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第九話-3

◇◇◇◇


「ふうっ」と、息を吐きつつ、バイトの制服を脱ぐ。


と言っても、学校指定のブラウスの上から羽織っているだけの制服だから、脱ぐのなどは一瞬の事。


それでも、バイトという仕事の場面から、あたし個人の時間に変わる瞬間。


そこには切り替えの為の何かが必要になる。


制服を脱ぐのが切り替わりになるのはその通りなんだけど、そこにひと呼吸入れる事で明確にスイッチを入れ替えられる。


これはあたしの小さい頃からの習慣。


『何か』を始める時。

『何か』を終える時。


その時に、小さく息を吐いて呼吸を整える。

あたし自身に、『ここからは役割が変わるよ』と教える合図。


朝起きて、『お姉ちゃんの時間だよ』と。

玄関から出る時に、『ここからは学生』と。

バイト先に来れば、『ここからは仕事』。

バイト終わりには、『ここからは秋山柚葉の時間だよ』・・・と。


役割・・・ね。


思えば、私は常に『役割』を演じて来た。


物心ついた頃に生まれた弟・・・3歳年下の弟の面倒を見る『お姉ちゃん』を。

高校教師の父と、中学教師の母の前では、『物分かりの良い娘』を。

両親の知り合いや友人の前では、『良く出来た子』を。

両親が仕事で遅い時や、休みの日でも忙しい時などは『家事も出来る良い子』を。

まだ小さい弟がおやつを強請れば、『優しく応じるお姉ちゃん』を。


他にも色々な役割を、場面場面で使い分けて来た。


『友達の色恋に敏感な柚葉』、『ちょっとおせっかいで明るい柚葉』、『楽しくムードメーカーな柚葉』・・・。


これだって、『あたし』だ。


でも・・・。


本当のあたしって何だろう?


去年、弟が中学に上がり、部活を始めた。

あたしは見に行った事は無いけど、随分と楽しいのか、熱中して土日も練習。平日も、部活が終わっても自主練で遅くなる。

お弁当だけじゃ足りないからって、朝学校に行くときには軽食用のパンも持って行くようになった。


そう・・・。


あたしの『お姉ちゃん』という役割は、無くなったんだ。


いつもの時間に家に帰っても、弟はいない。

『お姉ちゃん、ゲームしようっ』と懐いてきた弟はもういない。

『お姉ちゃん、お帰りっ!お腹空いたよ、おやつっ!』とせがんでいた弟の声がしない家は、あたしの心に穴が開いたように感じられた。

昨日も、今日も、明日も、そしてこれから先、弟が部活をする限り、あたしは『頼れるお姉ちゃん』という役割を負う事はない。それを実感した時、自分と言うものが判らなくなりかけた。


高校でも友人が増え色々と話す中で、驚きもあった。


いや、驚きと言うよりは、愕然とした・・・というべきなのかもしれない。


みんなは、ちょっと長期の休みなどに両親と一緒に旅行に行ったり、遊園地やテーマパークに行ったりと話してくれる。出先で家族と一緒に撮った写真を見ながら、思い出話しをしてくれる。あたしが知る目の前に広がる海とは違い、外海の波は荒く、色は深い。風は強く吹き、髪が、服が大きく棚引く。写真に切り取られた、驚いた顔。そこには楽しさが滲み出ていた。


『あたしはこんな世界を知らない』


山地沿いに広がる雄大な牧場。多くの乳牛がのんびりと、思い思いに草を食む。搾りたての牛乳をコップに並々と入れて貰い飲む姿。鼻の下に残った牛乳の跡が、まるで白髭の様。それを指さし笑う姿。自家製のソフトクリームを兄妹姉妹で食べ、笑う姿。


『あたしはこんな味を知らない』


そして・・・。

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