少年と死神
「死神の仕事は、優秀な人間の魂を刈ることにあります」
昨日先輩と話したのと同じ系列のファミレス。そこに潜り込んだ俺たちは、ともかくお互いの事情を話し合うことにした。
まずは向かい側に座るメメントさんによる、死神とやらの説明である。
「天才は早死にするとは聞いたことあるけど、報われないもんだな」
懸命に自分を磨いても、その結果死神に刈られてしまうとは。
俺の元に彼女のような可愛い女の子が訪ねて来なかったのは、レベルが足りなかったのか。
それともスケベ心が優秀なスキルだと思われていなかったのか。
というかその業務内容だと、俺がスキルを交換した途端死神に刈り取られるんじゃ……。
はっ、まさか悪魔の狙いはそこにあるのでは。いやいや、それで奴に何の得がある。
いや待てよ、死神と悪魔が共謀していたとしたら……大変だ。
「い、いえ優秀な人なら誰でも刈り取るわけではないんです」
あの世の全体を巻き込んだ大きな陰謀に心をざわつかせる俺。しかしメメントさんは恐る恐るといった感じで手を上げると、そんな俺の妄想をあっさり否定した。
「というと?」
「死神が刈り取る魂は、生きる気力を無くした魂だけなんです」
そして現実に返った俺が尋ねると、彼女は少し視線を下げて、そう説明する。
「……先輩が、生きる気力を無くしてるってこと?」
「はい」
なんだか信じられない気持ちのまま俺が尋ねると、彼女は重々しく頷いた。
「優秀な魂は世界に貢献し、他の人間をも育むので有益です。しかしその力を振るおうとせず腐らせる魂は、刈り取って新しい魂のための肥料にしてしまうんです」
そうしてメメントさんは、イマイチ理解の及ばない説明で自らの仕事について説明をする。
「使わないならこの魂しまっちゃうわよってこと?」
なんだかよくは分からないが、おせっかいな話ではあると俺の直感が理解はした。
彼女の話を俺なりにかみ砕いて吐き出すと、メメントさんは首を捻りながらも頷くという器用な動きをして見せる。
まぁ、大体合っているということだろう。
神というのは、長生きなくせに随分とせっかちな御仁のようである。
世界もたった七日で作ったというから、ちょっとしたワーカーホリックなのかもしれない。
「だからって殺さなくても良かろうに。剣道なんてしなくても、先輩は可愛いだけで生きる価値大アリじゃないか」
彼女みたいな美人がこの世に存在するというだけで、そこら辺の男どもよりよっぽど世界に有益だろう。
「それはその、そういう見方もあるんですが」
腕を組んだ俺が呟くと、メメントさんは困ったような表情で言葉を濁す。
そして、彼女は懐を漁ると中からスマートな電話を取り出した。
「電子えんま帳?」
色は違うが見覚えがある品だったのでそう尋ねると、メメントさんは「とんでもない」と左右に首を振る。
「これは、電子デスノートです」
そして、なんとも風情の無い答えを返した。電子化の弊害というのはこういう所にもあるのだなと妙に納得する俺。
「ほら、これを……」
そんな様子の俺にも構わず、メメントはテーブルから身を乗り出して画面を見せにきた。
頬を絹糸の如き朱髪が滑り落ち、その光景に俺はぼわんとなる。
「見てください」
「あ、はい」
しかし、そんな甘い感傷に浸っている場合ではない。彼女の呼びかけに従い、俺はメメントさんの差し出した電子デスノートの画面を覗き込む。
「これは……」
するとそこには、悪魔の電子えんま帳と同じように正面から取った証明写真のような先輩の顔が表示されていた。
悪魔のものより更新がマメなのか。前髪が顔にかかった雷花先輩現行バージョンである。
毎回思うがこの写真、何とかして一枚複製してもらえないだろうか。
「これが人間の生きる気力を表した数値です」
そんな事を考えている間に、メメントさんの説明は先へと進んでいた。
俺が慌てて彼女の指先を見ると、そこには6.6%という数字が赤文字ででかでかと明滅していた。
「10%以下は危険域です。自殺の可能性が高くなり、死神の出動も許可されます」
「自殺!?」
信じられずに俺が聞き返すと、メメントさんは真剣な表情で頷いた。
……何が基準でこの数値は算出されているのだろう。
腰の重さだろうか。 それともため息の回数?
