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【BL】王族に捨てられた俺を育てたのは、精霊の森に棲むエルフでしたが、愛してはいけないそのひとを愛してしまったので森を捨てて逃げます

作者: ケロリビ堂

「まだ追ってきている、レイヴ、矢に気を付けて!」

「アシェル、まだこの森は続くのか?」

「もう少し、もう少しですよ……。もう少しで出られるから頑張りましょう……!」


 暗い森の中、大きな白い牡鹿が二頭駆けていた。牡鹿の背中にはそれぞれ男が一人ずつ乗っていた。鞍もつけずに乗りこなしている二人の男の片方の耳は長くとがったナイフ耳。エルフである。森の動物に軽々と羽のように騎乗できるのはエルフの特徴だが、もう一人は人間にもかかわらず同じように牡鹿を駆っている。エルフのアシェルと人間のレイヴ。なぜ彼らが追われているのか。誰に追われているのか。物語は18年前にさかのぼる。


「赤ん坊の声がする……。どうしてこんなところに?」


 ある日の朝、川に洗濯に来ていたアシェルは聞きなれない音に尖った耳をすませていた。初めは物まね上手な鳥の声かと思ったが、白銀の長い髪をかきあげてよく聞くと確かに赤ん坊の泣き声だった。


(隠れ里のエルフが迷子にでもなっているのだろうか……そうなら助けてあげなければ)


 かつて数百年を超える昔にエルフの森を侵略しようとした人間が、エルフたちの信仰の象徴である精霊の大樹を燃やしてしまった。大樹に守られた聖域だった森はその加護を失い、呪いに覆われてしまった。生き残ったエルフの王族たちが咄嗟に張った結界により森の一部分だけが呪いに蝕まれずに済み、呪いを恐れた人間もそれ以上侵攻できなくなったため戦はそこで終わりになった。後には呪われた森ばかりが残り、それからずっと狭い結界内を隠れ里として、エルフたちはひっそりと暮らしていた。

 精霊の大樹が損なわれた時、次の大樹となる種はエルフから生まれると古い文献に記されている。エルフの子はエルフの女に宿るが、大樹の種は男に宿る。戦が終わって数百年、エルフの男たちは結界内に籠り、非常に閉鎖的な環境で大樹の再生のために試行錯誤を繰り返していた。エルフの王子の一人であるアシェルはその生活に疲れて心を病んでしまい、集落から少し離れたところで療養のため一人隠匿している身だった。


「いた……あんなところに引っかかって……」


 鳴き声の主は籠に入れられ、川辺の流木に引っかかっていた。アシェルが中に入っているおくるみを拾い上げてやると、その赤ん坊は黒い髪と丸い耳を持っていることがわかった。


「この子はエルフじゃない、人間だ……!」


 大樹を燃やした当時の人間たちはもうみんな老いて死に絶えた。しかし、長命種であるエルフにとっては戦はつい最近の記憶で、今でも人間への恨みは根深く残っていた。特に戦死した王に変わって現在王になっている長兄のイヴァルディスは自らの代で必ず種を生み出し、森を復活させなければならないという責任感と強迫観念を抱えており、その重圧のはけ口として特に人間への憎しみを募らせている。人間の赤ん坊などが見つかったらすぐに殺されてしまうだろう。


(どっちみち殺されてしまうなら今ここで私が殺してしまった方が……)


 そう思ってアシェルは籠に赤ん坊を戻し、再び川に流そうとしたのだが……その時、赤ん坊が小さな手でアシェルの指をきゅっと握った。


「あ……っ」


 その感触は小さくも力強く、生きたいという意思を秘めていた。ふくふくとした赤ん坊のあどけない顔を見ているうちに、疲れに冷え切っていたアシェルの心にぽっとあたたかい火が灯る。アシェルはその子を守り育てることを決意した。


