第九話-6
◇◇◇◇
コンビニの前によく設置されている、アーチ型の車止め。
俺はそこに腰を預け、コーヒーのペットボトルを口に運ぶ。
舌に残る苦味と細やかな甘み、鼻に抜けるコーヒーの香り。
『喫茶店のドリップとは違うけど、これはこれで・・・』などと、然して味が判る訳でもない癖に生意気な感想が過ると、そんな自分に思わず苦笑いをしてしまう。
もうひと口、コーヒーを口に含みながら、ぼんやりと周囲に目を遣る。
駅に向かう人は少なく、出て来る人はいない。
バスのロータリーに目を向けても、そこで待つ人は疎らだ。
その先の道路沿いの歩道、遊歩道、よく判らないオブジェ・・・どうやら芸術イベントで設置されたらしい・・・が目を引く公園も、今の時間にはほとんど誰もいない。
夜7時。
この時間に動いているのは、仕事終わりで帰っている人か、部活帰りの学生かなどが中心だろうか。
仕事帰りの人だって、数人纏まってどこかへ飲みに行く風ではない。ひとり、またはふたりで、足早に家への帰路にあるように俺の目からは見えた。
『寂しい町だな』
俺は心の中で呟く。
テレビなんかで見る都会の風景と、今の目の前の風景が、同じ世界にある事が俄かには信じられない。
都会の人込み、他人に興味のない雰囲気、通勤にも時間が掛かり疲労していく毎日に見える世界。その反面、多くの人の為の店舗がありサービスがあり、移動時間に余裕があるからか、仕事終わりに少し酒を飲んだりして憂さを晴らす事も出来る。ちょっと足を延ばせば、イベントや催事、テーマパークや遊園地など遊ぶ場所がある。
そこには、誰にでもどこかに居場所がある。
例えひとりで暮らし、友達が居なくても、寂しさを紛らわせる場所がある。
誰かにとっては、それは飲食店なのかもしれない。
休みごとに違う店、気になる店を訪ね、そこでの食と時間を楽しむ。そして、その周囲を散策してまた別の店を見つける。
『ああ、次の時はこの店に行ってみようか』
その繰り返しだけでも、きっと寂しさは紛れていく。
口の中に残ったコーヒーの苦味が、僅かに俺を現実へと引き戻す。
目の前を走るタクシー。
それに続く車もなく、ただ孤独に通り過ぎる。光の帯を残しつつ、交差点の先へと消えていく。
乗車を求める客も居らず、ただひっそりと・・・。
それを見送りつつ、また思考の中に俺は溶け込む。
・・・俺だとしたら、それは書店だろうか。
カフェが併設された書店なら、ゆっくりと淹れたてのコーヒーを飲みながら小説世界に浸り込むことが出来るかもしれない。時間を忘れ・・・ると、お店に迷惑が掛かるから、飲み物だけじゃなく食事もお願いしながら。
そんな店を何店か巡りながら、人の流れを観察する。
そこにはどんな人がいるのだろうか。
どんなドラマがあり、どんな現実が見えるのか。
その時、俺の隣には誰が居るのだろう。
誰・・・?
誰かが居るとすれば、その人は何を考えて俺と一緒に居る?
何を・・・?
その誰かは、俺と同じ様な価値観を持っているのだろうか?それとも違う価値観をぶつけながら、一緒に居るのか?それとも、俺と一緒に居る事が、自分の役割だと思って一緒に?
・・・
考えても答えは出ない。
それはそうだ。
そんな現実は無いのだから。
誰かの言い草ではないけれど、『山の向こうは別の世界』だったか『手の届かないところは現実じゃない』だったか。
前近代の役割が固定されていた時代であれば、『自分の住む範囲がこの世の総て』で『育ってきた世界での役割』・・・すなわち『分』を弁える事が生きる意味だったのは判る。
武士には武士の『分』があり、商人の『分』、農民の『分』があり、それが世界の形を規定した。
西洋の『ギルド』に代表される、『職能組合』に属さねば技術を得る事も叶わないような、『貴族』として生まれなければ十分な読み書きも出来ないような、そんな『分』によって断絶された世界。
『人種』『生活様式』『育った環境』『宗教』『教育』『その人を取り巻く思考環境』・・・それらが見えない『支配』をする世界。
『私が考える事』が『他人の考える事』と違う、という事が『不思議』に感じられる世界。
『私たち』と呼ぶ、『小さな集団』が世界の総てである生活。
その『世界』を規定する『山』を超える事が、難物だった頃を振り返る言葉だと、俺は感じていた。
けれど、今世界は変わった。
旧来の価値観に捕らわれず、足を踏み出す事が出来れば、見える世界は変わるはず。・・・そう、そのはずなんだ。
でも。
またひと口、コーヒーを口に含む。
ふわりと鼻に抜ける香るが、思考をクリアにする。
俺は、ひとりでその足を踏み出す事が出来るのか?
誰かと一緒でなければ、その一歩が踏み出せないのか?
進学や就職のような切っ掛けがあれば、俺はひとりで歩き出して、誰かを置き去りにしてしまうのだろうか。
・・・誰か?
誰かって・・・誰だ?
知らず知らずのうちに、俺の意識は思考へと向かっていたのだろうか。
ペットボトルの飲み口を口に当てたまま、目の前の道を凝視していた。
眉間に皺が寄り目元に力が入ると、そのまま思考の闇へと落ちていく。
俺の心に引っ掛かているその『誰か』・・・。
誰だ?誰を気にする・・・?




