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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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戻れなくなる夜

野営地に夜が降りた。


焚き火の火が揺れ、騎士たちの声が少しずつ遠ざかっていく。

森は静かで、異様なほど落ち着いていた。


ミアは簡易テントの中で膝を抱えていた。


寒くない。 怖くもない。


――何も、感じない。


それが一番怖いことだと、もう分からなくなっていた。


「……ミア」


低い声。


顔を上げると、団長が立っていた。

影が長く伸び、視線が真っ直ぐに刺さる。


「……こちらへ来い」


命令じゃない。 でも、逆らえない声。


団長専用のテントは、外よりもずっと静かだった。

火も灯っていないのに、空気が温かい。

ミアは立ったまま、何も言わずにいた。


団長は彼女を見下ろし、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「……お前、今」


低い声。


「壊れていく音がする」


ミアは、首を傾けた。


「……音?」


「心が、軋む音だ」


団長は一歩近づき、ミアの肩に手を置いた。


その瞬間――


ミアの中で、何かが強く反応した。


光ではない。 熱でもない。

守ろうとする衝動。


「……っ」


膝が崩れそうになる。


団長は迷わずミアを抱き締めた。


力強く、逃がさない抱擁。


「……よく耐えたな」


その言葉に、胸の奥がひび割れた。


(耐えて……いた?)


「誰も、お前を守らなかった」


低く、怒りを含んだ声。


「だから力が、心の代わりをし始めている」


ミアは、ようやく理解した。


聖力が変質した理由。 “癒す”ためじゃない。



――壊れないため。


「……団長……」


声が震えた、その瞬間だった。



団長はミアの顎を取り、顔を上げさせた。


逃げ道を塞ぐ指先は強くない。

だが、確実に“離さない”位置だった。


視線が絡む。


揺れる黄緑の瞳を、赤黒い視線が深く捉える。


「私の魔力を渡す」


低く、落ち着いた声。


唇が重なった。

軽く触れるだけの唇。



「……名前で呼べ」


命令ではない。


けれど拒否を許さない距離。


「……だ、団長……」


喉が震える。


団長の眉が、ほんのわずかに動いた。


「違う」


親指が顎に食い込み、顔がさらに近づく。


「俺の名だ」


一瞬の沈黙。


ミアは唇を噛み、目を伏せたまま小さく息を吸う。


「……れ、レオナルト…様…」


その名を聞いた瞬間、団長の喉が低く鳴った。


「……よし」


それだけ。


だが次の瞬間、唇が重なる。

深く、長いキス。


先ほどよりも近く、逃げ場のない角度。


団長の手が背に回り、ミアを引き寄せる。


抱き寄せる力は、さっきよりも強い。


(……ロイ様……)


一瞬、ミアの脳裏をよぎった名前。


それを察したように、団長のキスがわずかに深くなった。


――奪うようではない。


だが、譲る気もない。


唇が離れたあと、団長は額を重ねたまま低く囁く。


「……分かっている」


ミアの胸が跳ねる。


「お前が、誰を想っているかくらい」


ミアの指先が、思わず団長の外套を掴んだ。


団長はその手首をそっと押さえ、胸元へ引き寄せる。


「それでもだ」


声が低くなる。


「今は――俺の腕の中にいろ」


守るための言葉。

同時に、閉じ込めるための言葉。


団長の額が、ミアのこめかみに触れる。

吐息が混じるほど近くで、囁く。


「壊れかけているお前を、外に出す気はない」


ミアの呼吸が乱れる。


抵抗する理由は、あるはずなのに。


身体が、拒まない。


団長の魔力が、再びゆっくりと流れ込む。


重く、深く、安定している。

それは“守護”であり、

同時に“囲い込む力”だった。


ミアの目から、静かに涙が落ちる。


団長はそれを見て、ほんの一瞬だけ表情を崩した。


「……泣くな」


だが、その声は先ほどより低く、柔らかい。


「今夜くらいは、俺に預けろ」


抱き締める腕が、ほんの少しだけ強まる。


――逃がさない。

だが、壊さない。


その矛盾を、団長は自覚したまま抱いていた。




夜が明けるまで、団長は一度も眠らなかった。


朝の気配が、静かにテントの中へ滲み込んできた。


ミアはまだ眠りの底にいて、無意識のまま身じろぎをする。


「……レオ……様……」


掠れた声。


名前だけが、吐息に混じって零れた。


その瞬間、団長――レオナルトはわずかに指を止めたが、何も言わず、ミアの額にそっと手を置いただけだった。


目を覚まさせないように。


逃がさないように。



――その少し外。


物資確認のため近くを通りかかったロイは、ふと足を止める。


今の微かな声が、耳に残った。


「……レオ様?」


誰の名かは分かっている。


なのに、理由は分からない。


胸の奥に、ざらついた苛立ちが走る。


(……なぜだ)


心臓の鼓動が、ほんの一拍だけ乱れた。


ロイは眉を寄せ、そのまま視線を逸らす。


理由のない不快感を、剣を握る手に押し込めながら。


――その名が、自分にとって「無関係」ではないことだけが、はっきりと残っていた。





そして、討伐が始まる。


号令とともに騎士たちが動き出し、ロイも前線へ踏み出す。

剣を振るえば、身体は正確に応えた。

判断も、動きも、いつも通りだ。


――なのに。


視界の端で、ミアの姿を探している自分に気づく。


(……何をしている)


守るべき対象はいる。

それは分かっている。

けれど、その「守る」という感覚が、どこか噛み合わない。


代わりに胸に残るのは、さきほど聞いた名前。


レオナルト。


団長の名。


ミアが無意識に呼んだ、その響きが、剣を振るうたびに頭を掠める。


(……なぜ、あの人の名を)


思考が向いた瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。


苛立ち。 焦り。 そして、説明のつかない対抗心。


――奪われた、という感覚に近い。


ロイは奥歯を噛み締め、目の前の魔物を斬り伏せた。


(関係ない)


そう言い聞かせるほど、逆に確信してしまう。


自分は今、 “何かを奪われた側”の位置に立っている、と。

理由も、記憶も、答えもないまま――


ただ、団長の背を遠くに感じながら。



――――――


瘴気が、これまでにないほど濃い。


魔物が群れを成し、戦線が押される。


「ミア様……!」


騎士の叫び。


ミアは、ゆっくりと前に出た。


(……守る)


思考はない。 感情もない。


ただ――守る。


(……ロイ様……レオナルト様……)


その瞬間、聖力が溢れた。


光ではない。 膜のような力。


騎士たちを包み、魔物を弾き、地面を抉る。


「……っ、これは……!」


団長が叫ぶ。


「ミア! 止めろ!」


でも、ミアには届かなかった。



守護聖力が暴走する。



心が、耐えられない。

限界を越えた瞬間――



ぱきん



確かに、音がした。


それは外ではなく、 ミアの内側。


(……あ)


砕けた。


悲しみも、恐怖も、願いも。


すべて、消えた。


力だけが残った。


討伐は、完遂された。

魔物は消え、瘴気は晴れる。


だが――


ミアは立ったまま、何も感じていなかった。


「……ミア」


団長が駆け寄り抱き締める。


ミアは、ゆっくりと彼を見る。




微笑んだ。


完璧な笑顔。

ただ光はない空っぽの瞳。


「大丈夫です。守れましたから」


その声に、温度はなかった。


団長は理解した。


――力を得た代わりに、彼女は心を失った。


そして、取り返しがつかないところまで来てしまったことを。


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