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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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ミアの異変

朝の光が、離れの廊下に薄く差し込んでいた。


ミアは深く息を吸い、胸の前で手を握りしめる。


(……大丈夫)


そう言い聞かせないと、一歩も踏み出せなかった。


団長の言葉が、まだ胸の奥に残っている。


――生きろ。折れたまま死ぬな。


それは命令で、叱責で、

でも確かに、支えだった。


ミアはゆっくり廊下を歩き出す。


王宮に出るのは、久しぶりだった。


足音が近づく。


反射的に顔を上げた、その先に――いた。


ロイ。


心臓が跳ねる。


(……ロイ)


彼は立ち止まり、ミアを見た。


ほんの一瞬、目が揺れる。


まるで「探していたものを見つけた」みたいに。


でも、その直後。


ロイの表情が固くなる。


「……何か用ですか」


低く、距離のある声。


ミアの胸が、きしりと音を立てた。


それでも彼女は、ぎこちなく口角を上げる。


「い、いえ……お身体の具合は、もう大丈夫かなと……」


声が震えないように、必死だった。


ロイは一拍置き、視線を逸らす。


「問題ありません。心配は不要です」


“不要”。


その言葉が、心を削る。


ミアは小さく頷いた。


「……そう、ですよね。良かったです」


笑顔。


ちゃんと、作れた。


ロイはなぜか胸元を押さえ、眉を寄せる。


(……まただ)


この感覚。


彼女を見ると、胸の奥が痛む。


理由が分からない苛立ち。


だから、距離を取るしかなかった。

「……失礼します」


ロイはそう言って、ミアの横を通り過ぎる。


風が、彼の外套を揺らした。


ミアはその背中を見送って、動けなくなった。


(……平気)


平気。


大丈夫。


そう思わないと、立っていられない。


――でも。


胸の奥で、何かが静かに割れた。


音もなく。


誰にも気づかれず。



その日から、ロイは何度もミアを“探した”。


廊下。 訓練場の端。 離れの前。


視界に入ると、無意識に足が止まる。


なのに、声をかけようとすると――


口から出るのは、冷たい言葉だけだった。


ミアは、そのたびに笑った。


「お疲れ様です」 「大丈夫です」 「気にしないでください」


その笑顔は、少しずつ薄くなっていった。


目の奥の光が、静かに消えていく。


それを、見ていた人物がいる。



団長だった。


遠くから。 何も言わずに。


ロイに冷たくされても、ミアが頭を下げ、笑顔を作るたび、団長の胸の奥に、説明できない違和感が溜まっていく。


(……あれは、折れている)


ある日、団長はミアの隣に立った。


何も言わず。

ただ、影を落とすように。


ミアが顔を上げ、少し驚いたように瞬きをする。


「……団長様」


団長は短く言った。


「無理に笑うな」


ミアの肩が、ぴくりと震えた。


「……命令、ですか?」


かすれた声。


団長は一瞬、言葉に詰まる。


違う。

命令じゃない。


だが、どう言えばいいのか分からない。


「……見ていられん」


それだけ告げる。


ミアは、何も言えなくなった。


団長は彼女の横に立ち続ける。


守るように。 壁になるように。


(これは……心配か)


そう思おうとした。


そうでなければ、説明がつかない。


だが、胸の奥にあるのは――


もっと重く、もっと個人的な感情だった。


団長は自分の拳を握りしめる。


(……俺が、近づく理由は何だ)


答えは出ない。


ただ一つ確かなのは。


ミアがこれ以上、壊れていくのを――


見過ごせない、ということだけだった。



――――――



朝の祈祷室は、静かだった。


白い床。 高い天井。 差し込む光だけが、淡く揺れている。


ミアは祭壇の前に立ち、ゆっくりと手を胸に重ねた。


(……出て)


小さく、心の中で呼びかける。


以前なら、すぐに応えてくれたはずの“熱”。

胸の奥に集まる、柔らかい光。


――けれど。


何も起きなかった。


「……」


ミアは、そっと息を吐く。


(やっぱり……)


分かっていた。 もう何日も、聖力は応えてくれない。


それでも、今日は“試さなきゃいけない日”だった。


負傷した騎士が運び込まれている。

軽傷だが、穢れが残っているらしい。


ミアは震える足で近づき、膝をついた。


「……失礼します」


騎士は青白い顔で頷く。


ミアは手を伸ばした。


(お願い……)


