ep34 二人の時間
ファウストとの一戦の翌朝──
暖かな光が差し込む講義室は、いつもより静かだった。
並んだ机の数に対して、そこにいるのは二人だけ。
そのうちの一人、夜霧サヤは背筋を伸ばして座り、ホワイトボードに書かれた講義内容を小さく口に出しながらノートに書き写していた。
「えーと、《属性干渉理論・基礎》……“魔素には相性が存在し、火は風に強く、土に弱い……”っと」
真面目だ。あのサヤが講義を一語一句、口に出しながら板書している姿は、ある意味で幻想的だった。
一方、もう一人──幽鬼レインはというと、椅子をギーコギーコと後ろに傾けながら、上を向いてぼんやりと天井を見つめていた。
ノートは白紙。ペンは握っているが、まったく動いていない。
意識は、遠く過去へ──いや、昨夜の訓練場の出来事へ飛んでいた。
『……レインが好きだから』
『好きな人を守るためなら、命だって賭ける』
あの戦いでサヤがレインを庇い、涙を浮かべて叫んだその言葉が、今もずっと耳に残って離れない。
「……なぁ、サヤ」
ふと、レインがぽつりと呼びかけた。
「へっ!? な、なに?」
サヤがピクリと肩を震わせ、あからさまに動揺した声で振り返る。
ノートを開いたまま、手は止まり、顔もどこかぎこちない。
「その……昨日のあれ……本当か?」
「……昨日のあれって、何よ」
サヤがあからさまに視線を逸らす。
レインは少し俯きながら、それでも目をそらさずに問いかけた。
「俺のこと……好きだって言ってくれたことだよ」
「~~~~っ!」
サヤの顔が一瞬で真っ赤に染まった。頭の上から湯気が立ち上るようなイメージすら浮かぶ。
「べ、別にっ! 死ぬと思ったから……言いたいこと言っとこうと思っただけだし! そ、それだけだしっ!」
珍しく目をそらしながらしどろもどろになり、ぷいっと顔を背けた。レインはその様子を静かに見つめたまま、ほんの少し笑みをこぼす。
しばし、沈黙。
「……そ、そっか……」
それだけを言うと、レインはまた天井を見上げようとした。
だが──
「……まぁ、でも」
サヤの声がかすかに続いた。
「その気持ちは……嘘じゃないから」
ツンとした口調の中に、少しだけ恥じらいの滲んだ声音。
彼女らしくない、けれど確かな本音だった。
レインは目を丸くして、サヤの横顔を見つめる。
「……そっか」
さっきよりもずっと優しい声音だった。
また、少しの静寂。
そのとき、レインが唐突に言った。
「……デート、しないか?」
「エッ!?」
サヤの声が裏返る。思わずノートを閉じ、レインを見つめる。
レインは、真剣な眼差しで、まっすぐにサヤの瞳を捉えていた。
「ちょっ……なによ、急に……。レインらしくないセリフ吐いちゃって、もぉ……」
戸惑いながらも、サヤは視線を逸らせずにいた。
それでもレインは真っすぐに彼女を見つめ、静かにもう一度問う。
「……嫌か?」
その一言に、サヤの目が一瞬揺れる。頬はますます紅潮し、肩が小さく震えた。
(もうウチったら……なんであの時、あんなこと言っちゃったんだろ。レインも急に態度変えちゃって……なんなのっ!? 妙にドキドキしちゃうじゃん……ウチはギャル。ギャルは恋愛では常にマウントを取らなきゃイケナイ。そう……だよね)
心の中でぐるぐる葛藤するサヤの表情が、ぐにゃぐにゃと複雑に揺れる。
その様子を見て、レインが諦めたように目を伏せた。
「……ごめんな。急に変なこと言って」
その言葉を聞いた瞬間──
「行くっ!!」
「えっ?」
「で、デート……しよっ」
その言葉を聞いた瞬間、レインの顔がぱっと明るくなった。
「マジで!?」
勢いよく立ち上がる。椅子がガタンと音を立て、机にぶつかる。
サヤはびくっと肩をすくめ、慌ててレインを止めようと手を伸ばす。
「ちょっ、いきなりでかい声出さないでよ」
「だ、だって……う、嬉しすぎて……」
満面の笑みで両手をぐっと握りしめるレイン。
そのあまりの純粋な反応に、サヤの頬はますます熱を帯びた。
──だが、そのとき。
ガラガラガラッ!!!
突然、講義室の扉が勢いよく開かれた。
「戻ったわよーっ!」
「「!!!???」」
反射的にレインとサヤが跳ね上がるように身を起こし、何事もなかったかのように机に向き直る。
サヤはノートを広げてペンを持ち、レインは……ノートすら取ってなかったので、無理やり空の紙をめくって「考えてました感」を出そうと必死。
入ってきたミランダが、その様子をじとーっと見回す。
「……あんたたち、なんかあったの?」
「「なにも!!!」」
見事なハモリ。
声が揃いすぎて、逆に怪しまれる。
「……ま、いいけどね」
ミランダは首をひねりながらも、深追いせずに手をひらひらさせた。
「ちょっと急用ができちゃってね。今日の講義はここまでにするわ。あとは休むなり、クエストこなすなり、自由に過ごしなさいな」
そう言い残し、手帳を小脇に抱えながらバタバタと講義室を後にするミランダ。
扉が閉まる音が響き、ふたたび静けさが戻る。
……しばしの沈黙。
ふたりは、ふとしたタイミングで顔を見合わせた。
「……」
「……」
目が合った瞬間、どちらともなくぷいっと視線を逸らす。
けれど──
「……じゃ、じゃあさ」
レインが照れくさそうに、後頭部をかきながら切り出す。
「た、たまには……外でランチ、しに行くか?」
「……う、うん……!」
サヤも頬を赤らめながら、小さくうなずいた。
その返事が嬉しくて、レインはまたちょっと笑みをこぼす。
サヤも、つられて小さく笑った。
──甘くて、ぎこちなくて、でも確かに始まりつつある"ふたりの時間"。
今日のランチは、ほんの少し特別な時間になりそうだった。




