ep41 貴族
スカイの弓琴が最後の一音を奏で終えた頃、港の空気はどこか澄みきった静けさに包まれていた。
その余韻を切り裂くように、重く、威厳をまとった足音がこちらへと近づいてくる。
「……君たちかね? 護衛の依頼を受けたというのは」
振り返ると、そこには立ち姿からして隙のない、軍服姿の男がいた。
漆黒の軍服には銀糸の刺繍が施され、左胸には竜の紋章をかたどった金色のバッジが光っている。長身で冷ややかな瞳を持ち、隣に立つどんな者もただの背景にしてしまうほどの存在感。
「っ……あ、はい!」
ルナベールが咄嗟に一歩前へ出て、礼儀正しく頭を下げる。
「あ、えと……依頼主のゼファル・ド・ヴァレンシュタイン様ですね。私たち、《赤蓮の牙》の――」
「――フン。なんだ、どれも若造じゃないか」
遮るように、ゼファルと名乗った男が鼻を鳴らす。
「君たちで本当に護衛の任務が務まるのかね?」
その言い様に、レインの眉がぴくりと動く。サヤも「はぁ?」と小さく呟いたが、ルナベールが慌てて間に入った。
「え、えぇ……ご依頼いただいた護衛任務の内容的にも、元々安全な空旅で、なにかトラブルが起きた場合にのみ対応するという内容でしたから……」
「まぁな」
ゼファルは手袋を外しながら、やや面倒くさそうに応じる。
「このタイタニクスは、世界で最も安全で、最大の魔導旅客艇だ。今まで一度たりともトラブルを起こしたことなどない。故に飛空艇そのものに問題があるわけではなく……あるとすれば、たまに湧いて出るネズミを追っ払う程度だ」
そう言って、彼はわざとらしく小さな溜息をついた。
「それと……我が愛しのフィアンセの身の回りの世話だな」
「フィアンセ……?」
サヤが眉をひそめた。
ゼファルは不敵に笑みを浮かべ、顎を軽くしゃくる。その先にいたのは――
漆黒と紅のドレスに身を包んだ、気高くも妖艶な少女。深紅の瞳と黒髪の長いツインテールが、冷たい美しさと強い意志を宿している。
まるで“夜に咲く薔薇”のように、人々の視線を奪う存在だった
「紹介しよう。我がフィアンセ、ロゼ・アルバート・スターライト嬢だ」
ゼファルが声をかけると、ロゼがこちらへとゆっくり歩み寄る。
その姿には気品と自信、そしてなによりも“選ばれた者”の気位が滲んでいた。
レインたち三人も、思わず直立して姿勢を正す。
しかし次の瞬間、彼女の口から飛び出した言葉は、冷たい針のようだった。
「ゼファル。なんですか、この……アレな方たちは」
レインが瞬時に「……アレ?」と聞き返す前に、ゼファルがひとつ咳払いをした。
「“様”をつけなさい、ロゼ。この方々は、今日から君の護衛を担当する《赤蓮の牙》のメンバーだ。礼儀をもって挨拶を」
ロゼは一瞬、明らかに不服そうな顔をしてから、小さくため息をついた。
「護衛……? 私、そんなもの頼んだ覚えはありませんが」
困惑した表情を浮かべる三人。特にレインとサヤは、どこか面倒な案件の予感を肌で感じ取っていた。
ゼファルはあくまで冷静な口調で続ける。
「私が頼んだんだ。もしもの時があってはならないと思ってな。……君のためだ、ロゼ。さぁ、早く挨拶を」
しぶしぶ、といった様子でロゼが一歩前に出る。
だがその眼差しはどこか見下ろすようで、声音にも刺があった。
「……ロゼ・アルバート・スターライトよ。護衛するのは勝手ですが、私の邪魔にならないようにしてくださいませ。では」
それだけを言い残し、ロゼは踵を返して、彼女の母と思われる気品の漂う婦人のもとへ歩き去った。
