ep45 アルス・メロディアス
スカイの奏でる最後の一音が、まるで羽根のようにふわりと空気へ溶けていった。
そして、それに呼応するようにレストラン内の魔導灯が元の光に戻り、魔法の演出が静かに収束していく。
ほどなくして貴族たちは次々と席を立ち、ワインを手に談笑しながら別室のパーティ会場へと移動を始めていた。
「あれ、みんなどこ行くんだろ?」
「たしかこの後はパーティやオペラ鑑賞、舞踏会などが予定されているそうですよ」
「さすが貴族……飯食ったら即パーティとは……」
レインが苦笑混じりに呟きながら椅子を引く。
「結局最後まで居ちゃったね~! ご飯も音楽も超一流! マジ最高の時間だった!」
「そうですね。ロゼさんにお礼言いに行きましょうか」
ルナベールがそう言って顔を向けると、ふと動きを止めた。
「……あれ?」
その視線の先――
先ほどまで十数人の貴族たちに囲まれていた大きなテーブルに、ただ一人、ロゼだけが取り残されていた。
彼女は何かに囚われたように、ステージで片づけをしているスカイをじっと見つめていた。その瞳には、明らかな変化があった。
憧れ。感動。羨望。そして、ほんのかすかな悲しみ。まるで、触れられない星を見ているかのような――そんな視線だった。
楽器の弦を緩めていたスカイが、ふと視線を感じて振り返る。彼の眼とロゼの眼が、静かに――重なった。
時間が、止まったかのようだった。
ステージと席。距離はあるはずなのに、誰よりも近く、心が触れ合っていた。
その様子を目にしたレインは、目を細める。
「……ロゼさん、どうされたんでしょう?」
「むむ、なにやらロマンスのにおいが……」
「お前は犬か」
しかし、二人の間に流れる静寂を破ったのは、冷ややかな声だった。
「ロゼ。あなた、そこで一体何をしてるの? 早くパーティ会場へ向かうわよ」
ロゼの母――マリリア夫人だった。
その声は、何の余韻も許さない現実そのものだった。
「どうしたんだ、ロゼ」
ゼファルも酔い気味に笑いながら続けた。
「今日は君のためにシャンパンを開けたんだ。楽しみにしていただろう? さあ、一緒に行こう」
その声に、ロゼはハッと我に返る。
心のどこかにあった“夢”の欠片が現実に押しつぶされるように、慌てて椅子から立ち上がった。そして、その場から逃げるようにマリリアの後を追い、レストランの出口へと向かう。
スカイはその背中を、静かに、どこか切なげな笑みを浮かべて見送っていた。
レインたちは慌てて立ち上がり、ロゼの方へ小走りに追いついた。
「あの、ロゼさん。今日は……その、ランチに誘ってくれてありがとうございました」
ルナベールが頭を下げると、レインとサヤも続けて一礼した。
ロゼは一瞬きょとんとした表情を見せるも、すぐに気の抜けたような笑みを浮かべて言った。
「え、えぇ……気にしなくて……いいわ」
その声音には、どこか上の空な響きがあった。心ここにあらず――まさにその言葉がぴったりだった。
そのままふらりと歩き出すロゼに、ゼファルが呼びかける。
「おいロゼ……一緒に行かんのか?」
だがロゼは振り返ることなく、まるで風に引き寄せられるように歩き続けた。
「……あの子、なにか変ね。疲れているのかしら」
マリリアが眉をひそめて言う。
「なぁに、今回の空旅が楽しみで昨晩眠れなかったのでしょう。あるいは、私がロゼのために準備した催し物を想像して、胸を躍らせているのかもしれませんね!」
ゼファルはワイングラスを振りながら、ハッハッハッ!と大声で笑い、マリリアの手を取って誇らしげに歩き出す。
「……あの、ウチらは?」
サヤが恐る恐る手を挙げる。
「なんだ、おまえたちまだ居たのか。さっさと自室で待機してろ!」
ゼファルが振り返りざまに言い捨てた。
「今回はロゼの計らいでランチに誘ってやったが、このあとのパーティも舞踏会も、上流階級のみしか立ち入りが許されん。分かったなら、さっさとゆけ!」
フンッ、と鼻を鳴らしながら去っていくゼファル。
マリリアは三人を、まるで床に落ちたホコリでも見るかのような目で見下ろして通り過ぎた。
三人は、ただその場に――立ち尽くすしかなかった。
貴族たちの喧騒が去ったレストランには、落ち着いた静けさが戻っていた。
その一角、演奏を終えて楽器の片づけをしていたスカイのもとへ、レインたち三人が足を運ぶ。
「すごい演奏だったな、スカイ」
レインが率直に感想を述べると、
「もう幻想的! ファンタジーの世界にでも迷い込んだみたいだったよ~」
サヤが目を輝かせながら言い、両手をほわほわと宙に浮かせるような仕草をした。
「素敵な演奏をありがとうございました、スカイさん」
ルナベールも丁寧に一礼する。
スカイは照れたように笑いながら、弓琴をケースにしまい、肩をすくめて言った。
「いえいえ、こちらこそ。ご清聴ありがとう。君たちが楽しんでくれたなら、演奏家冥利に尽きるよ」
その言葉に、ルナベールがふと顔を上げて問いかけた。
「あの……スカイさんの演奏って、もしかして“魔導音楽”ですか?」
「魔導音楽?」
レインが首をかしげながら聞き返す。
スカイはパチンと指を鳴らして、嬉しそうにルナベールを指差した。
「お、鋭いね。よく気づいた」
ルナベールは少し頬を赤らめながらも、静かに続ける。
「文献でしか見たことはありませんが……スカイさんの音を聞いていると、気持ちが安らいだり、逆に心が奮い立つような、不思議な変化があると感じて……」
「そのとおり!」
スカイは指を立てて、まるで授業を始める先生のように語り出した。
「僕の演奏は《魔導音楽》といってね。楽器に込められた魔素と演奏者の感情、そして旋律の“構造式”を融合させて、周囲に影響を与える魔法音楽のことなんだ」
彼は自分の弓琴を軽く撫でながら続ける。
「たとえば、緊張を緩める音。元気を出す音。悲しみに寄り添う音。魔導音楽は、旋律で“感情”や“記憶”に触れるんだ。魔法というより、心の薬かな」
「なるほど~……だから離陸前にスカイの演奏を聞いた時、それまでの不安がスーッと消えたのかー。あれがそうなんだね」
サヤが感心したように呟いた。
「ふふ、体感してもらえて嬉しいよ」
スカイは満足げに微笑んだ後、ふといたずらっぽく三人を見やって言った。
「どうだい? 君たちも僕と一緒に演奏でもしてみるかい?」
「いや~……俺、音楽のセンスマジでないんでパスで……」
「ウチはカラオケとか好きでよく歌ってたけどさ、さすがにスカイの演奏聞いた後じゃ、恥ずかしくて聞かせらんないわ」
サヤも笑って肩をすくめる。
「でも……機会があれば、ぜひ」
ルナベールは微笑みながら、控えめにそう付け加えた。
スカイはその言葉に満足そうに頷き、肩の力を抜いて弓琴のケースを抱え直す。
「じゃあ、いつか。魔導音楽のセッション、楽しみにしてるよ」
四人は笑い合いながら、ゆっくりと回廊を抜け、自分たちの部屋へと向かっていった。
空の旅は、まだ始まったばかり――けれど、その心にはすでに確かな絆の旋律が宿り始めていた。




