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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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届いた声

ミアは、神殿の回廊をゆっくりと歩いていた。


夕刻の祈りが終わり、人の気配はまばらだ。


高い天井に反響する自分の足音が、やけに大きく聞こえる。


(……今日も、何事もなく終わった)


誰も倒れなかった。

回復は滞りなく行えた。

神官たちからの評価も、問題なし。


――完璧な聖女。


けれど。

胸の奥に、薄く膜を張ったような違和感が残っている。


(……まただ)


聖力を使い終えたあと、必ず残るこの感覚。


疲労とは違う。

消耗とも、少し違う。

まるで、何かを置き忘れてきたような空白。


ミアは、無意識に胸元へ手を当てた。


そこにあるはずの“支え”を探すように。


(……大丈夫)


小さく、心の中で繰り返す。


大丈夫。

私は、聖女だから。

役目は、果たせている。

そう、言い聞かせながら。



神殿を出ると、空はすでに茜色だった。


冬の空気が、頬に冷たい。


ミアは、王宮の離れへ戻る道を、一人で歩く。


この三月、ほとんど同じ道を、同じ時間に。


――でも、誰かと並んだことは、なかった。


(……会ってないな)


思わず、歩みが遅くなる。


レオナルト様とも。

ロイとも。


仕事が忙しいのは分かっている。

王宮の圧力も、遠征も、行事も。

頭では理解している。



それでも――


(……一言くらい、声をかけてくれても)


そんな考えが浮かんで、すぐに打ち消す。



甘えだ。

自分で選んだ立場だ。



聖女は、誰かの“特別”であってはいけない。

――そう教えられてきた。疑う余地もなく。


(……分かってる)


分かっているのに。


胸の奥が、きゅっと縮む。


私室に戻ると、部屋は静まり返っていた。


灯りを点ける。


いつもと同じ、整った空間。


でも今日は、少しだけ寒く感じた。


ミアは椅子に腰掛け、深く息を吸う。


(……集中しよう)



聖力の巡りを、確かめる。


目を閉じ、内側へ意識を向ける。


――光は、ある。

十分な量も、ある。


けれど。


(……細い)


流れが、細い。


以前は、もっと自然に、温かく巡っていた。


今は、意識して“保たせている”感覚がある。


(……どうして)


理由が分からなかった。


疲れ?

季節?

仕事量?


どれも、決定打ではない。


――ただ一つ。

頭をよぎる答えを、ミアは必死に押し込める。



(……違う)


考えたら、崩れてしまう気がした。


その夜。

ミアは、食事をほとんど取れなかった。


喉を通らない。

メイドが心配そうに声をかけるが、笑って誤魔化す。


「大丈夫です」


いつもの言葉。


部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。


何もする気が起きない。

ただ、天井を見つめる。



(……もし)



もし。

二人が、私から離れたいと思ったのなら。



もし。

あの距離が、意図的なものではなく、終わりの合図だったのなら。



胸が、ぎゅっと締めつけられる。


(……それでも)


それでも、私は。


聖女として、ここにいるしかない。

どこにも逃げ場はない……

選ばれなかったのなら、身を引くしかない。

そう、決めたはずなのに。



――涙が、頬を伝った。


(……会いたい……二人に……)


声に出さず、心の中だけで。



その瞬間。


指先が冷えきり、胸の奥で、何かがふっと抜けた。

支えていた糸が、ほどけたような感覚。



「……あ」


息が、浅くなる。


視界が、わずかに揺れた。


(……あれ……?)



身体に、力が入らない。

聖力を感じ取ろうとするが、指先で掬うように零れていく。



(……だめ)


焦る。


これは、まずい。


このままでは――



「……たすけ…て…」



掠れた声が、部屋に落ちる。


そのとき。


ミアの寝室のドアがノック無しに開いた。




空気が変わった。


張り詰めていた部屋の静けさが、

一瞬で“人の温度”を帯びる。



「……ミア」


低く、落ち着いた声。


聞き慣れたはずなのに、今は胸の奥を強く叩いた。


ミアは、反射的に顔を上げる。


そこに立っていたのは――


レオナルトだった。



騎士団長の正装のまま。


外套も脱がず、息も少し乱れている。


その後ろに、半歩遅れてロイが入ってきた。

息を切らし深刻な顔をしていた。


視線が、まっすぐミアを捉えている。


「……ぁ……」


喉が震え、

呼びたかった名前は、最後まで声にならなかった。


「……ミア」


ロイの声は、いつもより低い。


優しいのに、どこか張り詰めている。


「……聖力、かなり削れてます」



その一言で、胸がぎゅっと縮んだ。


(……気づいたんだ)


