レモン試し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
試す。
勇気のいることだが、誰かがやらなくてはいけない行為として、これほど知られているものはない。
我々がこんにち、なにがよくて、なにが危ないのかを把握できているのは、先人たちの実験のおかげであるところが大きい。ときには命さえも落としてしまった、名もなき英雄たちのおかげで、こうしてわたしたちは豊かな生活を享受することができている。
しかも、厄介なのは限界というものが、この試す行為にはない。新しいものが生まれたり、どこからかやってきたりしたら常に更新されるし、既存のものだって分量が変わることでまだ見ぬ毒や薬になるかもしれない。
コンコルド効果で、長く続けてきたものを損失が増えるばかりで意味ないのでは、と思いつつも続けてしまう気持ち。最終的には結果論で判断するしかないから、生きているうちに結果が身を結ばないパターンだと、どうしても信じる気持ちも揺らぎたくなっちゃうさ。
やはり、すぐに結果が出て、自分が確かめられる実験、というのは重宝されちゃうだろう。
少し前に、友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないか?
レモン風呂というのは、友達の実家においては定番の入浴方法だったらしい。
大量に広げるタイプではなく、袋につめたレモンを湯船に浮かべたうえでの入浴だ。
科学的には肌を守る効果を期待できるらしい。水道水によって構成された一番風呂は、塩素が残っている。それらはお肌にとって良い成分まで、傷つけてしまうということだ。
なので、レモンに含まれている栄養でそいつのダメージを和らげる力が期待できるらしい。二番風呂以降の人たちは、一番風呂に入った人の皮脂などが溶ける関係上、ダメージは少なくなるとかなんとか。
しかし、そのあたりは思春期の難しいお年頃だと、複雑な感情だ。やれ最初に風呂入らせろだ、やれ一緒に服を洗うななどと、はしかにかかったような潔癖シンドロームを発現させる。
かくいう友達も、その病気にかかってしまった時期があって。一番風呂を絶対にゆずらなかったそうだ。しかし、その時期に合わせてレモン風呂を入れる頻度も格段にあがった。
これまでは数日に一度だったのが、友達が一番を得るようになってから毎日のようにレモンが用意されるようになったとか。先に話した効果を説明されてうえでね。
正直、友達はレモン風呂が好きでなかった。
レモンの入った風呂に入ると、肌がチクチクしてしかたないからだ。風呂に足を入れた瞬間から始まるそれは、我慢できない痛みというほどではない。
けれども身を沈めた後も、純粋な湯の熱さによる肌のくすぐりが止み、ほっと一息とはいかない。体中のそこかしこを縫い針でチクチクと刺される刺激は、長風呂に浸かる気を失せさせるには十分なシロモノだったという。
――これ、レモンが入っているからじゃないか?
そう感じ、試しにレモンの入った袋をお湯から取り出してしまう友達。
すぐには、変化が現れなかった。元よりレモンが染み出しているお湯だし、効果も残っているかもしれない。こいつがしっかり抜けたときこそ、ねらい目だ。
実行に移すにあたり、一か月ほどをかけて自分が長風呂するのが当たり前、という環境は作っている。長引いても問題がない。
いったん湯船から出て、あらためて身体を洗い、頭も洗う。こうでもしないと、持ち込むものが極端に限られる風呂場で、湯船につからないまま時間をつぶす手立てはなかなかなかったからだ。
そうして10分あまりが過ぎただろうか。
すっかり身体を洗い終え、今一度入る湯は先ほどのような刺激のすっかりなくなった、快適な心地だったらしい。
――ほらみろ。やっぱりレモンのせいじゃないか。
自分の想像が当たった心地よさも手伝ってか、肩までずっぽり入った友達は、ほどなくウトウトとまどろんでしまったそうなんだ。
やがて、はっと目覚めたとき。そのまなこに映る景色を友達はにわかに信じられなかったそうだ。
風呂が真っ黒になっている。
ただ液体が黒くなったというだけじゃない。まるで泥と入れ替えたかのような重さを感じ、おのずとそこかしこで泡立つ気配を感じた。
驚いて立ち上がると、身体に取り付いたそれらの破片がボロボロとこぼれ落ちていく。シャワーで出すお湯に溶けやすく、一緒に流れてくれるのは不幸中の幸いだが、このような異常な物質を一番風呂で残していくわけにはいかない。
友達は夢中で湯船の物体たちを処理する。浴室の外へ持ち出し、誰かの目にとまることを恐れて、すべてをお湯で流しきってしまった。もちろん浴槽の中は空っぽになってしまう。
さらに困ったことに、身体の内側からちくちくと刺される痛みが、断続的に襲ってくる。ちょうどレモン風呂が外から与えてきた刺激が、内側へ入ってきてしまったかのようだ。
やむなく、家族に事情を話したところ、ひとしきり怒られた後でレモン風呂は徹底するように言い渡されてしまう。
詳しいことは教えてもらえなかったが、友達の身体は珍しい体質を帯びているらしく、特にその年ごろはレモンなどの柑橘類の成分に、毎日接したほうがいいとのこと。少なくとも成人するまでの間は。
成人するまで半信半疑だった友達だけど、それからしばらくして家の羽振りが急によくなったことが、ちょっと不安なのだとか。




