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『ありがとうを知らない聖女』  作者: 音香(Otoca )


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10/11

閉じたカーテン

王宮の離れに戻ってから、私はずっとベッドの上にいた。


カーテンの隙間から差し込む光が朝になっても、昼になっても、ただ白く床を照らすだけ。


時間の感覚が曖昧になる。


机の上には、手つかずの薬草茶。


ぬるい匂いが、部屋の中に沈んでいる。


(……起きなきゃ)


分かっているのに、身体が動かなかった。


胸の奥が、空っぽだった。


私の中から“聖力”が消えてしまったみたいに。


あんなに必死に集めていた熱が、もうどこにもない。


思い出すのは、あの冷たい声。


――出てくれ。

――アリシア。ここにいてくれ。


そして、私の存在がまるごと消されたみたいな目。


私は両手で顔を覆い、息を吐いた。


(……私、必要ない)


喉の奥で言葉にした瞬間、涙が落ちた。


静かに、止まらなくなる。


「ミア様」


扉の向こうでメイドの声がする。


「お食事を……」


「……いらない」


返した声が、思った以上に小さくて掠れていた。


メイドは何か言いかけて、結局何も言わずに引き下がった。


扉の外の足音が遠ざかっていく。


その音が、“誰も私を必要としていない”証明みたいで、胸が痛かった。



数日後。


窓の外が騒がしかった。

遠くから甲冑の音と、笑い声が聞こえる。


騎士団宿舎の中庭――訓練場の方だ。


私はカーテンをほんの少しだけ開けて、外を見た。


眩しい。

空は青くて、何も知らない顔をしている。


その下で、騎士たちが訓練をしていた。


そして――その中心にいた。


ロイ。


もう顔色は悪くない。


剣を握る手も安定している。


いつも通り、綺麗な動きだった。


(……治ったんだ)


良かった。


……良かったはずなのに。


その隣に、白いローブが揺れていた。


アリシア。


彼女は微笑んでいて、ロイに何かを話しかけている。


ロイが――笑った。


それは、私が知っている優しい笑顔だった。


胸が、ぎゅっと潰れる。


(……私には、見せてくれなかった)


ロイはアリシアの髪に触れるように手を伸ばし、

彼女も当たり前みたいにその腕に寄り添った。


距離が近い。


近すぎる。


その光景が現実だと理解した瞬間、私は息ができなくなった。


視界が滲む。


私は慌ててカーテンを閉め、背中を壁につけた。


(見ちゃだめ)


見たら、壊れる。


でももう、とっくに壊れていたのかもしれない。




その日の午後。


扉が叩かれた。


「ミア様、団長様がお呼びです」


呼び出し。


私は一瞬だけ迷って、震える足で立ち上がった。


廊下は冷たい。

歩くたび、身体の芯が痛む。

執務室の前に立つと、扉が開いていた。

中にいた団長は、書類から目を上げ私を見た。


「……聖女ミア」


「……はい」


団長は淡々と言った。


「次の討伐は二日後だ。同行できるか」


心臓が跳ねた。


でもそれ以上に――胸が沈んだ。


(行けない)


行ったって、何もできない。


私は唇を噛み、絞り出した。


「……できません」


団長の目が細くなる。


「理由は」


理由。


本当の理由なんて言えるわけがない。


“ロイが私を覚えていないから”

“アリシアがいるから”

“私は必要ないから”


そんな理由を言ったら、みっともなくて、惨めで、消えたくなる。


私は俯いて言った。


「……聖力が、出ません」


沈黙が落ちた。


団長の指が、机を一度だけ叩く。


「……そうか」


それだけだった。


責めるでもなく、慰めるでもない。


ただ“事実を受け取った”声。

そして団長は続けた。


「ならばお前は、今の第二騎士団に必要ない」


必要ない。


その言葉が、胸の奥に落ちる。


石みたいに重く沈む。


私は笑えなかった。


頷くこともできなかった。


団長は淡々と付け足した。


「離れで待機しろ。命令があるまで動くな」


それは保護なのか、隔離なのか分からない。


私は小さく頭を下げた。


「……承知しました」


部屋を出ると、廊下の先にロイがいた。


――しまった、と思った。


逃げたかったのに、足が動かなかった。


ロイは私を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。


冷たい目。


そこに“私を知っている温かさ”もない。


「ミア様」


呼び方だけは丁寧だった。


それが余計に苦しい。


「お身体は……大丈夫ですか」


私は言葉が出なくて、ただ頷いた。


ロイの視線が一瞬だけ揺れる。


何か言いたそうに唇が動く。


でも、その背後から声がした。


「ロイ」


アリシアだった。

彼女は当然のようにロイの隣に立つ。


「団長様がお呼びでしたでしょう? 参りましょう」


ロイは一拍置いて、頷いた。


「……ああ」


そして、私を見た。


「失礼します」


それだけ言って、通り過ぎる。


胸が痛い。


私の中の何かが、音を立てて崩れた。


私はその場に立ち尽くしたまま、二人の背中を見送った。


アリシアの髪が揺れて、ロイの外套が翻る。


その距離の近さが、刃みたいだった。


部屋に戻ると、私は扉に鍵をかけた。


誰も入れないように。

誰も来ないように。


私はベッドに座り込み、膝を抱えた。


(もう、いい)