「レイヴァルド……この子の名前か」


 おくるみの中に青い絹のスカーフが忍ばせてあって、それには金の糸で名前が刺繍されていた。それはこの赤ん坊の生まれながらの地位が高いことを示している。おそらくこの子も王族か何かで、跡目争いに巻き込まれて川に流されるなどの事情があったのではないかとアシェルは推測した。とりあえず大人になるまで育ててやろう、そうすればいつか勝手にどこかに行くだろう……。そう思って育てた子供、レイヴはすくすくと成長していった。


「アシェル! 次はどの本を読んだらいい?」

「もう読んでしまったのかい? レイヴは理解が早いなあ……」


 少年に成長したレイヴはくりくりとした青い目を賢そうに輝かせながらアシェルを慕ってくる。まだ人間と交流があった時期にアシェルが集めて保管していた本をよく読み、狩りも上手になってきた。賢い賢いと頭を撫でてやるとくすぐったそうに笑ってアシェルに抱き着いてくるところはまだまだ甘えん坊だった。


「えへへ、アシェル大好き。もっと撫でて……」

「よしよし、いい子ですね……む。レイヴ、外に誰か来ている、すぐに隠れなさい」


 隠遁の身であるアシェルの様子を見に時々数人のエルフがやってくることがあり、そんな時アシェルはレイヴを地下の物置に隠した。アシェルの魔法を込めた光る小瓶を簡易的な明かりにして、レイヴは身を縮めてやりすごす。

 かつてエルフの森を攻め、大樹を燃やした人間の国。レイヴの身体的特徴である黒くやや癖のある髪と青い目はその国の王族の特徴でもあった。まだレイヴにはそのことは伝えていないが、そんな子供をかくまっているとわかったらやはり二人とも無事ではいられない。そう思ったアシェルに「いいと言うまで大きな物音を立てたり、声を出したりしてはいけないよ」と言われ、小さなころからレイヴはそのいいつけだけは絶対に破ってはいけないと思って従ってきた。

 狭く暗い地下室でレイヴは本を読む。アシェルには言えないが、まだ君には早いと言われた大人の本をこっそり読めるこの時間がレイヴは嫌いではなかった。

 人には男と女がおり、それが夫と妻になり子をなし、父と母になるということはアシェルに教えてもらっていた。そう言われてレイヴはてっきりアシェルがその女というものなのかと思ってそう言ったが、それを聞いたアシェルは声を上げて笑いながら、違うよと教えてくれた。

 まだ早いと言われている大人の本には、女というのは男にとって美しく愛おしい存在で、何をおいても自分のものにしたくなるのだと書いてあった。


(だけど俺にとってそれはアシェルそのものだ……)


 背伸びした知識が頭に蓄積されていく興奮にレイヴの喉が鳴る。レイヴは自分とアシェルしかひとの形をしたものを見たことがないが、今まで見てきたすべての中でアシェルが一番美しいと、それだけは間違いないと思っていた。静謐な雪の日のつららのように輝く白銀の長い髪、春の日の若草のように瑞々しい緑の瞳、白く透き通るような肌、レイヴに笑みをこぼしてくれるあかいくちびる。


(美しい、愛おしいアシェル。アシェルと二人きりで暮らしている俺はとても幸せだ……)


 アシェルのことを考える時、親愛に満ちたあたたかい気持ちの隅っこにハッとするほど熱くねっとりとした感情が潜んでいることをレイヴはもう気づき始めていた。それがなんなのかに思い至る前に扉の向こうから「もう出てきても大丈夫ですよ」というアシェルの声が聞こえてきて、レイヴは大好きなアシェルのもとへ駆け寄っていく。少年は青年になる階段の一段目にもう片足をかけはじめていた。


「……あれ? レイヴ、君ってもうこんなに背が高くなっていましたっけ」


 エルフにとって18年という月日は本当にあっという間だった。アシェルはある日いつものようにエルフの来訪者から隠していたレイヴを地下室に迎えに来た時、あどけなく小さい少年だと思っていた愛し子がいつのまにか青年に成長していることに気が付いた。