確かに口数は少ない先輩だが、今すぐその、自殺なんてしそうだとは思えないのだが……。
いや、自殺する人間など案外そういう物なのかもしれない。
そう考えると、背筋がすぅと寒くなる。
「自殺をしてしまうと、その魂は地獄に堕ち悪魔に囚われてしまいます。そうなる前に、私たちが刈り取らなければならないんです」
そんな時に、目の前で話しているのにまるで不意をついたようなメメントさんの言葉である。
悪魔。その単語に俺は一気に現実へと戻された。
急に思考の渦から引き上げられたのでめまいさえ感じる。
「悪魔は狡猾で残忍な生き物です。彼らは、人間の魂を喰うに飽きたらず、引き裂いたりくっつけたりして弄ぶのです」
そんな俺にも気付かない様子で、メメントさんは先ほどまでの気弱そうな態度から一転。怨念すら籠もったような声で悪魔の害悪について説法しだした。
どうやら死神と悪魔というのは、魂という同じ商品を巡って争う、いわば敵対企業であるらしい。
しかもメメントさんは、俺が悪魔と関与している――しかも仮契約期間だなどとは夢にも思っていないようだ。
「そ、そうなんだ……」
自らの人徳にVサインをしたくなるが、そんな場合でもない。
今俺が悪魔の関係者ですと言おうものなら、どうなるか分からない。
前に悪魔がやったように、あの電子デスノートとやらが死神の鎌に変形してばっさりという事もあり得る。
「ちなみに俺は?」
とりあえず自らの状況を明かすことは避け、俺はメメントさんにそう尋ねた。
そもそもこの6.6%という数字が、どういうものかピンとこないからだ。
俺の言葉を受け、メメントさんは画面を指でスクロールさせる。
するとそこには毎日鏡で見ているより少々間の抜けた表情をした、自らの顔があった。
先輩の隣に俺の名前がある。というのなら浪漫があって素敵なのだが、もしかしたら思念でスクロール先を変えられるファンタジーな機能がついているのかもしれない。
そんな事を考えている俺をよそに、身を乗り出したメメントさんはその細い指を除けると、顔写真の下にかかれた数字をこちらに見せた。
「108%です。無人島に百年閉じ込められても生きようとする強靭な意志を持っていますね。すごいです」
「100%超えるのねそれ」
彼女の褒め言葉に照れながらも、自らの横に書かれた数字に驚愕する俺。
繊細な俺ですら100%を超えるとなると、先輩は相当危険な状態という事だろう。
先輩が、死ぬ。
ようやくその危機が理解できた途端、俺は自らの頭が空洞になり、その中で鐘が突かれているような感覚を味わった。
だが今、呆けている場合ではない。
「……要するに、先輩が生きる気力を取り戻せば刈り取りとやらは中止してくれるってことだろ?」
考えた末、俺はメメントさんに問いかけた。
彼女が危惧しているのは、先輩の優秀な魂が悪魔に囚われてしまうことだろう。
それならば、俺が先輩に生きる気力を取り戻させれば万事解決のはずである。
「あの、でも私も仕事で来てますし……手ぶらで帰るとお給料がもらえないので……」
しかし俺の問いかけに対し、メメントさんは真っ直ぐ頷いてはくれなかった。
更にはファンタジーの住人であるはずなのに、そんな夢のないことまで言う。
「人の命とお給料、どちらが大切なんですか?」
女性を脅すなど、平素の俺ならば地獄に堕ちようが絶対にしないことだ。
しかし今は緊急事態。
培った脅迫スキルも使って、俺はメメントさんにぐっと迫った。
「お金が無いと私も死んでしまいます」
だがしかし、メメントさんは存外きっぱりとそんな答えを返す。
彼女にもまた切実な事情があるらしい。あと死神も飢えて死ぬらしい。
ううむ、どうしたものか。俺が考えあぐねていると――。
「ただいま戻りましたヒラク様」
突然、窓からにゅっと顔が飛び出した。
「どぅわ!」
思わず叫び声を上げる俺を、周囲の客が一斉に見る。
それに対して口笛を吹いて誤魔化してから、窓から当たり前のように侵入してくる悪魔を小声でしかりつけた。
