少年と先輩と決闘
道場の中は静謐な空気に包まれており、板張りの床には通う生徒がいる訳でもないのに塵一つ落ちていない。
おそらく西暮弟の無駄な女子力が発揮されたおかげだろう。
などと考えて気を落ち着かせながら、俺は前を見据えた。
俺の前には西暮雷花先輩。
ぼさっとした髪をポニーテールにまとめ、胴着袴を身につけた、おっぱいのいと大きき人が木刀を構え立っている。
俺の手にはスコップ。
内部には用務員のおっちゃんから預かったままのスコップ魂。
それをくっつけた悪魔が、俺の背後にぴったりとくっついている。
そして俺と先輩の間には、審判として西暮弟が立っていた。
今、ここから、戦いが始まる。
「……君が、どうしてこの勝負を挑んできたのか。私には分からない」
覇気のない姿。しかし凛とした声というちぐはぐな態度で先輩が呟く。
「実を言うと俺にも分かりません」
それに答え、俺はスコップの柄を握りしめた。
この一週間自問自答してきたが、自分が何故こんな自殺行為をしているのか未だに分かっていない。
「しかし、私は君に勝って、必ず優しさを手に入れてみせる」
先輩が、一歩一歩と踏み出す。その度に、空気読みのレベルが1しかない俺でも圧力が増すのが分かった。
「や、優しさ?」
西暮弟が狼狽した声を出す。奴は事情を知らないのだから訳が分からないのも無理はない。
人を倒して優しさなど手に入るものか。どこぞの必殺奥義でもあるまいに。
「気にするな」
欲しい物を手に入れるためなら悪魔にでも魂を売ると言った先輩を、俺は否定するつもりはない。
俺だって、モテたいという一心で後ろのろくでなしと手を結んだのだ。
否定できようもない。
しかし、だからこそ、俺は彼女に負けるつもりはなかった。
気づけば、先輩と俺の距離はあと十歩というところまで縮まっていた。
先輩が、おろおろしている弟を射殺すような視線を送る。
西暮はそれに何とか耐え、俺の顔を見た。
そして俺が頷くと、奴はピンと伸ばした左手を振り下ろす。
「はじめ!」
そして、叫んだ。
「くぉのっ!」
同時に俺は、手持ちのスコップを振りかぶると先輩に投げつけていた。
女性に物を投げるなど。しかも先のとんがった物を投げつけるなど言語道断鬼畜の所行である。
それでも俺はやり遂げた。
「くっ! たぁあ!」
木刀一閃。
先輩がそれを、容易く弾くと分かっていたせいでもある。
だが、それで終わりではない。
ボンっという音がして、スコップが爆発する。
「な、何!?」
正確には、スコップの柄と先の金属部分が取れ、そこから大量の薔薇があふれ出した。
事前に手品の魂を使って仕込んだめくらましである。
スコップはあっさり防いだ先輩だが、それにはさすがに面食らい、尚も何か起こるのではと足を止めた。
チャンスだ。そう判断した俺は――。
「ごきげんよう!」
先輩に背を向け、道場から一目散に逃げ出した。
「審判!?」
先輩が裏がえった声を出し、俺のとった様々な行動に対して自らの弟へと抗議するのが聞こえる。
「も、問題なし!」
だが、西暮は少々どもったものの、大きな声でそう答えた。
審判は既に買収済みだ。
というかそもそも、「相手を叩きのめした方が勝ち」と言っただけで、外に出てはいけないとか手品を使ってはいけないなんてルールは設定していないのだ。
まぁそれでも西暮が後でシメられるのは確定だろうから、今度プリンでも奢ってやろう。
問題は、この次だ。
道場から裏庭に出、これまた隠しておいた靴を履いた俺は考えを巡らせた。
裏庭はこれまたこういう屋敷にはお似合いの竹林で、しかも試し斬りでもされているのか鋭い切り口のバンブーがごろごろ転がっている。
……先輩のお父様には、なるべくお会いしたくないものだ。
「くぺっ」
考えながら、とりあえず俺は装着していたスコップ魂を手の上に吐き出した。
何度もしているからある程度は慣れたものの、胃酸で歯が溶けないかは心配である。
しかしそんな事を気にしている場合ではない。とにかく正門まで逃げなければ。
「ヒラク様。追ってきます」
考える俺に、壁を抜けてついてきた悪魔が告げる。
確かに背後から、先輩の荒々しい足音が響いてきていた。
存外早い彼女の立ち直りに、俺は舌打ちをした。
くっ、西暮め。今この場でシメられていればよかったのに。
いやしかし、追ってきてくれたのはありがたい。
なんだくだらないとお家に篭もられてしまったら、あらゆる猥語を操って先輩を外へ誘導しなければならないところだった。
ともかく思惑通りに事が進んだのだと自らに言い聞かせ、悪魔にスコップ魂を返すと俺は再び走り出した。
「君は、何がしたいのだ!?」
が、先輩は早い。俺が想定するより三倍は早い勢いで、彼女は叫びながらぐんぐん俺へと近づいてくる。
俺とてこの一ヶ月走り込んできたというのに、先輩は木刀を持っていてでっかいおっぱいもぶらさげているというのに。
これが基礎性能の差か!
