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少年と鼻血

 目の前の光景が信じられなかった。

 何故、この女――中見沢あげはがここにいる。


 尻餅をついた俺を庇うように先輩の前に立つ中見沢を見て、呆然としながら俺は脳の動く部分を総動員して考えた。


 しかも偶然通りかかった風ではない。

 既に剣道をやめたはずなのに木刀を携帯しているし、体には木の葉があちこち付着している。

 俺たちを待っていたのでなければ、通り魔をしていたとしか思えない。


 先輩が呼んだわけではないだろう。

 呼ぶ理由もないし、彼女は目の前に現れた中見沢に大きく目を見開いた後、そのまま信じられないような顔で俺を見たからだ。


「何でお前がここに!?」


 結局俺は、大声で中見沢にそう尋ねていた。

 

「メールが、来たのよ」


 剣士としての本能がそうさせるのか。木刀に力を込めたままの先輩と鍔迫り合いをしながら、中見沢はボソリと答える。


「メール?」


 そんなもん、俺は送った覚えがない。というかつい先日宛先を登録されたばかりだ。


「貴方が心配なら、この時間、この場所に木刀をもってこいってメールが来たんです!」


 呆けたおうむ返しをした俺に、怒り敬語になりながら中見沢が先輩の木刀を押し返す。

 先輩が、よろよろと後退した。


 彼女も混乱していて力がそれほど入っていなかったのかもしれないが、それでも大した物だ。


 しかし感心している場合ではない。


「メールって……誰が」


 尋ねながら、俺の視線は自然と背後に向かっていた。

 もはや、候補は一人しかいない。 


 俺が見ると、悪魔はわざとらしく鼻歌を歌いながら電子えんま帳を弄くりだした。 


 そう言えばこいつ、昨日も何やら熱心にあれを操作していた。

 形状からすればおかしくはないが、電子えんま帳は電話としての機能も備えていたらしい。


 何がえんま帳だ。完全にスマートなフォンではないか。


「知らないですそんなの! 知り合い以外着信拒否してるのに」


 俺の問いかけに中見沢はそう答えるが、俺には犯人が分かってしまった。

 つまり後ろの、悪魔野郎だ。


「何故こいつを呼んだ」


「念のための保険です。役立ちましたでしょう」


 低い声で尋ねるも、奴は悪びれる様子もなくにこやかに答えた。

 

「あいつは巻き込まないと決めたはずだ」


「はて、そのような契約内容は存じ上げません」


 更には真面目な顔で追求してみるも、見事にすっとぼけられる。

 この状況でなかったら、胸ぐらを掴んで揺すっているところだ。


「君が、呼んだわけではないのだな」


 しかし、ギラリと鋭い先輩の視線がそれを許さない。


「そ、そうです! こいつはただの通りすがりです!」


 彼女の眼光に圧されながら、俺は首を縦にシェイクした。


 木刀持ってフラフラしてるとか完全に通り魔の所行だが、中見沢には俺のために犠牲になっていただこう。


「ほら、お前もとっとと帰れ」


 と言うわけで長い間尻餅をついていた俺はようやく立ち上がり、中見沢を追い立てた。


「……なんで、貴方が先輩と戦ってるの?」


 だが俺に男としての貫禄が足りないのか中見沢はそれをあっさり無視し、俺に問いかけてくる。


「俺にも分からん。ただ、俺が勝てば先輩と付き合える事になっている」


 何回かされた質問だ。俺は同じように返す。

 すると中見沢は俺から視線を外し、先輩の方を見た。


 背を向けているので、奴の表情は俺には伺い知れない。


「私が勝てば……」


 先輩はどんな表情に促されてか。俺と同じように答えかけ、しかし口を濁した。

 優しさが欲しいとは、その発端となった中見沢には告げられないのだろう。


「私の為……じゃないのね」


 背を向けたまま、中見沢がぽつりと呟く。


 その小さい後ろ姿を見ていると、後ろめたさのようなものが背後の悪魔の如く体へ覆い被さってくる気がする。


「ったり前だろう。良いからとっととどけ」


 だが、俺が先輩と戦っているのは間違いなく中見沢の為などではない。

 

 先輩を叩きのめしたところで、この女が喜ぶ訳がない。

 彼女を倒して、中見沢に謝らせようとかいう算段がある訳でもない。


 俺はただ、先輩が気に入らなくて、しかし彼女を嫌いにはなれず、彼女を殴ってこのジレンマを解消しようとしている最低男なのだ。


 思わず口の端がつり上がる。

 

