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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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聖女の仕事

ほんの一瞬だけ、ロイの手が私の手を握り返した。


それだけで、胸の奥がほどけそうになる。


(……ありがとう)


声に出してしまえば、全部こぼれてしまいそうで。

私は口の中で呟くだけにした。

ロイは聞こえないはずなのに、少しだけ瞬きをして――

何か言いかけるように唇を開いた。


その時だった。


砂利を踏む音が、近づく。


一歩。


二歩。


その音だけで、空気が冷えていく気がした。

ロイの体がわずかに強張る。

私も、息を止める。


「……ロイ」


低く、よく通る声。


振り向かなくても分かった。


騎士団長だ。


ロイは私の手を離し、すぐに立ち上がった。


「団長」


「戦線は維持できている。だが――」


団長の視線が私に落ちる。


氷みたいに冷たい。


「聖女が倒れている」


その言葉だけで、胸が痛い。


倒れている。ーー役に立っていない。


団長は淡々と続けた。


「お前は聖女を守る係ではない。騎士団を勝たせるのが仕事だ」


ロイの肩が、一瞬だけ揺れた。


「……承知しております」


そう答えながらも、ロイは私を見ない。

見たら、何かが壊れてしまうみたいに。


団長は視線を外さず言った。


「聖女は道具だ。必要な時に動かなければ意味がない」


道具。


その言葉が、頭の中で鈍く響く。


私は思わず、ロイの外套の端を掴んでいた。

掴んだ自分に気づいて、慌てて指を離す。


(……だめ)


甘えたらだめだ。


団長は私を見下ろしたまま、冷たく告げる。


「立てるか」


喉が震えた。


「……はい」


立てない。


でも、立てないと言ったら――また。


ロイが一歩前に出た。


「団長。ミア様は聖力を使いすぎています。今ここで無理を――」


「黙れ」


団長の声が、短く落ちた。


たった二文字で、ロイの言葉が止まる。


「副長。情で戦は守れない」


前にも聞いた言葉。


その一言が、ロイの顔から色を奪った。


……情。


ロイが情で動いていると、そう決めつけられたみたいで。


私は、息を吸う。


(違う)


ロイ様は優しいだけじゃない。

ちゃんと状況を見ている。

戦える人だ。

それを私が証明できるわけでもないのに、悔しかった。


団長は淡々と命じる。


「聖女は後方へ。浄化は必要な時に呼ぶ」


「……はい」


ロイが短く返す。


私は立ち上がろうとして、足に力が入らずよろめいた。


その瞬間、ロイの手が伸びる。

でも触れる前に止まった。


――団長の目があるから。


ロイはほんの少しだけ拳を握り、次に、何もなかったように腕を引いた。


私は歯を食いしばった。


(……いい)


触れなくていい。


私がちゃんと立てばいいだけだ。


私はゆっくり息を吐いて、立ち上がる。


痛い。


怖い。


でも、立つ。


団長が背を向ける。


「再編する。穢れの核を断つ」


騎士たちが動き出し、金属音が遠ざかっていく。


団長の足音が遠のいた瞬間、ロイの肩から力が抜けた。


そして、私の方を見た。


その表情は――いつもの優しい微笑みじゃなかった。

怒っているようで、泣きそうで。

でも、声は静かだった。


「……無理をしてはいけません」


「……うん」


私は言葉を飲み込み、微笑んだ。


助けたい。

役に立ちたい。


それは本音。


――ロイを困らせたくない。


私のために、ロイが責められるのは嫌だ。

私は胸の奥に残っている言葉を、飲み込んだ。


(……ありがとう)


言いたいのに。


言ったら、もっと弱くなる気がして。


ロイは私の視線から、何かを読み取ったみたいに少しだけ目を細めた。


そして、小さく息を吐く。


「……行きましょう」


戦場の空気は冷たいまま。


だけど、彼の横だけは――少しだけ、息ができた。


後方に下がった場所は、森の外縁だった。

瘴気は薄い。息も少しだけしやすい。

それでも、私の胸は苦しかった。


――聖女は道具。


言葉が、まだ耳の奥で鳴っている。


私は膝の上で手を握りしめた。

指先が冷たい。震えている。


ロイは少し離れた場所で、戦線の様子を見ていた。

視線は真っ直ぐ前へ。

その横顔は騎士で、優しさは戦場の中に隠れている。


(……私、邪魔になってる)


