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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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欲の波

朝の光は、静かに差し込んでいた。


厚いカーテン越しの淡い光が、団長の私室をゆっくりと満たしていく。


レオナルトは、浅い呼吸のまま目を覚ました。


(……生きてるな)


まず、そう思う。


身体は重い。 魔力はまだ完全ではない。 だが――


温かい。


右手に、確かなぬくもりがあった。


視線を落とすと、ミアがそこにいた。


椅子に座ったまま、眠っている。


自分の手を、両手で包むように握ったまま。


「……」


胸の奥が、じんわりと緩んだ。


守る側でいる間、忘れていた感覚。 誰かに“触れられたまま”眠るという、無防備さ。


(……まずいな)


そう思うのに、手を離せなかった。


しばらくして、ミアの睫毛が揺れる。


「……あ」


目が合った。


ミアは一瞬、驚いたように目を丸くしてから、 ゆっくりと、柔らかく微笑んだ。


「……おはようございます、レオナルト様」


その声だけで、胸が温かくなる。


「ああ……」


レオナルトは、短く答えた。


ミアは、そっと手を握り直す。


「……もう一度、少しだけ」

「魔力を、馴染ませてもいいですか?」


拒む理由はなかった。


いや――


本当は、拒むべきだったのかもしれない。


「……頼む」


その一言は、命令でも依頼でもない。


甘えだった。


ミアは、静かに目を閉じる。

聖女の力が、ゆっくりと流れ込む。

治すためではない。 抑え込むためでもない。


“整える”ための魔力。


だが――



(……っ)


レオナルトの喉が、僅かに鳴った。


身体の奥で、何かが目を覚ます。


熱。 欲。 押し殺してきた、本能。


魔力がうまく制御できない今の身体に、

ミアの力は――優しすぎた。


「……ミア」


低く、掠れた声。


気づいた時には、レオナルトはミアの手を引いていた。


抱き寄せる。


強くない。 だが、逃げられない距離。


「……っ」


ミアの息が、少しだけ乱れる。


「……レオナルト様……?」


答えない。


唇が、重なった。

深く。 逃がさず。 確かめるように。



「……ん……」


小さな、声。


レオナルトは、さらにその反応にあてられる。


(……駄目だ)


そう思うのに、止まらない。



髪を撫でる。 耳に触れる。 首筋に、ゆっくりと口づける。


「……っ、あ……」


ミアの指が、レオナルトの服を掴む。


拒絶ではない。 戸惑いと、熱。


レオナルトの口づけは、さらに下へ――


鎖骨。

その先。


胸元に、唇が触れた瞬間、ミアの肩が小さく跳ねた。


「……っ」


抑えた息が漏れる。


それが、引き金だった。


「……ミア……」


熱を帯びた声で名を呼びながら、レオナルトの指が、無意識に衣の留めを探る。


布が、わずかにずれる。


露わになった肌に、ためらいのない口づけ。


触れる指先は確かで、逃がさない。


「……あ……っ、だめ……」


拒絶ではない。


戸惑いと、熱に揺れる声。

ミアの指が、彼の腕を掴む。

縋るように。


「……っ、ん……」


その反応に、レオナルトの呼吸が荒くなる。


「……ミア……」


欲が、名を呼ばせる。


理性より先に、身体が彼女を求めている。


指先が、さらに踏み込もうとした――その時。



「……団長……」



震える呼び名。


その一言で、世界が止まった。



「……っ」


レオナルトは、はっとして動きを止める。


数拍、沈黙。


荒い呼吸だけが、部屋に残る。


「……すまない……!」


自分に叩きつけるような声。


ミアを抱き締めたまま、必死に距離を取る。


額に手を当て、歯を食いしばる。



「……止まれ……」



欲に。

熱に。

自分自身に。



ミアは、乱れた息のまま、乱れた服を直し、じっと彼を見つめていた。


怖がってはいない。


けれど、確かに揺れている。

レオナルトは歯を食いしばった。


低く、掠れた声で言う。


「……嫌なら、今すぐ言え」

「本気で拒めば、必ず離す」


それは、誓いだった。


ミアは、少しだけ迷ってから、小さく首を振る。


「……嫌、では……ありません」


正直な声。


「でも……今は……癒したい、です」


その言葉に、レオナルトは深く息を吐いた。


そして、ゆっくりと彼女を抱き寄せ直す――


抱き締めるだけに留めて。


「……分かった」


低く、確かな声。


「……次は、ちゃんと制御してからだ」


欲を知ったまま、

それでも手放す選択。



その必死さこそが、

彼の理性であり、愛だった。


それは、約束でもあり、 自分への戒めでもあった。


ミアは、小さく頷く。


指先が、まだ少し震えている。


それを見て、レオナルトは思う。


(……癒されているのは、俺の方だ)


