共有という選択
夢は、前よりもはっきりしていた。
ミアは、もう“眺めるだけ”ではなかった。
草の匂い。
土の冷たさ。
風に混じる血の気配。
そこにいるのは、かつての自分。
剣を持つ手が震えている。
泣きたいのに、泣けない顔。
『……大丈夫』
『私が、やるから』
誰に向けた言葉だったのか。
今のミアには、もう分からない。
けれど。
(……知ってる)
この感覚を。
胸がぎゅっと縮む、この苦しさを。
過去の自分が振り返る。
目が合った。
――初めて。
『……あれ?』
困ったように、少しだけ笑う。
『あなた、誰?』
ミアは答えられなかった。
名前も、感情も、言葉もない。
それでも。
手を伸ばした。
指先が、触れた瞬間。
胸の奥で、何かが“きしんだ”。
壊れたまま、止まっていた歯車が、ほんの一歯だけ
――動いた気がした。
――――――
同じ頃。
王宮の地下、裁判の間。
鎖に繋がれたアリシアは、少しも怯えていなかった。
むしろ、楽しそうだった。
「……で? それで私は“悪”なの?」
高く、澄んだ声。
「黒魔法? 上書き? 遅効性?」
小さく肩をすくめる。
「全部、事実よ」
ざわめきが走る。
ロイは、その声を聞きながら拳を握った。
(……こいつ)
アリシアは続ける。
「でも、結果はどうだった?」
視線が、まっすぐ前を射抜く。
「聖女ミアは、守ったでしょう?」
「誰一人、死なせなかった」
「称賛された」
「それで何が問題?」
笑う。
乾いた、高笑い。
「心を失った?」
「それが何?」
吐き捨てるように言った。
「聖女なんて、“役に立つかどうか”だけじゃない」
「感情があるから価値がある? 違うわ」
「結果を出すなら、それで十分」
そして、最後に。
「……あの子は、弱かったのよ」
静まり返る。
アリシアの瞳が、冷たく細められる。
「守られなきゃ立てない」
「誰かの腕がないと壊れる」
「そんなもの、“人”じゃない」
その瞬間。
ロイの中で、何かが切れた。
「……黙れ」
低く、震える声。
だがアリシアは気にも留めない。
「だから私は、正しくしただけ」
「誰のものにもならないように」
「壊れたまま、止めただけ」
レオナルトは、一言も発さなかった。
ただ、裁きの席からアリシアを見下ろす。
赤黒い瞳に、怒りも、殺意もない。
あるのは――確信だけ。
(……やはり、最初から“人”を捨てていた)
裁きは下った。
永久拘束。
魔力剥奪。
聖職剥奪。
それでも、アリシアは笑っていた。
「……あの子が目覚めたら、教えてあげて」
「あなたたちが“守った結果”を」
その笑い声が、扉の向こうへ消えるまで。
ロイは、歯を食いしばって立っていた。
深夜。
王宮の離れ、ミアの寝室。
灯りは落とされ、月明かりだけが床を照らしている。
ロイは、寝台の横に座り、そっとミアの手を握っていた。
温かい。
呼吸も、鼓動も、確かにある。
「……ミア」
返事はない。
それでも、離せなかった。
(……戻ってこい)
取り戻したい。
謝りたい。
抱きしめたい。
すべて、遅すぎたと分かっていても。
その時、背後で扉が静かに開いた。
「……起きていたか」
レオナルトだった。
ロイは、手を離さないまま振り向く。
「団長……」
しばらく、沈黙。
レオナルトは、寝台の反対側へ回り、ミアを見る。
「……状態は、変わらん」
「はい……」
ロイの声は、かすれていた。
「私は……」
言葉を探す。
「取り戻したい」
率直な言葉だった。
レオナルトは、否定しなかった。
「分かっている」
一拍。
「だが、今のミアは“聖女”だ」
ロイは眉を寄せる。
「……聖女、だから?」
「違う」
レオナルトは、低く続けた。
「聖女は、魔力を“生む”存在じゃない」
ロイが、はっとする。
「……?」
「彼女は、器だ」
静かな声。
「魔力を通し、形にする」
「だから――」
レオナルトは、視線を落とした。
「今、彼女を保っているのは……俺の魔力だ」
ロイの胸が、強く鳴る。
「……団長が?」
「そうだ」
「だが、それでも足りない」
はっきりとした言葉。
「俺一人では、守り切れない」
ロイは、ゆっくりと息を吸った。
「……私に、何をしろと」
レオナルトは、ミアの手を見つめながら答える。
「感情だ」
短く。
「お前の“戻ってきた感情”を、彼女に流せ」
ロイの目が、見開かれる。
「私の……?」
「憎しみでも、後悔でもいい」
「取り戻したいという欲でも構わない」
「それが、“人の熱”だ」
沈黙。
ロイは、握った手に力を込める。
「……できるか、分かりません」
正直な声。
レオナルトは、頷いた。
「それでいい」
そして、低く言う。
「守るのは、俺がやる」
「戻すのは、お前だ」
二人の役割が、はっきりと分かれた瞬間だった。
その時。
ミアの指先が、ほんのわずかに動いた。
二人とも、息を止める。
「……っ」
ミアの眉が、わずかに寄る。
眠ったまま。
けれど。
「……こわ……」
小さな、かすれた声。
ロイの胸が、跳ね上がった。
「ミア……!」
レオナルトは、すぐに制した。
「まだ、起こすな」
だが、その表情は揺れていた。
ミアは、夢の中で、まだ過去を見ている。
泣いている自分。
震えている自分。
それでも、誰かの手を掴もうとする――
その姿を。
――この夜。
三人は、同じ結論に辿り着いた。
ミアは、まだ戻っていない。
だが、完全に失われてもいない。
ロイは、奪われた側から、
“戻す側”へと足を踏み入れた。
レオナルトは、守る覚悟を、初めて“共有”した。
取り戻す物語ではない。
それでも。
失われたまま、生き直すための物語が、静かに動き始めていた。




