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少年と風邪

 馬鹿は風邪をひかないというのは名言である。

 俺がそう思うのは、自分が毎年風邪をひいているからだ。 


 ある年は雪の中、意中の少女が出てくるのを待ちわびた末に風邪を引き(彼女はまるで別の場所にいた)。

 ある年は君への愛を証明しよう! と池に飛び込んだ結果風邪を引いた。

 その時は「馬鹿じゃないの?」と風邪が悪化しそうな冷たい目で見られたが、風邪をひいたということは俺が馬鹿ではなかった証拠である。

 布団の中でそう考えてニンマリした後、フられたことを思い出して俺は泣いたものだ。


「うぅ、頭が痛くなってきた」


 しかし風邪をひくというのは決して良い気分がするものではない。

 やたら気弱な考えになり、過去の悲しい記憶が蘇ってくる。

 今回の俺の病状は、まず関節が痛く、咳をするとそれが響くというものだった。

 熱は38度ちょうど。


 あまり症状は長引かない方だと自負しているが、それでもこの差し迫った状況では一日のロスも痛かった。

 外はもう夕暮れである。明日までに何とか直さねば……。


「おいたわしやヒラク様。私が看病できれば良いのですが」


 悪魔が目元にハンカチを当てながら、そんな風に嘆く。

 もちろんあのハンカチは一切の水分を含んではいないだろう。


「お前の顔が見えないことが一番の看病だ」


 少々かすれ声になりながら、俺は奴をしっしと追い払った。

 悪魔はもちろん俺以外には触れられず、完全にただのお喋りな置物と化している。


「こうなれば人肌で……」


「それ以上寄るなこの変態悪魔肌!」


 少し正確ではなかった。完全に不愉快でお喋りな置物となっている。

 俺はタキシードのボタンを外す悪魔を病床の身で必死に押し留めた。


 あぁ、こんな時傍に可愛らしくて清楚な女性が献身的に看病してくれればどんなに良いことか!などと考えていると……。


 ピンポーン。

 と玄関のチャイムが鳴った。


「おやおや」


 邪魔が入ってしまいましたねとでも言いたげなおそましいリアクションを取りながら、悪魔が上着を着なおす。


 ……まぁどうせこのパターンは夕だろう。

 うちの母が俺の不調を知らせたに違いない。

 母は家には居付かないくせに外には情報を拡散するのだから、まるでスパイか何かのようである。

 そして我が家から漏れる情報と言えば、繊細な年頃であるところの我門ヒラク氏のプライベートが主なのだからたまらない。


 どうせ夕のことだから、勝手に上がってくるだろう。

 そう思って俺が放置していると、少し間があってもう一回チャイムが鳴らされた。


「ヒラク様。どうやら従妹様ではないようですよ」


「……そのようだな」


 悪魔にそう言われ、俺はよいせっと体を起こした。

 あいつが二度も黙ってチャイムを押すとは思えない。

 要介護老人のごとく悪魔に手を貸されそうになったが、死んでもお前の世話にはならんとそれを跳ね除ける。


 そうして階下に行ってインターフォンを取った俺は、その声を聞いて飛び上がる羽目になった。


「……西暮と申します」


 西暮姓ではあるが決してあのヤクザまがいの方ではない。

 麗しき黒髪まみれの君。西暮雷花先輩の声が、そこから聞こえてきたのだ。


「い、今開けます!」


 急いで玄関まで走りそこを開けると、玄関先には確かに先輩が立っており、心の底が読めないようなミステリアスな瞳で俺を見ていた。

 今日は足首まで届く白のロングスカートを召しておいでであり、とても一瞬目を離したら目の前にいるような動きをする人とは思えない清楚さである。


「……こんにちは」


「こ、こんにちは」