そう思った瞬間、胸がぎゅっとなる。

役に立てないなら、ここにいる意味がない。

またそういう思考が、勝手に湧いてくる。


――その時だった。


足音が近づく。


今度は、隠しようもない重さがあった。

ロイが振り向くより先に、空気が冷える。


「聖女」


団長の声。


私は反射的に背筋を伸ばした。

団長は汚れひとつないまま、淡々と告げる。


「核が見えた。浄化が必要になる」


心臓が跳ねる。


「……はい」


「できるか」


私は頷いた。


大丈夫じゃない。


でも頷く。


ロイが一歩前に出る。


「団長。ミア様はまだ消耗が――」


団長は視線だけでロイを制した。


「ロイ。準備を」


ロイの唇がわずかに歪む。


それでも彼は、低く答えた。


「……承知しました」


ロイは私の隣に戻り、ほんの少しだけ屈む。


周囲に聞こえない距離で言った。


「ミア様。顔色が悪い」


「……平気です」


私は笑おうとして、失敗した。

唇が震える。


ロイは一瞬、何か言いかけて――飲み込んだ。


「……私…できます」


「ただし――無理はしないでください」


私は小さく頷いた。


(無理しないと、役に立てないのに)


そう思ってしまう自分が嫌だった。


団長の声が響く。


「前へ」


騎士たちが動き出す。


私もその列に混じる。

森の奥へ向かうほど、瘴気は濃くなる。

喉が痛い。皮膚が粟立つ。

黒い影が、また立ち上がる。

だが先ほどより明らかに数が減っていた。

騎士たちが押し込んでいる。


そして――


地面の奥から、鈍い音が響いた。

まるで、何かが呻いている。


「……あれが核だ」


団長が言った。


前方の開けた場所に、黒い塊があった。


岩のようで、生き物のようで、脈打っている。

周囲の靄がそこへ吸い寄せられていく。


(あれを、浄化する……?)


私の指先が冷える。


「聖女。範囲は一点集中。周囲の穢れを押さえる」


「……はい」


ロイが私の斜め前に立つ。


剣を抜き、私の視界を半分だけ塞ぐ。


「ミア様。私を見失わないでください」


私は息を吐く。


(大丈夫)


大丈夫じゃないけど――やるんだ。


私は手を伸ばす。

胸の奥に熱が集まる。

さっきよりもずっと痛い。

皮膚の内側が焼けるみたいに熱い。


(これが……聖力)


光が、掌の中で生まれる。


柔らかいのに強い。温かいのに苦しい。

私はそれを核へ向けた。


光が走る。


黒い塊が、うねった。

次の瞬間、凄まじい瘴気が噴き上がる。


「下がれ!」


ロイの声。


私は反射的に足を引くが、間に合わない。

黒い靄が、爪のように伸びる。


ロイが前へ出た。


剣で払う。

火花が散る。


「……っ!」


目の前でロイが戦っている。


(やめて)


その背中が、怖い。

でもロイは振り向かない。


「ミア様!今です!」


ロイの叫びで、私は我に返った。


私はもう一度、光を強くする。


胸が痛い。息が詰まる。


(お願い……!)


光が核を包む。


黒い塊が、悲鳴のような音を立てた。

ジュウ、と焼ける匂いがする。

核が割れ始めた。


「押し切れ!」


団長の声が響いた。


騎士たちが一斉に攻め込む。


黒い影が散る。

靄が薄れる。

私は最後の力を絞り、光を放ち続けた。


そして――


核が砕けた。


一瞬、森が静まり返る。


次に、空気が軽くなった。


喉の痛みが消える。


靄が、ふっと消えていく。

倒れていた騎士たちの呻き声が、はっきりと聞こえた。


「……終わった」


誰かが呟いた。


団長は剣を収め、淡々と言った。


「生存確認。負傷者を集めろ」


命令は冷たい。


でも“終わった”事実だけが、確かだった。


私は足の力が抜けて、その場に膝をつきそうになる。


その瞬間、ロイが支えた。


「ミア様」


声が近い。


私は息を吸って、どうにか笑う。


「……終わりました、ね」


ロイは、ほんの少しだけ目を細めた。


「はい。あなたのおかげです」


その言葉が胸に落ちて、涙が出そうになる。


私は堪える。

泣いたら、また弱くなる気がして。


団長がこちらへ歩いてくる。


空気が、また少し冷える。


団長は私を見下ろし、短く告げた。


「……よくやった。」


団長は私の頭上に手を伸ばしかけて――やめた。


代わりに外套を翻し、踵を返す。


「撤収」


騎士たちが動き出した。


私はロイの腕に支えられたまま、立ち上がる。

足がふらつく。

でも、もう倒れなかった。

ロイが、私の耳元で小さく言った。


「……無事に終わりました」


その声は、私だけに向けられた優しさだった。


私は小さく頷く。


(……ありがとう)


今度は飲み込まなかった。


声に出す勇気はなくても。


胸の中で、確かに言えた。

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