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少年と呼び出し

「ん、んぁ……」


 俺が目を開けると、そこは二階にある自分の部屋だった。 

 

 ただし日はすっかり落ちていて、先ほどまでの出来事ーーさらには悪魔と契約などという馬鹿らしいことも夢ではなかったのだと、俺に認識させる。


「おお、お目覚めになりましたかヒラク様。三年も眠り続けていたので心配しましたよ」


「寝起きに難解なことを言うな」


 というかその証拠が、ベッドに腰掛け意図不明の嘘という性質の悪いことをしてかしているので、そんな記憶の錯乱は起こりようがない。


 ちなみ叙述トリックのようだが、俺自身はベッドに寝かされていなかった。

 無造作に床へと転がされた俺は、ベッドに座る悪魔に見下ろされながら起きたという意味不明極まりない状態にある。


「で、俺は何でこんな目にあ……いててて」


 悪魔の返答次第では一発二発殴るつもりで俺が身体を起こすと、身体の節々がギシギシと痛む。

 まさか本当に三年経ってしまったのか。もしくは床に転がされていたせいで風邪でもひいたのか。


 不安に思って俺が自らの身体を点検すると、そこには葉っぱやら泥やらが所々に付着していた。


「なんだこれは」


「申し訳ありません。こちらに運ぶ際に多少引きずってしまいました。ベッドが汚れるといけませんのでお体は床に」


 俺が悪魔をじとっと睨むと、奴はしれっとそう答えた。


「やっぱりお前の仕業か……って、どうやって運んだ?」


「私はヒラク様には触れられますので、こう、足を持って」


 俺の質問に、悪魔はどう見ても倒れた俺の足を小脇に抱えて引きずるようなジェスチャーをしたが、問題はそこではない。

 いや、その問題も後で必ず追求するが、とりあえずは置いておく。


「そうじゃなくて、その場には中見沢がいただろ!?」


 だが一番の問題は、俺が倒れたとき一緒にいた中見沢、そして、ここに運ぶ際に遭遇したであろう通行人のことである。

 他の人間が俺の運ばれる様を見たら、どんな超常現象かと自らの正気を疑うに違いない。


 身体の痛みを無視して俺が立ち上がると、悪魔はそれに対し、いつも通りに確実に何らかの資源が無駄になっているであろう笑顔を浮かべながら答えを返した。


「もちろん大丈夫です。私がヒラク様をずっと引きずり続けるなどという失礼な真似をするはずがないでしょう」


「ほう」


 その自信満々の様子を一マイクロも信じないまま相づちを打つ俺。

 すると奴は、手を宙に掲げ、怪しげに何かを操るようなジェスチャーをして言った。


「中見沢様が救急車を呼ぼうとしたので、その隙にかんかんのうかんかんのうと運んでまいりました」


「何だその擬音! 擬音!?」


 確実に国語辞典には載っていない文章を告げられ、俺は混乱したまま声を上げる。


「かんかんのうとは、死体を後ろから操って踊らせる落語で……」


「いらんわその説明!」


「ほかの通行人もこの方法でやり過ごさせていただきました。さすがに完璧に踊らせることはできませんでしたが、完成度は中々のものだったと自負しております」


「何に拘ってんだよ!?」


「もとい、夜でしたし誰もヒラク様には近寄ろうとしませんでしたので、不審には思われなかったはずです」


「いや、絶対不審に思われてるってそれ。ていうか不審者だと思われてる……」


 酸素不足とその他諸々で眩暈に襲われ、俺は壁に寄りかかった。


 深夜にふしぎなおどりを披露しながら闊歩する男子学生が発生する事案として警察に届けられていたらどうすればいいのだ。


 さらには寄りかかった壁に頭をぶつけ、やりきれない気持ちでさらにぐりぐりとこすりつける。


「そもそも何故隙をついて逃げる。中見沢に任せれば良かっただろうが……」


 ちょっと涙目になりながらも、俺は悪魔のほうを向くと奴に問いかけた。


「ヒラク様の懐具合でまともな治療費が払えるとは思えません。そもそも原因不明の痛みで気絶ともなれば、検査入院となる可能性もあるでしょう。そうなれば私とヒラク様の大切な時間が削られてしまいます」


