少年と決着
道場へと先輩が戻ってきたのは、俺より一時間ほど遅れてからであった。
「これは……」
見慣れた道場の壁一面に、黒い布が張られているのを見て、先輩が落ち着かなそうに周囲を見る。
それから彼女は中央に座る俺を発見し、木刀を構えた。
「ふははははは、おかえりなさい」
なるべく穏やかに彼女を出迎えて、俺は立ち上がった。
腕を組んで、仁王立ちである。
「今までの事は、全てこの仕込みの為の時間稼ぎ!」
続いて両手を広げ、全ては過去! とジェスチャーをする。
中見沢まで時間稼ぎ要員扱いした俺の言葉に、先輩の目尻がぴくりと痙攣した。
だが構わず、本当はちょっとびびったが、構わず俺は壁際で待機していた西暮弟に指示をした。
「やれっ!」
その合図と共に、奴が壁にかけられた暗幕を引っ張る。
その下から現れたのは――ー。
「ふはははは、怖かろう!」
下着、水着、あらわな姿。
とにかく破廉恥な格好をした、女性達のポスターやらタペストリー。
俺秘蔵、夕にまだ持っていかれていなかった桃色壁紙達が、神聖な道場の壁に所狭しと張られていた。
俺が逃げ回っている間に、西暮、そして原田がやってきて作業した成果だ。
先輩の弱点がエロスであることは弟からの情報で分かっている。
卑怯と言われようがこれで俺の勝……。
「何の、つもりだ」
だが先輩は、頬を染めへたリこむとか、あまりの破廉恥さに目を回すとか、俺の予想していたようなリアクションは取らなかった。
彼女の目はより剣呑なものとなり、殺意を煮凝りにしたような眼で俺を睨んでいる。
「ヒラク様。盛大にはずした模様です」
「あっれぇ?」
平素ならこれに対して可愛らしい反応を返したかもしれないが、今までのやりとりのせいですっかりそんな余裕は無くなってしまったらしい。
完全に追い込みすぎの作戦ミスである。
「君は、何がしたいんだ……」
即座に俺へと向かってくるかと思われた先輩だが、そうはならなかった。
彼女は木刀を下げると絞り出すように、本日三度目の問いを投げかけてくる。
その姿は生活に疲れた未亡人のようであり、ひどく俺の心をかき乱す。
「……先輩、俺は優しいですか?」
そんな自らを落ち着かせるように鼻息を吐くと、俺は先輩に尋ね返した。
先輩が、虚を突かれた様子になってこちらを見る。
「正々堂々の決闘を挑んでおきながら逃げ回ったり、卑怯な手で辱めたり、因縁の後輩と戦わせたり……」
つらつらと俺が自らの所業を並べ立てると、その度に先輩の顔が歪み、中見沢の下りになるとその変化はより如実となった。
「……これは、俺の自己紹介です」
そんな彼女に、俺は告げる。
「自己、紹介?」
すると先輩がぽっかりと、口を開けた。
「思ったんです。先輩にはずっと良いところばっかり見せようとして、他の部分を隠してきたって」
そんな先輩に、俺は語る。
俺は悪魔に借りたスキルでばかり先輩にアピールし、自らを晒すことを、ずっと避けてきた。
それは自分の良いところを見つけられない焦りであり、完璧超人の先輩への引け目であり、自らの欲しい物へと邁進する中見沢への後ろめたさでもあった。
だが、そんなものはもう投げ捨てることにする。
「俺はスケベで卑怯で貧弱で考え無しで行き当たりばったりですが、色んな人間とかの力を借りて、ついでに偶然が重なれば、先輩に勝つこともできます」
ゆっくりと、自らに言い聞かせながら、俺は先輩へそう宣言する。
「……よろしい。ならば、勝ってみせろ」
すると、俺の言葉を聞いて眉を動かした先輩が、剣士の顔に戻って木刀を構えなおした。
彼女はギロリと、道場の隅にいる弟に視線を送る。
周囲を桃色ポスターに囲まれる中で真剣な問答をする俺たちを、訳が分からんと分からんという表情で見ていた西暮弟だが、自分以上に鋭い姉の視線に射すくめられ、手をあげた。
「はじめ!」
そうして、二回目のはじめを宣言する。
次の瞬間、弾丸のように先輩が突っ込んできた。
とはいえ目で追える速度だ。確認した俺は、話している間広げっぱなしだった両手を内側へと振った。
すると、その指に付いていた釣り糸に引っ張られ、天井に貼られていたポスターが剥がれる。
そしてその下から現れた鳥獣捕獲用ネットが、先輩めがけて落下した。
先輩に桃色作戦が通じないことも想定済み。
それで油断させておいてこのネットでしとめようという二重作戦である。
「ふん……!」
だが、先輩は別段驚かない。
というかマジシャンの魂で仕込んだとはいえ、俺は先ほどからずっと両手を広げて会話をしていた。
不自然にもほどがある。がらにもない演説などするものではないという教訓だ。
先輩は木刀の先で綿菓子でも作るかのようにネットを絡め取ると、逆に俺へと投げつけてきた。
「うおっ!」
咄嗟の判断で先輩と同じようにネットをスコップで絡め取る俺。
それ自体には成功するが、ネットはスコップの足置き部分に引っかかって外れない。
誰だこんな使いにくい物をメインウェポンに選んだのは!