その背中を見送る三人は、口を開けたまま沈黙する。
「…………」
ゼファルがやや気まずそうに咳払いをひとつ。
「……ゴホン。ま、まぁそういうことだ。私のフィアンセとはいえ、彼女もまだ若い。少々扱いづらいところもあるが、決して失礼のないように」
ロゼが去ったあと、しばし沈黙が流れる。
その空気を破るように、サヤがぽつりとつぶやいた。
「い、イメージ通りの貴族……」
その表情は引きつっており、笑っているのか引いているのか、判断がつかない微妙な顔だった。
「めっちゃ不安になってきた……」
レインも同じく、困り眉で額に手を当てていた。
そんな二人を、ゼファルが冷ややかな視線で一瞥する。まるで“言葉にせずともすでに評価は済んでいる”と言わんばかりの、鋭い睨みだった。
「世界に名を轟かせるギルド《赤蓮の牙》――そして、“蒼閃の戦姫”の異名を持つ少女。それなりの対価を支払ったつもりだ。そこに問題はあるまい」
ゼファルはそう前置きし、少し間を空けたのち、にじむような皮肉を込めて続ける。
「――だが、そこのアホ面の二人だ。もしもお前たちの失態によって、我々に何かしらの被害が及んだ場合、その代償は――当然覚悟しているだろうな?」
ピリッと空気が張りつめる。レインが何か言い返しかけた瞬間、ルナベールがすっと前に出て一礼した。
「あ、ああ、大丈夫です! 私がしっかりと見守りますので……」
そして、まっすぐにゼファルを見据える。
「それに、彼らは私以上に頼れる仲間なんです。どうかご安心ください」
その毅然とした口調に、ゼファルの目が一瞬だけ細められる。
「……む? そうか。蒼閃の戦姫の言葉であれば、信じないでもないが……」
不承不承といった口調で、ゼファルは鼻を鳴らす。
「では、護衛は任せたぞ。それと――あそこの荷物、部屋まで運んでおいてくれ」
ルナベールは即座に頭を下げる。
「かしこまりました」
「はいはーいって……え? 荷物持ち?」
「了解……はぁ、もうなにも驚かない」
サヤが呆れた声をあげたが、すぐにレインが横から口を挟む。
ゼファルはフンと鼻を鳴らし、優雅に踵を返すと、ロゼとその母親を伴って搭乗口へと歩いていった。その背中は、まるで“高貴そのもの”といった風格を保ちつつ、空気の冷たさも置いていく。
「なーんか嫌な感じ。貴族の偉いおっさんって感じ」
「……あまり失礼なこと言うなよ? ルナに迷惑かかっちまう」
レインが眉をひそめて軽く小突くと、サヤは小さく肩をすくめた。
「たしかに。うん、控えめにディスるわ」
そのやり取りを聞いたルナベールが、静かに微笑む。
「いえ、私は別に平気です。身分の高い方々は、大体ああいうものだと認識していますので」
「おっふ……ルナちゃんもなかなか強いね」
サヤが感心したように目を丸くする。
「だな。心配して損した」
レインも笑いながら苦笑した。
そんな三人の背後から、ふわりと風が吹く。振り返ると、スカイが微笑みながら近づいてきていた。
「なにやら一波乱ありそうな旅路だね。だが――困難こそ、英雄譚の序章さ」
スカイは弓琴を手に取り、再び静かに演奏を始めた。
先ほどの力強い旅立ちの曲とは違い、今度はどこか温かく、落ち着きのある旋律。心のざわめきを洗い流すように、三人の表情が自然とほぐれていく。
「……ありがとう、スカイさん」
ルナベールがそっとつぶやいた。
その音に勇気をもらった三人は、重くも豪華な荷物を抱えて、タイタニクスの搭乗口へと歩き出した。
物語の幕は、確かに今、上がったばかりだった。




