0.プロローグ
自分のことほど、よくわからないものである。
動物は、水面に映った自らの姿を見て、"それ"が何かと考えることはあるのだろうか。
自分とは、いったい何者なのかを、知る機会はあるのだろうか。
誰かに言われないと気付かないことなどいくらでもある。
「おねーちゃんのせなか、大けがしてるよ!」
少年は、彼女のことを心配したのだろう。
今までみたこともないほどのけがをして、大丈夫なのかと。
背中は大きく切り裂かれ、白い背骨まで見えていた。
血こそ垂れていないが、赤黒い肉が覗いていた。
動転したのだろう。
こんな酷い怪我をして、死んでしまわないだろうか。
座り込んで、目を見開いて、彼女を見つめる。
握りこんだ手のひらが、ぐっしょりと濡れていた。
ゆっくりと、彼女は振り向く。
少年の心配とは裏腹に。
彼女は少し驚いた顔をしていたのみだった。
「えー、ほんと? 自分じゃ見えないや」
自分の背中を覗き込みながら、そう言った。
まるで、何事もないように。
怪我など、していないように。
彼女は、探るように背中をゆっくりと撫でた。
そして、目的の場所に手が届き――勢い余って、指先から、ぬちゃり、と音を立てた。
「え?」
瞬間、彼女の顔が強張る。
何があったのかわからないようで、指先の感覚が信じられないようで。
頭が真っ白になったのか、微動だにしない。
「痛く……ないの?」
少年のか細い声が彼女の耳に届く。
とたんに、背中から手を放し、少年を見つめた。
一瞬の静寂が訪れ、すぐに。
彼女は目を反らした。
「い……痛い、いたいいたい!!」
思い出したように、そう言った。
何かをごまかすように、大きな声で、なんどもなんども繰り返した。
初夏、昼下がり。
彼女、アリア・クラウゼンは、新しい気付きを得た。
もしかしたら、自分は、人間ではないのかもしれない、と。