などとつっこみ待ちをしている間にも、先輩の圧倒的質量が迫る。
こんな漫画肉のような物体で、あの目にも止まらぬ一撃を防ぐことは出来ないだろう。
「くそっ!」
毒づいた俺は、ネットの上からスコップの先片側部分をぐいと押した。
普段は土を力強く掘る為に固定されているそれが、ぐるり回転し枷をはずす。
続いて軽く引っ張ると、スコップの先端部分が取れ、ネットと共に床へと落下した。
同時に迫ってきた先輩の木刀を、俺は身軽となったスコップ――もとい棒で受け止める。
「やああ!」
続いて今まで出したこともない裂帛の声を上げ、彼女の体を押し戻した。
筋力勝負で先輩に適うはずもないが、そこはあの小さい体でも行えた技術だ。
先輩を弾いた体が、無意識に青眼の構えを取る。
そのまま追撃を加えようとした俺だが、先輩は俺の動きが変わったことを警戒したか、素早く後退して距離を取った。
道場の中に、一瞬の沈黙が流れる。
「……その動きは、彼女に習ったのか」
油断無く構え直しながら、先輩が俺に問いかけた。
「似たようなもんです」
実際には勝手に拝借したものだ。
口の端を歪ませながら、俺はそれに答える。
俺の中には現在、スコップ魂と中見沢の剣道魂の二つが同時に引っ付けられている。
引っ剥がすとき地獄の苦しみになる、例のスプレーを使ってである。
魂を二重に引っ付けると後で反動が物凄いことも体験済みであるからして、これを取るときのことは考えたくない。
そしてそんな場合でもない。
ともかくスコップの先端を外れやすいように加工し、桃色空間殺法からのネット捕獲攻撃。
それで奇襲の種が切れたと見せかけての、中見沢の魂で動きを変えワンモア奇襲という三重の手は失敗に終わってしまった。
「そうか、彼女が……」
先輩は感傷に浸っているのかまだ何かあるのではないかと警戒してか突っ込んでこないが、実はこれでネタ切れである。
どうする。もっかい逃げてチャンスを探すかという非常に男らしくない考えも浮かぶが、入り口は先輩に固められている。
「おのれ、直前になっておまけ付きなどちょこざいな。……ではこれで、ほう、とりゃ、うん」
ああでもないこうでもないと俺が考えていると、斜め後ろにいる悪魔のつぶやきが耳に入る。
奴も必死で作戦を考えているのかと思えば、なんと悪魔の奴は電子えんま張を手にして他のことに夢中になっていた。
「さっきからお前は何をやっているのだ!?」
人が瀬戸際に立たされているときに機械いじりとは、こいつときたらなんて悪魔だ。
思わず俺が声を出して罵ると、悪魔は俺の存在を今更思い出したかのようにはっと上げて例の胡散臭い笑顔を見せた。
「魂の入札です。たった今取引が終わりました」
「にゅ、入札?」
そうして、何やら聞き慣れない単語を口に出す。
「そうです。悪魔間で行う魂のトレードですね」
そんな俺に頷くと、悪魔は電子えんま帳の画面をこちらに向けてきた。
先輩から注意を逸らさないようにしながら横目でそちらを見ると、そこにはやたらポップな字体で「ソウル・オークション」と書かれたウェブサイトのような物が映っている。文字の横にはハンマーのマークがついていてもはや完璧にパクリである。
「トレードって、何を……」
しかし、今この場でそれにつっこんでいる余裕はない。
中々先を言わない悪魔をせっつくと、奴は待ってましたとばかりに頷いてから口を開いた。
「粘り強い交渉の結果、手持ちのいくつかの魂と剣道レベル50の魂を交換することに成功しました」
癪に障る動きだ。が、そんな苛立ちも奴の台詞で一気に吹っ飛ぶ。
「れ、レベル50!?」
レベル50といえば今持っている中見沢の魂の倍以上。先輩に匹敵するレベルだ。
つまりそれを併せてつければ、俺は先輩の力量を越えることができる……はずだ。
「だが、焼き付け刃では私には勝てない」
先輩が再び構える。
どうやら完全に立ち直ったらしい。
「は、はよ寄越せ」
俺は慌てて悪魔に催促をした。