「何を言っているの。俺はもう18歳になるんだよ。もう立派な男」

「そうでしたか……。まだまだ小さいような気がしていました」


 人間の18歳が大人と言っていい年齢だという意識のなかったアシェルはレイヴの声変わりした低い答えを聞いて、彼の出自について話す時が来たと、そう思った。


「これは君と私が出会ったとき、一緒に籠に入っていたスカーフです。これを見て私は君の名前を知った」


 夕食後、レイヴを寝室に呼び出したアシェルが差し出したのは、あの日おくるみの中から見つけた青いスカーフだった。よほど大事にしまっていたのだろう。皺ひとつなく、光沢のあるそれの端に輝く刺繍はあの時から変わらずにレイヴァルドという綴りの形に煌めいている。それを見せながら、アシェルはレイヴがおそらく王族の血を引く者で、何らかの理由で国を追われることになったのだろうという推察を伝えた。


「君はそろそろこの地を離れて人間の世界へ戻るべきなのかもしれませんね、ここも君にとって安全な場所とは言い難い……。誰も君を脅かさずに安心して暮らせる新天地へ。君が一人で暮らしていけるように私は様々なことを教えたつもりです」


 アシェルは手渡されたスカーフを見つめて黙っているレイヴを見て寂しそうに笑った。この日が来た時に悲しすぎないように、レイヴには自分のことを父などとは言わず、アシェルと名前で呼ばせていたのだ。そんなアシェルの笑みを見て、レイヴは慌てたように縋ってきた。


「一人で暮らすなんて嫌だ、俺はアシェルとずっと一緒に居たい」

「いけません。君が短い人生を終えるにはこの土地は狭すぎる。君はもっと広い大地に出ていろいろな人と会い、経験をするべきです。ゆくゆくは心から愛せる伴侶を見つけて、そして……」

「いやだ!! 俺が心から愛してるのはアシェルだけだ!!」


 そう叫ぶと、レイヴはアシェルを強く抱きしめる。腕の中のアシェルは起こったことの理解ができずに困惑した顔をした。


「だ、だめです。それは君が私以外の他者に会ったことがないから……家族としての愛情でしょう……。それとは違う愛があるのです。身体の奥から突き上げるような、相手を求める愛が……っ」

「アシェル、俺のこれは、違うってのかよ……!」

「れ、レイヴ……」


 アシェルのしなやかな腿に、レイヴの雄の昂ぶりが硬く押し当てられていた。愛し子の青年期の熱がよもや自分に向けられるとは夢にも思っていなかったアシェルは目を白黒させる。


「ずっと好きだった、俺。本で夫婦の営みのこと読むたびに、これは俺とアシェルのことだって思ってた。俺のすべては、アシェルでできてる。だからアシェルと離れて他の誰ともそうなりたくない……! アシェル、愛してるんだ。俺はアシェルを愛してる……!」

「レイヴ……ッ」


 いけない、とレイヴの身体を押しのけることが、アシェルにはできなかった。

 エルフが強い生命力と深い愛を持って繋がった時、男の身体からまれに大樹の種が産まれると古い文献には記されていた。そのために、エルフたちは何度も自分の伴侶と、時には相手を変えて行為を試みていた。もともと長寿のエルフは繁殖に必死になることがそうない。そんなエルフの身体は義務的な行為で快楽を覚えることはできるが、人間の男が行為そのものに見出せるほどの喜びはそこにはない。アシェルはその繰り返しの生活に疲れ果て、もう誰ともつながりたくないとそう思っていたのに。


「アシェルのも俺と同じになってるじゃないか。なあ、アシェルは俺のことが嫌い?」

「き、嫌いなわけありません。レイヴは私の大事な教え子で……」

「俺のことをもう男として見てくれよアシェル。アシェルは……男になった俺は嫌いか?」

「……嫌いなわけ、ない……です」

「好きか?」

「……好き……です……」


 俺もだ、と言うのとほぼ同時にレイヴはアシェルの唇を奪った。それは幼いころから何度も繰り返してきた親愛のキスではなく、奪いつくすような情欲のキスだった。レイヴにとってアシェルは美しく愛おしい存在で、何をおいても自分のものにしたくなるのだ。