「普通に入ってこい。普通に」
「失礼しました。ヒラク様が女性とお茶をしている光景を目撃し、これは一大事だと思ったもので」
足を窓から引き抜いた悪魔が、慇懃無礼にそう言って頭を下げる。
「お前の発言の方が失礼だ! で、首尾は?」
「西暮雷花様は、教室にもトイレにも女子更衣室にもおりませんでした」
寛大な俺がそのことはさておいて尋ねると、悪魔はしれっとそんな風に答えた。
「ちょっと待て、どうやって確かめた」
「ワタクシの体をもってすれば、容易いことです」
「入ったのか!? 入ったんだな!?」
寛大な俺も、さすがにそれは看過できない。
奴の胸ぐらを掴んで揺さぶるも、悪魔は三半規管に何らダメージを受けていない様子で涼しい顔である。
俺の長年の夢をあっさりと成し遂げるとは、この男やはり悪魔だ。今すぐこの場でシェイクジュースにしてしまおう。
「あ、あのぅ?」
俺がそう決意した矢先である。すっかり置いてきぼりを食らった感のあるメメントさんが、おずおずといった感じで声を上げた。
「「失礼しました」」
俺と悪魔が、同時に彼女を見て言葉を発する。
それから、互いに顔を見合わせた。
まだこいつに憑かれて十日程度しか経っていないので、呼吸が合ってきたというわけではないだろう。
ないと思いたい。
「あの、その方は、どなたですか?」
その様子にぱちくりと目をしばたたかせてから、メメントさんがおずおずと尋ねてくる。
なるほど、さすがに彼女も死神だけあってこいつの姿が見えるらしい。
しかし彼女は、どっからどう見ても悪魔であるこいつが何者か分からないようだ。
うちの召使いですと嘘をついても良いが、それはそれでまたややこしくなりそうである。
観念した俺は悪魔の胸ぐらから手を離すと、コホンと咳払いをして彼女に奴を紹介する事にした。
「こいつは悪魔の……なんだっけお前の名前」
が、途中で気付いたのだが、そういえば俺はこいつの名前を覚えていない。
確か出会ってすぐ自己紹介をされた気はするのだが。
「あ、悪魔!?」
「ヒラク様。あまりの仕打ちにワタクシ涙が出そうです」
「男の名前なんぞ一々覚えとらんわ」
わざとらしくハンケチを取り出し目頭を押さえる悪魔に対し、俺は冷たく言ってやった。
西暮はおろか原田でさえたまに名前が思い出せなくなるというのに、一度聞いただけのお前の名前なんて誰が覚えているものか。
逆に覚えている人間がいたら名乗り出てほしい。
ひとしきり涙を拭くフリをした後、悪魔はなにやら叫んだ後目を丸くしていたメメントさんに向き直り姿勢を正した。
「悪魔のポレトと申します。死神のお嬢さんは以後お見知りおきを」
そうして俺に見せ付けるように、彼女へと深々と頭を下げる悪魔。
あぁ、確かそんな名前だったな。
多分今後も名前で呼ぶことはないだろうが。
「ええとメメントです。よろしくお願いします」
それに対し、狼狽しながらも律儀に挨拶を返すメメントさん。
話を聞く限り敵対している相手だというのに、根が真面目なのか混乱していて認識が追いついていないのか。
ともかく美男美女といった按配で、鼻につくことに非常に絵になる。
「知ってたのか? この人が死神だって」
そのまま黙っていると蚊帳の外になりそうだ。だからと言うわけではないが、俺は少々早口に悪魔に尋ねた。
「ワタクシの姿が見える者といえば、この世の住人ではありえませんからね。電子デスノートも持っているようですし」
すると悪魔は、分かっていますよとばかりに慈愛の笑みを俺に向けてそう答えた。
そうして俺の横に腰を下ろす。
相変わらず人の神経を逆なでするのが上手いやつである。
「そういえば、何で俺は彼女の姿が見えるんだ?」
接近した胡散臭い顔に辟易しながら、俺はもう一つ悪魔に尋ねた。
まさか俺まで、いつの間にか常世に在らざる者になったわけではあるまい。
「ワタクシと契約した時から、ヒラク様には悪魔の類が見えるようになっています。特に死神の類はいきなり現れて魂を奪ってしまいますから自衛のためにも」