 ハロウと挨拶されたのでハロウと返す。ここまでは良いが、先輩はそこから何を言うわけでもない。


「ま、まぁまぁ奥へ奥へ」


 対応に困った俺は、とりあえず彼女を家の中に招待することにした。

 事情は分からないが、玄関先に女性が立っている場合、例え吸血鬼だろうが家には招き入れるのが俺の流儀だ。


「はい」


 俺が彼女を中へと誘うと、先輩は特に躊躇うこともなくそれに従った。

 まだ接吻もしていないのに家庭の中に入ってもらうことになるとは、最近の恋愛は随分ハイスピードなものである。


 しかし最近の夫婦事情を鑑みるに、彼女にばかり家のことをさせるわけにはいかない。


「どうぞ」


「どうも……」


 彼女を居間へと案内した俺は、将来の予行演習もかねて彼女に茶と茶菓子を出した。

 茶菓子の好みは弟に聞いて把握済みである。

 堅く塩味控えめな煎餅をテーブルに置くと、俺は彼女の対面に座った。


「それで、今日はどの書類に判子を押せばいいんでしょう?」


 先輩がそのまま煎餅をカリカリとやり出したので、俺は椅子をテーブルへ近づけると彼女に問いかけた。


「……何の話?」


 髪にまみれた先輩の目が、くるりと丸くなって俺に向けられる。


「いや、先輩が家に来てくれるなんて、今ならどんな契約書にでもサインしちゃう気分だなぁと」


 その視線に照れながら、俺は彼女にそう説明した。

 ついでに言えば先輩が俺の家に来るなど、そうした差し迫った事情でもないとあり得ないと思ったこともある。


「ではヒラク様。こちらのノミ取りのスキルとスケベ心を交換するサインを」


 悪魔がどこぞから赤い文字で書かれた契約書を取り出してきたので、それは笑顔のままビリビリと破いてゴミ箱に捨ててやる。


「あの……」


 紙も悪魔の一部扱いで先輩には見えなかったらしい。彼女は一連の俺のジェスチャーに、更に困惑したような表情を見せた。

 が、途中で何かを諦めたかのようにため息をはくと、おずおずと言った。


「君……貴方を、看病しにきた」


「……はい?」


 十文字程度である彼女の言葉の意味が理解できず、思わず聞き返してしまう俺。


「ごめん、迷惑だった?」


 すると先輩はその意味を取り間違えたらしく、きゅっと肩幅を狭くするとそう問うてくる。

 服の上からでもその乳が隆起する様子がよく分かった。


「……」


「あの、やっぱり私……」


「いいいいえいえいえ! ただ突然だったのでビックリしただけで!」


 先輩が腰を浮かしかけた時点で、俺はようやく乳の呪縛、もしくは祝福から立ち直った。

 そして彼女の言葉の意味をついに理解し、ひどく狼狽える。


「お、おいこれ幻覚じゃないよな!? お前にも先輩が見えてるよな!?」


 しかし彼女の申し出が現実のものとは思えず、つい後ろで控えている悪魔に問いかけてしまう。


「貴方には誰が見えてるの……?」


 悪魔は太鼓判を押すように深くうなずく。よし、やはり夢ではないようだ。


「ちょっと待ってください! ナース服は在庫がありませんが白衣ならありますので!」


「お、お、落ち着いて」


 椅子を蹴って立ち上がった俺を、先輩は熱でおかしくなったと思ったのか、心配そうに制止しようとする。


「げほっげほ! も、申し訳ありません」


 先輩の願いが通じたのかそれとも急に暴れたせいか咳が出、俺はすぐさま椅子に座り直す羽目になった。


「だ、大丈夫……?」


 立ち上がった先輩が、俺の背後に回る。


 続いてひんやりと冷たいものが俺の背中に触れ、優しくそこをさすった。

 それはつまり、先輩の手である。


 その感触で俺は自らの背中がぐっしょりと汗にまみれていることや、顔も洗っていないことに今更気づく。思わず叫び出しそうになるが、焼け付きそうになっている理性で俺はそれを我慢した。