だが奴は、俺から電子えんま帳を庇うようにひょいと持ち上げる。
何のつもりだと目で問う俺。
すると悪魔は、俺を見下ろし薄ら笑いで答えた。
「ヒラク様。我々が契約したのは、ちょうど一ヶ月前の昼時です」
俺の脳裏に、懐かしくもない悪魔との出会いが再生される。
確かに俺は一ヶ月前の昼休みにこいつと出会い、なんだかんだで気絶した後契約をしたのだ。
まさか。俺の背筋に冷や汗が伝う。
「つまり、お試し期限は既に過ぎているのです」
そんな俺の背に対し、悪魔は非情にも追加で冷や水をぶっかけた。
「そんな話聞いてないぞ!」
「聞かれませんでしたから」
ネットゲームならば、課金してから一ヶ月後のその日いっぱいまではプレイできる。
そうしないとお客様から不満の声が届くからだ。
だがしかし、悪魔社会という物はそんな物を物ともしないらしい。
「ですから、この魂をご所望でしたらヒラク様の魂をいただかなければなりません」
脳の接触に若干の不都合を起こしている俺に、悪魔は当たり前のようにさくさくと話を進める。
気の弱い奴ならとっとと契約とやらをしていただろう。
……実際に、先輩に勝ちたいのなら選択肢など無い。
先輩は既に姿勢を低くしこちらへと駆けだしてきている。
迷う暇もない。
だが、俺は前を見たまま、悪魔に答えた。
「……なら、いらん」
そうして悪魔が目を丸くしている間に、先輩を迎え撃つべく前へ出る。
「はっ!」
先輩の重い斬撃。そう、油断すれば一刀両断されてしまいそうな一撃を、スコップの残骸でギリギリ受け流す。
すると即座に次の攻撃だ。目では追えないが手のしびれ以外に痛みはないからおそらく何とか受けきっている。だが、息を吸う暇もない。
「お忘れですかヒラク様。先ほどのお金持ち様と同様に、エロ心など放っておいてもまた生える物なのです。先輩様と付き合えたのならそれはもうグングン伸びることでしょう」
ギリギリのところで何とか踏みとどまる俺に、悠々と歩いてきた悪魔が長台詞を並べ立てる。
「分かっている!」
貴重な酸素を使い、俺はそれに返事をした。
そんなことは、先ほど見て聞いたので分かっている。
運動や勉強のスキルを交換してしまうのに比べれば、俺のスケベ心を元のレベルまで戻すなど容易いことだろう。
「それとも中見沢様のように、与えられた力などには頼らないとでもいうおつもりですか? それならば手遅れでございます。ヒラク様が今彼女と戦えているのも全ては私がお貸しした魂の力で……」
「それも、分かっている……!」
言葉を重ねる悪魔に、俺は再度返事をした。
俺は中見沢のように高潔でもあるいはガチガチ頑固山でもない。
楽に生きられるのであれば楽に生きたい。
目的の為ならば卑怯にもなるし誰の力だって借りる。
今だって、悪魔の魂はもちろん仕掛けを手伝ってくれた西暮弟や原田、そして中見沢の力がなければこの舞台に立ててすらいない。
「君は、何を……!」
一人叫ぶ俺に、先輩が怪訝な顔をする。
その隙にスコップの中頃を掴んだ俺は、先輩の木刀を巻き込むようにしてぐるりと回転させる。
そのまま先輩の腕を極めようとした俺だが……。
「甘いっ!」
関節を固定される前に先輩が自らの体勢を低くし、俺の腕の動きに合わせ横を通り抜ける。
そのまま素早く腕を抜いた彼女は、木刀をこちらへと振るってきた。
「うぉ!」
何とかそれを防いだ俺は、位置が入れ替わったのを良いことに先輩から距離を取る。
ほとんど初見のはずのスコップ格闘術をこうも見切るとは、バトル漫画の住人かこの人は。
愚痴りながら、吐ききった酸素を補給していく。
「分かっているなら、何故です?」
脳すらも酸素不足で喘いでいる状態の俺に、尚も悪魔は尋ねてくる。
まるでアンインストールを拒む悪質なアプリのようである。
「先輩に勝てば、彼女は生きる気持ちを取り戻すか?」
そんな悪魔に、俺は問い返した。
「それは……」
珍しく、悪魔が返答に窮する。
