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少年と過去


 あるところに仲睦まじい先輩と後輩がいた。

 二人は剣道部に所属し、部活でお互いの腕を磨き、そして私生活ではいちゃいちゃとしていた。


「はっはっは。あげは。あまりはりきりすぎるなよ」

 

 先輩は多少強引なところがあれども、そのカリスマ性で凛々しく部内を引っ張っていくスーパーウーマンである。


「はい! でもわたし、せんぱいのためにがんばりたいんです!」


 後輩はそんな先輩を、フローリングでチャカチャカと足音を立ててついて回る小型犬のごとく慕い、どこか浮き世離れした彼女のサポートを受け持ったりしていた。


「あげは……」


「せんぱい……」


 微笑ましい二人の様子は部内外でも広く知られ、笹木ノ宮中学校の仲睦まじカップルと言えば、西の巣箱に巣くうツバメか彼女たちという有様であった。


 しかし蜜月というのも長くは続かない。

 後輩が家の都合で、部活動をやめざるを得ない日が来たのだ。

 彼女の最後の試合は、奇しくも先輩の引退試合。


「お互い中学最後の試合です。全力を尽くしましょう」


 後輩は言った。


「この娘は実力があるのに私のせいで日陰者に甘んじてきた。彼女がかわいそうだ」


 先輩は思った。

 そして……。


「まさか、わざと負けたんですか?」


 終盤に差し掛かるまでは、脳内で話を適度に脚色しつつ、晩飯代わりのハンバーグを頬張っていた俺。我門ヒラク。

 だが、ついに我慢できず口を挟む羽目になった。


 向かい合った先輩は、それに対して肩を落としたまま頷く。


「……私は、傲慢で、自惚れていた。彼女の望みは、最後の大会で優勝することだと、そう思い込んでいた」


 わかめを張り付けたくらげのようなその出で立ちは、彼女の話す、そして先ほどまで俺が脳内で再生していた先輩の姿とはかけ離れている。


「それは……」


 先輩の気持ちも分からんでもない。最後の大会をなるべくいい成績で終わらせてやりたいというのは当然だろう。


 だが、だからと言って、あの中見沢が、大好きな先輩にわざと負けてもらってまで、それを手に入れたいと思うだろうか。

 好きなことに関しては自分の手で成長し、成し遂げたいと言った頑固者の中見沢が、だ。


「君の、考えているとおり」


 あの石頭の、少しだけ尊敬すべき女の姿を思い出す俺。先輩はこちらを見て、自嘲とは少し違う、何か眩しいものを見るような微笑みを浮かべた。


 何やらまた良くない勘違いをされているような気がする。

 それをどう訂正するべきか俺が迷っていると、先輩は笑みを消して、眉根を寄せた。


「彼女はそれを喜ばなかった。試合後、あげ……中見沢さんは何故本気を出さなかったのかと、私に問いかけた」


「ええと、あげはって呼んでやっても良いんじゃ……」


 いちいち呼び方を改める先輩を不憫に感じて提案するも、彼女はそれを首を横に振って拒む。


 そうして、自らが許されない。自らを許そうとしない理由を語った。


「私から理由を聞いた彼女は、疲れた表情で呟いた。優しいんですね、と」


「あぁ」


 思わず、声が漏れた。

 なるほど。そこに繋がっていたのか。

 先輩が優しいという言葉を嫌っていた理由。

 そして、中見沢に優しさという物について尋ねたときの反応。


 全ては、その出来事に起因していたのだ。


「私は、間違えた。いや、そもそも私の中に優しさなどという物は存在していなかったのだ」


 疑問が氷解する感触に俺がぼんやりしていると、先輩は自分を呪うかのように呟いた。


「私はだめだ。だめな女だ。醜い。弱い。卑しい」


 いや、彼女はずっと自分を呪ってきたのだ。今はその呪詛が、きっかけを得て外に漏れだしているに過ぎない。


「せ、先輩はダメじゃないですよ! 綺麗だし強いしおっぱいだって大きいじゃないですか! 手だって綺麗だし」


 あまりに深刻な先輩の落ち込みように、俺は慌てて彼女を励ました。