「あ……ふ……、レイヴ……」


 青年の熱い舌で口腔内をかき回されたアシェルは若草色の瞳を涙で潤ませ、透き通る白い頬から尖った耳にかけてを朝焼けの空の茜色に染めていた。はっ、はっと細切れに発せられる吐息は甘く、しっとりと汗に濡れた優美な手指でいつの間にか抱きしめていた大きな背中を掻き抱いている。


「アシェル……俺、アシェルが欲しい。アシェルも俺のこと欲しがってるように見えるよ。ねえ、俺が欲しい?」


 溶け合うように口づけていた唇を離したレイヴは切なそうにアシェルを見つめてそう問いかける。その顔は精悍な男の顔になっているのに、表情は少年の日に木の実のおかわりをねだったときのものと同じで、その貌がアシェルの胸に愛しさを叩きつけてくる。そしてアシェルの理性は、その愛しさの前に敗北した。


「欲しいです……っ、私も、レイヴが欲しい……っ!」

「アシェルっ……!!」


 人間のいかがわしい書物は隠しておいたのに……と、教え子が知らないはずの手管を施され、アシェルは身を振るわせる。寝台に押し倒され、たくましい手に縫い留められるともうまったく抵抗が出来なかった。これが人間の男の力……などと思っているうちに寝間着を脱がされ、窓から射す月明かりにアシェルの白い裸体が照らされてしまう。


「アシェル、すごく綺麗だ……。それに、とてもいやらしいよ……」

「っ、どこで、そんな言葉覚えて……っ、それに、別に私の身体なんて初めて見たわけではないでしょう……、あ。そんな、だめ」

「そう、初めてじゃない。いつからかな、俺はアシェルの身体を見るたびに興奮してたよ。はあっ、すごく、怖いくらいに」

「あっ、レイヴ……っ、んん……っや、恥ずかしい……、あっ、ああっ……はあぁぁっ……!!」


 身体の敏感な部分にレイヴがおそるおそる触れるたびにアシェルの頭の芯がじんと痺れ、唇と両足がはしたなく緩んでしまう。その事実にアシェルは肩までほの赤く染めて恥じ入った。緩んだ隙間に滑り込んだレイヴの手がアシェルの喉を楽器のように鳴らす。他人に秘部を触れられる刺激が久しぶりで、アシェルはかぶりを振りながら一度果てさせられた。

 

「は、あ……っ。ふうっ……ふう、あぁ……」

「はあっ、男女のやり方はさ、アシェル。本で読んだ。だけど、男同士のやり方はちょっとしかわからなかったんだ。ここに、俺のを。多分。それで合ってる?」

「ん……。わ、私がこんな悪いことを教える日がくるなんて……。そこで、あっています……。ゆっくり……そう、まずは馴染ませて……ふう、ふう……っ、ん……っ」


 息絶え絶えになりながらも、アシェルはレイヴに愛し方を教える。昼間読み書きや狩りを教える時のような口調なのに蕩けた顔で己の身を暴くやり方を教えるアシェルの妖艶さにレイヴの喉が鳴った。


「アシェル、いやらしすぎる。俺もう……」

「ふふ、どうぞ。来てください……」

「アシェルッッッ!!!!!!」

「んッ……う、ああぁっ……レイヴぅっ……!!」


 興奮に突き動かされるままに押し入ってきたレイヴの熱さに、アシェルは白い頸を仰け反らせて震えた。愛しい質量が身体を割り開いて奥を穿つたびに歓喜の声が止まらない。力強い挿抜がアシェルの背筋に電流のような快感を走らせ、その感覚は背骨を伝って脳天へ駆け抜ける。しなやかな両足をレイヴの背中に巻き付け、成長の証を叩きつけられながらアシェルは涙を流し、大事な教え子は今や想い人へと変わったのだと思い知らされた。


