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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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途切れた光

ロイの身体は冷たい地面に横たわっていた。


鎧の隙間から滲んでいた血は、黒い土に吸い込まれていく。

呼吸が浅い。胸がほとんど動いていない。


「ロイ様……!」


震える声で呼ぶと、彼の睫毛がかすかに揺れた気がした。


でも、それだけだった。


私は膝をつき、両手を伸ばす。

指先が彼の手に触れた瞬間――


(……冷たい)


胸がきゅっと縮んだ。


「お願い……!」


口から出た声が、自分でも驚くほど掠れていた。


私は息を吸い込む。


胸の奥に熱を集める。


いつもみたいに。


あの時みたいに。


(やれる……)


私は聖女で、治癒ができる。


そうでなければここにいる意味がない。


掌に、光が滲む。


でも――


光が弱い。


揺れている。


不安定で、形にならない。


「……っ」


焦る。


焦れば焦るほど、胸の奥が空っぽになっていく。


「ミア様!」


騎士の声が飛ぶ。


周囲ではまだ魔物が蠢き、剣の音が鳴っている。


団長の声が切り裂いた。


「戦線を維持しろ! 聖女は治癒を優先!」


命令。


冷たい声。


私は頷いた。


頷くことしかできない。


「ロイ様……私、今度こそ……!」


指先に力を込める。


光を強くしようとする。

なのに、光が途切れた。


ぷつり、と。


まるで私の心が折れたみたいに。


「……嘘」


息が止まる。


「なんで……」


助けたいのに。


助けなきゃいけないのに。


ロイ様だけは――


「お願い、起きて……!」


私は彼の手を握りしめた。


指先が震えて、涙が落ちそうになる。


(私、また……役に立てない)


その瞬間。


白い香りが、夜の血の匂いを裂いた。


「――どいてください」


鈴の音みたいな声。


アリシアだった。


白いローブが闇の中で浮いている。


髪が揺れ、聖印が淡く光る。


「アリシア様……」


私が呟くと、彼女は一度も私を見ずに言った。


「戦場で迷う聖女は、邪魔です」


言葉が、胸を刺す。


私は動けなかった。


アリシアはロイの傍に膝をつき、迷いなく手をかざした。


「――癒しの光よ」


その瞬間、世界が白く染まった。


眩しいほど強い光。


温かくて、濁りがない。


私の光と違う。


揺れない。


折れない。


ただ“正しく”力を持っている。


ロイの傷口が、目に見えて閉じていく。


裂けた皮膚が繋がり、血が止まり、体温が戻っていく。


「……っ」


私は息を呑んだ。


(すごい)


すごい、なんて思いたくないのに。


悔しいのに。


でも目の前で、ロイ様が救われていく。


アリシアは淡々と手を引いた。


「これで傷は塞がりました」


騎士の一人が叫ぶ。


「副長の傷が……!」


戦線の緊張が一瞬だけ緩む。


でも――


ロイは目を開けなかった。


横たわったまま、動かない。


「……ロイ様……」


私は近づき、顔を覗き込む。


呼吸は戻っている。

胸も動いている。


それなのに――


瞳が開かない。


(なんで……?)


団長がこちらへ歩いてきた。


甲冑が鳴り、冷たい圧が近づく。


「状況を報告しろ」


アリシアが短く告げる。


「夜襲により副長が負傷。……私が治癒いたしました。傷は完治ですが――意識が戻りません」


団長の視線がロイに落ち、次に、私へ移った。


私の喉がひゅっと鳴る。


(見られてる)


――使えるか。使えないか。


また、その目。


団長は一拍置いて言った。


「……聖女ミア」


「……はい」


震える声で返す。


団長の目が細くなる。


「なぜ治癒を止めた」


私は息を止めた。


止めたんじゃない……止まったんだ。


光が――出なかった。


でも、それを言っても意味がない。


私は唇を噛みしめ、俯く。


「……すみません」


謝った瞬間、自分が嫌になった。


また謝ってる。


また、逃げてる。


アリシアが静かに口を挟む。


「団長様。聖女の力量には個体差がございます。

……ですが戦場では、結果が全てです」


結果。


その言葉に、私は目の奥が熱くなった。


(ロイは助かった)


