少年とチョロい
「なぁ女子よ」
俺が声をかけると、正面に座る中見沢が女子としてはちょっとどうかと思う半眼を向けてくる。
「何?」
そうして奴は、寝過ぎた後のような低い声音で俺に尋ねてきた。
おそらく良いところを描いていたのだろう。
そう思って俺が手元を見ると、奴はそれをさっと隠して余計に視線をきつくする。
場所は放課後の図書室。
古典に続き数学の南三原教諭にまで留年を示唆された俺は、続いてそちらのノートを中見沢に写させてもらっていた。
「優しいってなんだと思う?」
ただ、そうしながら、俺の心は目の前のノートや、ましてや目の前の平ら胸には集中しきれずにいた。
「……何その唐突な質問」
憂いの表情を浮かべた儚げ系男子である俺を、怒りから哀れみに近いベクトルにシフトさせつつも中見沢は不機嫌な表情で見る。
「唐突ではない。お前には読めない行間という物が存在するのだ」
その小娘に対して男の子の複雑さを語りながら、俺は遠くを見た。
遠くを見たついでに悪魔がしらけた顔をしているのも目に入ったが、全力で無視はする。
俺が頭を悩ませているのは、先輩のあの「優しさ」という物に対する反発だった。
やたら優しいくせに、その優しさを自覚すると落ち込んで自傷行為に走る先輩。
確かに「私って優しいからー」などと吹聴し鼻にかけるような輩は、とにかく美人で胸がすごく大きくてついでに臀部の形が整ってでもいなければ許せないとは思うが、先輩ならその全てを満たしているわけだしまるで問題はないと思うのだ。
憂いを抱えた先輩の顔も確かに素敵だとは思うけれど、そろそろ彼女の全力笑顔も見たい。
ついでにそれが俺へと向けられれば言うことは何もない。
「はぁ……」
先輩の乳房をぽいんぽいんしたいなぁ。
想い耽る俺はため息を吐く。
「本気で悩んでるみたいね」
そんな俺の真剣さが伝わったのか。中見沢は佇まいを直した。
例のごとく俺の後ろに立つ悪魔が、残念な子を見るような目で中見沢を見る。
が、まぁ大体合ってるのであえて訂正はすまい。
「で、お前はどう思う? 優しさについて」
とにかく俺は、改めて中見沢にその件について質問してみた。
すると中見沢は、少々考え込むような仕草を見せて、それから何かを思い出したかのように急に苦々しい表情になる。
「どうした?」
わさび入り饅頭でも食ったようなその態度を不審に思って、再度問いかける俺。
すると中見沢は意識を余所に飛ばしていたのか、「はっ」と我に返った様子で俺に焦点を向けなおす。
「人によって……違うんじゃない?」
そうして奴は、口をもにょもにょと動かして煮え切らない答えを返してきた。
「そういう模範的な回答でなくて」
俺のマゾレベルを上昇させた切れ味を、お前は何処においてきたのだ。
不満に思って俺が再回答を要求すると、奴はやはり目を逸らし、なまくらな様子のまま呟く。
「……気軽に口にするべき、言葉じゃないと思う」
「お前までそんなことを言うか」
「お前までって?」
先輩、悪魔(正確には悪魔社会)に続いて三人目の優しさ慎重論だ。
良かれと思って行動すると、何かと偽善と罵られるような世知辛い世の中だが、こうも優しさというものに対して臆病な若者が急増している現状を知ると、「優しい男が好き」という言葉が死語になるのも頷けてくる。
俺がそうやって老いた気分で嘆いていると、中見沢は不思議な顔をしていたがふと何か思いついた様子で、俺に呆れたような目線を向けた。
「どうせ女子に優しい優しい言ったんでしょ」
「う……」
それがなんとまぁ当たりなのが腹が立つ。
図星をつかれ、俺は呻いた。
女の勘というやつだろうか。惚れた男のことならば何でも分かるというやつなのだろうか。
何何中見沢さん貴女はいつの間に俺に惚れていたのですか。
などと考えもしたが、その辺りの秘められた気持ちは脇に置いて、俺は中見沢に尋ねた。
「……まずいかそれ」
俺の返事は肯定の印である。中見沢は盛大にため息を吐いた後、どこか遠くを見るような目で答えた。
「嫌がる人も、いるわよ」
そんな態度を取っておきながらも、やはり中見沢の態度ははっきりしない。