胸の奥に意識を向ける。


――その瞬間。


ぞわり、と寒気が走った。


光が、集まりかけて――


拒まれた。


弾かれるように、胸の奥で何かが閉じる。


「……っ」


ミアは思わず痛みで手を引いた。


頭が、胸が……痛い。


(なに……これ……)


聖力が“出ない”のとは違う。


出ようとして、ミア自身を拒絶している。


「ミア様……?」


騎士の声が、遠い。


その時。


祈祷室の扉が、勢いよく開いた。


「――下がれ」


低い声。

団長だった。


団長は状況を一目見て、ミアの前に立つ。


「今日は中止だ」


「で、でも……!」


「命令だ」


有無を言わせない声。


「聖女アリシアを呼べ」


近くにいた兵士に命令し呼びに行かせた。



団長はミアの手を掴み廊下へ連れ出し、離れの自室へ向かっていた。


自室に戻るとミアはベッドの横に座り込んだ。


「……団長様」


声が、掠れる。


「私……聖力が……」


団長は、ミアを見下ろしたまま言った。


「出なかったか」


「……違います」


ミアは首を振った。


「出なかった、じゃなくて…… 拒まれました」


団長の眉が、わずかに動く。


ミアは唇を噛みしめ、言葉を絞り出す。


「聖力が……私を、必要としていないみたいで……」


その瞬間。

団長の表情が、はっきりと変わった。


(――これは)


ただの枯渇ではない。


これは、聖力の性質変化。


団長は低く言った。


「……ミア。最近、誰に治癒を向けようとした」


ミアは、一瞬だけ迷ってから答えた。


「……ロイ様、です」


団長の目が細くなる。


「……アリシアでは?」


ミアは小さく首を振った。


「……触れようとすると……怖くなるんです」


怖い。

理由は分からない。

でも、身体が拒む。


団長は、ゆっくりと息を吐いた。


(……やはり)


「聖力は、持ち主の心と強く結びつく」


団長は静かに言う。


「今のお前の聖力は、“癒す力”ではない」


ミアが顔を上げる。


「……え?」


「選別している」


その言葉に、ミアの瞳が揺れた。


「……選ぶ、んですか……?」


団長は頷いた。


「守りたい相手。信じている相手。……それ以外を、拒んでいる」


ミアの胸が、きゅっと締めつけられる。


(じゃあ……)


私の聖力は。

私の心は。


「……危険だ」


団長ははっきり言った。


「このまま戦場に出せば、お前は“治せない聖女”になる」


それは、死刑宣告に等しい。


ミアの指先が震える。


「……私、やっぱり……」


「違う」


団長は即座に遮った。


「壊れているのではない。変わっている」


その声は、低く、強い。


「聖力が“意思”を持ち始めている」


ミアは、息を止めた。


「……そんなこと……」


「ある」


団長は断言した。


「そしてそれは――誰かに“消されかけた記憶”と無関係ではない」


ミアの目から、涙が溢れた。


「……私、怖いです」


初めて、はっきり言えた。


「治せないのも……

ロイ様に冷たくされるのも……

自分が、自分じゃなくなるのも……」


団長は、一瞬だけ目を伏せた。


そして。


ミアの前に片膝をついた。


視線を合わせるために。


「……怖がれ」


ミアが、驚いて瞬きをする。


「それは、生きている証拠だ」


団長は低く続ける。


「お前の聖力は、まだ死んでいない。……むしろ、目覚めかけている」


ミアの胸の奥で。


小さく、かすかな熱が灯った。


ほんの一瞬。


確かに。


(……まだ、ある)


団長は立ち上がり、言い切る。


「当分、討伐には出るな。聖力の異変は俺が預かる」


それは命令であり、庇護だった。


ミアは涙を拭き、震える声で答える。


「……はい」


団長は踵を返し、最後に一言だけ言った。


「ロイに触れた時だけ、何が起きるか――それを、観察する」


扉が閉まる。


祈祷室に、一人残されたミアは、胸に手を当てた。


そこにあるのは、空虚じゃない。


壊れた力でもない。


**“選ぼうとする力”**だった。


(……私は)


ただの聖女じゃ、なくなっている。


その事実に、ミアは静かに震えた。

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