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少年と熱病

「ごめんなさい。お待たせしました」


「おかえりなさい」


 階下に戻った俺がそう言うと、椅子に座った先輩は気にした様子もなくそう返してくれる。

 先輩におかえりなさいを言ってもらえる日が来るとは……俺は毎日これを言ってもらえるように鋭意努力しなければならない。


「と言うわけで、連絡先の交換良いですか?」


 まずはその為の一歩を踏み出さなければ。

 そのような訳で俺は、先輩に自らの旧式携帯を差し出したのだが……。


「ごめん。私は携帯電話を持っていない」


 俺より旧式な――もといレトロ主義な人が、目の前にいた。

 そう言えばこの間先輩から呼び出されたときも、連絡自体は弟の携帯電話によって為されたのであった。


「えーと、宗教上の理由か何かですか?」


 花の女子高生たるものが、必須アイテムの携帯電話を持っていないというもの珍しい気がする。

 携帯電話を引っ込められないまま俺が尋ねると、先輩は髪をばさばさと振りながらそれを否定した。


「かけてくる相手がいないし」


 そして先輩が口にしたのは、非常に分かりやすく、かつわびしい理由だった。


「俺がいます」


 思わず携帯電話をしまい込み、自らをアピールする俺。

 先輩はそれに目を丸くしながらも、俺がさり気なく手を握ろうとしたのはさっとかわした。


「先輩が携帯電話を買ったのなら、24時間先輩に愛をささやき続けますから」


 しかしそれにもめげず、俺は彼女に自らの覚悟のほどを伝える。


「……眠れない」


 だが、はじめの一歩としては重かったらしく、先輩は上がり気味だった眉の位置を若干下目に顰めてしまった。


「じゃぁ3時間ぐらいで」


「それでも長い」


 仕方なく心臓が止まりそうなぐらい大幅な妥協案を口にするが、それでも彼女は不満なようである。


「分かりました。一日10分の通話で驚くほど俺が好きになるようにしてみせますから」


「ヒラク様。怪しげな通販のようになっております」


 何事もまずは一歩目からだとそんな文句で売り込んでみるが、今度は悪魔から茶々が入る。

 うるさい黙れとひと睨みしてから先輩に視線を戻すと、彼女は何かを思案するように俯いていた。


「……君は、誰にでもそんなことを言うの?」


 俺がその顔に見惚れていると、沈黙をしていた先輩は不意をついてそんなことを尋ねてくる。


 拗ねているとか照れている、というよりは本当に不思議そうな先輩の表情に、俺の胸はビクンと跳ねる。


「い、いいえ。この文句を使ったのは先輩が初めてです。思いついたのも今ですし」


 それに押されるようにして、俺は慌てて弁明をした。


 俺のメモ帳には女性に告白するための言葉が百は書き溜めてあるが、今回は溢れる思いを素直に口にしただけだ。


 そもそもこんな事を毎度口にしていたら、携帯電話のセールスマンだと勘違いされかねない。


 ……ただし似たような文句を言った覚えがあるかと聞かれれば目を背けざるを得ないが。


 俺の狼狽に気づいたのか、先輩は小さくため息を吐いた。


「いくらそんなことを言われても、私は昔のようには戻らない」


 そうして、少々いじけたような調子で呟く。


「はい?」


 先輩は何を言っているのだろう。

 彼女の言葉の意味が分からず、俺は思わず聞き返してしまった。

 何故先輩に愛を囁くことが、彼女を昔の先輩に戻す事に繋がるのか。


 すると先輩も俺と同じように目を丸くしてこちらを見つめてくる。

 先輩と見つめ合っているというのは非常に心地の良い状況なのだが、どうやらお互いの認識に致命的な食い違いがあるようで落ち着かない。


 先輩が何かを勘違いしているのは分かるのだが、それが何かが分からないのだ。

 口をぱくぱくと動かすのみに留まる俺。

 それに対し、先輩も同じ餌をつまむ金魚のようにぱくぱくとした後、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「ええと、だから……君はこんな陰気な私ではなく、その、剣を握ってそれなりに見栄えが良く……いや、見栄えが良いと言っても今の私よりはという意味で……とにかく君はそんな私が目当てで、私にそんなことを言うのでは、ないのか? ……ないのかと」


