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少年と玄関先

「こ、コンニチハ」


 玄関を開けたら、そこには小さな同級生、中見沢あげはがいた。

 おっかなびっくりといったその挨拶に、俺もまたおっかなびっくり会釈を返す。

 

 何故この女が玄関口に立っているのだろう。

 まさかこの女、いくら俺が好きだからといってストーカーまで始めてしまったのか。

 しかし今はまずい。家の中には愛しの先輩がいるのだ。

 今先輩とこいつがかち合えば、俺をめぐる修羅場が巻き起こることは必定である。

 最終的には二人まとめて面倒見てやるという結論に向かう予定だが、今の弱った体では若干厳しい。


「ええと、プリントを届けに来たんです……だけど」


 などと俺が妄想をしていると、中見沢はいきなり怒鳴られたと勘違いしているようで、奇妙な言葉遣いをしながらそう言ってきた。


「我が校にそんな古めかしい習慣残ってたか?」


 小学校の時ならいざ知らず、休んだ日に配られたプリントなんぞ登校してからまとめて読むものだと思っていた俺は、首を捻った。


「古典の小田先生から明後日までにやってこないと補習だって」


 すると中見沢は、自らの通学バックの中からクリアファイルを取り出し俺に手渡してくる。

 

「それが病人にする仕打ちか!?」


 病床の身で古典の宿題なんぞやったら入院してしまう。

 冗談であることを願いつつ俺が中身を取り出すと、確かにそこには古典の宿題らしきペラ紙。

 そして、先ほどの中見沢の発言が脅しでない事を裏付ける小田女史からのメモが同封されていた。


「……眩暈と悪寒がしてきた」


 その内容は我門ヒラク氏の成績がいかに綱渡りであるかを懇切丁寧に説明したものであり、是非親御さんにも見せてくださいとの一文もあったので、俺はこれをとっとと鼻紙として処分してしまうことを心に決めた。


「風邪、ひどいの?」


 鼻水が出ないかと待ちかまえている俺に、中見沢が眉をひそめて尋ねてくる。

 本当に心配そうな表情だ。健全な男子高校生であれば勘違いしてもしょうがないような表情だ。

 しかし俺は騙されない。この女は間違いなく俺に惚れている。


「元気そうに見えるか?」


 中見沢は俺に惚れているのだが、今は先輩の応対中だ。

 体調不良をアピールしてとっとと帰っていただこう。


「いきなり怒鳴りつける元気はあったでしょ」


 そう思ったのだが、この女小賢しい口ですらすらとそんなことを言い返してくる。


「あれは悪かった。癇癪を司る悪魔風邪の仕業だ」


 しかしまぁ、確かに女子を怯えさせるのは俺の流儀ではない。

 俺は素直に中見沢に詫びることにした。


「ヒラク様。私のせいにしないでいただきたいのですが」


 後ろで悪魔が不満げに呟くが、半分は風邪のせいにしてやったのだから感謝してもらいたいぐらいである。


「悪魔風邪……」


 一方中見沢はと言えば、俺が適当に作った言葉を何やら感じ入ったように繰り返している。


「……この設定使って良いぞ。お前のオリジナル漫画に」


「ま、漫画なんてまだ描けないわよ!」


 優しい俺が著作権を投げつけてやると、中見沢はあわわとなってそれを否定する。


「まだと申したか」


 いや、微妙に否定し切れていない。


 二次創作だけでは我慢できず、オリジナルへと走り始めたかこの女。

 祝福してやるべきか泥沼にはまったことを両親の代わりに嘆いてやるか判断には迷うところである。


「その、隠れて漫画まで描くのは、難しいと思うし……」


 しかも俺は思いつきで言ったというのに、思いの外真面目に検討している。


「隠すつもりならば、このクリアファイルはやめておけ」


 そんな中見沢に言いながら、俺は古典のプリントをクリアファイルから引き抜いた。

 そしてクリアファイルのほうを中見沢に差し出す。

 実はこのクリアファイル、外側にはアニメのキャラクターらしき耽美な男が描かれており、これを見られればオタクでは無いなどと説明不可能な代物となっている。


「これは普段使い用じゃなくて鞄に入れてるだけです! ……私のと混ぜると悪いかなと思ったのよ」


 俺にそれを渡された中見沢は、先ほどよりひどい狼狽ぶりで勢いよくクリアファイルを引ったくりかけた。

 だが、直前でそこに描かれた牙の生えた男にほだされたように、そろっと俺の手から受け取り直す。

 それから、まるで遺影のごとくその男の顔を俺に向けてクリアファイルを抱えた。


「そんなに見つかったらマズいものなら何故持ってくる」


「だ、だって。せっかくのクリアファイルだし使わなかったら蘭丸様に失礼だと思って……」


 何やら軽くイラッと来た俺がつっこむと、中見沢は体をいじいじと捻りながらそう答える。


「隠して使う方が失礼だろうが。もういっそ自分がダメダメでニワカなオタクなのだと公表してしまえ」


「で、できないわよ! 今の友達には引かれるだろうし、他にそういうグループもあるけど、皆絵とかも描けて、他のアニメにも詳しいし……」


 更にイライラッときて俺がそう言ってやると、奴はわりと深刻な調子でそう返してきた。

 胸に抱えた蘭丸さまがぐにゃりと歪む。

 なるほど。こいつとしても自身が宙ぶらりんなのは悩み所らしい。


 アニメにハマったなどということを公表すれば現在のクラス内ヒエラルキーからは問答無用で転げ落ち、かと言って駆け出しオタクなので裏ヒエラルキーを牛耳るオタクグループには加われない。


