ep38 約束
歴史博物館を出たとき、レインとサヤはふたりして空を仰いだ。
さっきまでの頭痛は収まっていたが、どこか胸の奥がザワザワするような感覚が、まだ微かに残っていた。
「……なんか、変な感じだったな。あの石碑」
「うん……なんか、ゾワッてした。頭の奥の方がキーンて響く感じでさ……」
そんな不思議な余韻を抱えながら、ふたりはふらりと足を向ける。
博物館の裏手──少し高台になった小道の先には、小さな柵に囲まれた静かな公園があった。
風に揺れる木々の音。小鳥のさえずり。
そしてなにより──視界の先に広がる海。
その公園は、ちょうど海に面した丘の上に位置しており、昼下がりの陽射しを受けて海面が金色にきらめいていた。
「……ここ、サンシャインが“デートスポット”って言ってた場所かもな」
「……なかなかいい眺めだね」
サヤの声は柔らかかった。
ふたりは芝生の上に腰を下ろす。並んで座ると、風がスカートの裾や髪をそっと揺らした。
しばし無言。けれど、それが心地よかった。
ふと、サヤがポツリとつぶやいた。
「……ねぇ、レイン」
「ん?」
「今日、めっちゃ楽しかった」
「……お、おう。俺も。すげー楽しかったよ」
「ウチ、こんなふうにさ……誰かと普通に街歩いて、買い物して、笑って、……そういうの、初めてだったかも」
その声は、いつものノリじゃなかった。
どこか素直で、ちょっとだけ照れてて──まるで、女の子そのものだった。
「……うそつけ。前の世界じゃ、お前めっちゃモテてただろ。デートとか、数えきれないくらい──」
「そ、そうだけど! そういうんじゃなくて!」
サヤが慌てて言葉をかぶせる。
頬はほんのり赤くなり、視線を泳がせながら続けた。
「心から……“好きな人”とするデートは、初めて……ってこと」
風がふたりの間を抜けていく。
「……」
レインは、何も言えなくなってしまった。
その横顔を見て、サヤはむくれて、少しだけ唇を尖らせる。
「……もう。何言わせてんのよ、バカ」
「……わ、わりぃ……」
ぽつりと謝るレインの声は、どこか嬉しそうでもあった。
しばしの沈黙。
だけどそれは、気まずさよりも、照れくささでいっぱいの沈黙だった。
やがて、サヤがふっと息をつき、小さな声で言った。
「……友達も恋人も、そういうの全部、もう“終わった話”だと思ってたのに……」
言いながら、サヤはそっとレインの肩にもたれた。
レインは少し驚いたように彼女を見た。
サヤは、視線を海に向けたまま、ぽつりと続ける。
「でも、転生して……レインと一緒にいて、こうして、笑って……なんか、“また始めてもいいのかな”って思えてきたんだよね」
「……サヤ」
風が吹いた。長い髪がふわりと舞い、レインの肩にかかる。
それをそっと払おうとしたレインの手に、サヤの手が重なる。
驚いて目を見開くと、サヤは顔を少し赤くして、でもきちんと彼を見ていた。
「ちょ、ちょっとくらい……女らしくなっても……いいよね。デートなんだし……」
「……あ、あぁ。全然、いいと思う……すごく、その……」
「……?」
「……かわいいよ」
「~~~っ!! ……急にそういうこと言わないでよ……ギャルはこう見えて繊細なんだから」
サヤはぷいっと顔をそらすが、耳まで真っ赤だった。
でも、握ったままの手は、そっと指を絡めてきて──
「……また、行こ?」
ふいにサヤがそう言った。
「次はさ、もっと人がいない場所で。ちゃんと2人だけの……デート」
レインは少し呆けたような顔で見つめて、そして照れ笑いしながら頷いた。
「……うん、絶対行こう」
レインとサヤは手をつなぎ、肩を寄せ合いながら、水平線に沈んでいく夕日を静かに見つめていた。
海が金色に染まり、空は赤く溶けていく。
風がそっと吹き、ふたりの髪がふわりと揺れた。
──そのときだった。
ゴオォォォォォ……
重低音の風鳴りとともに、巨大な影がふたりの上空を通り過ぎる。
「な、なんだ!?」
「レイン、アレみて……!」
見上げると、空を横切る影──それは、遠く遥か上空を飛ぶ巨大な飛空艇だった。
鋼鉄の機体に魔導機関の光がちらつき、まるで空の王のような風格で街の方角へと進んでいく。
「飛空艇……!? でかすぎんだろ……戦艦かよ……」
レインが呆然と呟き、サヤが腕を組みながら苦笑する。
「街の方に向かってったね……なんか偉い人でも乗ってるのかな?」
「それか、変なイベントの前触れじゃないだろうな……」
ふたりとも、ただ唖然として見上げたまま、思わず顔を見合わせる。
──そして、同時に、ふっと吹き出した。
「ぷっ……」
「なんだよ今のタイミング……せっかくのいいムードが……」
「まじタイミング悪すぎなー! ほんっと、レインと居るといつもこうなんだから……厄病神め」
「今更言ったってもう遅い。承知の上だろ?」
「まぁね~」
肩を揺らして笑い合うふたり。
風に笑い声が溶けていった。
しばらくして、レインがそっと立ち上がり、手を差し出す。
「……そろそろ戻るか。ルナも次の大会の会議終わってる頃だろう。俺たちのこと待ってるかもしれないしな」
「うん。そうだね!
サヤはレインの手を取って立ち上がると、にっこり笑った。
「でもさでもさ、帰ってもレインと一緒に居れるし……それだけでちょっと嬉しいかも」
「あ、お前なぁ……あんま人前でイチャついたりすんなよ?!」
顔を赤くしながら釘をさす。
「え~いいじゃんベつに~。ただのスキンシップスキンシップ」
「お前のスキンシップは刺激が強いんだよ!」
そんな、まるで付き合いたての高校生みたいな会話を交わしながら、ふたりは公園の道を歩き出す。
──が、数歩歩いたところで、レインがふと立ち止まった。
「……なあ、サヤ」
「ん?」
「俺の返事なんだけど──」
その瞬間だった。
サヤがスッと振り返り、レインの唇に指をあてて、そっと押さえる。
「……だーめっ」
レインは目を見開いた。
サヤは少しだけ真面目な顔で言う。
「今日はね、ウチの素直な気持ちを伝えるデート。だからレインの気持ちは……次のデートで聞かせて?」
「……サヤ」
サヤがニコリと笑う。
「まさか、今までそうやってデートする口実を作ってきたのか」
「あ、バレた?」
テヘっと笑ってとぼけるサヤ。
「まぁ、この異世界でのウチらの人生……始まったばっかりなんだし。焦らず、ゆっくり、少しずつさ──一緒に歩んでいこ?」
夕日に照らされたその笑顔には、あの日の噴水広場での輝きが重なって映った。
異世界に転生して最初に見た、“はじまり”の光景。
今その記憶が、柔らかく温かい未来へと繋がっていく。
「……そうだな」
レインも笑った。
そしてふたりは、肩を並べてゆっくりと歩き出した。
仲間の待つギルドへ──そして、これから共に進んでいく、まだ見ぬ明日へと。