 冷静になればもうちょっと良いところを探し出せた気もするが、これらも先輩の大きな魅力に違いない。


「そんなことはない。そうだとしても、優しくなければ、全ては意味がない」


 だが先輩には、それを受け入れることはできないようだった。

 最後らへんの要素は証拠が目の前にまるまると居座っているのだから否定は出来ないと思うのだが、それでも、それは先輩の慰めにはならないようだ。


「優しさを手に入れられるなら、こんな物は悪魔にでも何でも捧げてやる」


 そうして先輩は、ついにはそんなことまで言い出した。


「ほう」


 先ほどまでこちらの会話に参加していなかった悪魔が、その一言で背後の背もたれからニョッキリと顔を出す。

 先ほどまでは背中合わせの席でカップルの別れ話を聞いていたようだが、そのカップルも今は仲睦まじくキスをしているのだから世の中滅べというものだ。


「最悪のタイミングで反応するなこのバカ」


「しかし残念ながら、優しさなどという物は扱っておりませんで」


 小声で奴を追い払おうとする俺だが、悪魔は涼しい顔でそう言って立ち上がる。


 そうして、何のつもりかぐるりと回り込んで、俺の隣に腰を下ろした。


「そう、私はバカだ。バカの極みだ……」


 鬱陶しい奴が来たと俺が悪魔を睨んでいると、先輩は自分がバカと言われたのだと思ったようで、更に深く落ち込んでしまった。


「あ、いや、そんなに気にすることないですよ。中見沢だってそんなつもりで言った訳じゃないと思いますし」


 今はすっかり髪に隠れてしまっているが、ポニテ状態だったときの先輩は実に良い耳の形をしていた。

 中身もきっと高性能なのだろう。


 そんなことを考えつつも、あわてて彼女をフォローをする俺。


 中見沢は俺に先輩が何故あんな姿になっているのかと問いかけた。

 ここまで、先輩が傷ついているとは思っていなかったはずだ。


 自分のせいで先輩がここまで追いつめられていると知ったら、今度こそ、もっと思い悩むに違いない。


「ていうか、そんなことをずっと悩んでるのが、先輩が優しいって証拠じゃないですか」


 話を聞くに、もう三年も前の出来事である。

 俺だったら同性の後輩になんて、どんな仕打ちしようが三日半ほどで忘れているところだ。


 だのに先輩は、それを引きずって性格までほぼ反転させてしまっている。優しくない人間がどうしてこんなことをできよう。


「そんなことはない。私はこうして悩んでいるフリをして、反省をしているから許してくださいと乞うているだけなのだ」


 我ながら素晴らしい論理だと思ったのだが、しかし先輩はそれを受け入れてはくれない。


 彼女は眉根を寄せながら、本人曰く悩んでいるフリをしてそんなことを呟いた。


「誰に?」


「世間に……」


 世間にそんなアピールをして、先輩にどんなプラスがあるというのか。

 そんなことをするぐらいならサンバ的な衣装を着て練り歩いてくれたほうがよほど好感度が上がるだろう。


 などと思いながらも、さすがにそうは言えず、お冷やを口に含む俺。


「ヒラク様の思い人になんですが、ほとほと面倒なお方ですね」


 生まれたての乳児を見るような、のほほんとした表情で悪魔がそう呟く。

 人の思い人に失礼な。先輩はちょっと人より繊細なのだ。

 今は自己嫌悪が行き過ぎて、ちょっと極端な考えになり過ぎているだけなのである。


「……どうした?」


「いえ、うるさい虫が飛んでいたので」


 中空を睨む俺に先輩が尋ねてくるのでそれを誤魔化しつつ、俺は改めて彼女に向き合った。


 しかしこう、どうしたものか。

 先輩には是非元気を取り戻していただきたいが、このままでは堂々巡り……いや、蚊取り線香に引っかかった蚊の如く、螺旋を描きながら先輩のテンションが際限なく落ち込んでいく気がする。


 己が持つ万の言の葉も先輩には届く気がせず、俺は口をパクパクと開閉させるしかない。


「とにかく、彼女が元気なのなら、良かった……」


 俺がちーぱっぱとしていると、先輩は無理矢理にも見える形で話を締めくくった。

 

