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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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残された時間

客間での話し合いは、思ったよりも長くならなかった。


誰もが言葉を選びすぎていたし、

同時に――これ以上、無理に言葉を重ねたくもなかった。


それでも、夕食は三人で取った。


アイゼン領の素朴な料理。


派手さはないが、温かい。


久しぶりに、

「何も起こらない時間」を過ごしている気がした。


ミアは、ふと気づく。


笑っている。

ロイも、レオナルトも。


ぎこちなくはあるが、確かに、同じ卓にいる。


(……平和、だ)


そう思った瞬間、胸が少しだけ痛んだ。


この時間が、永遠ではないことを、

誰よりもミア自身が分かっていたから。


食事のあと、使用人に案内されて寝室へ向かう。


「こちらをお使いください」


通された部屋は、一つ。


大きなベッドが、ひとつ。


ミアとロイは、同時に足を止めた。


「……」

「……」


気まずさではない。


どちらかと言えば、照れに近い沈黙。


レオナルトの配慮だと、すぐに分かった。


余計な言葉も、気遣いもない。


ただ――“一緒に休め”という選択。


「……入りますか」


ロイが、少しだけ困ったように言う。


ミアは、小さく頷いた。


ベッドに横になった瞬間、

張り詰めていたものが、ふっとほどける。



温もりがある。

誰かが、隣にいる。



王宮を出てから、

ロイもまた、ずっと気を張っていたのだと、ミアは分かっていた。



副長として。

次期団長として。


そして――

レオナルトを、諦めきれない一人の男として。


(……頭、下げたんだよね)


第一騎士団の団長。


レオナルトの師匠。



団長職を“仮”で引き受ける代わりに、

補佐として自分を置いてほしいと、願い出たこと。



ロイは多くを語らなかったが、

その選択の重さは、ミアにも伝わっていた。



「……あったかいですね」


ミアが、ぽつりと言う。


「ええ」


ロイの声も、柔らかい。


触れ合うほど近くはない。


けれど、確かに同じ空気の中にいる。

その安心感に包まれて、

二人は静かに眠りに落ちた。



――――――


翌日から、穏やかな日々が続いた。


領地の湖。

丘。

森の入り口。

簡単なピクニック。


ミアは、アイゼン領を案内されながら、

何度もレオナルトの横顔を盗み見た。


以前よりも、少し歩幅が小さい。


立ち止まる回数が増えている。


それでも、表情は穏やかだった。


無理をしているのだと分かっていても、

“一緒にいられる時間”が、何よりも嬉しかった。


(……今は、これでいい)


決断は、まだ先でもいい。


そんなふうに、心が緩み始めていた。



その夜。


ミアとロイは、先に寝室へ戻った。


昼間、二人に付き合っていた分、

レオナルトは夜に領主の仕事を片付けると言っていた。


書斎の灯りは、遅くまで消えなかった。



――――――


レオナルトは、椅子に深く身を預けていた。


書類は閉じている。

目も、閉じている。


(……動けないな)


魔力は、ほとんど感じない。


流そうとすると、体の内側が、軋む。


鈍い痛みが、波のように押し寄せる。


それに加えて、重く、鉛のような倦怠感。


息をするだけで、体力を削られていく感覚。


(……少し、休めば)


そう思っても、指先一つ動かすのが億劫だった。


昼間、二人の隣に立っていた時は、

確かに、心は穏やかだった。


だが――


一人になると、誤魔化しは効かない。


魔力を生み出せない身体。


回復しない疲労。


(……限界、か)


声には出さない。


出せば、すべてが崩れる気がした。



――――――

夜明け前。


屋敷は、まだ眠っていた。


書斎の灯りだけが、ぽつんと残っている。


レオナルトは、椅子にもたれたまま、身動きが取れずにいた。


目は開いている。


意識も、はっきりしている。


――それなのに。


(……立てない)


脚に、力が入らない。


いや、正確には――


「力を入れようとする感覚」そのものが、曖昧だった。


魔力がない。


それでも無理に身体を動かそうとすると、内側から、鋭い痛みが走る。

生成器官だった場所が、

「それ以上はやめろ」と悲鳴を上げる。


(……朝まで、ここでいい)


そう思って、呼吸を整えようとした、その時。


足音。



廊下を、急がず歩く音。


聞き慣れた気配。


(……ロイ)