「はあっ……はあっ……アシェル、好きだ、愛してる……」

「ああ、レイヴ、私も愛しています……」


 熱い恋慕の蜜でその身を満たされながらアシェルはレイヴにさらなる口づけをねだる。喘ぎの合間に冷えた歯列を舌で温められる感覚が愛おしくてたまらなかった。


「アシェル、これはアシェルに持っていて欲しい」


 熱を奪い合うような睦み合いを終え、身体の火照りを寝床で覚ましながら、レイヴは先ほど手渡された青いスカーフをアシェルに返した。


「どうしてですか、これは君の出自の手がかりになる大事なものなのに……」

「俺は自分の出自なんかどうでもいいんだ。ただアシェルと生きていきたい。俺が持っているものは全部アシェルがくれたものだ。でもこれはそうじゃなくて俺が最初から持っていたただ一つの物なんだろう? 俺もアシェルに自分のものを何かあげたい。だから受け取ってくれ」

「レイヴ……」


 レイヴは、青いスカーフをアシェルの白銀の髪に結びつける。アシェルの首の後ろで金色に輝くレイヴァルドの名が揺れていた。


「これでアシェルは俺のものだ」


 それから二人は毎日のように愛し合うようになった。わが子のように育てているレイヴと身体を重ねることに初めは罪悪感が残っていたアシェルも、レイヴの若い熱情を受け止め続けるうちにその心地よさについには自分から求めるようにすらなってしまい、二人の関係は誰が見ても恋人同士以外の何物でもない。


「アシャリアス、息災か」

「サリヴァン兄さん……!」

 

 煮詰めた蜜のようなやりとりの間に囁き合う生活を続けていたある日、二人の棲み処にアシェルの兄の一人、サリヴァリスが訊ねてきた。いつもは部下のエルフを数人様子見に寄越すだけだったのに、今回兄が自ら訪ねてきたことにアシェルは驚く。


「どうしたんだい……兄さんがわざわざくるだなんて」

「アシャリアス。王からの命を伝えに来たんだ。王族の役割に戻れ」

「……!」


 精霊の大樹の種は強い生命力と深い愛によってエルフの男子から産まれてくる。特に王族の男子は種を産み出す母体として優れている。そのためイヴァルディス、サリヴァリス、アシャリアス……アシェルの三兄弟は何度も相手を変えて交わり合い、種の受胎を試みてきた。


「お前が傷つき、疲れてしまったことは理解している。兄としても弟を苦しめるのは本意ではない。しかし自分もそろそろ限界が近い。兄上もおそらくそうだ。兄上は大樹を蘇らせることに執着しているから弱音を吐くことはないが、それでも消耗していないということはない」


 心情を吐露するサリヴァリスは沈痛な面持ちをしていた。病んだ弟を案じる兄の顔と、王である兄に忠義を抱く弟の顔。次兄のその顔を見てアシェルの心は揺れそうになる。しかし、アシェルはもう愛する者と自ら交わり合う心地よさを知ってしまっていた。


「話はわかったよ兄さん。ただ、私にも準備が必要だから……」

「すまない。弟に安らぎを与えられない兄たちを許してくれ……」


 10日後に迎えに来ると言い残し、サリヴァリスは帰っていった。


「だから私はこの家を出て、兄たちのところに戻らなければいけない」

「アシェル……!」


 サリヴァリウスが去るのを待って、アシェルはレイヴに事と次第を伝えた。


「嫌だ、嫌だぞ俺は! アシェルは俺とずっと一緒に居るんだ……!」

「私だって同じ気持ちです。君と別れたくなどない……!!」


 突然の別れの知らせに慌てるレイヴに、アシェルもまた縋り抱き着く。


「もたもたしていたらすぐに迎えが来てしまう。そうなる前に、レイヴ……。私を連れて逃げてください。結界の向こうに……人間の世界に……!!」


 アシェルはレイヴが大人になるまで、彼がいつ旅立ってもいいように少しずつ物資を集めていた。森を抜けるまでに口にする食料、呪われた森から身を守るための防具、傷を負ったときのための薬草などだ。それはレイヴが一人で出ていくときのために用意したものだが、アシェルは二人で結界の外に出て新しい土地で生きていく決意をした。レイヴが首を縦に振ってくれれば、それらを使ってすぐ旅支度をすることができる……。