 常にエロスのある方向。女子のいる方向へと邁進してきた俺には関わりの無い悩みだ。

 しかし十代において自身の立ち位置の確立というのは、ありふれた悩みながらもなかなかの重大事だ。


 ……だが、俺は今先輩のことで手一杯である。こいつの立ち位置云々の話なんて、関わっている場合ではない。

 だから――。


「……なら、絵でも漫画でも、それっぽいのが出来たら見せてみろ。面白かったら読んでやる」


 息を吐きながら、俺は中見沢にそう告げた。

 この辺りが、手一杯になった後の足いっぱいである。


 俺の精一杯の譲歩に対し、中見沢は一旦目を丸くして頷く。


「って、読む前に面白いかどうかなんて分かる訳ないでしょ!?」


 だが、途中で気づいたらしくそんな抗議をした。

 惜しい。もとい細かい奴である。


「あぁもう。だから病人の前で辛気くさい顔をするな。悪化したらどうする」


 めんどくさくなった俺は、自身の体調を盾にしてこの話を終わらせてしまうことにした。


 変な宣言をしてしまったのが、今更恥ずかしくなってきた。

 そもそもこんな事を言い出してしまうのが、熱のある証拠だ。


「ご、ごめん」


「面白くなかったら、平成のブッダたる俺がえんぴつの削り方から指導してやる」


 律儀に謝る中見沢に対し、ふふんと胸を張ってみせる俺。


「貴方の指導なんか受けたら確実に有害図書扱いになるからお断りよ」


 すると中見沢はいつも俺を見るじとっとした目に戻り、ぴしゃりとそう言った。


「じゃぁ俺の悪魔パワーでびびびっと」


「ヒラク様。それは私のパワーでござ……」


「言ったでしょ。自分の力でやりたいって」


 続いて悪魔の誘惑パート2。しかしこれも、後ろで何やら抗議しようとした悪魔を偶然さえぎる形で中見沢ははねのける。


 この女は頑固者だ。三歳前からの教育がモノを言うとされている現代社会において、あんな絵心をどこかに忘れてきたような代物が独学で形になる日など何時になるというのか。


 手を貸してやろうと言ってもこの有様だ。取り付く島もない。


「何笑ってるのよ」


「いや、お前がどんな物を描いてくるか想像してな」


 だがまぁ、わざわざこの答えを聞くために問うた俺も、相当病んでいると言わざるを得ない。

 もちろん、正に今現在風邪を引いている最中なのだが。


「失礼な! ていうかまだ描くなんて言ってないです!」


「はいはい。楽しみにしているぞ」


 含み笑いを抑えきれない俺に、中見沢はぷりぷりと怒る。


 だが、俺はそんなお前を尊敬しているのだ。


 熱に浮かされている今なら、モノローグの中でなら言ってやろう。

 立ち位置の問題に関しても、こいつは自分で決めて納得の行くように進んでゆくに違いない。


「んもぅ……」


 子牛のように鳴いて、中見沢は長く息を吐く。

 カウベルでもつけてやりたくなるが、それで中見沢は落ち着いたようだった。

 俯き上目遣いのあざとい仕草の子牛は、耳をぴこぴこと動かしながら「それと」と呟く。


「なんだ?」


 程良く虚構の世界に足を突っ込みながら俺が返事をすると、中見沢牛は草を食むように口をもごもごと動かしながら言った。


「先輩のこと、よろしく」


 言われた瞬間、俺の鼻奥に溜まっていた鼻水が噴出した。


「きゃわっ!」


 飛沫がかかりそうになり、中見沢が素早く飛び退く。

 さすが剣道経験者と誉めたくなるような反射神経である。

 もはや牛などと形容するのは失礼だろう。


「な、何故先輩のことを……?」

 