欲を知り、 弱さを知り、 甘えることを覚えた。


盾でいるだけでは、もう足りない。


この朝、 レオナルトは初めてはっきりと理解した。


――守られる側になる勇気も、 守ることの一部なのだと。


そしてミアは、 静かに確信していた。


自分はもう、 “守られるだけの聖女”ではない。


癒し、支え、受け止める存在として――


ここにいるのだと。


光は、また一つ、重なった。



――――――


ロイは、その夜ようやく眠りに落ちた。


団長の私室の外、簡易の椅子に腰掛けたまま、

気づけば意識が沈んでいた。


何日も続いた書類仕事。


看病。


王宮との応酬。


身体は正直だった。


(……大丈夫だ)


眠りに落ちる直前、そんな考えが浮かぶ。


(今は、ミアがいる)


団長のそばには、ミアがいる。


それだけで、胸の奥の張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。



――任せてもいい。



そう思えたことが、何より大きかった。



 

翌朝から、日々は驚くほど穏やかに流れ始めた。


団長はまだ完全ではないが、確実に回復している。



ミアは、無理のない範囲で傍に付き添い、静かに癒しを重ねていた。


王宮からの不当な干渉も、今は影を潜めている。


まるで、嵐の後の凪。


ロイは、その光景を少し離れた場所から見ていた。


ミアが微笑む。


団長が、ほんのわずかに肩の力を抜く。



(……いい光景だ)



そう思うのに、胸の奥が、かすかに軋んだ。

 

(俺は……)


考えずにはいられなかった。


(俺は、恋人なのか)


ミアにとって。



それとも――



(“共有”の一部なのか)



守るための役割。


回復を助ける存在。


必要な人間。


どれも、間違ってはいない。


けれど。


(それで、いいのか)


ミアを想う気持ちは、確かに“恋”だ。


触れたい。

選ばれたい。


それと同時に、彼女が生きるために必要なら、自分は身を引く覚悟もある。


矛盾していると分かっていても、答えはまだ出ない。



ロイは、そっと拳を握る。


(……急ぐな)


今は、平穏がある。


ミアが笑い、団長が立ち、三人が同じ場所にいる。


その時間を壊す選択だけは、したくなかった。


ロイは深く息を吸い、また歩き出す。



自分が“何者になるのか”は、


きっと――


もう少し先で、分かるだろう。



――――――


今日は、レオナルト様が休みをくれた。


それだけで、朝の空気が少し違って感じられる。


ミアは最近、王宮の神殿での治癒の仕事を問題なくこなせるようになってきていた。


長時間はまだ無理でも、短時間なら立っていられる。


祈りも、回復魔法も、安定している。


――“役に立てている”。


その実感が、少しだけ自信をくれていた。


神殿の回廊で、ロイの姿を見つける。


書類を抱えたまま、考え込むように立ち止まっていた。


(……また、難しい顔)


ミアは迷わず、近づいた。


「ロイ」


呼びかけると、ロイは少し驚いたように顔を上げる。


「……ミア様? どうしました」


ミアは、少しだけ照れたように笑う。


「今日はね、団長様がお休みくれたんだ」


それだけで、ロイの表情が和らぐのが分かった。


「もしよかったら……どこか行かない?」


その一言は、誘いというより、

一緒に過ごしたい、という素直な気持ちだった。


ロイの胸の奥に溜まっていた、

名前のつかない靄が、すっと薄れていく。


「……いいですね」


自然に、そう答えていた。


「私の馬に乗って、湖まで行くのはどうですか?」


少しだけ、声が弾む。


ミアの目が、ぱっと明るくなった。


「湖……!」


「ええ。人も少ないですし、静かですよ」


ミアは一瞬考えてから、こくんと頷いた。


「じゃあ……昼食、もらってくるね」


そう言って、軽やかに歩き出す。


その背中を見送りながら、ロイは小さく息を吐いた。


(……こういう時間、久しぶりだ)


守るとか、選ぶとか、共有とか。


そんな言葉から、ほんの少しだけ離れた場所。


ただ、一人の女性と出かける約束をする――


それだけで、心が軽くなる。


やがて、籠を抱えたミアが戻ってくる。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


並んで歩きながら、ロイは思う。


(今は、それでいい)


恋人か。

共有の一部か。


答えはまだ出なくてもいい。



今日は―― 湖へ行くのだ。



二人で、ピクニックに行く日なのだから。

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