 

「アシェル、行こう。俺がアシェルを連れて行く!」

「レイヴ……ッ!」


 アシェルが祈るように願ったレイヴの気持ちは、アシェルと同じだった。二人は熱い口づけを交わすと、すぐに旅立つことにした。


「レイヴ、私がことを済ますまでここに隠れていてください」

「気を付けて、アシェル」


 結界を抜けるためには隠れ里の監視をかいくぐらなければならない。監視の手が一番薄い夜明け前に二人は庵を出た。アシェルが口笛を吹くと、以前から手なづけていた白い牡鹿が二頭やってきた。アシェルは王子なのでエルフたちがどうやって結界を管理しているのかは知っている。エルフの結界の監視は動物の出入りにまでは及んでいないため、彼らと共に結界を出て目くらましをするのだ。

 アシェルが目に見えない結界の側に立つと、空気がピリピリと震える。結界の向こうに見える呪われた森はガラスの瓶で覗いた景色のように屈折し、歪んでいる。その手前に指先をかざし、アシェルは素早く小声で呪文を唱えた。


「レイヴ、一時的な裂け目が結界にできました。音を立てずに、急いで通り抜けましょう」


 アシェルの合図で結界に近づいたレイヴは、白い牡鹿を伴って裂け目をくぐり抜ける。レイヴが通り抜けたのを見届けると、アシェルもそれに続いて結界の外に出た。その瞬間、アシェルの耳の先にちりっと魔力が震える感覚が伝わった。


「気づかれたかもしれない、レイヴ、すぐに離れましょう!」


 そう言うなりアシェルは片方の牡鹿の背に飛び乗る。こうなったらすぐに牡鹿を駆るというように事前に示し合わせていたので、レイヴもすぐにもう一方の牡鹿に飛び乗った。牡鹿に鞍はなかったが、レイヴは人間離れしたバランス感覚で乗りこなせていた。これもこの日のためにアシェルがレイヴに施していた教育の賜物であった。

 呪いの森の空は暗く、うすぼんやりとした紫の霧が足元を見えづらくしていた。よどんだ空気は二人の呼吸を浅くさせ、歩を進めるだけで気持ちを重くさせる。この呪いの森を抜けさえすれば二人で生きていく未来が見えるのに、そのことを信じ続けられなくなるような闇がそこらじゅうに満ちていた。


「アシェル、大丈夫だ。二人でこの森を抜けような」

「ええ、必ず……!」


 励まし合い、恋人たちは森を駆ける。二人の愛し合う気持ちがお互いを支える杖となってしっかりと心に突き立っていた。しかし、牡鹿たちにはそれがない。成人男性の体重を乗せているというだけではない重さが獣の心臓に深く食い込み、その足をもつれさせている。降りて走るよりは早いが、そのスピードは通常の牡鹿たちの走りよりも遅いものだった。


「もう来ている……! レイヴ……!」

「アシェル! もっと急げ!」

 

 エルフは夜目がきく。振り返ったアシェルの目に、追手の掲げる明かりがゆらめくのが見えた。アシェルの声を聞き、レイヴは牡鹿をさらに駆り立てる。スピードが上がり背後の明かりが遠ざかるのもつかの間、今度は濃霧を切り裂いて矢が飛んできた。魔法の込められたエルフの矢。青白い光を発しながらそれは二人を狙っていた。


「まだ追ってきている、レイヴ、矢に気を付けて!」

「アシェル、まだこの森は続くのか?」

「もう少し、もう少しですよ……。もう少しで出られるから頑張りましょう……ッ!?」

 

 飛んでくる矢を巧みに避けながらレイヴを先導しようとしたその時、アシェルは突然下腹部が熱く疼くのを感じた。それはどくりどくりと胎動し、胸いっぱいに温かさが広がる。


 (これは……まさか、こんなときに……。これが……っ?)