「ヒラク様、かなり荒んだ顔になっていらっしゃいます」


「フッフッフッフッフ」


 こうなったら先輩にはとことん付き合ってもらう。

 この先に待つ煉獄陵辱えっちすけっちの果てに、公的にお付き合いもしてあんな事やこんな事もしてもらう。


 かんかんかんかんかん。


 昏い喜びに笑いを漏らす俺に呼応するように、遮断機の警報が鳴り響いた。


 引くにしても留まるにしても頃合いだ。

 足に力を篭めようとした俺だったが、先輩と俺との間に立ちふさがる中見沢は動こうとしない。

 それどころか、木刀を構え妙なやる気を出してしまっている。


「おい、何をしている」


「逃げるんでしょ。行きなさいよ」


 問いかけると、振り向かずに中見沢はそう答えた。


「……私が勝手に、先輩と戦うだけ」


 しかも、そんなセリフまで足してくれやがる。


「いや、おかしいだろう。お前が先輩と戦う理由は……」


「ある。中学生の時より、ずっとある」


 慌てた俺が論理的に諭そうとするも、奴は頑固にそう言い張った。

 

 何だその理由とは。

 例えば俺が好きだから助けたいなんていうけなげな理由だとしても、俺は勝てば先輩と付き合うんだぞ。

 それを手伝ってどうする。


「ま、待て、私は……」


 俺以上に混乱しているのは先輩だ。

 彼女は目に見えて狼狽し、構えてはいるが木刀の先を震わせている。


 悪魔の目論見通りだ。

 上手く行ってさぞ愉快だろうと悪魔を睨むと、奴は今まで見たことがないような冷淡な顔で成り行きを見守っていた。


 こいつは何を考えているのか。その表情には背中が泡立つが、しかしそれにビビっている場合ではない。


「せ、先輩は俺に任せると言っただろうが!」


 中見沢へと視線を向けなおすと、俺は再度奴を諭そうとした。

 先輩と決闘を約束した日。風邪をひいていた俺が、中見沢自身に言われた言葉である。


「任せるわよ。こんな事で、何も解決なんてしないし」


 すると中見沢は、背中を向けたままそう答えた。


 確かに今更対決をやり直したところで、先輩がやらかしてしまったことが消えるわけではない。

 それどころか、先輩は更に傷つくだろう。

 中見沢の傷が消えるわけでも、ない。


「ごめんなさい先輩。一回だけ、私に付き合ってください」


 それでも、中見沢は先輩にそう告げた。

 木刀は青眼に構えたまま、背中越しにも伝わるほどの気迫を込めて。 


「わ、私は……」


 先輩はまだ戸惑っている。

 俺と同じように、戸惑っている。


「ヒラク様は、何故中見沢様と先輩様を戦わせたくないのですか?」


 俺の耳元で、悪魔が囁く。


 以前にも尋ねられた事だ。俺はその時、中見沢が先輩に謝ったら全てが解決してしまうからだと答えた。

 だが、そんなことでこの話は解決などしない。

 俺はそれを分かっていた。


 先輩の病巣は奥深く、中見沢にそんなことをされては余計に自らを責め生きる気力を失ってしまうだろう。


 俺が気遣っていたのは、結局中見沢の事だ。

 こいつが先輩と、自らのトラウマと向き合えば、傷ついてどうにかなってしまうと思っていたのだ。


 俺はそう、中見沢を舐めていた。

 自分や中見沢を自然と下に見ている先輩と、同じ事をしていた。

 それに憤って、俺は彼女に戦いを挑んだというのにだ。

 まったく俺という奴は……。


 カンカンカン。


「な!?」


 気がつくと、俺は線路の真ん中にいた。

 びっくりして周囲を見ると、悪魔が俺の腰を持っている。

 どうやらシリアスな考え事をしている間に、ここまで引きずられたらしい。


「ヒラク様が思い悩んでおいでですので、お手伝いをと」


「自殺のか!?」


 いけしゃあしゃあとそんな妄言を抜かす悪魔に怒鳴ってから、俺は慌てて中見沢達の方へと視線を向けた。


 悪魔が俺を運ぶ際にはよほど不可思議な動きをしただろうに、二人の視線はこちらに向いていない。


「中見……!」


 呼びかけようとして、思いとどまる。

 奴の小さな背中には、揺らぐことのない、そして揺らがせてはならないような、固い決意が見える。


