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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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9/11

扉の向こう

王宮に戻った頃には、空はすっかり暗くなっていた。


騎士団宿舎の廊下は冷え、石の床がやけに硬く感じる。


私は足音を殺すように歩きながら、ひとつの扉の前で立ち止まった。


――ロイの部屋。


扉の向こうから、かすかな声が聞こえる。


「副長様、無理をなさらないでくださいね」


鈴の音みたいな声。


アリシアだ。


胸が、ぎゅっと潰れる。


(……どうして)


どうして私じゃないの。


傷を治したのはアリシア。


私には、何もできなかった。


団長の命令で、ロイの看病はアリシアが行う。


そう聞いた瞬間から、胸の奥がずっと冷たい。


私は廊下の壁に手をついて、息を整えようとした。


でも……涙が落ちた。


ひとつ落ちたら、止まらない。


(やだ……)


泣いたら迷惑をかける。


泣いたら、また役に立てない。


そう思って口元を押さえたのに、嗚咽が漏れそうになる。


その時だった。


部屋の中から、乱れた声が聞こえた。


「……っ、ここは……?」


低くて、掠れた声。


――ロイ。


心臓が跳ね上がる。


扉越しに、アリシアの声が優しく続いた。


「副長様、目が覚めたのですね。良かった……」


私は息を止めた。


(目が覚めた……!)


嬉しい。


嬉しいのに、足が動かない。


怖い。


もし、私が入ったら――邪魔になる。


でも。


扉の向こうから聞こえた次の言葉が、私の足を凍らせた。


「……あなたは……誰ですか」


ロイの声。


静かで、戸惑っている。


アリシアは一瞬だけ黙り、それから柔らかく名乗った。


「アリシア・ハインツです。聖女として、あなたを治癒しました」


「……聖女」


ロイが小さく呟く。


そして、数秒の沈黙。


アリシアが、少しだけ甘い声で言った。


「副長様。覚えていませんか?

あなたはずっと、私のことを……」


その先の言葉は、はっきり聞こえなかった。


でも――


それだけで十分だった。


(……嘘)


私は指先を握りしめる。


ロイは、私を見てくれた。

優しく手を握ってくれた。

泣いてもいいって言ってくれた。

頑張らなくてもいいって――


なのに。


扉の向こうでロイが息を吸い、掠れた声で言う。


「……アリシア。あなたは無事ですか」


アリシアが嬉しそうに笑う気配がした。


「はい。私は大丈夫です。副長様が守ってくださったから」


守ってくださった。


その言葉が、私の胸を刺した。


(違う)


守ったのは。


守ってくれたのは――


私の方なのに。


涙がまた落ちる。


止められない。


その時、部屋の中でロイが言った。


「……私は、あなたを……」


言葉が途切れる。


苦しそうな息。


そして、確かに聞こえた。


「……愛していた気がする」


世界が、静かに崩れた。


私は唇を噛みしめて、声を殺した。


(嘘だよ……)


そんなはずない。


私を抱きとめてくれたのはロイなのに。


私の涙を拭ったのは――


そこまで考えて、私は思い出した。


ロイは、私にキスをしなかった。


止めた。


「……すみません」


って。


それはきっと、立場のせいで。


団長の目があるから。

副長として。

守る側として。

でも。


――今は違う。


“聖女として正しい”アリシアがいる。


“結果を出せる”アリシアがいる。


私はただの、平民上がりの聖女で。


倒れて、迷って、救えなくて。


(……私はいらない)


そう思った瞬間、胸が苦しくて息ができなくなった。


私は逃げるように一歩下がった。


その時――扉が開いた。


アリシアが出てくる。

私を見つけて、驚いたように目を丸くした。


「……ミア様?」


私は涙を拭えずに立ち尽くしていた。


アリシアは一瞬だけ微笑む。

優しく。

でも勝者の顔で。


「副長様がお目覚めです。良かったですね」


その言葉が、優しさの形をした毒だった。


私は声が出ないまま、ただ頷いた。


そして、アリシアの肩越しに――


部屋の中のロイと目が合った。


ロイはベッドの上で上体を起こし、私を見ていた。


その瞳は、確かに私を捉えている。


なのに。


そこにあったのは、温かさじゃなかった。


警戒。


困惑。


そして――冷たさ。


「……誰だ」


ロイの声が、低く落ちる。


私は喉が震えた。


「……ロイ…様。私……ミアです……」


名前を言っただけなのに、涙が溢れる。


ロイは眉を寄せた。


「ミア……?」


まるで、知らない名前みたいに。


そして、次に口にした言葉は――


「悪いが、今は休みたい。出てくれ」


冷たい。


あまりにも冷たい。


私は息を止めた。


「……っ」


アリシアが、隣でそっと囁く。


「ミア様。副長様は混乱していらっしゃるの。

今は刺激しない方がいいわ」


刺激。


私は刺激。


私は、邪魔。


私は――


私は小さく頭を下げた。


「……すみません」


また謝ってしまった。


ロイは視線を逸らし、アリシアの方を見て言った。


「アリシア。ここにいてくれ」


その一言が、私の心を決定的に折った。


私は踵を返す。


涙で廊下が滲む。


足音がうまく出ない。


(……ありがとうを言いたかった)


言えると思った。


でも、遅かった。


背後で扉が閉まる音がして、私はそこで初めて気づいた。


――ロイ様は生きているのに。


私はもう、生きる希望を失った。

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