ギリリ。俺の奥歯が耳障りな音を立てる。
「悪魔!」
その気持ち悪さを発散させるように、俺は併走する悪魔へと叫んだ。
「はい」
すると奴は、分かっていますとばかりに電子えんま帳を振る。
「誰が悪魔だ!」
先輩が小気味よく返すが誤解である。
俺は手を差し出すと、電子えんま帳からこぼれ落ちた魂を掴んだ。
そしてその詳細も聞かずに、胸へと当てる。
「ぐ、おおおお!」
じゅぅうと焼けるような音がして、俺の体に魂が入り込む。
そうなれば、自分が次にすべき事は分かった。
俺は走りながら、転がっている竹を手に取る。
「やっと戦う気に……!」
先輩が俺を迎え撃とうと速度を緩める。
しかしその反対に、思いの外重たい竹の節を持った俺は前方の壁へと加速した。
先輩に竹槍を持って挑むなんぞ、B29に挑むより愚かなことだ。
だがもっと愚かなことを、この体は、魂はしようとしている。
気づきながらも、俺の体は勝手に竹を地面へと突き立てていた。
そして、足は強く大地を蹴る。
竹がしなる。
「うぉああ!」
俺が悲鳴を上げた頃には、この体は天高く宙を舞っていた。
軽々と裏庭の塀を乗り越えた俺は、そのまま歩道へと放り出される。
「高飛びの魂でございます。今でこそ高飛びに使うのは合成素材ですが、1900年代は竹を使って競技を行っており、1936年には日本人が……」
羽を広げた悪魔が、空中でのんびりと解説する。
「着地は!?」
だが、俺が聞きたいのはそんな事では断じてない。
飛び上がってしまったこの高さから、どうやって足を折らずに着地するかだ。
聡明な悪魔さんのことだから、きっとこの後のことも考えているに違いない。
「失念しておりました」
だがしかし、やはり現実は非情であり、こいつはぽんこつ極まりない愚か者の悪魔であった。
「このっ!」
怒りに任せ、俺は悪魔の腕を掴んだ。
がくんと、滞空していた奴の体が沈む。
「あら」
そうして俺たちは、もつれ合って地面へと落ちた。
「げぺっ!」
落下の衝撃で、口から高飛びの魂が飛び出る。
「失礼」
「ぐほっ!」
更に俺を下敷きにする形で悪魔が落ちてき、口からは俺のうめき声だけが続いて飛び出た。
「ヒラク様。私めはこのような使用法を想定されていません」
人を尻に敷いたまま、悪魔が足を組みやれやれと息を吐く。
「い、良いからどけ」
俺が背中に乗せるのは、処女と未亡人と人妻だけと決めているのだ。
睨むと、悪魔はすっと立ち上がり、俺が吐いた高飛びの魂を回収しにかかる。
クッションにする事は失敗したが、悪魔は一応エアブレーキになったらしい。
主に背中がすごく痛いが、ともかく俺も立ち上がった。
何故なら、遠くに見える正門から、先輩がすさまじい勢いで飛び出してきたからだ。
「だ、だいじょ……!」
先輩が俺を心配するような声を出しかけ、踏みとどまる。
しかしそこで止めては、言い切ってしまうより性質が悪い。
先輩は既に優しさという物を持っていて、そしてそれは美徳だと俺は考えている。
しかしそれでも、真剣な勝負の最中に心配されると物凄く傷つく。
確かに背を向け走り出したが。
悪魔にオーダーを任せたせいで死にかけたが。
それでも俺は決闘中のつもりなのだ。
「くのぉぉ!」
先輩がまごまごしている内に、俺は彼女とは反対方向へ駆けだした。
死ぬような目に遭ったのに、稼げた距離は僅かである。
しかしこれを無駄にしては、何のために悪魔なんぞに潰されたか分からなくなる。
「あ、ま、待て!」
先輩が狼狽した声を上げながら、俺を追いかけてくる。
先ほどより勢いが若干ゆるんでいるのは、自らの失言のせいだけではあるまい。
先輩は胴着で、しかも裸足のままである。
この状態で木刀を持ち人を追いかけるのは、足の裏以外のところもイタい。
先ほどのやりとりのせいで若干素に戻っているのなら、なおさらだ。
さっそく小学生らしき男子が俺たちを目撃し、目を丸くする。
純情な先輩が、自らを省みてさっと顔を赤くした。
それを見て、小学生もまたぽぅっとした顔になる。
ぴろりん。
「ヒラク様。今あの少年のスケベレベルが1に……」
「言ってやるな!」
小学生の性の芽生えなどに構ってはいられない。
無粋な悪魔を制し、俺は加速した。
目指す場所は決まっている。
◇◆◇◆◇
しばらく走った俺は、近場の商店街へと入り込んだ。