内心でドキドキとしている俺に対し、悪魔はスラスラとそんな解説をする。
「そういうのはもっと早く言え」
こんな見目麗しい少女だったから良かったものの、悪霊みたいなやつが急に見えたら心臓止まるだろうが。
……多分そういうのは見えないようになってるんだよな。今まで見たことが無いし。
見えないだけでそういう奴らが世の中には漂っているのだと思うと、それはそれで恐ろしいのだが。
「そ、そういう死神もいらっしゃいますが、私はちゃんと告知します!」
しかし、そんな事を考えている俺の目の前で、メメントさんがようやく混乱から立ち直ったのか。机を叩いて立ち上がった。
周囲から見れば机が勝手に揺れたように見えるだろうし、これも心霊現象と言えるだろうか。
「ま、まぁまぁまぁ」
ともあれ、俺はメメントさんを宥めた。
先ほどまでは大人しかったメメントさんが、こんなに興奮するとは。
まぁ悪魔なんぞに――特にこいつにそんな事を言われるのは心外というのも分かる。
もしくはそのような清い商売をしているせいで、彼女は極貧にあえいでいるのかもしれない。
「それで、何故ヒラク様が死神とお茶を? ヒラク様ほど無駄に溢れている方はいらっしゃらないと思いますが」
そんなメメントさんを無駄に挑発した悪魔はと言えば涼しい顔である。 奴は肩の埃を払う仕草をした後、今度は俺をディスりにかかった。
「せめて活力がとかつけろ。おぞましい物が溢れているようではないか」
先程名前を言えなかったお返しか。
いや、もしかして悪魔も死神が嫌いなのか?
そんなことを考えながら、俺は悪魔の発言を訂正する。
それから俺は、かくかくしかじかまるまると悪魔に対してメメントさんの事情を説明した。
「なるほど。そう言えば昨日も、西暮雷花様をつけていらっしゃいましたね」
「なぬっ!?」
俺が話し終えると、悪魔は世間話のような気軽さで、そんなことを言い出した。
「あ、はい……。私の着任は昨日の夜からでしたので」
そしてメメントさんも、ちょっと気まずそうにそれを肯定する。
なるほど。メメントさんと悪魔がそれぞれに気付いていなかったのはそういうことだったのか。
いやいや。感心している場合ではない。
「お前、そういうことはきちんと俺に報告をだな」
「見間違いでしたらヒラク様の貴重なお時間を無駄にすると思いまして」
俺の抗議に対し、悪魔は例のドブのような目を細めてそんな風に答える。
これを胡散臭いと思ってしまうのは、俺がこいつ自身を胡散臭いと思っているせいだろうか。
「あ、あの、それで」
俺がこの愛らしい眼にめいっぱいの猜疑心を乗せて悪魔を睨んでいると、またしても蚊帳の外に置かれ気味になっていたメメントさんがいっぱいいっぱいという案配で声を上げた。
同時に彼女の方を向く俺たち。
おそらく悪魔のドブかわ目線のせいだろう。その視線にびくっと体を震わせてから、メメントさんはどちらにともなく尋ねた。
「あなた方は、どういうご関係なんですか?」
……先ほどからのやり取りで察して欲しいというのは、ちょっと横暴な願いだっただろうか。
そう思って俺が悪魔のほうを覗き見ると、奴は奴で可愛そうな娘さんを見る目でメメントさんを見ていた。
「私とヒラク様は魂の売買について契約を結んでいる最中です」
「あ、悪魔と契約したんですか!? 罰当たりな!」
悪魔の言葉にメメントさんがひっくり返ったような声で、尼かシスターのような台詞を言う。
いや、彼女の美しさを鑑みるに天使のようなと形容すべきか。
本人は死神を名乗ってはいるが、話を聞くに彼女は正真正銘神の遣いであるらしいので名実ともに天使メメントさんと呼んで良いかもしれない。
「今時悪魔と契約をする人なんて、オレオレ詐欺に引っかかる人より少ないのに……」
そんな天使メメントロン様が、可哀想な子羊を見るような目をしながら呟く。
それはまぁ、オレオレ詐欺は全国で一年に五千件以上起こっているらしいのでそれを超えるとなると悪魔もワーカーホリックになってしまうだろう。
