分け合う形
ミアの寝室を出た瞬間、
レオナルトの視界が、わずかに歪んだ。
「……っ」
壁に手をつく。
呼吸は乱れていない。
魔力も枯渇していない。
それでも――立っているのが、きつい。
(……やはり、無理をしたか)
ミアの聖力。
ロイの魔力。
二つが重なり、薄い膜のように彼女を包んでいる。
それを“額を合わせただけ”で馴染ませた。
本来なら、もっと深い接触が必要な作業だ。
魔力同士を、身体ごと噛み合わせるような――
そんな工程を省いた代償は、確実に来ていた。
(……三日は、動けんな)
予測通りだった。
その夜から、レオナルトは高熱を出し、
三日間、私室の寝台から起き上がれなかった。
三日目の午後。
静かなノック音が、私室に響いた。
「……入れ」
扉が開き、ロイが姿を見せる。
顔を見た瞬間、ほっとしたのが分かった。
「……団長」
「生きてる」
短く答えると、ロイは小さく息を吐いた。
「無茶をしすぎです」
「事実だな」
レオナルトは、上体を少し起こす。
ロイは寝台の傍まで来たが、どこか言いづらそうに視線を逸らした。
「……ミアが、心配しています」
その一言で、空気が変わった。
レオナルトは目を閉じ、少し間を置いてから言う。
「……ロイ」
「はい」
「聞いておけ」
低く、しかし逃げ道を作らない声だった。
「俺の魔力は、あくまで“馴染ませるためのもの”だ」
ロイの眉が、わずかに動く。
「完全に安定させるには……」
一拍。
「より深い、身体ごとの接続が必要になる」
ロイは言葉を失った。
「それは――」
「誤解するな」
レオナルトは遮る。
「欲で言っているわけじゃない」
視線は真っ直ぐだった。
「必要な工程だ。 だが――」
一瞬、言葉が柔らぐ。
「お前たちが嫌だと感じるなら、無理にとは言わん」
ロイの胸が、強く打たれた。
(……選択を、委ねている)
団長は、命令しない。
自分の覚悟だけを差し出して、答えを他人に渡している。
「……分かりました」
ロイは深く頭を下げた。
「ミアと、話します」
レオナルトは、それ以上何も言わなかった。
その夜。
ミアの寝室は、静かだった。
ミアはまだ起き上がれず、枕に身を預けている。
ロイは椅子に座り、しばらく言葉を探していた。
「……ミア」
「はい」
声は穏やかだが、以前よりも柔らかい。
戻り始めた感情の名残。
「団長から、話を聞いた」
ミアは、黙って続きを待った。
「あなたを守るために、
俺と団長とで……もっと深く魔力を繋げる必要がある」
ミアの瞳が、わずかに揺れた。
「……それは」
ロイは、正直に言った。
「簡単な話じゃない。 嫌なら、断っていい」
ミアは、しばらく天井を見つめていた。
そして、静かに口を開く。
「……私は」
声が、震えた。
「ロイに、触れていたいです」
ロイの喉が鳴る。
「それは……」
「でも……団長にも」
ミアは、視線をロイに戻す。
「守ってもらっているって、分かっています」
少しだけ、笑った。
「……半分しか戻っていない心でも」
胸に手を当てる。
「それでも、感じるんです」
誰かに、必要とされていること。
守られていること。
「私は……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「どちらかを選ぶことは……できません……」
「ごめんなさい……」
ロイは、息を呑んだ。
拒絶でも、裏切りでもない。
これは――
共有を選ぶ言葉だった。
「……怖く、ないですか」
ロイの問いに、ミアは少し考えてから答える。
「怖いです」
正直な声。
「でも……独りになる方が、もっと怖い」
ロイは、目を伏せた。
そして、静かに言う。
「……分かりました」
覚悟を決めた声だった。
「団長に、伝えます」
ミアは、ほっとしたように目を閉じる。
「……ありがとうございます」
ロイは立ち上がり、最後に振り返った。
「ミア」
「はい」
「あなたは、選ばれる側じゃない」
一拍。
「一緒に、決める側です」
ミアの唇が、かすかに緩んだ。
その表情を見て、ロイは確信する。
――感情は、確実に戻りつつある。
ただし。
その戻り方は、
一人分ではない。
三人で、分け合う形でしか、
成立しないものなのだと。
夜更け。
団長の私室は、灯りを落としていた。
薬草の匂いがまだ微かに残っている。
レオナルトは寝台に腰掛け、外套を羽織ったまま目を閉じていた。
そこへ――控えめなノック。
「……入れ」
扉が開き、ロイが入ってくる。
一目で分かった。
迷いは残っているが、逃げるつもりはない顔だ。
「……話したか」
「はい」
ロイは一歩前に出て、立ったまま答えた。
「ミア様は、理解しています」
レオナルトは何も言わず、続きを待つ。
「どちらかを選ぶことは、できないと」
一瞬、空気が張りつめる。
だがレオナルトの表情は、変わらなかった。
「……そうか」
低く、短い声。
「それでも」
ロイは言葉を選びながら続ける。
「二人とも必要だと、はっきり言いました」
沈黙。
長い沈黙だった。
レオナルトは目を閉じたまま、ゆっくり息を吐く。
(……逃げなかったな)
それは、ミアに対してでも、ロイに対してでもなく――
自分自身に対して、だ。
「……ロイ」
「はい」
「確認する」
目を開ける。
視線は鋭いが、威圧はない。
「これは慰めでも、代替でもない」
「俺は、盾としてではなく――“関わる側”になる」
ロイの喉が鳴る。
「それでも、お前は――」
一拍。
「ミアのそばに立つか」
試す声ではなかった。
覚悟を問う声だった。
ロイは、視線を逸らさない。
「……立ちます」
即答だった。
「取り戻すためではありません」
一瞬、拳を握る。
「彼女が生きるために、必要だと判断しました」
レオナルトは、その言葉を静かに受け取った。
「……そうか」
立ち上がり、ロイの前に立つ。
二人の距離は近いが、火花は散らない。
「ならば――」
低く、はっきりと告げる。
「“共有”を選ぶ」
その言葉が、部屋に落ちた。
逃げ場のない、確定の選択。
「ミアの命と心を、二人で支える」
「俺は保守と安定を担う」
「お前は、感情と回復を担え」
役割の分担。
上下ではない。
「奪い合うな」
一段、声が低くなる。
「競うな」
「彼女に“選ばせるな”」
ロイは、深く息を吸った。
「……はい」
頭を下げる。
「誓います」
レオナルトは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
それは、騎士団長としてではなく――
一人の男としての表情だった。
「この選択は、楽じゃない」
「分かっています」
「嫉妬も、後悔も、必ず来る」
「……それでも」
ロイは顔を上げる。
「彼女を独りにするより、ましです」
その言葉に、レオナルトは何も返さなかった。
代わりに、ロイの肩に手を置く。
重く、確かな重み。
「なら、決まりだ」
短く、断言。
「共有する」
守る責任も、失う恐怖も、欲してしまった罪も。
すべて――二人で。
その瞬間、レオナルトは理解していた。
これは譲歩ではない。
敗北でもない。
選び続ける覚悟だと。
(……ミア)
心を失った彼女は、まだ何も知らない。
だが――
この夜、確かに決まった。
彼女の未来は、一人の男のものではない。
そして、誰の“犠牲”にもならない。