 精霊の大樹の種が宿った時は、誰にも何も教わらなくてもすぐにそれとわかると、兄イヴァルディスからうんざりするほどに聞かされていた。アシェルは今自分の身体に起きている変化が、まさにそれなのだと悟った。


「レイヴ……ッ! ぐっ……!!!」

「アシェル!」


 種の胎動に気を取られたその時、背後から飛んできた矢の一本がアシェルの肩を貫いた。

 どう、と放り出されて地に倒れ伏すアシェルの姿に、たまらずレイヴも牡鹿から飛び降りて駆け寄る。森の呪いのもたらす不安と矢を射られた恐れに慄いていた牡鹿たちはそのまま二人を置いて駆けて行ってしまった。


「レイヴ、いけない、君だけでも逃げて……!」

「駄目だ! アシェルを置いてなんていけない……、傷を見せてくれ……!」

「私は大丈夫です。早く……」


 アシェルを抱き起こすレイヴの周りに、明かりと足音が近づいてくる。呪いの霧を抜けて現れたのは、恋人たちが乗っていたものよりもさらに大きく立派な角を持った白い牡鹿に乗った堂々たるエルフ。イヴァリアス王率いるエルフ兵たちが二人を囲んだ。レイヴはアシェルを抱きかかえたままナイフを構え、エルフ兵たちに戦う意思を見せる。


「アシャリアス。その人間から離れろ」

「兄さん……」

「王と呼べ。今すぐそっ首を切り落とす。すぐに離れろ」

「アシェルに近づくな……!」

「すぐに離れろ!」


 アシェルを守ろうとするレイヴを無視し、イヴァリアスは長剣を握った右手を掲げて渋面を怒りに歪めた。


「アシャリアス。兄上の言う通りにしておくれ。ああ、かわいそうに。早く里に帰ろう。その矢傷を癒さねば……!」


 アシェルごとレイヴを斬りかねない気迫の王の様子を伺いながら、次兄のサリヴァリスも声をかけてくる。アシェルは傷の痛みに喘ぎながら、ぐったりとした頭をもたげて兄たちを見据えた。


「……お断りします。この子は私の大事なひと。殺させはしない……!」

「いいかげんにせよ! お前は王族としての務めを果たさないばかりか、人間の子をかくまっていたのだぞ! この王が今すぐその人間もろともお前を斬り伏せぬのは兄弟の情あってのことだ! お前はそれすらもはねつけようと言うのか!」


 森の呪いは立ち入った生き物の精神を暗くよどませる。イヴァリアスの怒りは呪いによって増幅されつつあり、強い意志を持って見据えてくる弟の目つきを酷く苛立たしく見せていた。


「……大樹の、種」

「……何?」

「兄上は、大樹の種が復活すれば満足なのでしょう……」

「その通りだ、だからお前を里に連れ帰り……」

「私は今、大樹の種をこの身に宿しております!!!」

「……アシェル……!?」


 アシェルの叫びに一番驚いたのは彼を抱きかかえているレイヴだった。


「……ごめんねレイヴ。私、さっき気づいたんです。あなたと愛し合って、この身が大樹の種を孕んだことを……。私はこの地にそれを産み落とさなければならない。だから私を置いて、行ってください。この呪いの森を越えて、新天地へ……」

「い、嫌だ……アシェル……」

「兄上、だから、この子の命は助けてあげてください。森が再生すればもう人間を恨む必要はないでしょう……」


 アシェルの言葉を聞いて、エルフたちはざわざわとどよめく。


「確かに理屈の上ではそうだが……本当に、お前が大樹の種を孕んでおるというのか……?」

「ごらん、ください、兄上。これがその……証です……」


 アシェルは荒い息をつきながら纏っていたチュニックの裾をまくり上げる。その下にあるなだらかなアシェルの腹部が緑色の強い光を放っていた。


「アシェル……! アシェル……!」

「ああ……もうすぐ、発芽する……。これは君と愛し合った証……。そのことを抱きしめていれば私は大樹となっても君を守って生きていけます。レイヴ……。どうか、幸せに……」