俺が言った「優しい」という言葉に対し、こいつも何か含みがあるのだろうか。
疑惑の目で見ると、中見沢は気まずそうな顔をしながら自らのノートをこちら側に向けて差し出した。
そこには奴が先ほどまで描いていた男性らしき絵がある。
「この絵、どう思う?」
「ヘタ」
尋ねられたので反射的に答えると、中見沢は机に突っ伏した。
その勢いたるや、びたんとかごんとかいう音が聞こえそうな案配である。
というか聞こえた。
「こ、こういうことですよ」
「え、何が!?」
さすがにストレートに言い過ぎたかと俺が狼狽していると、中見沢は例の敬語になってよろよろと起きあがる。
「変に気を使われるより、はっきり言ってもらった方が良いことも、あるってこと……」
「いや、俺も今回はもうちょっとオブラートに包んでおけば良かったかと後悔してるぞ」
薄い胸を押さえて死にそうな顔をしている中見沢に言われても、さっぱり説得力がない。
この女、例えが致命的にヘタなのではないだろうか。その辺りに絵が上達しない理由が絡んでいても不思議ではない。
「……あなたにそう言われても、分かるもの。むしろアンタなんかに気を使われたなんて気づいたら、余計落ち込みそうだわ」
「どうでも良いが呼称は統一しろ」
文節で呼び名が変わる中見沢につっこみを入れつつ、俺はそんなもんかと考える。
要するにこいつが言いたいのは、余計な気遣いを発揮すると逆に傷ついてしまう場合があるという事だろうか。
で、それは優しさではないと。
「人に言ってもらえないと気づけないこともあるし。それで上手くなれるなら、そのほうが良いでしょ?」
「相変わらず技術力に見合わない発言をする奴だな」
「わ、悪かったわね」
小学校三年生のぐらいの画力のくせに発言だけはプロ級の中見沢が勘違いしないように冷や水をぶっかけておく俺。
むくれる中見沢だが、実は俺はほんのちょっぴりこいつを尊敬していなくもなくない。
自分がヘタだという自覚を持ちつつも、それを受け止めて努力しようとする姿勢は俺には無いものだからだ。
楽して素敵な人生をゲットしようという俺の考えの象徴は、ばっちり俺の背後に待機している。
しかしそのわりにこいつが来てからというもの、俺の生活は苦労の連続だ。
その為、中見沢に対する後ろめたさみたいな物は非常にささやかなものとなっていた。
そもそも何で俺が中見沢に対して罪悪感を覚えなければならんのか。
俺は改めて、自分がヘタと評した中見沢の絵を見つめてみる。
「オタ絵レベル4。前回より1上がっております」
すると悪魔が、俺の思考を読んだかのように電子えんま帳を操作して呟いた。
「確かに前よりは体のバランスが取れてるな」
俺は絵に関して詳しいことは分からないが、この間見たときより主に肩幅が広がって人間に近づいている気がする。
原作のアニメとやらを見たこともないし、たまたまこの絵だけ上手く描けただけかもしれないので、それが正しいとは言い切れないが。
「本当ですか!?」
だが、俺がそう呟くと、尻尾があったら振り乱さんばかりの勢いで中見沢が反応した。
口は嬉しさに緩みかけ、それを無理に抑えているので両端だけがやたらつり上がっている。
目は爛々と輝き、次のお褒めの言葉を待ちかまえているような案配である。
その現金な様子に、さすがに唖然とする俺。
奴と俺の視線が交錯し、少々間が空いた後、中見沢はわざとらしく咳をして椅子に座り直した。
……何とまぁチョロい女であろう。
将来悪い男に騙されないか心配である。
脅迫している俺が言うのはどうなんだというつっこみは、おそらく正しいが。
「お前って将来、これを仕事にするのか?」
ふと気になって、そんなチョロ見沢に尋ねる俺。
「……出来ると思う?」
だが中見沢は、呆れと自嘲を混ぜたような表情をして、俺に問い返してきた。
つまり本気で聞いている訳ではなく、さすがに無理だと思っているのだろう。
さっきの騙され易さから考えると、ワンチャンはあるように考えていそうな気はするが。
「描きたいから描いてるだけよ。描かないと、収まらないだけ」
そうして奴は、またも絵のレベルに合わない芸術肌な発言をかましくさる。
