ep8 真実の間
創世記の人形劇が終わり、舞台の光がふわりと霧散していく。
それを合図にしたかのように、子供たちは「ばいばーい!」と元気よくおばあちゃんに手を振り、あちこちに散っていった。
「おっぱいねえちゃーん!バイバーイ!!」
「おっぱい叫ぶなーっ!!」
照れくさそうに頬を染めながら、サヤは頭を抱える。
その様子を見ながら、レインがゆっくりと歩み寄ってきた。
「……今の物語、ただの御伽話じゃなさそうな気がする」
「うん、なぜか悲しい気持ちになったというか……」
「あぁ。それにどこか懐かしみと、まるで自分のことのように感じるほどだった……」
レインは噴水の縁に腰掛けながら、空を見上げて言った。
「世界の始まりの話、それに国々の名前……あと、さっきギルドでも聞いた“エグゼア”って言葉もあったよね」
サヤもその隣に腰を下ろし、腕を組んで考え込む。
その時だった。ふと、彼女たちの元にゆっくりと近づく視線があった。
おばあちゃんが、サヤとレインをじっと見つめている。
特にサヤに対しては、まるで何かを確かめるように、上から下まで念入りに視線を滑らせていた。
「……」
一瞬、老人の目がわずかに見開かれた。
それは驚きの色だったが、すぐに穏やかな微笑みに変わる。
「おまえさんたち、行くあてはあるのかい?」
「え?」
サヤが目を丸くする。レインも状況が読めず、顔をしかめた。
「んー……とりあえず街に来てみたけど、泊まるとこも仕事も、特に……」
サヤが恥ずかしそうに苦笑いすると、おばあちゃんは「ふむ」と頷いた。
「それなら、ついておいで」
そう言って、おばあちゃんは静かに踵を返す。
「え、えぇ? どこ行くの?」
戸惑う二人をよそに、おばあちゃんはゆったりと歩き出す。
その後ろ姿を見て、レインとサヤは顔を見合わせ、頷くと足を速めて追いかけた。
——そして数分後。
「ここって……」
目の前に現れたのは、さっき追い出されたばかりの冒険者ギルドだった。
「まさか、またここに来ることになるなんて……」
レインが呆れたように呟く。
おばあちゃんは慣れた足取りで重厚な扉を押し開け、そのままギルドの中へと入っていく。
広間には誰一人として冒険者はおらず、代わりにいたのは——
「おばあちゃん! おかえりなさいっ!」
甲高く、嬉しそうな声が響く。
あの強面だった受付嬢が、まるで少女のようにパァッと笑顔を咲かせていた。
レインとサヤは口をぽかんと開けて固まる。
「えっ……同じ人?」
思わず呟いたレインの言葉に、サヤも首を傾げる。
受付嬢は二人に気づくと、途端に目を細め、あの低くドスの効いた声に戻った。
「……なんでお前らが……!」
その言葉に、レインの肩がビクッと震える。
サヤもぎこちない笑顔を浮かべた。
「私の客人だよ」
おばあちゃんが穏やかに言うと、受付嬢はしばらく沈黙したのち、渋々といった様子で無言のまま道を空けた。
おばあちゃんの後に続いて、レインとサヤが受付嬢の前を通り過ぎる。
睨みつけるような受付嬢の視線を感じて、レインは視線を逸らし、サヤは舌を出して、
「べーっ」
小さくあっかんべーをしてみせた。
そして、おばあちゃんはカウンターの奥にある鉄製の扉を開き中へ入っていく。
そこに広がっていたのは、まるで別世界のような幻想空間だった。
天井からは無数の光の粒が舞い落ち、まるで星空の中にいるような錯覚すら覚える。床は淡い光を放つ白い石で構成されており、足音が吸い込まれるほど静かだった。
部屋の中央には、半透明の水晶柱が三本。静かに脈動するように光を放っており、それぞれが微かに異なる色合いで輝いている。
「ここはね、冒険者を志す者の中に眠る“可能性”を見極めるための部屋。魂の奥底に宿る力を映す鏡のようなものさ」
おばあちゃんが、ゆっくりと振り返りながら言う。
「さてねぇ……これからおまえさんたちには、《三段階能力鑑定》を受けてもらおうと思うとるよ」
「トライアル……スクリーニング? 一体何ですかそれ?」
レインが一歩身を引きながら聞き返す。
「冒険者になるにはね、まず通らにゃならん道があるんじゃ。誰もがそうして一歩ずつ歩いてきたもんさね」
すぐに例の冒険者試験のことだと納得したレイン。
「ん? あれ? ウチら冒険者になりたいっておばあちゃんに言ったっけ?」
「確かに……」
「言わずとも見えておるよ。おまえさんたちの中に灯った火──それは、冒険者として生きたいと願う魂の灯だ」
「魂の灯……」
「てかそもそも、おばあちゃんって何者?」
「ふふ……わたしゃこの《赤蓮の牙》の——」
おばあちゃんは口元に微笑を浮かべ、答えた。
「ギルドマスター。年だけは食っとるが、まだ目は節穴じゃないつもりさ」
「えぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?」
「ギルドマスター!?!?!?」
レインとサヤが揃って叫ぶ。
外での姿は優しい老婆。まさかギルドを統べる存在とは思いもよらなかった。
「“焔の大賢者”フレア・ヴァル=フレイム」
突如後方に現れたのは、あの鋭い眼光の受付嬢。そして、その後ろには無言のまま佇む巨漢の男。