頑張らなくていい。

頑張っても、もう居場所は戻らない。


涙が落ちる。


止める理由もなくて、止められる気もしなかった。


聖力も出ない。

誰も救えない。

救われることもない。


私は小さく呟いた。


「……私、いらないんだ」


その言葉だけが部屋に落ちて、静かに響いた。


そして私は、カーテンも開けずに、ただ暗い部屋の中で息をした。


次の朝が来ても、私はきっとここから出られない。


そう思った瞬間、怖さより先に――


不思議なくらい、何も感じなくなっていた。



――――――


執務室の空気は冷えていた。


机の上には討伐の報告書が積まれ、地図には赤い印がいくつも残っている。

団長はそれを片手で押さえたまま、ロイを見た。


「ロイ」


「はい」


ロイは背筋を伸ばし、淡々と答える。


顔色は戻っている。呼吸も安定している。


――“傷”は治った。


だが。


団長は低く言った。


「聖女ミアを覚えているか」


一瞬、空気が止まった。


ロイは目を瞬かせ、わずかに眉を寄せる。


「……聖女ミア、ですか。何度かお会いしました。」


その口調が、団長の苛立ちを確信に変えた。


「覚えているのか」


「……申し訳ありません。覚えてるというか……先程もすれ違いましたし……しかし、私の記憶の中には、聖女はアリシア・ハインツしか――」


団長の視線が鋭くなる。


「ロイ。お前は討伐のたび、誰の治癒を受けていた」


ロイは言葉に詰まり、息を整えるように小さく喉を鳴らした。


「……分かりません」


「分からない?」


団長は椅子から立ち上がり、机の端に手をついた。

一歩も近づかないのに、圧がかかる。


「お前は“世話係”だった。

聖女ミアは、お前の管轄だった」


ロイの指先が、ほんの少しだけ震えた。


「……えっ……」


「誤魔化すな。記憶が抜けている」


団長は断言した。


ロイは視線を落とし、苦しそうに眉を寄せた。


執務室を出た瞬間、ロイは息を吐いた。


廊下の空気が冷たくて、肺の奥が痛い。


「……ミア」


団長が言った名前が、まだ頭の中で響いている。


覚えていない。


“世話係”だったはずの聖女。

自分の管轄だったはずの人。


――それを忘れている。


そんなことが、あるはずがない。


ロイは拳を握りしめた。

爪が掌に食い込むほど強く。


(俺は、何をしていた)


何を見て、何を守って、何を失った。


答えが出ない。


苛立ちが喉までせり上がり、吐き出す場所がない。


ロイは壁に手をつき、目を閉じた。


頭が重い。


思い出そうとすると、霧の中に手を突っ込むみたいに何も掴めない。

そこへ、控えめな足音が近づいた。


「ロイ……」


甘く澄んだ声。アリシアだ。


ロイが目を開けるより先に、彼女の手がそっと手に触れた。


「……お辛そうです」


ロイは一瞬だけ沈黙した。


辛い?


違う。


これは――怒りだ。


自分に対する。


「……大丈夫です」


いつもの癖で、そう答えてしまう。


アリシアは寂しそうに微笑んだ。


「ロイはいつもそう言いますね。……無理をして」


その言葉が優しくて、ロイの胸がさらに荒れた。


アリシアは一歩近づく。

「記憶が曖昧なのは、傷のせいです。……きっと」


ロイは息を吐いた。


「……俺は、誰かを忘れている」


その声が、自分でも驚くほど低かった。


アリシアの目がわずかに揺れた。


けれど彼女はすぐに微笑む。


「忘れてなんかいません。あなたが守るべきものは――ここにあります」


その囁きが、まるで正しい答えみたいに耳に落ちた。


次の瞬間、アリシアが背伸びをして――ロイの頬に手を添えた。


柔らかい指。


花の香り。


そして、唇が触れた。


短い、軽い接触。


でもそれだけで、ロイの中の苛立ちが一瞬だけ止まる。


止まってしまう。


(……違う)


何かが違う。


そう思うのに、身体が拒めない。


アリシアが離れ、目を細めて言った。


「ロイ。あなたには私がいます。迷う必要ないですよ」


ロイは答えられなかった。


迷いじゃない。


でも、その言葉を否定できるほど、ロイは今の自分を信じられなかった。


廊下の遠くで、扉が閉まる音がした。


その音が――知らない誰かの“泣き声”みたいに聞こえた気がして。

ロイは、自分の胸を押さえた。


(……誰だ)


俺は、誰を――


忘れたんだ。

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