「ヒラク様、早く渡りませんと」


「あ、う……」


 悪魔に促され、なんだかんだ理屈を付けて俺は結局反対側へと渡ってしまった。


 遮断機が落ち、俺たちは完全に分断される。 

 遮断機の棒に手をかけ、俺はあちら側の様子を慌てて見た。


 ――先輩と中見沢が、何事か言葉をかわす。

 仕草から察するに、先輩は中見沢に思いとどまるよう説得しているようだ。

 そりゃそうだ。踏切が閉まった以上、もはや戦う理由はない。


 だが、そんな先輩に木刀をかかげた中見沢が襲いかかる。


 一閃。

 先輩の影が揺らめいたかと思えば、彼女はいつの間にか木刀を振り抜いていた。


 ゆらりと、中見沢の体が傾いで、膝から崩れ落ちる。

 奴を打った先輩はと言えば、中見沢を助け起こすでもなく、踏切を越えて俺を追うわけでもなく、信じられないように自らの手を見て呆然としている。


「ヒラク様、行きましょう」


 悪魔が俺の肩に手をかけた。

 それを振り払って、俺は奴を睨む。


「私に、彼女の犠牲が無駄になる等の噴飯モノのセリフを言わせるつもりですか?」


 そんな俺に対し、悪魔はいつも以上に冷淡な表情で問いかけてくる。


 分かっている。ここに踏みとどまる訳には行かない。

 何より踏切の向こうへ来てしまったのは俺なのだ。


「お前後で絶対泣かすかんな」


 腹の虫が治まらないままそう告げて、俺は中見沢達に背を向けると駆け出した。



 ◇◆◇◆◇



 二人が去ってからしばらく、中見沢あげはは呆然としていた。


 西暮雷花は彼女を叩いてしまった後、何か言おうとしたが、結局無言で我門ヒラク――あげはの思い人を追っていった。


 打たれた額が赤く腫れているが、気にならない。

 あげはの胸に去来する気持ち、それは……。


「パンツ汚れてるぞ」


 と、勝手にモノローグをつけて、結局中見沢の心中などさっぱり分からないことに気づいた俺は、その背中に声をかけた。


「な、何してんの!?」


 中見沢が目を見開いて振り返る。

 その際尻を押さえたのは、なかなかポイントが高かった。


「俺の探偵魂が推理するに、この場所を通るのが一番安全なのだ」


 探偵アイでそんな観察をしつつ、俺はそう答えた。


 現在俺は、前に使った探偵の魂を装着している。

 先ほどの勝手なside中見沢はその効果であり、先輩の行動はあくまで俺の想像だ。


 犯人は現場に戻るとよく言うが、先輩を撒いたはずの俺がすぐさまここに戻ってくるとは、混乱した彼女では予測できまい。 

 何より先輩は、この場所を通りたがらないだろうしな。


 色々理屈をつけて中見沢の様子を見に来たわけでは、決して無い。


 中見沢はそんな俺の顔をじっと見つめていたが、しばらくするとため息を吐いて言葉を洩らした。


「……負けた」


「見てた」


 いきなり襲いかかった上、一撃で返り討ちである。

 これ以上ないほど、見事なまでの一本負けだ。


「負け、られた」


 だというのに、胸につかえていたもの、もしくは魂まで吐き出すような調子で、中見沢は深い息を吐いた。


「昔。最後の大会で負けたときは多分、先輩に相手をしてもらえるってだけで舞い上がってて。負けて当然だって思ってて。先輩を倒そうっていう気持ちが足りなかったんだと思う」


 そしてそのまま、肺の奥にあるものを絞り出すように呟く。


 先輩は強い。だから、自分をニコニコと慕う後輩が無邪気に自分へ挑んできても、それを勝負だとは思えなかった。

 

「でも今日は、本当に先輩に勝ちたいと思って、戦えた。負けたけど……」


 だが、今日の中見沢の気迫は、線路越しにも伝わるほど凄まじい物だった。

 それが先輩の剣士としての本能を刺激し、思わず手を出させてしまったのだ……と俺の中の探偵魂が勝手に推察する。


 だが、何がこの小さい女をこんなにも突き動かすのか。

 探偵の魂をつけていても、それを知ることはできない。


「本当に大切な物の為には、本気を出せるんだって分かったから、満足」


「馬鹿め」


 そんなことを中見沢が本当に満足そうに言うので、俺は思わずそう言ってしまっていた。

 