気づいた瞬間、

胸の奥が、わずかに強張った。


扉が、控えめに叩かれる。


「……団長」


返事をしようとして――


喉が、音を作らなかった。


沈黙。



もう一度、ノック。


「……レオナルト様?」


仕方なく、ほんの少しだけ息を吸い、


「……入れ」


掠れた声だった。


扉が開く。


ロイは、一歩踏み入れた瞬間、異変を察した。


椅子にもたれ、動かない姿。


机の上には、手をつけられなかった書類。


何より――


魔力の“圧”が、まるでない。


「……団長」


近づきながら、声を低くする。


「……一晩、ここに?」


「……ああ」


それだけ。


それ以上、誤魔化す言葉が出てこない。


ロイは、黙って距離を詰めた。


「立てますか」


問いは、淡々としている。


だが、答えは分かっていた。


レオナルトは、わずかに首を振った。


その仕草だけで、十分だった。


ロイの指先が、そっとレオナルトの腕に触れる。


――冷たい。


筋肉が、張っていない。


「……限界、ですね」


責める声ではない。


確認でもない。


事実の宣告だった。


レオナルトは、目を閉じた。


(……隠しきれなくなったか)


ロイは、深く息を吐く。


「……ミアには?」


「言うな」


即答。


だが、以前ほどの強さはなかった。


ロイは、一瞬だけ黙り込み、それから静かに言った。


「もう、“言わない選択”の方が、彼女を傷つけます」


その言葉に、レオナルトの指が、微かに震えた。


「……分かっている」


低い声。



沈黙。



長い沈黙。




やがて、レオナルトは、ゆっくりと息を吐いた。


「……情けないな」


自嘲でもなく、怒りでもない。


ただ、事実を受け入れる声。


「団長」


ロイは、少しだけ近づく。


その瞬間。



扉の向こうで、微かな物音がした。


――足音。


聞き慣れた、軽い気配。


二人は、同時にそちらを見る。


(……ミア)


気づかれてしまった。


もう、戻れない。


レオナルトは、ゆっくりと目を閉じた。


(……隠す時間は、終わったか)


扉の向こうで、ミアが立ち止まる気配がした。




――――――


ミアは、ふと目を覚ました。


理由は分からない。


ただ、隣の温もりが――ない。


(……ロイ?)


寝台に伸ばした手が、空を掴む。


次の瞬間、かすかな音が聞こえた。


布の擦れる音。


そして、扉が静かに閉まる気配。


(……出ていった?)


胸の奥が、嫌な形でざわつく。


ミアは夜着のまま、そっと身を起こした。


足音を殺し、扉を開ける。


廊下は静まり返っている。


遠くに、微かな灯り。


(……あっち)


理由もなく、分かってしまった。


ミアは、その背中を追った。


辿り着いたのは、客間とは離れた一室。


扉は、わずかに開いている。


中から――声がした。


聞き慣れた声。


けれど、どこか違う。


低く、かすれていて、まるで息を削るような――



「……限界、ですね」


ロイの声。


低く、抑えた声。


冗談でも、軽口でもない。


ミアは、反射的に息を止めた。


「……分かっている」


レオナルト。


その声が、あまりにも静かで、

あまりにも弱くて。


胸の奥が、きゅっと縮む。


――これは、今始まった話じゃない。


ずっと前から、

彼は“終わり”を引き受ける準備をしていた。



そのとき。

扉の向こうで、一瞬、沈黙が走った。



――気づかれた。



ロイの気配が、はっきりと動く。


「……誰だ」


低い声。


一拍。


ミアは、震える息を吸い込み、扉に手をかけた。


(……もう、聞かなかったふりはできない)


扉が、ゆっくりと開く。


灯りに照らされて見えたのは――


椅子にもたれ、

ほとんど動けないレオナルトの姿だった。


そして、その横に立つロイ。


二人の視線が、同時にミアへ向く。


「……ミア」


ロイが、名を呼ぶ。


止める声ではない。


ミアは、唇を噛みしめた。


涙は、出なかった。


代わりに――決意が、胸に満ちていく。


「……私」


一呼吸。


「私は役に立ちませんか」


視線を、まっすぐ向ける。


「私は聖女です」


「あなたを助けたいんです」


ロイが、息を呑む。


レオナルトの肩が、わずかに揺れた。


ミアは、はっきりと言った。


「もう、黙っていません」


声は震えている。


けれど、逃げていない。


「今度は――私が決めます」


それは、怒りではない。


責めでもない。


覚悟だった。

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