「ヒラク様。目ん玉が飛び出そうになっておいでですが」


 悪魔が余計なことを言うが構ってはいられない。

 あまりの衝撃で咳も止まったところで、俺は先輩に言った。


「も、もう大丈夫です。あの、台所にタオルがありますので……」


 こんな汗塗れの背中を躊躇無くさするとは、彼女はまさしく聖女である。

 しかしいくら何でもこれは申し訳ない。

 一刻も早く汗で汚れた手を拭いてもらおうと、俺がキッチンを指し示すと。


「それで体を拭けと?」


「殺す気ですか!?」


 弱った体に致死量な発言を、先輩がかましてきた。

 光景を想像しかけて鼻の奥がツンと来、俺は思わず叫んだ。

 元気なときならいざ知らず、美人が弱っている患者の体を拭くなんて刺激的な医療行為がこの世のどこにあるというのか。


 しかし先輩は俺の言葉の意味がよく分からないようで、可愛らしく小首を傾げている。


 今日の先輩はおかしい。妙に優しい。もしくは俺を殺しに来ている。

 そうだ、おかしいと言えば……。


「ええと、あの。先輩はどこで俺が風邪を引いていると知ったので?」


 ようやくそこに疑問を持って、俺は先輩に尋ねた。


「夕って子から、メールが来て……」


 それに対して、先輩がおずおずと答える。


「何故あいつが先輩のアドレスを知っているのですか!? 俺は弟のしか知らないのに!? げほっ!」


 あまりに予想外な情報伝達ルートに、俺は再びせき込んでしまった。

 先輩はそれを見て、今度はトントンと背中を叩いてくれる。

 あぁ……極楽じゃ。


「この前に助け……その、通りがかったときにお願いされて」


 昇天しかけている俺に、先輩は言葉を選びながらそう説明した。

 彼女が言っているのは、俺がデパートでシャベル使いにやられそうになったときの話だろう。


 あの時先輩が助けてくれなければ、俺は間違いなくあの黒服シャベル軍団に埋められていただろう。

 だが奥ゆかしい彼女は、そうは表現したくないようだった。


「お、俺も交換してください! 今すぐケータイを持ってきますので!」


 しかし今はそんな分析をしている場合ではない。実際俺は彼女の言葉を聞くやいなや、先輩に頼み込んだ。


「え、あ、うん……」


 先輩が目を丸くして頷く。

 このままでは先輩の目がまん丸く固定されてしまいそうだが、それに関しては後で対策をしよう。 

 俺はとにかく先輩の気が変わらない内に、自分の部屋にケータイを取りに行くことにした。



 ◇◆◇◆◇



「……先輩を部屋に上げるというビックイベントは次の機会だな」


 ケータイを拾い服を手早く着替えた後、俺は一人ごちた。


「女性を入れる。という観点で見ますと、ヒラク様の部屋はひどく不適格ですね」


 それを悪魔が悪魔耳で拾い、失敬な事をニコニコと言う。


「うるさい。目の毒になるものはきちんと隠してあるわい」


 その割にはいつもうちの部屋に勝手に進入するちびっ子が、いとも簡単に猥褻本をピックアップして行っているようだが。

 まぁアイツはエロに対する嗅覚が異常なのだろう。

 遺伝とは思いたくない。

 

「と、そうだ夕だ」

 

 ちょうど頭にそいつのことが浮かび、俺はアドレス帳の中から夕の名前を探した。

 最近の小学生は生意気でありケータイ電話など持っていやがらせる。

 しかも先輩のアドレスまで入手していやがらせる。

 いやがらせか。


 その件、そしてなしてあいつが先輩を俺のところへ寄越したのか。

 それを問いただすため、俺は夕にメールを打つことにした。



 件名:拝啓従妹様


 何故お前が先輩への連絡先を知ってい

 る。

 そして何故家に呼んだ。

 呼ぶなら呼ぶで私に知らせてからにし

 てください。

 心臓が止まりかけました。


 従兄より



「送信っと……」


 メールを作成し終えた俺は、連絡先の中から夕の名前を探し出してそれを送りつけた。

 女性の名前で埋まったこのアドレス帳も、そろそろ整理しなければなるまい。

 しかしいくらあちら側からは連絡がこない、もしくは着信拒否されているとはいえ、もしかしたら、万が一の確率で再度トンネルが開通することもあり得る。


 ……西暮弟の連絡先は消しても良いか。俺がそんな事を考えていると、軽快な着信音と共にすぐさま返事が返ってきた。


 早いなあいつ。親指が五本あるんじゃなかろうか。

 などと思いながら俺はメールの内容を見る。



 件名:Re:拝啓従妹様


 はいよー。愛しの従妹さまです。

 雷火さん来てくれたんだねー。


 >何故お前が先輩への連絡先を知っ

 ている。


 ふっふっふ。

 連絡先は万が一のために教えても

 らったのだよ。

 ヒラク兄からストーカー被害を受

 けたりした時は、警察より先に連

 絡してほしいって教えてもらった

 の。

 

 >何故家に呼んだ。

 ヒラク兄がちょっとシリアスに悩

 んでるみたいだったんで、一回だ

 け塩を送ってあげることにしまし

 た。


 嬉しくなかった?


        かわいい従妹より



 相変わらずこまっしゃくれた奴である。

 万が一とはなんだ。塩を送るとはどういうことだ。

 先輩のようにスィートな方を俺の家に送りこむという意味で使ったのなら、砂糖を送るのほうが圧倒的に正しい。

 塩と砂糖を間違えるなんて、お前は前時代のドジっ子か。


 ふつふつと考えながら、俺は夕に返信した。




 件名:ReRe:拝啓従妹様




 すごく嬉しいです。


        従兄より



 何故に先輩が、俺のマイスイートだと目星をつけられたかは疑問だ。

 しかし先輩を寄越してくれたのはどんな理由であれナイスプレイだ。

 俺が素直な喜びをしたためて送信すると、「なら今度棚の一番上の本を貸してください」などと返ってくる。

 「お前にはまだ早い」と打ち込んで、俺はケータイを閉じた。

 

「つまり従妹様はヒラク様を心配してくださったのですね」


 一通りのやりとりを終えたところで、悪魔が微笑ましい調子で、しかし馬鹿にしているとも思える口調で呟いた。


「勝手に人のメールを覗くな。ついでにお前のは余計なお世話だ」


 それを一睨みして、俺はため息を吐く。

 なして俺が心配されたことに対して、こいつが感謝するのか。

 お前は俺の身内か何かか。

 そうやって油断させた後、俺から魂及びケツの毛までむしるつもりか。

 男のケツの毛など集めてどんな悪魔的集会(サバト)を開くつもりなのか。


「失礼しました」


 慇懃無礼に悪魔が頭を下げる。

 ……とにかくこいつや夕の思惑がどうあろうと、大事なのは先輩が今日この家の居間にいるという事実だ。


 それには素直に感謝することにして、俺は階下へと戻った。

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