「気色の悪いことを言うな。ただの試用期間だろうが」


 淀みなく説明する悪魔が発する淀んだオーラをしっしと振り払いう俺。

 だがしかし、方法は物凄く問題があるが、そう聞くと確かに奴の言うことは間違っていないように思える。


 悔しいことに懐具合もそうだし、うちの両親が俺の入院費を全額払ってくれるとは考えづらい。

 何せ俺に金を与えるとわいせつな使い道しかしないと決めつけ、いまだに小遣いを渋るような親である。


 治療費の名目で、ただでさえ少ない俺のオアシス代が接収されてしまうに違いない。


「さて、問題は中見沢様ですが」


 だが、俺が色々と割り切れないものを抱えている内に、悪魔はそれをさてと置いてしまい、話を進めてしまう。


「あぁ、救急車を呼ぶ前に俺がかんかんのうされたことに気づけばいいが」


 救急車って、間違えて呼んでしまった場合賠償金とか取られるんだろうか。

 そしてその場合は俺に負担が行くのだろうか。

 それって入院費取られるよりやばくないだろうか。などと考えて背筋が凍る俺。


「いえ、そうではなく彼女と彼女の先輩についてです」


 しかし悪魔は、そうではないと首を横に振ってそんなことを言った。


「え?」


 何の話だっけかと首を捻る俺に、悪魔はこれ見よがしにため息を吐いてから説明を始めた。


「お忘れですか? 彼女が剣道をやめた原因である『先輩』はヒラク様がお慕いの西暮雷花先輩である可能性が高いことを」


「……なるほど、そういえばそうだったな」


 言われて思い出し、俺はぽんと手を打った。

 気絶の影響で記憶が混乱していたのだ。けっして忘れていたわけではない。


 例の『先輩』の話を中見沢がしている時に、先輩が現れたと思ったら即座に逃げだした。

 それを見て中見沢が俺に詰め寄ったのだ。何故先輩はあんな格好になっているのかと。


 と、言うことは、やっぱりあいつが語った先輩は、俺の知っている彼女で間違いはなさそうだ。

 先ほどから先輩先輩と分かりづらくて困る。

 早急に彼女をハニー相方嫁と変幻自在に呼べるようになれば良いのだが。


「なれば、西暮様の変貌の原因も、中見沢様が鍵を握っていると考えた方がよろしいでしょう」


 悪魔がふむふむと顎に手を当てながら、探偵気取りでそんなことを呟く。

 

