少年と契約
「勘違いをされているようですが、ここに表示されているのは才能ではありません。現状の身体能力、そして他の得意分野を鑑み、今これをやったらこれだけ出来るだろうなという数値です」
目を覚ますと、そこは見知らぬとは言わぬがあまり縁のない天井であった。
「才能というものは不確かかつ、それがあったからと言って一定の成長率を保証するものではありませんからね。もちろん才能など存在しないという綺麗事を言うつもりはありませんよ?」
基本的には俺にとって健康診断しか用がない場所。保健室である。
「ですからあまり気を落とさない方が良いでしょう。例え、プフッ。スケベ心しか取り柄がないとしても」
俺の寝ているベッドに腰掛け、つらつらとまくし立てる者がいる。
背中に羽を生やした薄気味悪い男。自称悪魔である。
正直内容を理解できたとは言い難いが、こいつが俺を馬鹿にしていることだけは分かる。
「つまり、俺には才能が無いなどと儚む必要は無いわけだな」
「はい。レベルに関してはちょっとしたきっかけでグンと伸びる方がいらっしゃいます。いくら散々な現状であったとしても、自殺等を考えることはないでしょう」
「そんなつもりは最初から無い……」
悪魔は羽を伸び伸びと伸ばしながら、楽しそうに語っている。
おかげで少し目線を下げると、俺の視界は奴の羽暗黒一色で染まった。
「安心いたしました。貴方様とはこれから商売のお話がしたかったので」
「商売? ……いや、その前に俺はどうなったんだ?」
正直、自分は死んでしまって、保健室型の天国にでも連れて来られたのかと思うような目覚めである。
ただ目の前にいるのがこの不吉そのものっぽい男なので、それは無いだろう。
「バレーボールのクリーンヒットで気絶なさいました。それを発見したご友人がこの場所まで運んでくださったのですよ」
俺の問いかけに、悪魔は無駄に軽薄な笑顔を浮かべて説明した。
友人とは多分、原田のことだろう。
上半身を起こし、悪魔の羽を押しのけて時計を見ると、五時間目の半ばであった。
「……今、俺はお前に触れたな」
それから、遅まきながら自分がえらく不気味な物に触れたことに気づき、顔をしかめる。
「貴方にだけはワタクシが見え、そして触れられるようになっております。そういう契約ですので」
「俺は悪魔なんぞと契約した覚えはない」
多少邪なところもあったが、俺は犯罪行為などには手も染めず、清らかな体で通してきた。
水清ければ魚棲まずと言うが、俺が女子にモテ辛いのはこの清廉潔癖さのせいかもしれない。
「いえ、神様との契約です」
一方でこの淀んだ目をした淀み系悪魔のナントカは、澄ました顔で恐ろしいことを言い出す。
「神様は悪魔となんか契約するのか。世も末だな」
「世紀末は大分前のことでございます。それ以前から、神は悪魔に人との商談を、限定的ながら許可しておられるのですよ」
俺がシニカルにふっと息を吐くと、悪魔はピンと指を立ててそんな事をのたまう。
そう言えばどこぞの宗教では、神は人を試すため敢えて悪魔の所業を見逃すとか聞いたことがある。
そうやって降りてきた悪魔が、人間に対し良からぬ提案をするのだ。
「商談と言ったな。どうせ魂をくれと言うのだろう。そうして俺が願ったことを強引に解釈した上適当に理由をつけて、願いを叶えずに魂だけを持っていくつもりだろう」
しかしそういった話のお約束で、こういった輩と関わって美味いところだけじゅるじゅると吸えることなど滅多に無い。俺は警戒心をあらわにした。
「悪魔への偏見に満ちたひどいお言葉ですね。こういった場合、大抵人間のほうが悪どい手段をとって悪魔を騙すものなのですが」
全力で拒絶の姿勢を示す俺に対して、悪魔はため息を吐きながら嘆いた。
しかしそんなものに騙されはしない。あぁいうのは珍しく人間がやり込めた逸話が物語として残っているだけで、普通は悪魔が魂をせしめてうっしっしというのが定型に決まっているのだ。
でなければ、悪魔が悪魔と呼ばれる訳がない。
