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ep43 離陸

 貴族区画での任務を終え、三人は長い廊下を抜け、階段を一層下りて《第二等区画》へとたどり着いた。


 《碧風の階》と名づけられたこのフロアは、派手さこそないものの洗練された美しさがあった。青磁のタイルが敷かれた床に、魔導照明が柔らかな光を落とし、壁の風景画を優しく照らしている。廊下には小型の魔力噴水が点在し、絶えず澄んだ音が空気に溶け込んでいた。


「……おお、けっこう広いな」

「うわ、ベッドふっかふかじゃん。ルームミストからしていい匂いするし!」


 部屋は三人部屋で、それぞれに仕切りのある半個室ベッド、備え付けの収納、魔導式の温度調整器具、光結晶ランプの読書灯付き。

 まさに「実力ある冒険者向けのハイクラス仕様」といった雰囲気だった。


 荷物を置いて一息ついたタイミングで、サヤがソファにどかっと腰を下ろし、派手にため息をつく。


「……はぁ~~~。なんなの、あのババァ。肩こりとプライドでできてるの?ってくらいピキピキしてたんだけど」


 レインも隣に腰を下ろしながら苦笑する。


「ロゼもロゼで、あれは絶対“人を見下す目”してたな……」


 そうぼやく二人を見て、ルナベールが静かに口を開いた。


「……すみません。私が、もっと上手く立ち回れていれば……」

「え? いやいや、ルナちゃんが謝る必要ないって」


 サヤがむくりと起き上がって、眉をひそめた。


「むしろあの状況でちゃんと反論できたの、ルナだけだったし。私は正直、口開いたら“は?”しか出なかったからね?」


 レインも頷く。


「そうだ。ルナがいなきゃ、俺たち今ごろ飛空艇から荷物ごと放り出されてたかもしれないぞ」

「フフッ……ありがとうございます。少し、気が楽になりました」


 そのタイミングで、廊下の方から軽やかな口笛が聞こえてきた。


 誰かがゆったりと足を運びながら、旅歌のメロディを奏でている。

 やがて、部屋の真横で足音が止まる音。


 ぴんぽん、と音符のようなチャイムが鳴った。


 扉を開けると、そこにいたのは――


「やあ、奇遇だね」


 涼やかな声とともに現れたのは、スカイ・J・フェニックスだった。


「……スカイさん!? なんでここに?」

「部屋割りされたら、どうやら君たちの隣になったみたいでね。ま、音の壁は厚いらしいから演奏の邪魔にはならないはず……だけど、もしうるさかったら言ってよ」


 にこりと笑うスカイに、サヤが目をぱちくりさせながら呟く。


「……隣の部屋が音楽家って、なにその宿運……」

「案外、いい子守唄になるかもしれないぞ?」


 レインが軽く肩をすくめて言うと、スカイはいたずらっぽくウィンクした。


「任せといて。夜は静かな風の曲を贈るよ。……でも、貴族区画は大変そうだったね?」


 その一言に、三人は顔を見合わせて苦笑した。


「はい……まぁ、なんとか」


 ルナベールの言葉には、少しだけ安堵の色が混じっていた。


「そうだ! ちょうど、もうすぐタイタニクスが離陸する頃合いなんだ。せっかくだから、甲板に出て空の出発点を一緒に眺めてみないかい? いい場所、知ってるんだ」


 その誘いに、サヤがぱっと顔を明るくする。


「それ行く! 飛ぶ瞬間って絶対テンション上がるやつじゃん!」

「さっきまで“落ちたらどうしよう”って言ってたくせに……」


 レインが呆れたように笑う。


 ルナベールも小さく頷き、「ぜひ、ご一緒させてください」と丁寧に返した。


 四人は連れ立って通路を抜け、魔導エレベーターで上層へ向かう。

 到着したのは、甲板の端にある展望スペース。防護結界が張られており、風圧も危険も感じさせない構造だ。


 そこにはすでに数人の乗客が集まっていた。

 だが、スカイが案内した場所はその少し裏手――人の少ない静かな側面甲板だった。