 指をぐにぐにと動かしながら語る先輩は非常に可愛らしい。

 しかし指と同じように話もぐにぐにとぐにぐにと遠回りするので、俺は彼女が何を言っているのかしばらく把握できなかった。


「……えーと。あぁ、そういうことですか」


 それから彼女の台詞を脳内で推敲し、ようやく先輩の台詞の意味が飲みこめた俺はポンと手を打った。


 要するに先輩は今の自分にまるで自信が無く、そんな自分に惚れる男がいることなど信じられない、という話のようだ。


 とんでもない話だ。

 今まさに可愛さアピールをしながらそんなことをのたまうのだから、よりたまらない。 


 俺は誤解を解くため真っ直ぐに先輩を見つめると、彼女へと告げた。


「俺が一目惚れして、結婚を決意したのは今の先輩ですよ」


「え……」


 先輩は勘違いをしている。

 今の自分には魅力などないという勘違いだ。

 おそらく先輩は中見沢の時と同じことが起こらないよう、自ら人と関わらないように、そして相手からも関わりづらいように容姿や振る舞いを変えたのだろう。


 だがそれでも先輩の魅力を消すことなどできない。

 むしろ今までを陽の魅力とするならイメチェンしたことにより新たに陰の魅力を発揮させ、俺を引き付けたのだ。


 この容姿になってから先輩はまるでモテなくなったと言うが、俺としては世の中の男子はどれだけ見る目が無いのかと憤慨するところである。


「あぁでも」


 そんなことをひとしきり考えてから、俺はふと思い出して言葉を続けた。


 俺にだって、先輩に不満がないわけではない。


「何?」


 すると先輩がじっとこちらを見てくる。

 先輩が人を遠ざけるのは、人を傷つける事を恐れているからだけではない。

 同じぐらい、自分が傷つくことも恐れているのだ。

 彼女はそういう、か弱い女性なのである。


「もうちょっと前向きになってくれたら、もっと好きになります」


 そこも先輩の可愛らしい所だとは思うが、それでももう少し人を、俺を信じてくれても良いのでは無かろうか。

 俺が、先輩のような可愛らしい女性を傷つけようとするはずがない。

 ……おそらく、多分。 


 そんな自信のなさで我ながら少々情けない表情になりながら、俺は彼女に笑いかけた。


「……」


 しかし先輩は、それに対し何の反応も示さない。


 もしかして、今の台詞はかなり寒かっただろうか。

 そう思えば常駐スキルである先輩の氷の美貌が、今は更に凍り付いていて鉄のごとくカチコチになったような気さえしてくる。


「あ、あの、先輩?」

 

 心配になって俺が腰を浮かしかけたところで、先輩がぶるりと小さく体を、そしてその振動が伝わり増幅されて乳を揺らしながら顔を上げた。


「そんなことを言われたのは、初めてだから……」


 そうして彼女は、少々恥ずかしげにそんなことを言った。

 