「まぁ、代償に魂を捧げるというのは、確かに躊躇せざるをえない契約だというのも分かります。昔はともかく最近は今世だけでなく来世まで見据えて人生設計を練るお方も増えておりますからね」
尚も警戒を緩めない賢い俺に、勝手な解釈をしてうんうんと頷く悪魔。
「いるのかそんな奴」
その勝手な解釈っぷりに、俺は思わずつっこんでしまった。
「ええ。そこで当社では、そういった方への格安プランをご用意しています」
そのおかげで話が前に進んでしまい、歯噛みする。
「当社?」
しかしここまで聞いてしまったら引き下がるのも寝覚めが悪い。俺はとりあえず話を聞いてしまうことにした。
決して心がちょびっと揺れ動いているせいではない。
「悪魔にも社会がある以上、会社もあるもの当然でございます。八割はペーパーカンパニーでございますが、我が社は違いますよ。あ、これ名刺です」
ペラペラとまたしても人を不安にさせるようなことを言いながら、悪魔は名刺を俺に差し出す。
胡散臭く思う視線を隠さずにそれを受け取って読むと、そこには「有限会社ソウルパッカリ ボレト」と書いてあった。
住所は地獄の四丁目であるが、確認できないので俺にとってはペーパーカンパニーと変わりがない。
「なんだこのふざけた社名は」
「ワタクシもそう思うのですけれどねえ。まぁ分かりやすさが優先ということで」
俺が問うと、社会人には社会人の苦労があるのか、若干疲れた顔をしながら悪魔が吐き出す。
「……いや、この名前から伝わることは頭の悪さだけだ」
しかしのぼんとした学生である俺にはその辛さは図りようがない。というか奴が何を言っているのかもさっぱり分からない。
疑惑の目を更に強めた俺に、悪魔はまるで仕方がないとでもいうようにしぶしぶと話し出した。
「つまり当社は、従来のように契約者様から魂を丸ごといただくのではなく、その中から一部だけを切り取っていただく会社なのでございます」
話しながら、悪魔が両手で丸を作り、それを半分に割って見せた。
「魂を、切り取る?」
「えぇ、最近まで魂というのは一個の物体だと考えられてまいりました。しかしそうではありません。魂というのは、その人間の様々な面の集合体なのです」
「まるで分からん」
「つまり、芹沢真子であればS気、バレーボールの素質、博打好きが寄り集まって、彼女の魂というものを形成しているわけです」
「ちょっと待て、最後のなんだ!? そんな物が彼女の大部分を形成しちゃってるの!?」
「ええ、そして我々は、その中から例えばバレーボールの才能だけを切り取り、他の魂に移植する事ができるのです」
「そこ切り取ったら芹沢さんがひどい事になるだろうが!」
「はい、ひどい事になります。ですからお客様の一番いらない部分をワタクシどもに譲っていただいて、我々はお客様の望む別の魂の一部分――例えば学力だとかコネを作る力だとかを差し上げるのです」
人の想い人を残念扱いしながら、悪魔は彼女を例にとって話を進める。話は半分程度しか理解できないが、要するに自分の要らない能力を渡して、代わりに望んだ能力をくれるという事なのだろう。
確かに美味しい話だ。しかし今度は美味しすぎる。
「それでお前らに何の得があるんだ。博打好きの魂なんてもらってもしょうがなかろう」
俺が問いかけると、悪魔はよくお気づきになられましたとでも言うように深く頷くと、ベッドから立ち上がってカーテンで仕切られたその回りをうろうろと歩き出した。
「我々の本来の仕事は、人間からいただいた魂を他の悪魔に売る事であります。売られた魂は、食用、愛玩用と様々な用途がございますが、有能な人間の魂であれば高く売れるというものではありません」
なにやら物騒な話である。食用て。美人な悪魔に愛でられる一生もとい生の後というなら悪くはなさそうだ。
が、世の中の男性が皆有閑マダムのヒモになどなれないように、その末路は相当確率が低い匂いがする。
俺がそんな不安に苛まれているのに気付いているのかいないのか。悪魔は指を立てながら話を続ける。
「大事なのは組み合わせなのです。例えば他の悪魔との戦いに使う戦闘用の奴隷の魂が必要だとします。そんな時に運動能力は高いけれど気高い魂があったとして、奴隷としてきちんと働いてくれるでしょうか」