 そうして、乳を揺らしながら席を立ってしまう。


「ま、待ってください!」


 特に揺らす物もないまま、俺も立ち上がって彼女を追った。

 その際隣に座る悪魔が邪魔だったので、えいやっと蹴りを入れてスペースを開けさせる。


「大丈夫。今日の会計は私が持つから」


 出遅れた俺に対し、振り返った先輩がいつの間にか手にしていた伝票を示しながら「安心して」と大まじめな顔で頷いた。


「いや、そんなセコい事を言いたい訳じゃなく……」


 先輩の中で、俺にいつそんなセコ丸という評価がついたのかも気になる。

 だがそれよりも今は、先輩の説得が重要だ。

 彼女にとって今の状態が好ましいとは思えない。


 とりあえず会計をしてから……そう思い、両の尻ポケットを探ったところで俺はハッと気づいた。

 それでも諦めきれずに前ポケット。上着の全てのポケット。チャックの中を探ってから、そろそろと先輩に提案する。


「……えーと、とりあえずお金は貸していただく、という方向でどうでしょう? 利子は無しで」


 俺がそう言うと、先輩は一瞬固まったが、口元を綻ばせてようやく笑顔らしきものを見せてくれたのであった。



 ◇◆◇◆◇



 まさか財布を忘れるとは。会計を終え(もちろん払ってくれたのは先輩であるが)外に出た俺は、口から出たら即地表を這うような、成分の重いため息を吐いた。


「それじゃ……」


 そんな俺と呼応するように、すっかり陰鬱モードに戻った先輩が、夜闇に体を半分溶かしながら呟く。

 俺は彼女を陽の元に引きずり出す手段を持たず、渋々ながら首を縦に振るしかなかった。


「580円。すぐ返しにいきますから」


 そして、ようやく絞り出せた言葉がそれである。


 いやお金の貸し借りはしっかりしなさいと母にも教育されてきた俺であるので、この件もくだらないとは言えないのだが。


「ふふ……」


 ともかく俺のそんな発言に、先輩はまたも小さく笑った。

 ちょっとツボに入っているのかもしれない。


 鉄板ネタに発展するかもという期待を込めて、更に言葉を重ねようとする俺だったが、先輩はすぐさま表情を引き締めると、それを拒絶するように呟いた。


「君も、私になんかかまわない方がいい……」


「いいえ、絶対行きます。入場料が千円でもいきます」


 そんなことは地球が滅びようが承諾できない。

 俺も表情筋をめいっぱい引き締めると、先輩をまっすぐ見つめて彼女に告げた。


 入場料金か何かに何か言いたげな先輩だったが、結局はそのまま口を開かず、会釈をすると重たげな髪を振り回しながら背中を向ける。

 そうして、それを引きずるような重い足取りで暗い夜道へと紛れていった。


 本当なら暗いから送っていきましょうとでも言いたかったが、俺より彼女のほうがだいぶ強い。


 彼女に並び、付き合うための力やら、彼女を上向きにする為の言葉やら、俺には色々と足りない。

 彼女の後ろ姿を見つめながら、俺はそれを実感した。


 優しさを手に入れる為なら、自分は悪魔にだって色々と捧げると言った先輩の言葉が蘇る。


 俺だって、先輩を助けて色々素敵な目に遭うためには、自らをやたら猪突猛進にし女性がたから距離を置かれる原因となったスケベ心ぐらいほいほい捧げる所存である。

 そこに迷いなど、ない。


「どうされました? ヒラク様」


 俺の視線を受け、横でたたずむ悪魔が無駄な笑顔を浮かべたまま首をひねる。


「しまりのない面だと思ってな」


 ……俺が躊躇っているのは、こいつが色々と頼りにならないせいだ。

 そもそも魂を捧げて代わりに何を得るべきかも決まっていないし。


「ではこのキメ角度ではどうでしょう? 私これで読モを務めたことも……」


 俺の悪態に対し、悪魔はそう言って、顎をくいっとあげると俺に横顔を向け遠くを見た。


「何の雑誌だ何の」


 飄々と戯れ言を抜かす悪魔に、これだから信用ならんのだと思いながらつっこむ俺。

 

「おや」


 そんな俺にかまいもせず、悪魔は彼方に視線を向けたまま、そんな風に声を上げた。


「ん?」


 釣られて同じ方、先輩の去った方角に顔を向ける俺だが、特に何も発見できない。


「先輩のスカートがめくれたか?」


「いえ、おそらく気のせいでしょう」


 まさかと思い尋ねてみるが、最悪の結果だけは回避出来たようである。

 しかし改めて見ても、素晴らしいプロポーションをしているな先輩は。


「……お前、風使いの魂とかは持ってないのか?」


「そういった超能力の魂も品切れでございます」


 問いかけてみるも返答は予想通り。

 やはり頼りにならないこいつは置いといて、ギリギリまでは自力で解決すべきだな。

 そう結論づけて、俺はとりあえず帰宅することにしたのだった。

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