 角の取れた呆けた表情で、中見沢が俺の顔を見る。


「そんなこと、俺はずっと知ってたぞ。お前はそういう奴だ」


 その頭に手を置いて、俺は奴にそう言った。


 中見沢あげはというやつは、二次元だろうが漫画だろうが自分が好きになった物にはこちらが心配になるぐらい全力でぶつかっていく女だ。


 そんなこと、俺はずっと前から知っていたというのに。


 本当に不器用な奴だ。

 

 ぶつかり過ぎていつかハゲると思うので、置いた手でもってぐにぐにと頭を揉んでやる。


「ばか。そこは撫でたり、するところです」


 その手をはねのけないまま、中見沢は詰まりがちな声で抗議した。

 何を堪えているのかは、あえて追求しない方向でいく。


 本気で勝とうと思って、ぶつかって、それで悔しくないわけがない。


 だが、今の中見沢の姿は、俺が「こいつと先輩と対峙したらこうなるであろう」と勝手に想像していたような、惨めなものではなかった。


 見るからに柔らかそうな頬と繋がっているからか、中見沢の頭皮はうにうにとよく動く。

 ただし髪も細く流れるようなので、依然ハゲの心配は続く。

 

 まぁ触っていて気持ちよいのは確かなのだが、実はここは往来なので人の目が当然ある。


「仇、とってやろうか?」


 答えは決まっているというのに、俺はついついそんな事を尋ねてしまった。


「いいです。どうしても我慢できなくなったら、自分でやります」


 すると、ぐじっと何かを啜る音を響かせながら、中見沢はそう答える。


「お前はそういう奴だよ」


 中見沢の頭をひと撫でふた撫でして、俺は奴から手を離した。


 それでこそ中見沢だ。


 ちょっと酷な物背負わせてる気もするが、今度なんかあって、それでこいつが二次元以外に頼りたいなんて特殊ケースがあった時は思い切り甘えさせてやろう。


 中見沢という女が、俺が思っているよりは強く、しかし鼻水を堪えられるほど強くない事は、今日やっと分かった。


 俺は、誰かの為に気を使うとか頑張るとか、そんなおかしなことは考えず、ただ自らの欲望の為に邁進すれば良かったのだ。


 夕にも言われていたはずだが、ようやくそれが実感できた。


「んじゃ、行ってくる」


 なるべく軽い調子でそう告げて、俺は中見沢とすれ違い、歩き出した。


「行ってらっしゃい……」


 幼子のような声で、中見沢は答える。

 先輩からは逃げ切ったが、これで終わりではない。

 むしろここからが、本番なのだ。


「あ、そうだ」


 と、気合いを篭めたところで、重大な事を忘れていたことに気づいた俺は、すっと足を止める。


「白パンツ、ちゃんと洗えよ」


 振り向きながら言った瞬間、もっと撫でて欲しそうだった中見沢の半とろけ顔が凍り付く。

 そしてほぼ同時に、ひゅん、という音と共に中見沢が木刀を振った。


 ――それを長い間待ちかまえていた悪魔が、奴の背後からすっと鎌を通した。


「え?」


 中見沢が、間の抜けた声を出す。

 

 バチン! すっぽ抜けた木刀が、俺の顔に直撃した。


「うご、ご、うおお……」


「す、寸止めするつもりだったんですごめんなさい!」


 悶絶する俺に、中見沢は慌てて謝った。


 顔面を覆う指の間から見ると、薄い青色をした魂を持った悪魔が頷いている。


「後で絶対に返すからな」


 それを確認して、俺は呟いた。


「な、何を!? 恨みをですか!?」


 報復を恐れた中見沢が後ずさるも、そういうことではない。


「行きましょうヒラク様。私め長いこと青春劇場を見せられ浄化してしまいそうです」


 失礼な事を言いながらえんま帳へ魂をしまう悪魔へされてしまえと毒づきながら、俺も行くことにした。


 大丈夫だと中見沢にアピールして、再び背を向け歩き出す。


「本当に白だったか……」


 勘も冴えている、仕込みも万全、手札も揃った。

 後は、俺の全てを彼女にぶつけるだけだ。


「ヒラク様。鼻血が出ております」


 鉄の味を舌で拭い、俺は最後の戦場へと歩き出した。

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