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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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戻る資格

訓練場の喧騒が落ち着いたあと、


ロイはレオナルトを静かな回廊へ呼び出した。


夕暮れの光が、石床に長い影を落としている。


「……団長」


その呼び方に、レオナルトは一瞬だけ目を伏せた。


「その呼び名は、もう使うな」


穏やかな声だったが、距離を保つための言葉でもあった。


ロイは、それを分かっていて、あえて続けた。


「それでも、です」


一歩、踏み出す。


「騎士団に……戻ってきませんか」


レオナルトは、すぐには答えなかった。


ロイは視線を外さず、静かに現状を伝える。


「今は、第一騎士団長――あなたの師匠が補佐に入り、全体を束ねてくれています」

「ですが……隊員たちは、あなたを待っています」


言葉を選びながらも、核心は隠さない。


「戻ってきてほしい、と」


風が、二人の間を通り抜ける。


レオナルトは、ゆっくりと息を吐いた。


「……俺は、一度退いた」


それは事実だった。


自らの限界を知り、自ら剣を置くと決めた。


「今は回復しているように見えるだろう」

「だが……完全ではない」


胸に手を当てる。


「僅かだが、違和感が残っている」

「討伐では、その“僅か”が命取りになる」


それは、言い訳ではない。



騎士団長として、

命を預かる者としての、冷静な判断だった。



「俺が迷えば、隊員は死ぬ」

「それだけは、許されない」



ロイは、歯を噛みしめた。


(……やっぱり、そうだ)


戻れるかどうか、ではない。

戻っていいかどうかを、彼は見ている。



だからこそ――


「……では」


ロイは、少しだけ声を低くした。


「ミアに、もう一度施してもらうのはどうですか」


その言葉に、レオナルトの視線が動いた。


「今も、夕食後に回復魔法はかけてもらっています」

「ですが……今回は、“復帰を見据えた調整”としてです」



沈黙。



ロイは、急かさない。


「不調の箇所を、細かく伝えてください」

「剣を振るとき、踏み込むとき、魔力を流す瞬間」

「違和感を、すべて」



レオナルトは、しばらく考え込んだ。



確かに、今の回復は“日常を送るため”のものだ。 戦場で、即座に判断し、剣を振るための調整ではない。



(……頼る、か)


あれほど守られてきた相手に、

さらに踏み込ませることへの、ためらい。


だが同時に――


彼女はもう、“守られるだけの聖女”ではなかった。


「……分かった」


低く、だがはっきりとした声。


「不調のポイントを、洗い出す」

「それで……判断しよう」



ロイは、ほっと息を吐いた。



「ありがとうございます」




その夜。


ミアに伝えると、返ってきた答えは迷いのないものだった。


「今夜、お部屋へ伺います」


穏やかで、けれど芯のある声。


それを聞いた瞬間、

レオナルトの胸に、微かな緊張が走る。


(……また、試されるな)


自分の身体も。 覚悟も。 そして――未来も。


夜の帳が、ゆっくりと屋敷を包み込んでいった。


次に踏み出す一歩が、

騎士団へ戻るためのものになるのか。


それとも――


別の道を選ぶためのものになるのか。


答えは、今夜の光の中にあった。





夜の屋敷は、深く静まり返っていた。


廊下を照らす灯りは落とされ、

人の気配はほとんどない。


レオナルトは私室で椅子に腰掛け、

窓の外をぼんやりと見ていた。


魔力は、確かに戻っている。


だが、完全に信用しきれない感覚が、まだ胸の奥に残っていた。


――戻りたい、と思っている。

――それ以上に、戻っていいのかが分からない。


ノック音が、控えめに響く。


「……レオナルト様」


ミアの声だった。


「入れ」


扉が開き、ミアが入ってくる。


夜着ではなく、簡素な施術用の衣。


派手な装いは何もない。


だが、纏う気配は以前とは違っていた。


揺るがない、静かな光。


「ロイから、話は聞きました」


ミアはそう言って、部屋の中央に立つ。


「今日は……癒す、というより」

「整えるために来ました」


レオナルトは小さく頷いた。


「頼む」


その一言に、迷いはなかった。


ミアはベッドの傍の椅子へ座り、

レオナルトにベッドへ座るよう促す。


距離は近いが、触れ合わない。


まずは――話すための距離だった。


「どこに、違和感がありますか」


問いは、聖女ではなく、

一人の対話者としてのものだった。


レオナルトは少し考え、正直に答える。



「剣を振るとき、踏み込みの瞬間」

「魔力を一気に流そうとすると……一拍、遅れる」



胸元を指し示す。



「ここだ」

「生成される感覚はあるが、立ち上がりが鈍い」


「痛みは?」


「……ない」

「だが、“戻りきっていない”感覚がある」



ミアは目を閉じ、静かに息を整えた。



「……分かりました」


そう言って、ベッドへ寝るように促す。


胸の上。

心臓の少し下。

手のひらを当てるだけ。

押さえつけることはしない。

魔力を流すのではなく、

“聴く”ように。



「……静かですね」



ミアの声が、夜に溶ける。



「壊れた痕跡は、塞がっています」

「でも……まだ、硬い」



レオナルトは、思わず息を吐いた。


「硬い?」


「はい」

「修復はされたけれど、“使うこと”に身体が慣れていない」


ミアは、そっともう一方の手を重ねる。



「巡りを、均します」


光は、淡く。

治癒の光ではない。

再生の光でもない。

呼吸に合わせて、

ゆっくりと、行き渡らせる。



レオナルトは、目を閉じた。


(……違う)


痛みはない。

熱も、強くない。



ただ、

“戻ってきた力を、身体が思い出していく”感覚。


「……ミア」


低く、静かな声。


レオナルトは、ゆっくりと息を吐いた。


「……強くなったな」


ミアは、小さく微笑む。


「選ばせてもらえなかった分」

「選ぶ覚悟を、覚えました」


その言葉が、胸に深く落ちる。


ミアの光が、少しだけ強まった。


押すのではない。

引き出すように。


レオナルトの内側で、

魔力が自然に巡り始める。


(……ああ)


違和感が、薄れていく。


完全ではない。


だが、確実に――整っている。


ミアは、最後にそっと手を離した。


「今日は、ここまでです」


レオナルトは、目を開け、ミアを見る。


優しく微笑み髪を撫でた。


「ありがとう」




扉の外で、気配が動く。


ロイだ。


見守るために、そこにいる。


夜は、静かに更けていく。


答えは、まだ出ない。


それでも。


この夜の再調整は、確かに未来へ続いていた。

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