目に書いてある。
慣れたと思った西暮の目だが、耐性がつくまではまだまだ遠そうである。
「ふん! ふん! ふん! ふん!」
その視線に圧され、また、その事実が腹立たしくもあり、俺は高速で腹筋を開始した
三十回で吐いた。
そうして俺は、新たな悪魔どもに特訓させられる羽目になった……。