「駄目だ……絶対に離さないぞアシェル……! 愛してる……愛してるんだ!! 俺はアシェルだけを永遠に愛してる!!」


 レイヴのその言葉を聞いて、アシェルの目じりから水晶のようにきらめく涙の雫がひとつこぼれる。その瞬間、彼の体から精霊の大樹が芽吹いた。


「おお……!!」


 小さな芽は、眩い光を放ちながらみるみるうちに成長し、輝く大木になる。その神々しさに圧倒されたエルフたちは空を見上げ、感嘆の声を上げた。


「精霊の……大樹……、よくぞ……再びこの地に……」


 呆けるように呟くイヴァリアスの声は、レイヴには聞こえていなかった。レイヴは愛するひとの名を叫びながら、光り輝く大木へと変化していくアシェルを抱きしめていた。

 さっきまでアシェルだったその大木は、呪いの森の木々のはるか上を覆い尽くすように枝を広げ、鈴なりに大きな実をつけた。その実は実るなり圧倒的な勢いで成熟していき、果皮の一部が翼状に発達した翼果へと変化する。そして重みで枝先から離れ、ひらひらと回転しながら地に落ちた。そしてそこからはまた、呪われていない植物が芽吹き始める……。精霊の大樹となったアシェルは呪いの森を目まぐるしい勢いで浄化していった。


(レイヴ……)

 

 絶望に打ちひしがれたレイヴの周りに光の粒が降り注ぐ。その暖かい光の中、レイヴはもういちど愛おしい声を聞いたような気がした。


「……あれは……」


 うなだれていたレイヴが顔を上げたその時、ひらひらと落ち行く翼果の一つに、見覚えのあるスカーフが結ばれているのが確かに見えた。


「アシェル……!!」


 あれはレイヴがアシェルに渡した青い絹のスカーフ。レイヴァルドの名前が縫い付けられた、アシェルがレイヴのものになった証。よろよろと立ち上がったレイヴはスカーフを追って蘇りゆく森を駆けていく。イヴァリアスはそんな彼を追い立てることはしなかった。


「精霊の大樹の種は強い生命力と深い愛によって生まれてくる……。アシャリアスはそれを見つけたのか……あの人間と……」

「兄上……」

「ならばもう、追うことはせぬ。アシャリアス、大儀であった……」


 目まぐるしく生い茂っていく植物の根に足を取られながら、レイヴは走り続けた。他のものと違う青い目印のついた翼果はどの種よりも遠く飛んでいく。そして、少しずつ高度を下げ、やがてふわりと着地した。


「はあ……はあ……、アシェル……ッ」


 よろめきながらレイヴが近づく間にも地に落ちた種は発芽し、大きな白い花を咲かせる。そして白銀の光を放つその花弁が散った後、そこにはレイヴの愛するひとが、世界一愛おしい形で横たわっていた。


「アシェルッ……!!」

「……レイ……ヴ……?」


 レイヴは滂沱の涙を流しながらアシェルに駆け寄った。午睡の夢から覚めたばかりのようなふわりとした笑顔で、アシェルはその顔を見上げる。


「どうしたのです……そんなに泣いて……。レイヴはもう大きいのですよ? よしよし……」


 小さな子供にするように黒い髪を撫でてくる白い手を握り、レイヴはアシェルを抱き寄せてその唇を奪う。アシェルは驚いたように目を見開いたあと、再びそっと目を閉じ、レイヴを抱きしめた。

 もう誰も二人を追いかけはしない。二人は心ゆくまでいつまでも抱きしめあっていた。そして……。


「さあ、行きますよ。レイヴ」

「ああ。どこまでも一緒に、アシェル」


 手と手を取り合って、レイヴとアシェルは森を出ていく。二人の未来を喜ぶかのように、アシェルの髪に結ばれた青いスカーフがさわやかな風に揺れていた。

 お疲れさまでした。いかがでしたか? 面白かった、こういうのも読みたいなどございましたら評価、ブクマ、いいね、感想など頂けると励みになります。

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