と、そうではない。悪魔のせいで彼女が誤解しているようなので、俺はメメントさんにいやいやと訂正をした。
「いやいや、まだ契約はしてないんですよ。こいつの言うところの、その、仮契約という奴で」
俺はまだ、悪魔に魂を売ろうと決めたわけではない。
あくまで魂を売るかどうか決める試用期間中である。
「ハハハ、まぁ十中八九決まったようなものですが」
「お前のせいで、十中三四辺りまで契約する気が落ちてるからな」
どさくさに紛れて既成事実を作ろうとしたらしい悪魔の白々しい笑いを受け、俺は奴を半眼で見た。
「あぁ、そうなんですか。それは良かったです」
俺が悪魔と契約したわけではないことが分かると、メメントさんはほにゃっとした安堵の笑みを浮かべる。
やはりこの人は天使に違いない。
「死にたいと思った際は、是非私に連絡してくださいね。痛くないようにスパッと刈りますから」
いや、やっぱりその辺は保留しておこう。
スパっと、と言いながら電子デスノートを振るメメントさんに青くなる俺。
「そのことを踏まえてですね。お嬢さん」
それに構わず、悪魔は元々伸びていた背筋を更に伸ばすとメメントさんに呼びかけた。
「な、なんでしょう」
するとメメントさんもその鎌振りポーズをやめ、姿勢を正すと悪魔に相対した。
「我々に、期限をいただきたいのです」
そんな彼女に、悪魔はニッコリと微笑むとそう言った。
なんか勝手にコンビ扱いされているのは癪だが、こいつの胡散臭い交渉術は体感済みなのでとりあえず口を挟まないでおく俺。
「期限、ですか?」
それはそれとして疑問符を浮かべるメメントさんに、悪魔は笑顔のまま大きく頷く。
「私が地獄に帰るまでのあと二十日間ほど。それまでに彼女に生きる気力を取り戻せなければ、その魂は差し上げましょう」
そうして、とんでもないことを言い出した。
「おい!」
こいつが見えないということも忘れ、思わず大声を上げてしまう俺。
それから周囲がこちらを見ていることに気づき、彼らに愛想笑いを返してから俺は改めて悪魔を睨んだ。
「何故お前が、先輩の魂を取引の材料に使えるのだ」
すると悪魔はこちらに向き、俺に顔を近づけて囁く。
「どうせ何もしなければ、彼女の魂は今すぐ刈り取られてしまうのです。ならば可能性のある方に賭けましょう」
正に悪魔の囁きである。腐海のような目がドロドロと揺らめいている。
「可能性って……当てがあって言っているのか?」
その胸焼けがしそうな顔を押しのけながら、俺は悪魔に尋ねた。
すると悪魔は口角をにちっと上げて笑う。正に悪魔の微笑である。
「ヒラク様が彼女の生きる希望となれば良いのです。私からお買いになったスキルによって、が双方にとってベストですが」
そうして、奴は非常に都合の良い夢物語をのたまわった。
「生きる希望って……そんなもんになれるようなスキルをお前が持っているのか俺は甚だ疑問だ」
少し前なら、俺もその案に一も二もなく飛びついただろう。
だが数々の修羅場をくぐり抜けたおかげで、俺はこいつがそんな使える魂を所持しているなどとは到底思えなくなっていた。
「あ、あの、そもそも悪魔と取引をするわけには……」
俺が悪魔をやぶにらみし、悪魔が肩をすくめているところへ、みたび会話に置いていかれていたメメントさんが慌てた様子で声を出した。
俺としても女性を蔑ろにする気は無いのだが、メメントさんはこの世の者ではないからなのか。どうにも存在が希薄だ。
「私はヒラク様との仮契約を結んでおりますが、それは同時に神と契約していることと同様なのです」
そんなメメントさんに対し、悪魔はもちろん貴方のことも忘れていませんよとでもアピールするような、瞳以外は優しげな笑みを浮かべる悪魔。
奴はそんなドブ川笑顔のまま、中々に難解なことを言い出した。
「それは俺が神に等しいと言うことか?」
「違います。神は古来より悪魔が人間を誘惑することを見過ごしていらっしゃる。つまりそれは悪魔の誘惑が人間への試練だからです」