 乳表情セリフのインパクトが同時に着弾し、今度は俺のほうが機能停止する。


 乳と表情に関しては映像部のほうに処理を担当させるとして、初めてだからとはどういうことか。


 俺が先輩の初めてを奪っちゃったということか。

 それはそれでもの凄い重大事だが、ポイントとして押さえるは別の場所であるような気がする。


 いやしかしそれにしても乳と照れ顔と初体験である。


「ヒラク様。ナイスでございます」


「ほ?」


 そのまま無限地獄に突入しそうな俺の思考を寸断したのは、背後から聞こえた熱意の篭もらない拍手であった。


 俺が思わず振り向くと、悪魔はやはり胡散臭い笑みを浮かべて手をたたいている。


「この反応はつまり、ヒラク様の告白が彼女の心にガツンと響いたということでしょう。素晴らしい口説き文句でございました」


 そうして奴は、大げさな態度で先輩の心を解釈してみせる。

 俺としては何がどうなって、そんなハッピーな結論に至るのか皆目見当がつかない。


 いや、しかしどうだろう今の先輩の様子は。

 俯き、体を揺するその様は初めての感情に――つまりは愛という感情に戸惑っているようには見えないだろうか。


 彼女は今確かに、愛にうち震えている。


「ありのままで良い。でも少しわがままになっても良い。これは女性を口説く上で現実創作を問わずの殺し文句でございます」


 俺がその様に感動していると、背後の悪魔がオペラ歌手のように手を広げて語る。


 俺は思ったままを言ったはずなのだが、そう解説されると自分が詐欺師にでもなった気分になる。


「あの……」


 俺が憮然としていると、先輩がこちらを怪訝そうに見てきた。

 いや、その視線にも何やら熱が篭もっているように見える。


 そうだ。こんな悪魔には構っていられない。問題は先輩の方である。人生の問題は常に先輩であると言っても良い。


 先輩は今きっと、とても心配なのだ。

 今の自分が、本当に受け入れられているのか。


「大丈夫です。先輩」


 彼女の言葉を遮って、俺は先輩の手を取った。

 俺の思いを伝えるには、もはやこの体の熱さで分かってもらうしかないと思ったからだ。


「え、あ……」

  

 先輩がぽつりと漏らす。

 彼女自身の熱は目に集中しているのか。その手は痛いほどに冷たい。


 ドライアイスにうっかり触ったかのごとく、このまま二人の手が張り付いてしまいそうだ。

 そんな風に俺と先輩の手は長く絡み合い、普段のように先輩の方から引き剥がされることはなかった。


 つまり、先輩は俺を拒否していない。


「大丈夫です。大丈夫。シンパイイラナイ」


「何、が……?」


 その重大な事実に気づいた途端、俺の中の炎はさらに燃え上がった。

 若干言語障害を煩うが、これも愛故である。


 先輩が俺を、シャボンのような潤んだ、せつない瞳で見つめる。

 妙に肉感的に見える唇が、何か言葉を紡いでいる。


 しかし今言葉は要らない。はずだ。

 そうだ。この唇を塞いでしまおう。


 俺が本能のまま考え、顔を近づけた刹那――。


 ぴんぽこーん。と、色気のない音が鳴った。


「あ……」


 恋の熱病(フィーバー)に冒されていた俺達は、その音でお互いが正気に戻ったと知る。


「……今、チャイムが」


「はい。誰か来たようですね」


 先輩が何故かホッとしたような表情で呟く。

 そうして彼女は、いつも通り指をするりと解いた。


 離れた指先には、冷気と名残惜しさがまとわりついていた。


「ヒラク様。ここは体勢を立て直すのが得策かと」


 背後の悪魔が、何やら訳知り顔で進言する。


「うぅ、では先輩少しお待ちを」


 こいつの言葉に従うのは癪だが、確かにこのまま押しても先輩の心は開けそうにない。


「あの、私が……」


「良いのです。先輩にそんな雑用をさせるわけには行きません。それに……」


 ぴんぽこーん。


 俺が言い掛けたとき、催促するようにもう一度チャイムが鳴った。

 無情な呼び出しは、別れの切なさすら理解しないようだ。


「あの下品な音のチャイムと鳴らした人間を一発殴らねば気が済みませんから!」


 宣言し、俺は玄関口へと猛然と走った。

 チャイムを壊し、玄関口にいるであろう人間を追い返すためだ。

 先輩を後回しにしてまで応対する客なんぞ、いるはずがない。


「ヒラク様。少々落ち着かれた方がよろしいかと」


「うるさぁい!」


 悪魔への叫びとともに、俺は勢い良く扉を開ける。


 するとそこには――。


「ど、どうも。え、ごめんなさい?」


 一人の少女。俺が突然扉を開けたおかげで呼び鈴に張り付いたような姿勢になっている小柄な少女。


 中見沢あげはの姿が、そこにあった。

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