静かな覚悟
目を覚ましたとき、最初に感じたのは――
薬草と、わずかな鉄の匂いだった。
見慣れない天井。
だが、すぐに分かる。
(……師匠の、私室か)
レオナルトは、ゆっくりと瞬きをした。
身体は重いが、意識ははっきりしている。
魔力は――不安定だが、確かに“底上げ”されていた。
「……起きたか」
低く、落ち着いた声。
視線を向けると、椅子に腰掛けた師匠が腕を組んでいた。
その表情には、呆れと、心配と、わずかな怒りが混じっている。
「……無茶をしたな」
レオナルトは、ゆっくりと上体を起こす。
「ご迷惑をおかけしました」
そう言って、即座に頭を下げた。
「……やめろ」
師匠は短く言った。
「その頭の下げ方だ」
「そういうところが、不器用だと言っている」
一拍、間を置いてから、続ける。
「頼るなら、もっと早く来い」
「こんな形でしか助けを求められない弟子を見るのは……気分がいいものじゃない」
責めているのではない。
むしろ、悔しそうだった。
レオナルトは、何も言えなかった。
「……それでも、来た」
師匠は、ふっと息を吐く。
「それだけで、まだ救いだ」
沈黙。
「処置は一度きりだ」
「分かっているな」
「はい」
即答だった。
師匠は、視線を逸らしながら言う。
「……戻れなくなるかもしれん」
「それでも行くか」
レオナルトは、迷わなかった。
「行きます」
その答えに、師匠はもう何も言わなかった。
レオナルトは立ち上がり、もう一度深く頭を下げて、私室をあとにした。
背中に、視線を感じる。
(……心配を、かけたな)
それでも、振り返らない。
自身の執務室に戻ると、すぐにロイとミアを呼んだ。
二人が揃ったのを確認して、レオナルトは告げる。
「……残り、十日だ」
空気が、張り詰める。
「明日の夜、魔力共有を行う」
「今までの“外部から馴染ませる方法”ではない」
一拍。
「身体の内側から、深く流す」
二人とも、黙っていた。
覚悟は、すでにしている顔だった。
先に口を開いたのは、ミアだった。
「……一人ずつ、では……だめですか?」
声は小さい。
だが、逃げではない。
レオナルトは、はっきりと答える。
「何かあったときのためだ」
「二人同時の方が、制御ができる」
ロイも、静かに頷く。
「……理解しています」
ミアは、俯いたまま、指先をぎゅっと握った。
頬が、少し赤い。
恥ずかしさもある。
怖さもある。
それでも。
(……私も、立たなきゃ)
胸の奥で、そう思った。
以前の自分なら、
ただ守られるだけで、選ばれるのを待っていた。
でも、今は違う。
半分でも、心は戻っている。
欲も、覚悟も、知っている。
「……分かりました」
顔を上げて、静かに言った。
「……一緒で、いいです」
震えはあったが、目は逸らさなかった。
レオナルトは、ほんの一瞬だけ、その表情を見つめた。
(……強くなったな)
ミアが部屋を出たあと、ロイが残った。
「……団長」
「分かっている」
レオナルトは、先に言った。
「危険だ」
「俺にとっても、ミアにとっても」
ロイは、真っ直ぐに言う。
「それでも、やるんですね」
「ああ」
沈黙。
「……引き継ぎは、準備してある」
机の引き出しを示す。
「最悪の場合でも、騎士団は回る」
「指示書も、配置も……全部だ」
ロイの胸が、きしむ。
「……そこまで考えているなら」
声が低くなる。
「“最悪”を前提にしないで、戻ってきてください」
レオナルトは、少しだけ目を伏せた。
「……努力はする」
それ以上は、言わなかった。
(迷惑をかけるな……)
(だが、あいつなら、大丈夫だ)
心の中で、そう思う。
その夜。
処置室ではなく、場所はミアの私室に決められた。
無機質な石の部屋ではない。
結界は張るが、灯りは柔らかく。
緊張させないための、選択だった。
レオナルトは、執務室でシャワーを浴びた。
湯が、肌を伝う。
身体は、思ったよりも軽い。
だが、内側の違和感は消えない。
(……これが、最後になるかもしれない)
そう思うと、不思議と恐怖はなかった。
ただ――
(……温もりを、大事にしよう)
ミアの手の温度。
呼吸の近さ。
触れたときの、あの安心感。
それが、最初で最後になるかもしれないなら。
なおさら。
ゆっくりと服を整え、廊下を歩く。
夜の王宮は、静かだった。
一歩一歩が、重く、しかし確実だった。
扉の前に立ち、深く息を吸う。
(……行くぞ)
覚悟は、できている。
守るために。
選んだ“共有”を、完成させるために。
そして――
戻れない光の、その先へ進むために。
扉を叩く音が、静かな夜に響いた。