今度は戦闘要員と来た。体力が高いとは言えない俺ではその需要もないだろうから安心だが、原田辺りならぴったりだろう。
「そこに誰かが要らないといった魂の愚鈍な部分を持ってきて、気高さの代わりに切り貼りします。すると主人に忠実で運動能力も高い魂が誕生するのです」
そう考えていると、悪魔がちょうど原田のような人物像を挙げた。なるほど、アホなやつはアホな奴で需要があるらしい。
しかしである。俺も学力は確かに低いが、戦いにいけと言われてはいほいと従うような素直さは持ち合わせていないつもりである。
「そこで貴方のスケベ心です」
ぴたりと、ベッドに座った俺の正面に立ち、悪魔は言った。
「このスケベ心というものは、貴方にくっついている内は、無駄な煩悩のせいで貴方を振り回し、欲に溺れさせ、女子からは汚物グロ画像床に張り付いたガム以下の扱いをされるだけでしょう」
さすがにそこまでの扱いは受けていない。せいぜい道路で潰れた野生動物のような、「嫌な物を見た」ぐらいのソフトな扱いである。
俺は抗議の意味をこめて憤然と男を見たが、奴にとっては何処吹く風のようでまるで意に介した様子はない。
代わりに悪魔は、こう問いかけてきた。
「しかしです。あなたはちょっとエッチなお姉さんは好きですか?」
「嫌いな奴がいるか」
「性欲を持て余した昼下がりの人妻は」
「慰めに行く」
「芹沢真子が嫌いなはずの貴方にあれやこれやされるとつい、しとどな感じになってこんな奴に……でもイイッ! みたいになったらどうでしょう」
「辛抱たまらん」
意図は分からんが正直に俺が答えると、悪魔はうんうんと頷いた。
悪魔とて、もしくは悪魔だからか、人間の浪漫を解することがこいつにもできるらしい。
「イグザクトリィ。エクセレント。つまり貴方にとっては人生の重みでしかないスケベ心というものも、美しい女性につけばまさしく可能性無限大の宝の山となる訳です」
そう言われ、俺はようやく話を理解する事ができた。
確かに性欲というものは男に溢れていればきちゃない物だが、美人な女性についていれば万々歳な代物である。
俺が思わず納得の色を浮かべたのを見て取ったのか、男はにやりと笑う。
それはまさしく悪魔の笑みと許容するに相応しい濁りきった物だった。
「貴方は余計な煩悩のせいで失敗する事がなくなり、その分受け取ったスキルで人生を面白おかしく暮らせる。ワタクシどもはスケベ心を様々な女性の魂につけて高額で売る。これこそがWinWinの関係というものです」
「そういう物か。ううむ」
なるほど、確かに筋は通っているように思える。しかし悪魔の言うことだ。完全に信用するのは危ない気がする。
俺が首を捻り、唸り声を上げていると、悪魔がぴっと指を立てて言った。
「迷っていらっしゃるのでしたら、試用期間というものを設けてみましょうか」
「試用期間?」
先程とは別方向に首を捻る俺。悪魔はそんな俺に対し、指を立てて提案を始めた。
「ワタクシがこれから貴方様の生活を一ヶ月間サポートさせていただきます。その間に欲しいスキルがあればおっしゃってください。無料で魂にお付けいたします」
何やらRPGのような言い方である。そう言えばネットゲームなどでも便利なアイテムをしばらくの間無料で販売し、客がそれ無しでは居られなくなってから値段を吊り上げるという商売があった。
「その一ヶ月で、気に入るスキルがあればそちらを差し上げます。もちろん釣り合うだけのスケベ心はいただきますが。しかし気に入らなければ今回の取引は白紙で結構でございます。更に一ヶ月の間に貴方様が何か有用なスキルを身につけ、それを取引に使いたいと申されるのであれば応じましょう」
男の物言いは正にそれである。やはりこの取引には何か裏があろう。こんなことを知ってしまっては絶対に元の生活には戻れない。
そう考えながらも俺は――。
「そこまで言うのなら、ちょっと試してみよう」
こう言ってしまっていた。
実際俺は人生をやり直せるかのような悪魔の提案に最初から心を――いや、魂を奪われていたのである。