俺なりにピンときて問いかけてみるも、今回はそういうことではないらしい。
悪魔は俺の言葉を清流のごとく淀みなく流すと、メメントさんに怪しげな説法を始める。
対するメメントさんがもう真剣な顔で頷いているのは、悪魔の得体の知れない雰囲気のお陰か、それともメメントさんが純真無垢なせいなのだろうか。
「今、西暮雷花様の魂が刈り取られれば、ヒラク様は私との取引への執着を失い、契約は果たされないでしょう。しかしそれは誘惑をはねのけたことにはなりません。貴方の行いで、神は一つ人という種族を見極める機会を逃すのです」
そんな彼女に、悪魔は笑顔を浮かべたまま、しかしその瞳には今までにない冷徹な光を宿らせつつそう告げた。
いつの間にやらモルモットのような扱いを受けている俺だが、それは甘んじて受け入れることにする。
「うぅ、うーん……。ぬぬぬ」
何故なら悪魔の言葉を受け、メメントさんが可愛らしいうなり声を上げ始めたからである。
その真っ赤な髪が放熱フィンとなり、湯気でも立てるのではないかと心配になるほどだ。
「死神が神の試練を妨害したとなれば、それはもはや貴方だけの問題ではなく、死神全体の信用に関わります。その責を負う覚悟が貴方にありますか?」
そんなメメントさんに、悪魔は容赦なく追撃を放つ。
「うぅ、わ、分かりました。二十日だけ待たせていただきます」
それがトドメとなり、メメントさんはついに陥落。
彼女は首をがっくりと落とすと、魂を吐き出すような調子でそう言った。
「ご協力感謝します」
慇懃無礼にぺこっと頭を下げると、悪魔は心なしか誇らしげに俺を見る。
「あとはヒラク様のご一存次第でございます。どうなさいますか?」
「誉めろ」と言わんばかりのその視線に「誉めんぞ」と視線で返し、突然委譲された決定権を俺は頭の中で転がした。
「なぁ、一つ酷く不安になってきたのだが、お前に魂売ったら即神罰が下るなどという詐欺行為は無いだろうな?」
そして考えるための時間稼ぎというわけではないが、一つ気になって悪魔に尋ねる。
せっかく役に立つスキルをもらっても、不正扱いで即その魂神に返しなさいと言われては元も子もない。
「神はそのような矮小な行為はいたしません。ただ、人類全体にほんのちょっぴり落胆するだけでございます」
すると悪魔は俺を安心させるような笑顔を作り、俺をちょっと不安にさせるようなことを言った。
まぁ悪魔達の話を聞いていると、今まで契約とやらを履行してきた人間は数多くいたようだ。しかし人類は今のところ滅んではいない。
下の方を抜かれまくってるジェンガ、もしくは成層圏ギリギリのバベルの塔というような状況だが、まぁ人類の事よりまず自分を心配しなさいというありがたい言葉もある。
悪魔と契約するとなった際には、判断材料には含めないでおくことにしよう。
そもそも、どうなさいますかも何も、その質問に関しては既に答えは決まっているのだ。
俺はメメントさんに向き直り、テーブルの下で握り拳を膝の上に置くと彼女に告げた。
「あと二十日間で、俺が先輩をメロメロにしてみせる。それまでは、手を出さないでください」
例え勝算が無かろうが、後でどんな目に遭おうが、先輩を救う方法がそれしかないのなら、俺は乗るしかないのだ。
だが、メメントさんはテーブルに突っ伏してクラゲのような状態になっており、俺のそんな真剣な顔は見ていないようだった。
「分かりました……」
そうして彼女は、末期の一言といった案配で了承の声を絞り出した。
「……ええと、何か食べますか? 奢りますから」
なんだか不憫になって、俺は彼女にそう声をかけた。
誰彼ともなく生きるには様々なしがらみがあるようだ。
――とりあえず、こうして俺は悪魔と死神、両方と取引する羽目になった。
全ては純粋な愛のため……なので神かもしくは天罰を受ける羽目になった場合の人類全体には、なるべくご容赦を願いたいところである。