「中見沢は先輩がああなってるって知らなかったけどな」


 先輩のイメチェンの原因。そんなもん尋ねられても、俺にはさっぱり分からない。

 俺が先輩に出会ったときには、既にあのミステリアススタイルだったのだ。

 しかしそれに驚くということは、中見沢の先輩であったときの先輩は、ああいう感じではなかったらしい。


 二人の過去に、いったい何があったのだろう。

 そんな風に考えかけて、俺はすっかり自分が悪魔に誘導されていることに気づいた。


「やたら解決に乗り気だな、お前」


「ヒラク様の恋路をサポートし、様々な欲求を起こさせる事が私との契約への近道ですので」


 こいつがそんな建設的なことで積極的になるなど珍しい。

 腹立ち紛れの俺の疑いに対し、しかし悪魔は涼しい顔でそう答えた。


「……ただ単に面白そうだと思ってるだけだろ」


「解釈はどのようにしていただいても構いません」


 そうして、わざわざ立ち上がると慇懃に礼をした。

 それからまたベッドへと座り直す。


 どう考えても俺をおちょくっているとしか思えないが、まともに相手をしていてはキリがない。


 とりあえず中見沢に連絡を取った方が良いだろう。

 俺はそう考え、ポケットに入っていた携帯電話を取り出した。


 悪魔でさえもなんとかフォンの時代に、俺は所謂ガラパゴス携帯のままである。

 その辺りに引っかかりを覚えなくもないが、まぁおいておくとしよう。

 引きずられ踊らされたのに、よく落とさずにいられたものだと安心しつつ操作するが、そこではっと気づく。


「そういえば、あいつの連絡先なんて知らないぞ」


「なんとまぁ」


 俺がつぶやきを漏らすと、悪魔がざーとらしく目を見開く。


 俺のアドレス帳に、中見沢という名字は登録されていなかった。

 貧乳えぐれ胸ちびっ子でも登録はされていない。

 もちろんあいつのツイッターなんかも知らない。やっているかどうかさえ不明だ。


「歴戦のナンパ師がとりあえず連絡先を聞くのは、こういう事態に備えてなんだな」


「一つステップアップしましたね」

 

 「ネェ彼女」などというナンパの仕方はもう古いと思っていたが、古典にも学ぶべきところは多いのだという教訓である。


「その電子えんま帳とやらで調べられんのか?」


 イチイチ人を煽ってくる悪魔を睨みつつ、俺は尋ねた。

 この電子えんま帳とやらは、魂に関すること以外でも妙に高性能な様子である。

 なればと聞いてみたのだが、それに対して悪魔は悲しげに首を横に振った。


「さすがにそういった微細な個人情報までは。最近はやたらと厳しくなっておりまして」


「スリーサイズのほうがよほど秘匿情報だろう」


 公開していただけるのであれば公開していただきたいが、それはともかくとして肝心なときに使えない悪魔である。


 俺は仕方なく、携帯電話を閉じた。

 そんな時ーー。


 でれでれでれでれでーれんと、携帯電話が世界の消滅を告げるかのような音を立てた。


 男からかかってきた時のテーマである。


「どなたです?」


「西暮……弟の方だ」


 辟易しながらも名前を見ると、そこには西暮(男!)と書いてあった。


 落ち込んでいるときだしぶちっと切ってやりたい。

 しかしそのタイミングに何かを感じ、俺は通話ボタンを押した。


「もしもし」


「……もしもし」


 すると、先ほど奏でられた着信音よりトーンの低い声が、携帯電話から俺の耳へと進入してきた。


「何だ。地獄の国から僕らのためにみたいな声をだしよって」


 それを追い出すため耳抜きをしながら尋ねる俺だが、届いたその声に対して脳から解析結果が返ってくる。


 確かにテンションは低いが、どうもいつものあのチンピラ声ではない。


「……ごめんなさい」


 電話口から、謝罪の声が響く。

 やはり、確かに、男の声ではない。それを念頭に聞くと、何やら可憐かつ高貴な響きまでまとっている気さえしてくる。


「あ、や、いえ、もしかして先輩?」


 まさかと思いながら、俺は相手に問うた。

 これで違ったら、携帯か耳を買い換える所存である。


「うむ……うん。弟に、携帯電話を借りて……」


 すると、電話口で一瞬間があってから、そんな答えが返ってきた。

 通話状態が悪いのかとも思ったが、先輩のことだから首を縦に振っていたのかもしれない。


「す、すみませんでした!」


 とにかく謝罪しなければ。電話越しに頭を下げる俺。


「今、ひとり?」

 