「おやおや……おまえさんたち……」
「焔の大賢者……?」
「いいか、小僧。この御方はな……」
今まで無言を貫いていた巨漢の男がレインに詰め寄る。
「朱雀を代表するエグゼア……“エグゼア・オブ・朱雀”でもあった偉大な魔法使いであり——」
傷だらけのむさ苦しい顔面がレインに近づいてくる。
「俺たちの……ばあちゃんだ」
「ばあちゃん?!」
サヤが素っ頓狂な声をあげた。
どうやら受付嬢と巨漢の男の祖母らしい。
「でも……なんでウチらに鑑定なんて?」
サヤが首を傾げながら尋ねる。
「ふふ……見逃さんよ。おまえさん、ただの人間じゃなかろう?」
その言葉に、空気が一瞬、凍りついたように張り詰める。
レインもサヤも、言葉を失った。心臓が跳ね上がり、冷たい汗が背を伝う。
「……ど、どうしてそう思ったんですか?」
レインが慎重に、恐る恐る問いかける。
フレアは、すぅ……と視線をサヤに向けた。
「……お嬢さん。あんたの影が見えんのじゃ」
「……え?」
レインとサヤが同時に床に視線を落とす。
——そこには、確かにレインの影はある。けれど、サヤの足元には、何も落ちていなかった。
「う、ウソ……え、なんで!? あたしの……影、ない……!?」
サヤが慌ててその場でくるくる回ってみせるが、どこにも彼女の影は存在しない。
「ほんとだ……。今まで気づかなかった」
レインが呆然と呟く。
フレアは静かに頷きながら続ける。
「“陰無し”ってやつさね。神さまのお使いか、あるいは……死んだ者の残り香か。そういう存在には、影が落ちんことがあるんだよ」
「…………」
二人は言葉を失ったまま、顔を見合わせる。
「もっとも、それだけで全部が分かるわけじゃない。だからこそ、確かめたくなったんじゃ。老いぼれの、最後の好奇心ってやつさ。……付き合ってはくれんかね?」
部屋に静寂が満ちる。
レインとサヤは、もう一度顔を見合わせた。まだ、何も分からない。でも確かに、自分たちはこの世界の理から外れた存在だ。それでも何かを知ることができるなら。
「……納得いかないわ」
受付嬢の声が冷たい。視線はフレアではなく、真っすぐにレインとサヤに向けられていた。
「その二人に鑑定を受けさせるなんて……。おばあちゃん、考え直して」
フレアは、ほんの少しだけ目を細めて、やさしい口調のまま訊ねた。
「なにゆえ、そう思うのかい?」
「ここは“赤蓮の牙”。エグゼアを目指す志の高い者だけが集う場所。この二人に……そんな志、あるようには見えない」
その言葉に、巨漢の男が続いて口を開いた。
「ばあちゃん、このギルドにいる連中は、みんなばあちゃんに憧れてここまで頑張ってきたんだ。国のために命張る覚悟を持ってる奴らばっかだよ。そこにこんな世間知らずのヒヨッコが入ってみろ……周りの連中が納得しねぇよ」
男の声は重く、静かながらも力強い。彼の言葉には、このギルドに懸ける想いと誇りがにじんでいた。
だが、フレアはふっと目を閉じ、ゆるやかに首を振る。
「志ってのはねえ、最初から持っとらんでもええのさ。人は歩きながら、転びながら、いつの間にか『こうありたい』って気持ちに出会うもんじゃ」
フレアは振り返り、レインとサヤの顔を順に見た。
「もしこの二人が、エグゼアになれる素質を持っとるなら──その手を取らずにどうするね。それこそ、ギルドマスターの名折れじゃよ。それに——」
フレアは孫を見て、ニコリと笑った。
「わたしに言わせりゃ、うちの子らはみーんなまだまだ……ヒヨッコもヒヨッコ。産毛も生えとらんようなもんさ」
受付嬢は口を閉ざし、言い返すことはなかった。数秒の沈黙ののち、肩をすくめると無言で部屋の隅へ歩いていき、壁にもたれかかる。その隣には、巨漢の男がゆっくりと付き従った。
静けさが戻った空間で——レインがサヤと目を合わせる。
「……正直、エグゼアだとかこの世界のこととか運命だとか、全然何も分かってないけど……」
サヤが前に一歩、出る。
「……ウチ、やってみたい」
真剣な声だった。いつものノリはない。
彼女はまっすぐにこちらを見返しながら言った。
「どんな困難があったとしても、めっちゃデカい幸せが来ることを信じて進まなきゃ、でしょ?」
一瞬、驚いたような表情を浮かべたレインだったが——すぐに小さく笑みを浮かべた。
「……そうだな。俺もやるよ」
二人は、フレアの前に並んで立った。
「……うんうん。よう言ったのぉ。いい子じゃ、ほんとに」
フレアは嬉しそうに頷き、両手を合わせる。
——パンッ!
乾いた音が部屋に響いたその瞬間。
部屋の床に淡い光の模様が広がる。幾何学的な魔法陣が、静かに、しかし荘厳に輝きを放つ。
天井から降る粒子のような光、部屋の壁面は星空のように煌めき、宙に浮かぶ文字がゆっくりと回転し始める。まるで天の書庫が開かれたかのような神秘的な光景——。
「ようこそ、真実の間へ」
フレアの声が、まるで儀式の始まりを告げる巫女のように、空気に溶けて響いた。
「《三段階能力鑑定》、起動じゃ」
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