そう、他人に勝ったからといって優しさが手にはいる訳がないのと同様、棒きれで人を叩きのめしたからといってその人の心が手に入るわけはない。
「最初に言っただろう。俺が先輩と闘っているのも、先輩に勝ちたいというのも、全部俺のエゴなんだ。俺が我慢できずやりたくてやっていることなんだ。だから」
いったん言葉を切り、息を吸う。
次の言葉は、自分に言い聞かせる意味もあった。
「……だから、今の俺の気持ち、全部を彼女にぶつけないと意味がない」
結局これは俺がスッキリしたくてやっていることだ。
ならば、どんなに下劣な感情だろうと、今それを失うわけにはいかない。
俺の大部分を構成する。そして、先輩への気持ちのほとんどを構成するこのスケベ心という不名誉な魂は、今この時だけは絶対に必要な物なのだ。
「ふぅ……」
俺の顔をしばらくの間じっと見ていた悪魔。だが奴は、やがて息を吐いて言った。
「左様ですか。では私はこの戦いの行方だけを見守らせていただきましょう」
その表情は、笑顔だった。目を細めすぎて、いつもの澱んだ瞳は見えない。
そうして奴は、相変わらずの慇懃無礼な仕草で後ろに引く。
えらくあっさり引き下がったものだ。
まるで俺の答えを予測していたような態度で気に入らないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
先輩が静かに構え直す。
先程の攻防の中で、俺は自らが取るべき最後の行動を閃いていた。
俺が勝てる可能性も、多分それだけだ。
ようやく覚悟が決まる。
俺は自らの視線、そして神経を一点に集中させた。
俺の視線に気づいたのか。先輩が、わずかに身じろぐ。
それは乙女の恥じらいか。俺への嫌悪か。
だが今は、彼女の表情を見るつもりはない。
姿勢を戻した先輩が再び静止し、沈黙の時間が流れる。
そして、俺の集中が切れかけたその瞬間――。
ぶるん!
俺が注視していた一点。先輩の乳房が、大胆に、暴力的に揺れた。
それを見た瞬間、俺の体が普段より、そして先輩の体が視界からかき消えるより一瞬だけ早く動く。
「はぁ!」
先輩の必殺の一撃が放たれる。
しかしそれは、姿勢を低くした俺の頭髪を掠め空を切る。
目の前で暴れる凶悪な乳を見ながら、俺は両手で持った棒きれを突き上げた。
先端が先輩の手首に当たり、木刀が彼女の手から離れる。
それを確認するや否や、手の中で棒を下から回転させた俺は、先輩の乳を通し彼女の顎へとそれを突きつけた。
先輩の乳の揺れが収まるまで、一瞬の、しかし永遠を感じられるような静寂の時間が訪れる。
「……どうして、これが避けられた」
ようやく先輩の胸から視線を上げた俺に、眉根を寄せた彼女が問いかける。
「今の、俺達が最初に出会ったときに先輩が俺を倒したヤツですよね」
俺が静かに尋ね返すと、彼女は谷間の棒をくわえないように小さく頷た。
そう、先程の攻撃は、俺が初めて先輩に挑んだとき、彼女が最後に出したフィニッシュブローだった。
先輩が剣士少女だった頃には、技名の一つもつけられていたのかもしれない。
確かに一度受けた攻撃だが、俺は聖闘士ではないしそもそもあの時は何をされたかも分からなかった。
だがしかし、あの時はっきりと記憶できた事が、一つだけあったのだ。
「俺は、男のことはすぐ忘れるけれど、女性のこと、しかも乳の揺れなどは、何があっても忘れないんです」
胸を張り、堂々と、俺は先輩に答えた。
あのダイナミックな乳の揺れ。あれだけは俺の頭、いや、魂に刻まれている。
それがあったからこそ、俺は先輩が動くより一瞬早く、その攻撃を予知することが出来たのだ。
「では、私が負けたのは……」
「……俺のスケベ心にです」
告げた瞬間、先輩が膝から崩れ落ちた。
その顎に衝突しないように、俺は慌てて棒を離す。
からんからんという寂しげな音が道場に響き、同時に彼女の髪留めが外れて先輩の髪がばさりと広がった。
彼女はしばらく、信じられないように己の手を見つめ、その後丸い目をしたまま俺を見上げた。