気づかれないように、

必死で隠していたつもりだったのに。


「……大丈夫、です」


反射的に答えてしまう。

いつもの癖。


「まだ……ちゃんと、使え…ます」


その言葉を聞いた瞬間、

レオナルトの眉が、わずかに動いた。


怒りでも、失望でもない。


――痛み。



「……もう、無理しなくていい」


レオナルトが、低く言った。


その声は命令でも叱責でもなく、

ただ――“終わりを許す”声だった。


ミアの肩が、わずかに震える。


張りつめていたものが、音もなく、ほどけていく。


「……でも……」


言いかけた唇に、言葉は続かなかった。


レオナルトの手が、ミアの背に回る。


支えるように、包むように。


その瞬間だった。


胸の奥に、ゆっくりと流れ込んでくる感覚。


(……あ……)


温かい。

強くて、静かで、揺るがない流れ。

レオナルトの魔力だった。



かつて剣を振るうためだけに研ぎ澄まされていた力が、

今は形を変え、ミアを“保つ”ために流れてくる。



押し込むような強さはない。


ただ、


「ここにいていい」と伝えるような、深い巡り。


ミアは、思わず息を吐いた。


「……ぁ……」


喉から、微かな音が漏れる。



ロイも、静かに一歩近づく。


ミアの背に、そっと手を重ねると、

次の瞬間、もう一つの流れが加わった。


(……ロイ……)


軽やかで、柔らかい魔力。

けれど芯があり、途切れない。

細やかに、丁寧に、

削れた場所を見逃さないように巡っていく。



まるで、

傷ついたところを一つひとつ撫で直すみたいに。


二つの魔力は、争わなかった。


ぶつかりも、混濁もない。


最初から知っていたかのように、

自然に、ミアの内側で重なり合う。


胸の奥が、じんわりと熱を持つ。


張りつめていた聖力の核が、

二人の魔力に触れて、ゆっくりと安定していくのが分かる。


引き裂かれそうだった巡りが、

一本の太い流れに整え直されていく。



「……息をして」


ロイの声が、すぐそばで聞こえた。


「深く」


言われるまま、ミアは息を吸う。


肺の奥まで、空気と一緒に魔力が満ちる。


吐く息とともに、不要な力が、静かに抜けていく。



「……そう」


今度は、レオナルトの声。


低く、落ち着いた響き。


「……よく、耐えたな」


その一言で、ミアの目から、ぽろりと涙が落ちた。



(……耐えてたんだ……私)


頑張っていたのだと、初めて認めてもらえた気がした。


二人の魔力が、さらに深く馴染む。


支えるだけではない。


補い合い、

“戻る場所”を作るように。


聖力が、自然と応える。


無理に引き出さなくても、

必要な分だけが、穏やかに循環する。


(……あ……戻ってる……)


削れていた感覚が、消えていく。


冷えていた内側に、確かな温度が宿る。


ミアの身体から、力が抜けた。


「……もう、大丈夫だ」


レオナルトの声が、近い。



「私……」


声が、かすれる。


「邪魔、だったんですか?」


言ってしまった。


一番、言いたくなかった言葉。


レオナルトの手に力が入る。


重くて、確かな温度。



「……違う」


即答だった。


「一番、守りたかったんだ」


その言葉に、胸の奥が軋む。


「だから――選ばせなかった」


レオナルトは、視線を逸らさずに言う。


ロイがミアの背中を優しく擦る。


胸が、痛い。


苦しい。


それでも。


涙が、落ちる。


「……ずっと、待ってたんです」


それだけで、限界だった。


レオナルトの腕が、ミアを抱き寄せる。


強くはない。――支えるような抱擁。


ミアは、その胸に額を預けた。



冷えていた心が、

ようやく、ほどけていくのを感じながら。

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