ep60 灼滅鬼
激しい戦場の裏側で、静まり返った飛空艇の奥まった廊下。その一角に、ひとり膝をついて呻く男がいた。
「……くっ、ぐあああ……ッ!」
苦悶の声を押し殺しながら、壁に背を預けるゼファル。額にはびっしりと冷や汗が滲み、息は荒く、全身が痙攣していた。
背中の一部、軍服の内側が赤黒く染まっている。
(なぜ今、この傷が……!)
痛みの奥に、灼熱の記憶が蘇る。業火に包まれた荒野。咆哮を上げながら現れた、異形の魔物。その体には、明らかに“何か”が宿っていた。
――魔神の残滓。
その魔物の爪に深く穿たれた背中の傷は、静かに……しかし確かにゼファルの中で燻っていたのだ。
「ま、まさか……あの化け物の封印が……解かれようとしているとでも……言うのか……ッ!?」
痛みは次第に熱を帯び、全身を内側から焼くように広がっていく。
ゼファルは歯を食いしばりながら、次第に暗転していく視界に抗った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦いが終わった。
魔物がすべて消え、空には焼けた匂いだけが残る。
「……まじか、勝った……! 俺たち生きてるぞ!」
「やったぁあああああ!!」
「うおおおおぉぉぉ!!」
歓声が一気に甲板を包んだ。
「すげぇ……本当にやったのか……!」
「助かった……あの魔物の群れを倒すなんて……」
その視線が向いた先――レイン、サヤ、ルナベールの3人が立っていた。
「なあ、あの3人、さっきの連携……見たか?」
「新人だろ!? やべぇよ、化けもんだな!」
「ゴーストレイヴン……彼らが噂の……!」
「ルナベールさん! 握手してもらえますか? 昔からファンなんです!」
「えっ……え、わ、私……?」
ルナベールはぱちくりと瞬きをして立ち止まる。突然の声に戸惑いながらも、ゆっくりと手を差し出した。
「ありがとうございますっ! めっちゃ感動しました! さっきの光と闇の魔法、鳥肌でした!」
「そ、そう? よかった……」
頬を少し赤くしながら、控えめに微笑む。
「な、なんかすげー人気出てない……?」
レインが周囲を見回してぽつり。
「あんま持ち上げられると照れるというか……」
「ちょっとレイン! こういう時くらいカッコつけなよ!」
サヤがレインの肩をぽんっと叩く。
「にしてもレイン、雷呼べるようになったの凄いじゃん!」
「いや、あれはスカイの技あってのもんだし……でも、まさか天候まで変わるとは思わなかった」
レインは少し照れたように肩をすくめた。
「むしろサヤの亡霊軍団の方が怖かったんだけど。いつの間に新技できるようになってるんだよ」
「でしょ~★ んでもアレ、ぶっつけでやったからねw 成功して良かった~」
サヤがケラケラ笑いながら胸を張る。
「お前なかなか度胸あるな……デスゲイザーみたいに取り返しつかない技だったらどうすんだよ……」
「魔物相手だったし、そこはしっかり相手選ぶって~」
サヤがウインクして指を立てた。
少し離れた場所。スカイは弓琴をそっと下ろす。
「……やるね、本当に」
スカイの肩がわずかに上下していた。美しくも激しい演奏 《ファイナル・レコード・アンリーシュド》は、彼の魔力を大きく削っていたのだろう。額には汗が滲み、息もわずかに乱れている。
「スカイ……!」
ロゼが駆け寄り、心配そうにその腕を支えた。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」
スカイは苦笑して、軽く首を振る。
そこへ、マリリアが静かに歩み寄った。
「ありがとう、皆を守ってくれて。立派でしたよ」
そして冒険者たちが駆け寄ってくる。
「スカイさん、マジすげぇっす!」
「演奏でバフとデバフを同時にやってのけるなんてすげぇぜ!」
「さすがバード! あれでテンション上がんねぇ方がおかしいって!」
スカイは少し戸惑いながらも、微笑を浮かべた。
「僕は何も……みんなが頑張ってくれたからだよ」
その輪に、レインが一歩前に出た。
「いや、あれはちゃんとスカイのおかげだよ。あの演奏がなきゃ、ここまでの戦いにはならなかった」
「うんうん! スカイのおかげで、自分じゃないみたいな力が出せたもん! マジ凄かったよ!」
「自分の限界を超えた、その先の領域に踏み込めたのも……スカイさんの技があってこそです」
三人の言葉に、スカイは驚いたように目を瞬かせたあと、少し照れたように笑った。
「ありがとう。でも……僕一人ではこの危機は切り抜けられなかったと思う。みんながいたからこその、勝利だよ」
その言葉に、周囲からもう一度、自然と拍手が起こった。焦げた風の中、戦いの静寂に、あたたかな音が満ちていた。
――だが。
「……ねえ、なんかアレ、近くない……?」
その希望に包まれた空気が、一転した。
「いや、さっきまでもっと遠くにあったはずだぞ」
「えっ、戦ってる間にここまで近づいちゃったってこと?!」
レインたちも顔を上げて固まる。
視線の先、巨大な山脈のようにそびえ立つ九つの火山――九頭煉獄火山。それが、タイタニクスのすぐ前方に迫っていた。
ゴゴゴゴ……ッ!
地鳴りのような音が空気を震わせた。
次の瞬間、九つの火口が眩い赤に染まり、光を放つ。
「これ、まさか……!」
――ドォンッ!!
轟音と共に、火柱が爆ぜ、黒煙と火山弾が空高く打ち上がった。
「うわあああああああっ!!」
「ウソだろ!? マジで噴火したぁっ!?」
「来る……! 絶対、何か来るぞ……!!」
激しく噴火する火山の中心から、黒く焼け焦げた巨影が、ゆっくりと頭をもたげた。
全長は、優に数百メートル。タイタニクスがその前に浮かぶと、まるで豆粒のようだ。全身からは黒炎と瘴気が立ち上り、周囲の空間すら歪んで見える。
筋肉の塊のような四肢には、巨大な鎖の断片が絡まり、ところどころに砕けた魔封の刻印が刻まれている。
「……な、なんだよ、あれ……でかすぎる……」
魔物の目が、赤黒い光を灯し、飛空艇を真っ直ぐに睨みつけていた。
その存在感だけで、空気が重く、息が詰まる。
誰かが喉を鳴らし、震える声で呟く。
「あ、あれは……」
隣の冒険者が目を見開いたまま、唇を震わせた。
「……灼滅鬼ヴォルフガング=ガランダス……!」
その名が発せられた瞬間、あちこちから悲鳴が上がった。
「嘘だ……っ、封印されたはずじゃ……!?」
「十年前の“焦土災厄”の元凶じゃないか……!」
「本当に……あいつが……!?」
「終わった……もうダメだ」
「エグゼアでも倒せなかったってのに……無理だ……勝てるわけない!」
黒炎に包まれた巨体が、火口の外へと這い出した。
そのたびに、地鳴りのような音が周囲を揺らす。
そして、ヴォルフガング=ガランダスは、咆哮した。
──ギャァアアアアアアアアアオオオオオオオオン……!!
耳を塞いでも震えるような、魂を揺さぶる絶叫。
その瞬間、タイタニクス全体が大きく揺れた。