 しかし、それにかまわず、先輩は短い言葉でそう尋ねてくる。


「えー、まぁ、おおむね一人です」


 俺はちらっとベッドに腰をかけている悪魔を見てから、これは人じゃないなと除外して先輩に答えた。


「少し、話がしたい」


 すると電話口から、心ときめく言葉が囁かれた。


「な、なんでしょう!? 式場の話ですか!?」


「……よく分からないけれど、外に出てこられる?」


 俺が興奮して先輩の言葉を先読みすると、もう一度間があってから先輩は俺にそう尋ねた。


「ええ行きます行きます。行きますとも」


 頷きながら返事をし、俺は近所のファミレスで彼女と落ち合う約束をした。

 名残惜しいながらも通話を切ると、汚れている制服をぽいぽいと投げ捨てこういうときのための一張羅を取り出す。


「女性二人から引っ張りだことは、契約した甲斐がありましたねヒラク様」


「そういう誘導をするな。どうせ恋愛がらみではないと脳が答えを用意してしまったではないか」


 ニコニコと笑う悪魔にそう言われると、浮かれていた逆に頭が冷えてきてしまう。


 このタイミングで、俺が他の女子と仲良くしていたのを見て焦ってアタックしてくる……なんて可能性はないだろう。


 無い、はずだ。おそらく。80%ぐらい。


 一応最後に自らのパンツの柄を確認してから、俺は外へと飛び出したのであった。



  ◇◆◇◆◇



 さて、それから十分ほど後。俺は今、ファミリーレストランの隅っこに座ってお冷やをすすっている。


「……」


 そして向かいには、相変わらず前髪を顔の前まで下ろした先輩が座っていた。


 私服の先輩と、公共の場ではあるものの初めての二人きりである。

 お冷やも進むというものだ。


 雰囲気を出すため、悪魔には俺の横ではなく後ろの、背中合わせの席に座らせている。

 そっちではカップルが別れ話をしており、悪魔はそれを笑顔で眺めているようだがまぁいいだろう。


「それで、どうしたんですか?」


 口火を切ろうとしない先輩に対し、俺は発言を促した。

 いつまでも二人で向かい合っているというのもめくるめく時間ではあるのだが、もうそろそろ俺の頼んだハンバーグセットが来てしまう。


「あの、あげはの……中見沢、さんの話で」


 すると、先輩は髪の間から、予想通りの話題を切り出した。

 やはり一応「他の女といるところを見て貴方が好きだと気づいた」という方向性も受け入れるつもりできたのだが、それはもうちょっと後になるらしい。


 しかし、あげはと呼んでから名字プラスさん付けになるとは。

 どうしたらそんなことになるのだろうと思いながら、先輩の次の言葉を待っていた俺だが、彼女は二の句を継ごうとはしない。


「先輩は、中見沢と同じ中学出身なんですっけ」


 そこで仕方なく、俺から先輩にそう切り出すことにした。


 俺の問いに対し、先輩は無言で頷く。

 そうしてから、今度は俺の目をじっと見て尋ね返してきた。


「君は……中見沢さんの彼氏なの?」


「ぶっ!」


 その問いに、俺は口の中の水を先輩に吹きかけそうになった。

 それより早くメニューを盾にし防御をせんとする先輩は流石だと思うが、とにかくその誤解はまずい。


「いやいやいやいや! あんな平たい胸族など娶る気はありません!」


 慌ててそれを解こうとする俺だが、叫んだ途端、メニューの上から覗く先輩の目がぎっと細められた。


「おそらく『娶る気もないのにうちの大事な後輩をたぶらかしやがってこの野郎』と考えているのではないでしょうか」


 冷や汗を流す俺に、悪魔がそんな風に解説する。

 悪魔に人間の気持ちを教えられるというのは納得がいかないが、それならばつまり、先輩はいまだに中見沢を大切に思っているという事か。


「そもそもあの、先輩が見た光景はそういう甘酸っぱいものではなくてですね。あいつの相談を聞いてるうちに、中見沢がちょっと……気弱になったというか」


 とりあえず先輩が俺と中見沢をそういう関係だと思いこんでいるのは、先ほどあいつが俺に寄りかかっていたところを見たのが原因だろう。


 そう思って、俺は先輩に釈明をした。


「相談……」


「はい」


 しかしアレはあくまで突発的な事態で、別に俺たちは付き合っているとかそういうことではない。


 中見沢だって、弱っていたときに俺の言葉がどこかツボに入ってあんなピロリンピロリンとなっただけで、本気で俺を好きになったわけではないはずだ。


 あの無駄に上がった好感度も、今頃家に帰って冷静になって、元に戻っているはずである。