「ここからだと、町の全景がよく見えるんだ。見納めになるかもしれないからね」

「目納めって……死にに行くわけじゃないし」

「たしかに、レインくんの言う通りだね」


 眼下には、これまで過ごしてきた町が広がっていた。石畳の路地、ギルドの尖塔、魔導市場の赤い屋根――全てが少し遠く、けれど親しい。


 サヤが結界の縁に手をかけ、身を乗り出すようにして叫ぶ。


「うわーっ、すっご! あれ見て、下にめっちゃ人いる! 手、振ってる!」


 本当に、見送りに集まった市民たちが、点のように見える場所で手を振っていた。

 子どもが紙の旗を振り、大人たちが笑顔で空を見上げている。


「きっと、抽選に外れた人たちでしょうね……」


 ルナベールがつぶやき、そっと手を振る。


「こっちも振り返さなきゃだよね」


 サヤが大きく手を振り、スカイもそれに倣って帽子を軽く掲げて見せた。


 すると、ルナベールの持っていた魔導通信具幻記結晶(ファントムレコード)から、ぴ、と小さな音が鳴った。

 彼女が驚いて装置をタッチすると、元気な顔が映し出される。


 ――レックスだった。


『ルナさーん! 見えてますかー!?』


 彼の後ろには、クリスティン、モンベルン、サンシャインの姿もあった。

 4人は港の柵の近くで手を振っている。


『タイタニクスに乗れるクエストなんてマジやばいっすね! スゲー羨ましいっす! ぜひ頑張ってください!』

「レックス……わざわざ、見送りに来てくれたんですね」


 ルナベールの声がわずかに震える。

 予想外のエールに、胸の奥がじんわりと温まるのを感じた。


『当然っす! ルナさんとレインとサヤが行くって聞いたら、じっとしてられるわけないっすよ!なんかあったら、すぐ連絡してください! 空だろうが宇宙だろうが、すぐに助けに行きますから!』


 後ろでモンベルンが「無理無理無理~宇宙は無理でしょ」と小声で言いながら、手を振っているのが映る。

 クリスティンとサンシャインがそれを肘で突っついているのも見えた。


「ありがとうございます。レックス……」


 ルナベールは微笑みながら深く頭を下げる。

 その仕草の端に、ほんのりと感極まった色が見えた。


「空にまで助けに来てくれるのか、あいつ……」

「遠距離射撃でもしてくれるのかな?」


 サヤがくすくす笑いながら応じた。


 通信が切れると同時に、遠くの地上でレックスたちが再び大きく手を振るのが見えた。


 仲間たちのその姿は、空へ旅立つ三人にとって、何よりも頼もしい見送りだった。


 ――その時。


 低く、荘厳な《起動音》が鳴り響いた。


 タイタニクスの船体全体が、ふわりと微細に振動し始める。

 地上から離れる直前、魔導炉が一斉に起動し、船尾のフェニックスの尾部から虹色の魔素が立ち上る。


 そして、次の瞬間。


 グォオォォオ……!


 空気を震わせる音と共に、巨大な不死鳥はその翼をゆっくりと広げ――

 大地を蹴ることなく、静かに、誇らしく、空へと浮かび上がった。


 タイタニクスはまるで生き物のように、翼の波動に合わせて加速していく。

 魔導式浮遊炉が船体を優雅に支え、あらゆる騒音や振動は魔法障壁で吸収され、乗客には風すら感じさせない。


 それでも確かに――彼らは、空を駆けはじめていた。


「……これが、空の旅……」


 レインがぽつりと呟き、サヤが頬を紅潮させて振り返る。


「ヤバいくらい高まってきた。冒険始まった感じ!」

「ああ……そうだな。これからどんな冒険が待ってるのか、ワクワクが止まらないな!」


 後方では、町の人々がなおも手を振り続けている。

 彼らの思いを乗せ、不死鳥は、青空の果てへと向かっていく。

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