ep35 アリーシャ亭
ギルドの玄関を出ると、柔らかな昼の光が道を照らしていた。
人々の賑わいが遠くで響き、街の空気には香ばしいパンやハーブの匂いが漂っている。春の風が、ふたりの間をすり抜けていく。
並んで歩くレインとサヤ。
少しだけ距離が近いのは、お互いが“意識してる証"だった。
「……こ、ここなんかどうだ?」
レインが指さしたのは、角のレンガ造りの洒落た建物。
装飾の施された看板には『アリーシャ亭』の文字。そして手書きで「本日のスペシャルランチ・限定10食」とも記されている。
「エジールさんに聞いたんだけどさ。ここのランチ、めっちゃ美味しいうえに安いんだってさ」
レインが少し照れくさそうに言うと──
「へぇ〜? なかなか良さそうなとこじゃん! うん、ここにしよ!」
その言葉に、レインも自然と口元を緩める。
レストラン『アリーシャ亭』は、可愛らしい花の鉢植えが並ぶ小さなテラス席があり、木の看板や窓の格子もどこか温もりを感じさせる雰囲気だった。扉には風鈴のような魔法鈴がかかっており、開けるとやさしく音が鳴るらしい。
レインは少し照れながらも、扉の取っ手に手をかける。
「どうぞ、お嬢さん」
そう言って、扉を開けてサヤを先に通す。
「レインってば、紳士〜! やればできんじゃん!」
サヤがからかい混じりにウィンクしながら先に入ると、魔法鈴がやわらかに鳴った。
店内は木の温もりに包まれた落ち着いた空間で、昼時とあって賑わってはいるが、騒がしすぎない心地よさがあった。窓際には光が差し込み、小さなランタンがふわりと揺れている。
「けっこう混んでるな……どこか空いて──」
席を探そうとしたそのとき──
「──あれ? レインとサヤじゃーん!」
ひょいと手を振りながら声をかけてきたのは、レックスだった。
「あ、ほんとだ! やっほー!」
サンシャインも笑顔で身を乗り出す。その隣でクリスティンも楽しげに手を振っていた。
──3人とも、同じギルドの若手仲間たち。
「何してんだよー、外でランチなんて珍しいな? 一緒に食おうぜ!」
「ここ、6人がけだからちょうどいいね! ほら、ほら、座って!」
「……え、いや、あの、俺たちは──」
レインが言いかけるが、もう遅い。サンシャインが椅子を引いて待っている。
サヤも、さっきまでの笑顔が少し引きつっていた。
(うわ……まさかの、鉢合わせ……)
(……せっかくの“初デート”だったのに、2人きりじゃなくなっちゃったじゃん……)
レインとサヤは顔を見合わせ、小さくため息をついた。
結局、二人だけのランチは諦めるしかなかった。
レインとサヤはため息混じりに席へ着く。
サヤは向かいに座ったレックスたちに問いかけた。
「……今日は三人だけなの?」
「ううん、モンベルンも呼んでるぜ」
レックスがサラダをつつきながら答える。
「なんか用があるとか言って、まだ来てないけどな」
「任せて。すぐ来させるわ」
そう言ったクリスティン。
彼女は腰ポーチから、掌サイズの結晶体──《幻記結晶》を取り出す。
それは魔力を通して空間に映像と音声を再生できる、いわば異世界の通信機器だった。
魔力を通すと、空間に淡く光が走り、ふわりと立体映像が現れる。
現れたのは、ゆるっとした銀髪と、どこか目の焦点が合ってない顔──モンベルンだった。
「おい、モンブラン」
「はいはい、モンベルンですよ~。今ちょーど手が空いたとこ。もうすぐ終わるよ〜」
呑気な声と裏腹に、映像の背景ではなぜか何かが燃えていた。
「レインとサヤが合流した。早く来て」
「ん? あー、そういやどこのレストランだっけ?」
「三秒あげる。すぐ来て」
「さんびょ──三秒ッ!? てかどこのレストランかって──」
ブチッ!
通信が切れた。
「…………」
全員が映像の消えた空間を見つめる中、サヤがぽつり。
「切った……」
クリスティンが窓の外を見る。
「見てて」
本当に三秒後。
ヒュンッ!!
窓の外を高速で横切る"何か"。
そして──
ガラガラガラッ!!!
店の扉が勢いよく開いた。
「……っはぁっ……ゼェ……ゼェ……っ……!!」
汗だくで、息を荒げながら突入してきたのは──もちろんモンベルンだった。
「来た。モンブランこっち」
クリスティンがまるで呼吸をするような自然さで名前を間違える。
「お、おまへぇ……ゼェ……ハァ……っ……!! ちょ……普通、店の場所くらい教えてから呼ぶやろがぁいっ……!!」
息も絶え絶え、肩を上下させながらツッコむ。
「俺今、近くにいたカラスに“このへんに若者向けのレストランない?”って聞いて、鳴き声で方向当てたんだぞ!? ……カラスが鳴かなかったら今ごろ別の店でランチしてたわ」
「アッハハ、なにそれ!」
サヤがツッコミながら笑い、レインも思わず飲んでいた水を吹きそうになった。
「まったく、人を犬みたいに呼びつけやがって……」
「そんなことより……」
「そんなことよりってどゆことっ! ねぇ人の心とかないんですかぁッ?!」
そんなギャグみたいなやりとりの中、ふたりの“初デート感”はすっかり埋もれていたが──
サヤは楽しげに笑いながらつぶやいた。
「……まぁ、こういうのも悪くないかもね?」
「そうだな」
いつものレインであれば、こんな状況さえも「不幸体質のせいだ」と自分を責めていたことだろう。けれど今は──ほんの少しだけ、違っていた。
自分の中で、何かが変わり始めている。そんな予感を、レイン自身もうっすらと感じ始めていた。