 何かそれを考えると、少し、ほんのちょっとだけ惜しい気がするが。

 俺も別に、乳が小さいことと行きすぎたアニオタである以外はあの女に不満があるわけではないし。


 いやでもあの好感度の上がり方は、腑に落ちないものがあって如何ともしがたい。

 女の子が男に惚れるときは、もうちょっとピンチを助けたとか不治の病を治したとかいうキッカケがあるべきだろう。

 そういう古式ゆかしい観念が俺の中にはあり、それが本来はもうちょっとモテるべき俺の人生をやや面倒くさい方向へ導いているのだ。


 ちなみに男が女性に惹かれる理由は、美人だからというだけで充分だ。


「そう……」


 俺が煩悶していると、いつの間にか先輩は俺自身もよく分かっていないこの心の内を探るように、俺をじっと見つめていた。


「その、相談というのは、何だったの?」


 そうして、そんな風に尋ねてくる。

 その目には、どこか思い詰めた光が宿っていた。


「……えーと、ごめんなさい。教えられません」


 先輩の質問になら何でも答えてあげたい。こんな目をしているなら尚更だ。

 そうは思ったが、俺はしばらく逡巡してから話さないという選択肢をとった。


 相談内容を明かすということは、奴が全校生徒に隠している趣味に触れる羽目になる。

 しかもその課程で先輩がアニメキャラと比べられていて、しかも大分劣勢だと伝えなければならなくなるのだ。


 後は……先輩が関わっていることとは言え、俺からバラされるのは中見沢も気分が悪いだろうし。

 なんか今更、西暮弟に詰め寄ったときあいつが事情を話さなかった気持ちが理解できたな。


 ピロリン。


「ヒラク様。なんと空気読みのスキルが芽生えました」


 うるさい。今感傷に浸ってるんだから余計なことを言うな。


「ごめん……軽率だった」


 俺が背中越しの悪魔に頭の中で毒づく俺。

 それに対し、先輩がそこまでせんでも良かろうにという角度で深々と頭を下げた。


「え、あ、別に先輩が悪いわけでは……」


 悪魔へのヘイトが表面に出ていたのかと、俺は慌てて表情を取り繕う。


 先輩の胸は机に潰されそれはもう絶景であるので、これを駄賃に許せと言われればお釣りを出さなければならない風情である。


「私がしたことで、彼女が私のことでいまだに落ち込んでいるのかと、思い上がってしまって……」


 それを俺が脳内に刻んでいる間に、先輩は頭を垂れたままぽつりと呟いた。


「いえまぁ、遠因では……あるみたいですし」


 なんだかそれが気の毒になって、録画は継続しながらも、俺は彼女を慰めようとした。


「そうなのか!?」


 それに対して先輩が身を乗り出し、ぐいっと食いつく。

 同時に口調が変わった。


 やはり先輩と中見沢は、妙に似通ったところがある。

 興奮すると、そちらが地であるらしいちょっとおかしな性格になるところとか。

 胸の大きさはまさに両極端だが。

 などと机を接点にぐにぐにと動く乳房を見ながら俺は考えた。


「わ、私のせいで、いまだに……」


 で、俺がそうしている間に、先輩は再び頭を落とす。


「あ、いや、えーと……」


 よく考えたら中学時代の出来事をいまだにあいつが気にしていると報告しても、優しい先輩の気が晴れるわけがない。


 かと言って、気にしていないと言ってもさっきの状態になる。


「あぁもう」


 ほとんど無意識に、俺はそう言葉を漏らしていた。

 先輩がびっくりした様子で顔を上げ、前髪に隠れたおめめがパッチリと開かれる。


「そもそも、先輩とあいつって何があったんですか?」


 我慢できずに、俺は先輩に尋ねた。

 弟が言っていたように、当人に聞くなら問題はあるまい。

 答えてもらえなければ、今度は中見沢に聞くだけだ。


「それは……」


 そう呟いた後、先輩は首の蝶番が心配になる勢いでまたしても俯き、下唇を噛んでしばらく黙り込んでいた。


 だがやがて顔を上げると、今度はドキリとさせるような鋭い目で俺を射抜いて言った。


「君には、知る権利がある、な。彼女と親密な関係である君になら」


「あれ? ちょ、ちょっと待ってください先輩」


 何やら彼女は、重大なことを勘違いしたままのようだ。

 それを訂正しようとした俺だが、先輩はすでに回想モードへ突入していて聞く耳を持たない。

 

 そして、そんな先輩によると、話はこういうことだった……。

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