助かったのに。


私は、何もできなかった。


団長の指が、わずかに動く。


迷っているのが分かった。

冷徹に切り捨てるべきか。

でも、聖女は必要だ。


そして――ロイは。


団長はロイの顔を見つめ、低く言った。


「……ロイが目を覚まさないなら、戦力は落ちる」


胸が凍る。


「撤収する。ロイを運べ」


騎士が担架を用意し、ロイの身体を持ち上げようとした。


その瞬間、私は反射的にロイの手を掴んでいた。


「……待って」


小さな声。


でも私の中では叫びだった。


「ロイ様……!」


彼の手は温かい。


傷は治った。


なのに、このまま眠ったままだったら――


(嫌だ)


団長が私を見る。


「……聖女」

私は涙を堪えながら、必死に言葉を探した。


「私……私が、悪いんです」


団長の目が揺れる。


「……違う」


低い声だった。


それが庇いなのか、切り捨てなのか分からない。


団長は続けた。


「戦場で折れる者は多い。

だが……折れていい者は、いない」


私は息を呑んだ。


団長は視線を外し、言い切る。


「泣くな。立て。聖女ミア」


冷たくて、厳しい。


でもその中に、ほんの少しだけ――


“逃げるな”という背中押しが混じっていた。


私は震える足で立ち上がった。


(立つ)


私は聖女で。


ロイ様が――私を守ってくれたから。


今度は私が、守らなきゃいけない。


「……はい」


声がやっと出た。


ロイの手を、そっと離す。


その瞬間、アリシアが囁くように言った。


「……ロイ副長が目を覚まさないのは、聖女のせいではありませんよ」


優しい声。

でも、冷たい。


「ただ……あなたが“救えなかった”だけです」


私は、何も言えなかった。



夜が明けても、ロイは目を覚まさなかった。


野営地の片隅。

簡易の天幕の中に運ばれた彼は、眠るように横たわっている。


傷は――もうない。


鎧の裂けた隙間から覗いていた血も、熱も、すべて消えていた。


それなのに、ロイは目を閉じたままだった。


私は膝をつき、そっと彼の手を握る。


温かい。

生きている。

……なのに。


「ロイ様……」


呼んでも、返事はない。

息をする音だけが静かに続いて、胸が苦しくなる。


(私が……ちゃんと治せていたら)


あの時。


光が途切れなければ。

迷わなければ。


ロイ様は、こんなふうに眠ったままにならなかったかもしれない。


私は唇を噛んだ。


「……ごめんなさい」


謝っても、届かない。


いつもなら「謝る必要はありません」って言ってくれるのに。


今は、その声すら聞けない。


天幕の外では、騎士たちが撤収の準備をしている音がする。

金属が鳴って、足音が忙しい。


団長の声が遠くで響く。


「負傷者の確認を急げ。出発は一刻後だ」


冷たい命令。


でも、私は動けない。


手を離せない。


(……起きて)


言葉にできない願いが、喉の奥に詰まる。

私はロイの手の甲に、額が触れそうな距離まで近づいた。


「……ロイ」


様、をつける余裕が消えていた。


「私……怖かった」


言ってしまった。


弱い言葉を。


「でも……あなたが倒れた方が、もっと怖い」


胸が痛い。


涙が出そうで、私は目を閉じた。


その時――


ロイの指が、ほんの少しだけ動いた気がした。


私は息を止める。


「……ロイ……?」

でも、次の動きはなかった。


ただ、眠っているだけ。

それでも私は、その微かな動きを“希望”みたいに握りしめた。


(お願い。目を覚まして)


声にしたら壊れてしまいそうで、私は心の中でだけ繰り返した。


――ありがとうを、言わせて。


まだ一度もちゃんと言えてないのに。


私はロイの手を握ったまま、朝の光の中で、祈るように座り続けた。

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