 ぽろりと角が取れた中見沢を余所に、俺の鼻からは今の衝撃で栓が壊れたかのように、塩水が止めどなく流れる。

 ぼたぼたと落ちるそれを偶然持っていたちり紙で押さえながら、俺は問いかけた。


 何故こいつはこの奥に先輩がいることを知っているのだ。

 中学時代は子犬のように彼女をついて回ったと言うから、今の俺とは正反対の優秀な鼻を持っているのか。


「な、なんでって……別に理由なんて無いわよ」


 俺が混乱し、思考をこんがらがらせていると、中見沢もまた混乱している様子でそう返した。


 ……なるほど。今、俺の家に先輩が居ると知っていて発言した訳ではないらしい。


「と、いうか……大丈夫?」


 鼻水を流しながらほっとした表情をする俺を心配そうに、もしくは怪訝そうに見ながら、中見沢はこちらにティッシュを差し出してくる。


「大丈夫、だ」


 チーンと。

 指でつまんでそれを受け取った俺は、そいつで鼻の氾濫を鎮圧した。


 そうだ。家には今先輩が居るのだ。

 別に忘れていたわけではないが、すっかり中見沢と話し込んでしまった。


「……どういう風の吹き回しだ? あんなに先輩のことを知りたがっていたのに」


 もしかして、この会話は先輩に聞こえているのだろうか。

 中見沢の奴がずいぶん大声で騒いだので、聞くつもりが無くても聞こえてしまうかもしれない。


 しかし、それでも気になる。家の中を気にしながらも、俺は中見沢に尋ねた。


「貴方が先輩のこと、私に隠したがってるのは知ってる」


「う……」


 すると中見沢は、じろりと俺を見て呟いた。

 やはりこの前の説明では納得が行かなかったか。

 ラストは思いっきり逃げ出したわけだし納得していたら逆にびっくりである。


 じりっと一歩引き、またしても逃げだそうとした俺を、中見沢は更に睨んで言葉を続ける。


「助平だし、人を脅したりするし、最低の人間……」


「あれは、その……」


 先輩が聞いているかも知れないところで、そんな話をしないで欲しい。

 彼女の中にある清らかな俺のイメージが壊れてしまうではないか。

 

 何とか弁明しようとするも熱のせいか反論できず、口をパクパクとさせる俺。

 それを見て中見沢は一旦言葉を切り、ため息を吐く。

 それから、目力を和らげて言った。


「でも、先輩のことを傷つける人間じゃないって、信じてるから」


 それを聞いて、俺は一瞬呆気にとられた。

 中見沢が俺をそんな風に評するなんて。


 その表情に陰りが見えるのは、自分が先輩を傷つけてしまったと気づいているからだろう。

 だから、私の代わりに先輩をよろしく。と言うわけだ。

 やはり先輩は、今も中見沢にとって大切な人なのだろう。


 先輩はこれを、聞いているだろうか。


「あぁ、もちろんだ」


 俺にも、先輩を傷つける気などない。

 頷いた俺だが、中見沢はしばらくの間まだ何か言いたげにしていた。

 しかしやがて、何かを振り切るように頭を振った奴は、「それじゃ」と言って一歩二歩と下がった。


「……しっかり体を温めて休みなさいよ」


 それから、自分が玄関前で立たせていたことをすっかり忘れたような台詞をのたまう。


「あぁ。ありがとうな」


 しかし寛大な俺は、中見沢に対して素直にそう言うことにした。

 色々と礼を言いたい気分だったのだ。 


 帰ろうとしていた中見沢だが、俺の言葉を聞くとピタッと足を止める。


「……貴方もお礼が言えるのね」


 それから目を丸くし、本当に意外そうに呟いた。


「スカートめくればいつでも言ってやるぞ」


「ばか。あほ。色欲魔」


 そうして俺の軽口に対しえらく歯切れの良い罵倒を返した中見沢は、今度こそ玄関から去ったのであった。


「……照れ隠しというモノが分からんのか、あいつは」


 頬をかきながら呟いた俺も、きびすを返して家の中に戻ることにする。

 だが振り向くと、いつも後ろについている悪魔がいない。

 まぁ奴のことだから、勝手に家の中へ戻って茶でも飲んでいるのだろう。

 それよりも考えるべきは先輩のことだ。


「お待たせしましたー」


 廊下を歩きながら、俺は先輩に呼びかけた。

 ずいぶん彼女を待たせてしまった。

 先輩は俺達の会話を聞いていたのだろうか。

 だとしたら最後のスカート云々はまずかった気がする。

 俺がエロ小僧のように誤解されてしまうではないか。

 どうも中見沢と喋っていると口が滑っていかん。


「先輩ー?」


 その辺りは後で弁明するとして、まずは中見沢が先輩を恨んだりはしていないということが彼女に、しかも間接的に伝わったのは大きな収穫だった気がする。


 本人同士が対面すれば、いっぱいいっぱいになりやすい中見沢と先輩のことだから、とんでもない事態になり得た可能性がある。

 例えば互いに謝り謝り倒した末、結果関係がもっとこじれてしまうとか。

 それを、多少コスい方法とはいえ回避することが出来た。


「お待たせしました先ぱ……」


 もしかしたらば、事態はこのまま収拾するのではないだろうか。

 そんな淡い期待を持って、俺は居間へと戻ってきた。

 しかし――。


 居間にはいつの間にか悪魔が居座っており、希少なことに難しい顔をしている。


 そして先輩は、まるで打ち上げられ積み上げられた藻のように、ぺたりと床に座っていた。


「せ、先輩! どうしたんです!?」


 まさか俺の風邪がうつったのか。そう判断した俺が彼女の肩を掴むと、先輩が顔を上げた。

 前髪の間から瞳を覗かせた彼女は呟く。


「君は、優しいな」


 俺は何か地雷を踏んだらしい。

 先輩が放った声音は鈍感な俺に一発でそう感じ取らせるほど、暗い感情で満ちていた。

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