光の破片
暗闇の中に、光があった。
白でも、金でもない。
柔らかくて、あたたかい光。
ミアは、夢の中でそれを見つめていた。
「……これ、は……?」
声を出したつもりはない。
けれど、光の向こうから“誰か”が微笑んだ。
――それは、少し前の自分だった。
感情を失う前の、
泣いて、笑って、怖がっていた頃のミア。
『あなたが、失くしてしまったもの』
そう言って、その“ミア”は光を両手で差し出す。
『これはね、全部じゃないの』
ミアは、戸惑いながらもそれを受け取った。
触れた瞬間、胸の奥が――きゅっと、締めつけられる。
懐かしい。
苦しい。
でも、あたたかい。
(……これ……)
『感情の、半分』
夢の中のミアは、穏やかに続ける。
『全部は、今は無理』
『でも大丈夫』
『残りの半分はね――』
少しだけ、いたずらっぽく微笑んで。
『あなたの大切な人たちが、少しずつ分けてくれる』
ミアの胸に、光が溶けていく。
『焦らなくていい』
『ちゃんと、生きて』
最後にそう言って、夢の中のミアは、静かに消えた。
――――――
「……ミア……」
遠くで、声がした。
重たい瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
白い天井。
消毒薬と薬草の匂い。
「……あ……」
声が、出た。
それだけで、胸が震えた。
「ミア……っ!」
次の瞬間、強く手を握られる。
ロイだった。
目は真っ赤で、涙が止まらないまま、必死に彼女を見つめている。
「……よかった……本当に……」
言葉が続かない。
声が震れて、嗚咽に変わる。
ミアは、その姿を見て――
胸が、ぎゅっと痛んだ。
(……あ)
この感じ。
心配されて、
想われて、
触れたくて。
「……ロイ……様……」
自分の口から出た名前に、ミア自身が驚く。
ロイは、堪えきれずにミアを抱き締めた。
強く、でも壊さないように。
「……っ、ごめん……」
「遅くなって……」
謝罪が、嗚咽に混じる。
ミアは、一瞬ためらってから――
そっと、彼の背に腕を回した。
抱き返す、という動作。
それだけで、胸が満たされる。
(……幸せ……)
はっきりと、そう感じた。
温かい。
苦しいほど、温かい。
ロイの胸に顔を埋めながら、ミアは静かに目を閉じる。
戻ってきたのは、半分だけ。
でも――
確かに、“感じている”。
――――――
少し離れた場所で。
レオナルトは、その光景を見ていた。
抱き合う二人。
戻り始めた感情。
それを祝福するべきだと、頭では分かっている。
(……ああ)
胸の奥が、静かに痛んだ。
自分は、盾だった。
守るために立ち、受け止めるために在り、心を戻す“時間”を稼ぐ存在。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……俺の役目は、ここまでだ)
ミアの心が戻るなら、それはロイの場所だ。
自分が踏み込む場所じゃない。
レオナルトは、誰にも気づかれないように一歩下がる。
視線を外し、距離を取る。
それでも、最後に一度だけ、ミアを見る。
目を覚ました彼女は、確かに“生きて”いた。
(……よかった)
その感情だけは、嘘じゃない。
レオナルトは静かに踵を返す。
盾は、前に立ち続ける必要はない。
守りきったのなら、退くのもまた、役目だ。
――彼はそう、自分に言い聞かせながら、廊下の奥へ消えていった。
ミアの心が、戻り始めたことを、誰よりも近くで見届けた男として。
数日後。
ミアは、まだ寝台から起き上がれずにいた。
目は覚めている。
意識も、言葉も、ちゃんとある。
けれど――身体が、ついてこない。
「……すみません」
自分でも理由が分からないまま、そう口にしていた。
ロイは首を横に振る。
「謝ることじゃありません」
そう言いながらも、視線はミアの手元に落ちていた。
細く、力の入らない指。
治療師の診断は曖昧だった。
身体は回復している。魔力循環も問題ない。
ただ、回復速度が極端に遅い。
――原因不明。
(……心が、半分しか戻っていないからか)
ロイは、言葉にしないまま考える。
感情が戻ったことで、身体が“生きよう”としている。
だが、支えるものが足りない。
「……少しだけ、触れてもいいか」
ミアは一瞬考え、頷いた。
「……はい」
ロイは、彼女の手を取る。
指先が、わずかに震えた。
それだけで、胸が締めつけられる。
(……触れたかった)
ずっと。
抱きしめたかった。
確かめたかった。
その想いを、魔力に変える。
団長のような、包み込む守護ではない。
もっと近くて、甘くて、逃げ場のない流し方。
「……少し、楽になるかもしれない」
囁く声が、近い。
ロイの魔力が、ゆっくりと流れ込む。
温かい。
いや――熱い。
「……っ」
ミアの喉から、小さな声が漏れた。
「……ロイ……」
呼ばれた瞬間、ロイの制御がわずかに揺らぐ。
(……止められない)
恋人として、想っていた時間が長すぎた。
魔力は優しいはずなのに、強すぎた。
ミアの頬が、みるみる赤くなる。
呼吸が浅くなり、身体が熱を帯びていく。
「……あ、つ……ぃ……」
「ミア?」
ロイは慌てて魔力を絞るが、すでに遅かった。
(……馴染んでいない)
力が、彼女の身体の中で跳ねている。
「……だめ、これは……」
ミアの指が、ロイの外套を掴む。
「……レオ……ナルト……様……」
掠れた声。
助けを求めるように。
ロイは、はっとして顔を上げた。
「……団長!」
次の瞬間、空気が変わった。
レオナルトは既に状況を理解していた。
迷いなく近づき、ミアの背に手を添える。
「……下がれ、ロイ」
声は低く、だが責めてはいない。
「お前の魔力は、今の彼女には強すぎる」
「……私が、傷つけた……」
ロイの声が震える。
レオナルトは短く首を振った。
「違う。必要だった」
そして、ミアを引き寄せる。
慣れた動きで、魔力を“混ぜる”。
ロイの残した熱を、抑え、包み、繋ぎ留める。
「……大丈夫だ」
ミアの額に、自分の額を軽く触れさせる。
「ここにいる」
熱は、ゆっくりと引いていく。
呼吸が整い、ミアの身体から力が抜けた。
「……ごめんなさい……」
「謝るな」
レオナルトは、きっぱりと言った。
「今の彼女には、二人分が必要だ」
ロイが、息を呑む。
「……私も?」
「お前の魔力は、彼女の“感情”を動かす」
視線を逸らさずに続ける。
「だが、制御は俺がやる」
拒否はなかった。
これは命令ではない。
共有だった。
ミアは、ぼんやりと目を開ける。
「……二人、いる……」
その言葉に、ロイの喉が鳴った。
「……ああ」
レオナルトは、静かに答える。
「お前は、独りじゃない」
まだ完全には戻らない。
けれど――
この時、三人とも理解していた。
半分の心は、一人では守れない。
そしてそれは、
誰かが身を引く物語ではなく――
分け合う覚悟の物語なのだと。




