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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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あなたの手の温かさ

撤収の号令が響き、騎士たちは森を後にした。


瘴気が消えたはずの空気は、まだ重い。


戦いの匂いだけが残っている。


私はロイの腕を借りて馬車へ戻った。

足の裏がふわふわして、地面が遠い。


(……倒れない)


そう思って一歩踏み出すたび、視界の端が暗くなる。


「ミア様」


ロイの声が近い。


「もう少しです。ここまで戻れたら――」


私は頷いた。

頷いたつもりだったのに、首が動いたかも分からなかった。

馬車の扉が開く。

中は薄暗くて、外より温かい。

ロイが私を座らせようとした、その瞬間。


ぐらり、と世界が傾いた。


(あ……)


息を吸う前に、視界が白くなる。


倒れる感覚すらなくて――


次に気づいた時には、私は誰かの胸に抱かれていた。


鎧の硬さと、体温。


鼓動が、耳の奥に響く。


「……ミア様」


ロイの声が、震えていた。

私は目を開けようとして、まぶたが重い。


「……ごめ、なさい」


掠れた声で言うと、ロイはすぐに首を振った。


「謝らないでください」


いつもの優しい声。


それなのに、今は痛いくらい切迫している。


「あなたは……本当に、頑張りすぎます」


頑張りすぎる。


前世でも言われたことがなかった言葉が、胸に落ちる。

私は少しだけ笑った。


「……頑張らないと……」


「頑張らなくても、ここにいていいんです」


その言葉が、頭の奥まで染み込んできて――


私は何も返せなくなった。


ロイは外套を自分の肩から外すと、私の体を包み込む。


丁寧で、乱暴じゃなくて、でも逃がさない抱き方だった。


「冷えています。……手も」


ロイの指が私の指先を包み、そっと温める。


(……あたたかい)


ただそれだけのことなのに、泣きそうになる。

私は唇を噛んだ。


「泣かないでください」


ロイが静かに言った。


「……泣いていい、って言ったのに」


私が小さく言うと、ロイは一瞬だけ困ったみたいに笑った。


「今は……泣かれたら、私が困ります」


「……困る?」


「はい」


ロイはまっすぐ私を見た。


「あなたが泣いていると、自分を止められなくなります」


そう言って、ロイは私の額に触れそうな距離で――止まった。


「……すみません」


それだけ言って、彼は視線を逸らした。


(……今…キスされそうだった…?)


私もハッと目を逸らした。


見たら、本当に全部こぼれてしまいそうで。


馬車がゆっくり動き出し、揺れが私の意識を薄くしていく。

ロイの胸に額を寄せたまま、私は息を吐いた。


(……ありがとう)


今度は、ちゃんと心の中で言えた。


どれくらい眠っていたのだろう。


目を開くと、馬車の窓から夕暮れの光が差し込んでいた。

ロイはまだ私のそばにいて、膝に布を広げたまま座っている。


「……ロイ様」


私が呼ぶと、彼はすぐに顔を上げた。


「目が覚めましたか」


「……私、寝ちゃって…」


「いいんですよ」


私は布越しに自分の手を握った。

まだ、温かい。


(あの手の温かさが残ってる)



ふと、馬車が止まった。


外が騒がしい。


王宮が近いのだろうか。


扉の外で、甲冑の音と足音。

そして、聞き慣れない鈴の音がした。


——しゃらん。


柔らかくて、澄んだ音。


「……?」


ロイが表情を変える。


ほんの一瞬、息を止めたのが分かった。


(なに……?)


扉の向こうで、女の声がした。


「討伐からお戻りですか? 第二騎士団の皆さま」


甘い声。


でも、どこか作られた丁寧さ。


「……騎士団長様もご無事で。安心いたしました」


次に聞こえた名前に、私は息をのんだ。


「聖女アリシア・ハインツでございます」


——聖女。


私と同じ立場のはずの、その名。


ロイが私の方を見て、低く言った。


「……ミア様。今日は、何も言わないでください」


その声は優しい。


でも、さっきまでとは違う緊張が混ざっていた。


私は小さく頷いた。


胸の奥が、嫌な音を立てる。


(……聖女は、私だけじゃない)


助けなきゃいけないのは私だけじゃない。


そう思った瞬間――


なぜか、怖かった。


全部、私の手から零れ落ちていきそうで……


馬車の扉が開いた。


夕暮れの光の中、淡い金髪の少女が立っていた。


白いローブに、胸元の聖印。微笑みは柔らかいのに、目が笑っていない。


「お帰りなさいませ」


鈴の音みたいな声。


彼女は私を見つけると、ぱっと笑みを深くした。


「あなたが……ミア様、ですね?」


私は息をのむ。


「はい……」


アリシアは上品に首を傾けた。


「お噂は聞いております。平民から聖女になられた方だと」


——優しい言い方。


なのに、胸が冷たくなる。


「本日の討伐もご同行なさったとか。大変でしたでしょう」


労う言葉なのに、なぜか試されている気がした。


その時、団長が淡々と口を開く。


「挨拶はいい。聖女は休ませろ」


アリシアは一瞬だけ目を細め、すぐに微笑んだ。


「……承知いたしました、騎士団長様」


そして私を見て、囁くように言う。


「ミア様。お疲れでしょうから、無理はなさらないでくださいね」


——まるで、倒れるのを知っているみたいに。


私は笑えず、小さく頷いた。


その横で、ロイが一歩だけ私に近づいた。


まるで、守るみたいに。

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