ふれあいニコニコ商店街。シャッター街になりそうなところを半額コロッケでギリギリで堪えているような、そんな場所だ。
当然人もまばらだが、しかし夕餉を求める主婦や下校時にちょっとした冒険を求める学生や徘徊老人などが少数ぶらついている。
走るのには障害物が少なく、人の目はある。
俺にとっては好都合の場所だ。
「何あれ?」「痴女?」「撮影?」「痴話喧嘩?」
俺達が通り過ぎる度、そんな声が囁かれる。
最後のを思いっきり肯定したくなるが、そんな場合ではないので自重する。
先輩が俯きがちなのは、けして疲れのせいではあるまい。
自然、彼女が走るスピードも落ちる。
羞恥に染まる女性というのは素晴らしいものだ。
俺のスケベレベルまで上がってしまいそうである。
走りながら、つい輝いた瞳を先輩へと向けてしまう俺。
「でへへ」
自らの口から、つい朗らかな笑いを漏らしてしまう俺。
その瞬間。先輩が強烈な眼光で俺を射抜いた。
そして彼女は袴を跳ね上げながら、猛烈な勢いでこちらに迫ってくる。
「羞恥が限界を超えて開き直りましたね」
悪魔がのんびりと解説する。
確かにこのままでは、追いつかれるのも時間の問題だろう。
「ならばっ!」
そう判断した俺は、そこでいきなり進行方向を直角に曲げた。
そして歯科医院と魚屋の隙間へと入り込む。
道ではない。隙間だ。中は蔦やら枝やら草やらで溢れ、とても人の通れる状態ではない。
「悪魔!4番だ!」
その惨状を見るや、俺は悪魔へと叫んだ。
「承知」
悪魔の方は昔のゲームのテクスチャバグのような状態で、体中から蔦やら枝やらを生やしながら電子えんま帳から魂を取り出す。
今度は先ほどのように、緊急避難的に悪魔が選んだ魂ではない。
俺が、先輩を倒すために選んだ魂の内の一つである。
「行きます」
「こいやぁ!」
悪魔が手のひらに乗せた魂を振りかぶり、俺は自らに覚悟をさせる意味でも叫ぶ。
次の瞬間。
「ぐぅぅぁ!」
バシィン! と不必要なまでに強烈な平手が俺の背中へと決まり、その熱さ、痛みに俺は喘いだ。
文句の一つも言ってやりたい。しかし背後には先輩が迫っている。
全てを堪え、代わりに懐へと手をやる。
取り出したるは大振りの鋏である。
こんなもん仕込んで跳ねたり落ちたりしたことには今更ながら冷や汗が出るが、しかし俺は目の前の植物達を睨んだ。
「ちょいさ!」
自らの口から出た不可思議なかけ声と共に、鋏が振るわれる。
それは目の前の植物達を鮮やかに切り裂き、目の前に道を創っていった。
「庭師の魂。好調のようですな」
自らが与えた魂の品質に、悪魔が満足げに頷いた。
庭師の魂レベル28。大屋敷のお嬢様と駆け落ちした庭師の男が、逃げ延びる力を得るために悪魔とトレードしたという代物だ。
今の俺には、どの植物を剪定すれば道ができるのかはっきり分かる。
だがこれだけでは、道無き道へと踏み出し虚をついた分の時間しか稼げない。
超スピードとはいえ植物を刈らねばならない分、タイムロスのほうが大きいぐらいだ。
事実、曲がり角から顔をだした先輩が、距離を縮めて俺を掴もうとする。
だが――。
「なっ!?」
先輩が驚愕の声を上げる。
何故ならば、刈り取られ左右に開けたはずの植物達が、一斉に先輩の行く手を塞いだからだ。
そう、俺――もとい俺の魂は植物を刈り取るだけでなく、次に通る者の進行を邪魔するように、絶妙なカットを施していたのだ。
逃亡のために売り渡された魂が俺の逃亡を助けるとは、皮肉な話である。
「こ、の!」
先輩が目の前の枝を木刀で切り払う。
すると今度は彼女の手首に蔦が巻き付き、先輩の動きを阻害する。
巻き付いたのは手首だけではない。
蔦は先輩の足、首、胸の下、胸の谷間、バストサイズを計るように地球一周と、まるで意志をもつ生物もしくはエロゲ界の触手かのようにうねり、先輩を拘束していく。
「ひぅ、ぐ」
先輩が体を捻りながら喘ぐ。蔦は彼女が体をよじるたび、食い込むようであった。
正直辛抱たまらない光景である。
ずっと見ていたい。
「ヒラク様」
だが、そんな場合ではない。今は拘束できているが、所詮蔦だ。
破られるのも時間の問題だろう。
「わかっている……!」
欲望をぐっと押さえた俺は、再び草を刈り取りながら反対側の路地へと抜けた。
「君は……君は何がしたいんだー!」
先輩の遠吠えが耳に、そして心に響くが、振り向かない。
先輩がこの追いかけっこの意味を知るのは、もう少し先である。