鼻から息を吐くと、俺は先輩に告げる。
「確かに、俺や先輩に優しさなんてものは無いのかもしれません」
言った瞬間、ぼさぼさの髪に紛れた先輩の顔が泣きそうにゆがんだ。
それでも、俺は言わなければならない。
意を決して言葉を続ける。
「俺がここまで先輩に必死になるのは、先輩が美人でおっぱい大きくて、つれない態度がしびれて、でも恋人にしたら意外と甘やかしてくれそうだとか思うからです」
先輩は俺が紡ぐ言葉の意味が分からないようで、その表情が困惑に塗り替えられる。
「先輩の弟に美人の姉がいると知らなかったら、助けたりなんかしませんでした」
「おい」
構わず話を続けると、すっかり存在を忘れていた西暮弟が抗議の声を上げるが、事実なので仕方がない。
誰がお前のような見た目スプラッタを、好き好んで助けるか。
「……それに本当は、今回のことに中見沢を巻き込む気はありませんでした。巻き込んだら、あいつが嫌なことを思い出して傷つくと思ったからです」
ともかく奴には視線を移さず、別の娘について口にする。
中見沢の名前が出ると、先輩の肩がびくりと震えて彼女は俯いた。
「でも、中見沢は先輩と戦う覚悟も出来てたし、負けても、満足したなんて言ってました。……俺は、あいつの強さを尊敬してるつもりで、実際にはあいつを舐めてました」
中見沢を庇うつもりで、俺はあいつの気持ちを傷つけるようなことしてしまっていた。
それは、先輩が中見沢にしてしまったことと奇しくも一緒だ。
肩を竦めて、俺は先輩に告げる。
「俺も先輩も、そう変わりません。おっぱいがあるかどうかぐらいです」
後半は渾身のジョークだったが、先輩は笑わない。
……まぁ要するに、少なくとも先輩の求めるような優しさは俺の体のどこを探してもおっぱいと同様に見つからないという話をしたのだから、それも当たり前かもしれない。
「……では私は、どうすれば良い?」
代わりにがっくりとうなだれたまま、先輩は俺に問いかける。
そんな彼女に、俺は人差し指を立て言った。
「人に優しくするにはまず自分から、という常套句があります。先輩はまず、優しくないと思う自分を許すところから始めてみてはどうでしょう」
なぜだか仕草と口調が、後ろで控えているボンクラを真似た形となる。
多分、人に助言するなどという行為が俺には似合わないせいだろう。
俺の言葉に、先輩がだだをこねるようにばさばさと髪の毛を振った。
彼女は三年もこうやって、自分を責めて生きてきたのだ。
今更、そんな風にはできないのかもしれない。
「それも難しければ……」
ならば。一呼吸おいて、俺は腰を屈めた。
「ここにどうしようもなくスケベな男がおります。……この男に優しくするところから始めませんか?」
そうして、手を差し出しながら言う。
何とも都合の良い言葉である。
結局己の願望をさらけ出しているだけではないか。
散々引っかき回しといてそれかいと言われても仕方がない。
「ぶふっ」
あまりのしょうもなさにか、先輩が吹きだした。
あ、まずい。やっぱりちょっとは己をさらけ出すことを躊躇うべきだったか。
などと俺がおろおろしている間にも、先輩の笑い声は大きくなっていく。
「わかった。私の、負けだ」
そうして、顔を上げた彼女の目尻には涙。髪もいつも通りのぼさぼさに逆戻りで頬にかかっている。
だが、その表情は晴れやかな笑顔をしていた。
どきり。俺の胸が跳ねる。
……この人は何度俺を恋に落とせば気が済むのだろう。
ぱち、ぱち、ぱち。
俺が先輩のやぁらかい手を取って立ち上がらせると同時に、背後から拍手の音が聞こえた。
どうせまた、人の良い気分を茶化す気なのだろうなアイツは。
などと考え、思いっきり渋い顔を作って振り返った俺だが、そこには何の人影もなかった。
拍手ももはや聞こえない。
「……悪魔?」
呟いたが、返事もない。
こうして俺と先輩の戦いは終わり、同時に、俺の前からあのおかしな悪魔は姿を消した。