この辺りもこいつが現実を弁えているかどうか不安になるポイントだ。
「おいちゃんが栓をしてやろか」
なのでとりあえず現実的な提案をしてやる俺。
だが、中見沢は俺を無視。
あらぬ方向を見てたそがれている。
ちょっと大人のジョークすぎたかもしれない。
「だから、これはあくまで趣味。……将来蘭丸様にお仕えできる職業にはつきたいけど」
「素で現実と妄想を行き来するな。ドキドキしちゃうだろうが」
ついでに危ないことまで言い出したので、どうせ聞こえないだろうなぁとは思いつつ、俺はつっこみを入れた。
「そうじゃなくても、人を元気づけられる仕事が出来ればなって。何も決まってないのと、一緒だけどね」
案の定聞いていなかった様子の中見沢が、こちらに視線を向けなおして微笑んだ。
はにかんで、目を細めながら。
それを向けられ、俺はあわてて目をそらした。
あぶない。あんまりの眩しさに目が眩むところだった。
俺は女の子の特定の膨らんだ部位にも魅力を感じるが、同じく笑顔というものにもめっぽう弱いのだ。
脅迫という材料を使って俺が優位に立つ関係を構築していくつもりなのに、思わず頭を下げて付き合ってくれと懇願するところだった。
「……何よ、おかしい?」
「あーいやいや! そこまで決まってれば立派でさぁ!」
……今が優位かと言うとそれはそれで怪しい物があるのだが。
ていうか自分で言うのもなんだが、脅迫犯を前に夢とか語っちゃっていいのかしらんこの女子は。
まぁクラスでもこういう絵を描いているのは隠しているようだし、俺ぐらいしかこんな事を話せる奴はいないのかもしれない。
「つけいるチャンスですな」
「だから思考を読むなお前は」
後ろでろくでもない事を呟く悪魔を、俺は小声で引っ込ませた。
俺は一度脳から発生する電波的な物を遮断するラップ的な物を通販などでお求めする必要があるのかもしれない。
脅迫の件でふっと思い出し、俺はスカートを直している中見沢に呼びかけた。
「そういや剣道のほうは何時にする?」
「は?」
しかし中見沢は単語が何一つ理解できなかったような様子で、俺にアホっぽいツラを向ける。
「いや、だから剣道。教えてくれる約束だろう」
女子力が大幅減退しそうなその表情にもめげずに俺が繰り返すと、中見沢は「あぁ……」とようやく納得の表情を見せ、それから視線を外して呟いた。
「剣道なんて、高校に上がってからやってないし……そもそもそんなに強くなかったし」
何か分からないが、いじけているようにも見える。
しかしその原因が分からない俺は、悪魔にちらりと視線をやった。
「ブランクがあって20も残っているという事は、それだけ達者だったという事でしょう」
すると奴は俺の意図を汲んで、そんな風に解説をする。
こういうときに意志が伝わりやすいのはありがたいのだが……。
なるほどそうか。レベルは下がることもあるのだな。
確かステータスは体格も考慮されるようだったから、この小ささでそれならば、全盛期であれば俺がスコップで戦ったとしても負ける可能性もあっただろう。
となれば、お色気要素以外は指導者としてもうってつけの人材だと思えるのだが……。
「秘奥義教えてくれたらヒラクスタンプ3個あげるから」
「いらない」
と、にべもない。
ヒラクスタンプの解説さえもさせてもらえなかった。
「10個あげるから」
「だからいらない」
「100個」
「いらないです!」
その後出血サービスのつもりで数を増やすもやはり承諾をしてくれない。
というかこういう押し問答、つい最近もやったような……。
「な、なんですか?」
思いついてじっと中見沢を見ると、奴はぎょっと身を引いて俺に問いかけてくる。
おびえて敬語状態になっているのは若干ショックだ。
「いや、やっぱり俺の思い過ごしだ」
この小動物をブルブルさせておくのはさすがに気まずい。
そう思って、俺はその貧相な体から目を離した。
で、脳内でぽいんぷるんを思い出して脳を満たす。
全く、俺は何故あんな事を考えたのだろう。
「なんか失礼な妄想の材料にされた気がするんだけど」
中見沢が、先輩に似ているだなんて……。




